おくさまは無限女子アナ

腹筋崩壊参謀

1 嵐を呼んだ女子アナ

 昔むかし、とある町にあると言う大手テレビ局『トアルテレビ』に、それはそれは人気者だった1人の女子アナがいました。


「おはようございます。爽やかな朝、な洗濯日和です……」


 早朝の情報バラエティ番組で天気にも負けない爽やかな笑顔を見せていた彼女の当時の名は『富谷とみたにアンナ』。全国ネットの番組に顔を出すテレビ局のアナウンサーとし、同局の人気ランキングでも毎回上位に入るほどの美貌と実力を兼ね備えた存在として知られていました。

 その理由には、勿論あちこちの番組での活躍ぶりもありました。


「美味しい~!!私の舌の中で程好い甘さがたっぷりにじみ出ています♪♪」

 

 朝から夜までアンナが出ていた番組は多種多様。様々な企業問題や事件を扱う(一応)真面目な番組から、地元の美味しい味を紹介するほのぼのしたコンテンツまで、彼女は毎日様々な現場に立ち、テレビカメラやスタッフたちの前でも臆する事無く、その場に合ったやり方で番組を支え続けていました。

 たまに人気に嫉妬したであろう評論家の先生たちから、言葉遣いが軽い、真剣さが足りないと言う余計なご指摘を受けてしまうこともありましたが、彼女はそのような批判もしっかり受け止める度胸も持っていました。


「先程の番組の中で『肉まん』と紹介しましたが正しくは『餡まん』でした。お詫びして訂正いたします」


 それに、人気女子アナの一員と言う事もあってか彼女はその外見もまた魅力的でした。

 長く綺麗な髪にじっと真実を見つめる目、麗しい唇、谷間が見えそうなほど大きな胸など、アンナの全身は所謂『女子力』を倍増させる部品が勢揃い。水着姿には多くのフラッシュが焚かれ、生放送の情報番組で中年のベテラン司会者からセクハラめいたギリギリの発言をされてしまうほど、アンナには人々を惹きつける魅力が満ち溢れていたのです。


 しかし、彼女がその実力で評価される理由はもう1つありました。


 例えば、ある朝の情報番組で商店街から生中継を行っていた時の場合――。


「……え……はい!!緊急速報です、先程近くの銀行に強盗が押し入り、現金を奪って……あ、警察です!!警察が動き始めました!!」


 ――なんと自分の近くで事件が起き、さらに逃げ出そうとした銀行強盗を偶然通りがかった警官が押さえつけて現行犯逮捕する、と言う決定的なシーンの一部始終を、スタッフと共にアンナは目撃してしまったのです。当然スタジオにいた人たちは驚きを隠せませんでしたが、彼女にはさらに驚くべき事実がありました。

 不思議なことに、彼女が様々なスクープの現場の真っ只中にいる、と言う事が、1度ならず何度もあったのです。


 他の会社の記者と共に有名な国会議員に詰め寄れば、アンナの目の前で彼がカツラであった事が発覚し、地元の美味しい料理店に行けばそこのオーナーの家族の子供が初めて言葉を喋り、ガソリンスタンドに取材に行けば芸能人が浮気相手と給油していた現場を目撃――喜ばしい出来事から衝撃的な事実まで、彼女の周りにはいつも予想外の大きな出来事が起きていたのです。当然それらの情報を最初に掴んだのが現場に居合わせた富谷アンナ・アナウンサーである事も多く、彼女の動向すら雑誌に注目されるほどでした。


「報道フロアから、富谷がお送りしました」


 どこからあだ名が付けられたのか、人呼んで『嵐を呼ぶ女子・アンナ』。

 彼女は波乱万丈ながらも、様々な場面で活躍を続ける、実力派アナウンサーだったのです――。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ――しかし、もうそれは遠い昔の話でした。


「……あ、おはよう」


 あれから幾年の月日が経ち、彼女は「富谷」から『葉月はづきアンナ』に苗字が変わっていました。今の彼女はずっと連れ添う事を決めた存在と暮らす女性になっていたのです。そして同時に、彼女はあの忙しくも楽しかった日々を完全に過去のものにしてしまいました。


「ふわぁ……よっす、アンナ」


 今のアンナは、職場ではなく家庭で働き、家を支える役割を担う『専業主婦』になっていたのです。

 そんな彼女に、少々ぶっきらぼうに朝の挨拶をするのは、アンナの夫であり、実力派の俳優として芸能界で活躍を続ける男性、『葉月はづきレン』でした。


 テレビでは何処か飄々としながらも爽やかな感じの美形キャラを演じている彼が、アンナに対して三枚目風味だけど俺様気質、しかし真摯な態度と言う真逆の姿を見せているのは、彼が彼女を心から愛していると言う気持ちの表れでした。映画のインタビューやドラマの裏話取材など、様々な仕事の場所で事前に決めた内容を語らうと言う事務的な出会いの中で、いつの間にかレンはアンナの様々な面に惹かれ、恋い焦がれていったのです。

そして、アンナの方も、気づいた時には彼と全く同じ気持ち――恋心に目覚めていました。


「いやー、そんな事ないですよ僕♪」


やけに富谷アナの事を気にしている事が指摘される度に、レンはテレビでのキャラ――飄々としながらも明るく気さくな美形キャラを維持したままやんわりとそれを否定し、アンナも彼と同じように否定しようとしました。ですが、何度もデートを重ね、互いのアパートや一軒家にお邪魔すると言う間柄にまで発展した以上、隠し通すのは不可能な状況になってしまったのです。

 そして2人は、自分たちが共に出演したテレビ番組の中で、入籍した事を報告しました。事前にスタッフにも共演者にも知らせていない、電撃発表でした。しかし、それは2人が自分たちの幸せな未来を手に入れる事に対しての大きな決心の表れでした。レンは、ずっとアンナを守ると言う決意を。そしてアンナは、今迄の全て――嵐を呼び続けた女子アナとしての生活も含めて――を捨て、1人の女性として暮らす、と言う覚悟を。


「はい、どうぞ」

「おう、相変わらず豪邸クラスの飯じゃねえか♪いつもサンキュー、アンナ」

「こちらこそ、ありがとう」


 高級住宅街に住む夫の一軒家に住み、毎日美味しいご飯を作り、テレビとは正反対に賑やかでテンションが高い彼を見送った後は掃除や洗濯をこなしこの家を守る――激動の日々が終わったアンナは、穏やかな毎日を過ごしていました。


 勿論、この生活を選ぶまでに苦悩が無い訳はありませんでした。『嵐を呼ぶ』女子アナとして活躍し続けた彼女にとって、辛く大変な事も多かった日々の暮らしは、辛さやきつさ以上に楽しく有意義なものだったからです。しかし、彼女以上に忙しく働き、様々な人付き合いやゴシップにまみれて苦労が絶えないレンの様子を見ているうち、自分が何とかしないといけないと考えるようになりました。それに、男女平等と呼ばれているにも関わらず、芸能人と結婚した女子アナが現場に居続ける事に対して嫌悪感を抱くスタッフや重役の人は少なからずいたのです。


「ふう、相変わらず今日の俺も最高だぜ。ま、アンナと比べるとスッポンだがな♪」

「そ、そんな……照れちゃうよ……」


 公の場とは真逆の調子の良い言葉を投げかけながらも、妻の事を一番に思ってくれる素敵な夫を、アンナは大事に思い続けていました。彼女もまた、積極的に取材を行うアグレッシブな女子アナ時代とは逆の少し内気な姿を、レンに晒していたのです。



 ですが、次第にアンナは複雑な表情を何度も見せるようになっていました。


「はぁ……」


 毎日彼女はテレビの情報番組を見ては、自分のかつての同期や先輩、そして後輩たちの活躍を見ては彼女たちを応援していました。しかし、ここ最近そういったかつての仲間の活躍を見る度に、アンナの心から複雑な気持ちが溢れるようになっていたのです。

 それは嫉妬でも憎しみでもありませんでした。自分自身の中に溜まり続けていた、後ろめたい気持ちだったのです。それはまるで、長い間悪い隠し事をし続けた時のような気持ちに似ていました。


「……」


 どうして私はこう言う選択をしたんだろう。どうして私はずっと自分の気持ちを隠し続けているのだろう。


「ただいまー!うおー、俺様滅茶苦茶腹へったぜー!」

「あ、おかえりなさい」


 勿論、今の夫にして芸能人である葉月レンと結婚した事に対しての後悔は全くありませんでした。ですが、心の中に抱いた不安感を隠し切る事は出来ず、夫に対しても言葉がどもったり内気になったりと、ますます女子アナ時代の積極さや真面目さが消えていったのです。

 そして、アンナの様子が明らかにおかしい事は――。



「……おいアンナ、具合でも悪いのか?」



 ――夫にすっかり見透かされていました。


「そ、そんな事無いよ。ただちょっとね……」

「ふーん、ちょっとかー、ちょっとなんだなー」


 理由を明かすつもりが無い事を知ったレンは、これ以上は突っ込まないようにしました。勿論心配なのは心配なのですが、あまりしつこく自分が入り込み過ぎると相手側が苦しむだけだ、という事を、今までの芸能生活の中で嫌と言うほど経験してきたからです。しかし、だからと言ってそのまま無視するという事も出来ません。彼女は大事な妻、どんな理由であれ、1人で抱えて悩む姿は見たくありません。


「……ま、無理すんなよ」


 レンは何となく、アンナが悩む理由が分かったような気がしました。もし自分も好きな事が出来ない環境にい続ければ、やがてはこうやって無口になり、引っ込み思案になり、やがてはそのまま最悪の事態に陥る事も有りうるだろう、と考えたのです。そして彼は、大事な妻に向けて言いました。


「抱え込んだままのアンナよりも、思い切ってやりたい放題するアンナの方が、俺様は大好きだぜ?」


 俺様がそれを受け止められないような器だと思わないで欲しい。彼はしっかりと思いを伝えました。

 そしてこの日の夜は、アンナの要望を受け入れ、レンは敢えて別の部屋で眠ることにしました。じっくりと悩んで、思いっきり思いを吐いて、最初に会った時のような『嵐を呼ぶ女子・アンナ』に戻って欲しい、と願いながら。



 ですが、この時レンは、自分が伝えた言葉をアンナが受け止めた結果を、全く予想していませんでした。いくら彼でも、常識を逸脱した出来事が、アンナ、そして自分自身の周りで巻き起こるなど、考えられなかったのです。


 その異変を示すかのように、その日のお月様がの方角から昇り、空を一回りした後再びに沈んだことを、彼は全く気付きませんでした……。

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