第7話「未来に向かって」

病気発覚後、私は家に閉じこもり、誰とも会わなかった。仕事もせず、自暴自棄になり、薬に手を出し、まるで積み木崩しのような生活を送った。。







というのは嘘であるwwwww






なんと私は、実家に戻った後、半年間の休養期間を経て、地元の新聞社に入社したのである(笑)



なんだこのバイタリティww




「この病気を抱えている人は、工場へ転職したり、できるだけ声を使わないような仕事をしている」



と主治医に聞いて、




心底、




冗談じゃねーよ!!



って思ったのだ(笑)






絶対やだし、絶対無理ー!


絶対絶対直してやるわ!






って鼻息荒く意気込んだのが良かったのか、



驚異的に私の症状は回復し、半年ほど経つと、日常会話になんら問題ないほどにまで安定したのだ。







前例がない?


じゃあ、その前例になってやろうじゃないか。


痙攣性発声障害の新聞記者によ(笑)




まさかの病気発覚後に、自分の夢を叶えるという離れ業を披露ww




募集要項に「短大卒以上」と書かれていたが、応募資格がないクセに堂々と応募し、ちゃっかりウカッてしまったのだ。




何度どん底に落ちても、這い上がってくるゾンビのような女よのう(笑)




だけど、そんなゾンビ女にも弱点があった。



取材、電話応対をこなしながらも、


朝礼スピーチだけはダメだったようである(笑)




大勢の人の前に立つことだけは、頑なに拒んだ。






まぁ、結果的にこれが発端となり、


その後、部長の気に食わないことがあった際に真っ先にやり玉にあげられ、


病気を理由に会社をクビにされたんだがな(笑)






当時は、ほんと社会って理不尽だなぁと感じたわ。



だってさ。


業務上、お客さんに迷惑をかけている訳でもないし、


たった一つ、「朝礼のスピーチ」という内輪の発表をしなかっただけなのにさ。




「スピーチくらい全然大丈夫だよ」っていってくれたはずの上司から、「お客さんに迷惑をかけられては困るから」という理由でクビを言い渡されたのだ。




意味がわからん(笑)




みんなが平等にやってることをしないことに対して、私だけやらないというのは、当然罪悪感があった。




だからこそ、業務がどんなに辛くても、極力自分で努力してやりとげようと頑張ったつもりだ。



人がやりたがらない仕事だって多めに引き受けていたと思う。





正直、私を障害者っていうんだったら、世の中にどれだけの障害者がいるんだよって思った時もある。




「普段の仕事を適当になまける」障害者や、


「人の気持ちが分からない」障害者や、


「平気で嘘ついて楽をする」障害者や、


「人に迷惑をかける」障害者



世の中、障害者だらけじゃないか。





それなのに、彼らは糾弾されない。





声が自由に出せるだけで、彼らは普段の生活でどんなに迷惑をかけても一人前で、



スピーチを免除して貰った私は、どんなに仕事を完璧にやっても半人前扱い。







なんだか、世の中って不条理なことばかりだ。





普通の人の顔をしながら、心根が腐っている人っていっぱいいるじゃん。


そんな人たちが、自分を「普通の人間」だと思いこんでいることが、何より怖いなって感じる。







人は、状況が変われば自分都合でコロコロ発言を変えてくる。



だから私は、あまり人の言うことは信用していない。



信じてバカを見るのは自分なのだ。




ある時から私は、


どんなに理不尽な結末になろうが、その人の「発言」を信じた自分の責任だと割り切ることにした。




私にとって大切なことが、相手にとっても大切なこととは限らない。



人を勝手に信じて裏切られたと騒いでは、相手だって可哀想である。


もしかしたら、軽い気持ちで放ったその場限りの「一言」なのかもしれないのだ。



私は、声に悩んできたからこそ「言葉」のもつ力を過大評価しすぎる癖や、その一言にかける想いが人より強いのだと思う。



これは自分の価値観なんだと思った時に、純粋な被害者とは言えないなって、やたら腑に落ちたのである。




だからこそ、どうしてもやりたいことに関しては、人を頼らず、自分でやることにしている。








何はともわれ、


私はまた一つ目標を失ってしまった。









「WEB業界への転身」を意識したのは、勿論声のことがある。



新聞社を辞めたあたりから、私の声の調子は再び不安定な状況になっていた。



だからこそ、いつまでも悲劇のヒロインに浸りたくはなかった。


自分次第でいくらでも変えていける未来を、「声のせいで」と言い訳し続け、悲観するばかりの人生なんて絶対にいやだった。また、そう周囲に見られたくもなかった




(この病気さえなければ、もっと今よりいろんなことができただろうな。)


(ここまで行動も制限されなかっただろうな)


などといつまでも被害者気分で後悔してても、何も現実は変わらないのだ。




常に周囲の目線におびえ、卑屈になっていた自分ではなく、もっと優しい目線で世の中を見て、生き生きとした人生を送りたい。





声の不調をいつまでも嘆いていることなんてできない。


それも含めて、今のあたしなのだ。



ならば、今の状況を冷静に見て、どうやったら前向きに生きていけるかを考えた方がよっぽどいいのではないか。






私は早速、このまま何もしない未来を分析してみた。



①スキルがない



②職業が狭まる。電話応対が必須のところが多い



③苦手なことをこなさきゃいけないから嫌でも病気を自覚する。



④回避行動に繋がる。



⑤精神的に苦しくなることで会社を辞める。



⑥会社を辞めることでお金がたまらない。



⑤お金がたまらないから、治療も受けられないし、自立できない。



⑥一生実家暮らし





最悪である(笑)



なんだ、この人生は(笑)






今のスキルでは、職業選択の幅が全くない。


万が一、苦手な電話応対をやって精神的に苦しくなって転職するとしよう。




…ってなったら、また新入社員の立場じゃないか!!


電話応対しなきゃいけん(笑)




その場しのぎでは、電話応対からは永遠と逃れられないのだと理解した。




まさしく、地獄である(笑)





この負のループを抜けだすには、自力でスキルを身につけて、声をあまり出さなくてよい仕事につくほかない。





私の「WEB業界への転身」は、


ギリギリの崖っぷちに自分を追い込んでのスタートだった。




ゾンビ女の本領発揮である(笑)






かくして物語は、「ド素人の挑戦」にて、一旦の終焉を迎える。











実はこれには後日談があり、




現在、



なんと…



「痙攣性発声障害」ではない事が判明するのである(笑)







も~どんだけ、俺の人生って波乱があるんだ。。




3年間声の不調に苦しみ青春時代を棒に振り、


病気を抱えての苦悩の9年間。


その間、高い治療費を払ってきたんですよ。


そして今度は「痙攣性発声障害」ではないだと?




まあ、受け入れたくないような、逆に凄く納得するような不思議な気持ち(笑)






ここでの話はまた機会があった時にでも。








正直、今でもまだ声の調子には波がある。


出にくい時は出にくいし、


話しやすい時はとてもスムーズだ。




でも、それでいいと教えてくれた人がいた。



声に限らず、誰にだって、調子が悪い時だってあるんだと。



過剰に自分が悪いと思ったり、


そんなに苦しいことを無理して乗り越える必要なんてないのだと。





確かに苦しいことは沢山あったが、それがあったから今の自分がいるんだと胸を張れたりもする。



そうじゃなきゃ、WEB業界なんか一生縁のない世界だったし、東京にだって出てくることもなかっただろう。





みっともなくても、苦手だろうと、それがあたしなんだから、それでいいんだってようやく思えた気がした。




過去は確かに大事だけど、過去に縛られるのは終わりにしたい。



少しずつ、すこしずつでも、今この瞬間を大切に生きていけるようになりたいと願っている。

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