第5話「就職」

高校を卒業してからは、気分的には少し開放されたこともあり、あれだけ悩んでいた「声が出しづらい」という感覚も徐々に忘れていった。



きっとたまたまそうゆう状況だっただけ。


そう何度も自分に言い聞かせた。





その時は、声に対する不安よりも、住み慣れた街を飛び出し、新しい環境で一から人生をスタートさせることに胸がときめいていたのだ。






販売員としての生活がはじまった。


はじめての一人暮らし。はじめての就職。はじめてづくしの毎日は、めまぐるしく過ぎていく。履きなれないピンヒールも、なんだか無性に嬉しかった。





自分という存在を否定し続けてきた過去はもう昔のこと。


販売員は、プレゼンテーションや人前での発表はない。もう、神経を擦り切らす生活とは縁が切れるのだ。頭がパニック状態となり、声が震え、動悸、息切れ、めまいのような状況を危惧する心配はない。




私にとっては、このただ一つの悩みが、自分の人生すべてを覆い隠すほど苦しいものだったのだから。





今や遠い向こう側のような話に思えていた。



もしや、もう治っているんじゃないかな?それくらい気持ちにも余裕が感じられた。






私は今までの名誉を挽回するほどの勢いで働いた。


入社前から丹念に会社のブランドイメージについて研究し、どのようなファッションが好まれるのか、最近の流行スタイルやアレンジ方法などを調べあげ、ノートにまとめていた。その熱意が上の役員に伝わり、次第に、期待される存在となっていった。




新しい環境、新しい友人たち。


人並みに恋も経験し、仕事も充実している。毎日が輝いているように感じた。






高校卒業してすぐの就職組は珍しく、同年代の友人たちはまだ学生という身分。一足先に社会に出て働いていることも、なんだか一歩大人になったようで嬉しく感じた。







ようやく自分を思いっきり解放できる。


私はもっと頑張れる。






一生懸命頑張って、お金を貯めて、いつか本当にやりたい仕事に就こう。いつか自分のお金で学校に行って、文章を書く仕事がしたい。







入社後3ヶ月ほど経ったある日のことだった。



接客中「いらっしゃいませ」という言葉が極端に出づらくなっている事に気づいたのは。





この感覚は2度目である。


コンビニで働いていた頃の記憶が、フラッシュバックのように一気に蘇ってきた。






一抹の不安を感じながらも、私は向き合おうとはしなかった。



明日になればきっと普通の声に戻っているはず。たまたま調子が悪かっただけ。絶対に大丈夫。大丈夫なんだ。



しかし「声が出づらい」という感覚は、その後、私が積み重ねてきた努力をあざ笑うかのように急速に進行していった。




まず「いらっしゃいませ」「有り難うございました」が押しつぶされそうな声になり、日常会話でさえスムーズに話すことができない。



接客業としては致命傷である。



少しずつ声がむしばまれ、電話をとってもすぐに声が出ず、以前のような電話応対が出来なくなり、一体何が何だかわからず、非常に苦しい日々を送っていた。



自分でわからないものを他人がわかるはずもなく、売り場の先輩たちからも理解されなかった。




スムーズな発声ができなくなってきたため、よくスタッフのバックルームに連れていかれ、発声練習をさせられていた。



だが、どんなに頑張ってもどんなに声を張り上げても、搾り出すような声になってしまうのだ。頑張っても頑張っても出ない。




「いい加減にして」


「職場に精神的な事情を持ち込んではいけない」


「社会では精神的に辛い人でもみんな頑張ってやっているのにそんなんじゃ駄目だよ」


「その声のおかげで、お客もスタッフもみんな迷惑してる」



怒られると更に、声が出づらくなった。





もう何もかもが分からなくなり、自分の中でようやく芽生えてきた自信もあっという間に崩れ去っていった。






何とかしなきゃ…何とかしなきゃ。


毎日のように飛び交う「もっとはっきり喋って」という注意。





日常会話もままらなくなり、何かいわなきゃと思えば思うほど、喉が締め付けられ声が出なかった。





出ない声でようやく相手に伝えられる単語は「はい」という相槌だけ。


先輩達もそれがわかっていながら、「はい」以外の返答を迫るような質問をわざと投げかけてくる。思惑どおり「はい」という返事をきいた途端、「あなたは、はいしかいえない人間なんですか?」と嫌みを言われることもあった。




悔しい、苦しい、辛い。




何とかこの状況を変えなければいけないと思った。誰も頼る人が近くにいないのだから。自分のことは自分で何とかしなければならなかった。






早速心療内科にいき、精神安定剤を服用するようになった。同時に薬の服用直後から、朝どんなに目覚ましをかけても起きることができなくなった。



毎日続く過剰な緊張と恐怖心、不安感、出づらい声を無理やり出し続けることで生じる体の疲労感。ただでさえ精神的にも肉体的にもギリギリの状況に、精神安定剤の乱用とくれば、当然の結果だったと思う。





遅刻となれば職場でも当然怒られ、心底情けないやら悲しいやら。




自分はだめな人間、なんてだめな奴なんだろう。頑張っても頑張っても、一向に症状が回復することはなかった。






職場ではいつも謝っていた。


勤務中は始終「だめ人間扱い」。





まるで、マインドコントロールされるかのように、「自分は迷惑な存在なんだ」「頑張らなきゃ、頑張らなきゃ」という思考で支配されていった。



自分を責め続ける日々、毎日怒られ、追い詰められ、泣きながら帰った日もあった。







「話せないのに何の為に職場来てるの?」







ふと、私は自分の感情がなくなっていることに気づいた。



どうして声が出づらいのか、私はどうなってしまったのか何がなんだかわからぬ状況で、精神的にも肉体的にも限界にきていたのだ。




健康が、五体満足がどれだけありがたいことなのか、しみじみ感じた。




理解されない苦しみや、自分から発せられないもどかしさ、それがどんだけ苦しいものなのかを身をもって体験した。







自分の中での限界を悟った私は、実家に電話をかけることにした。



「声も出づらいし、体も思うように動かない。もう頑張りたくない」



するとその日の午後、家族を代表して姉がはるばるJRで駆けつけてくれた。



姉は駅で私の姿を見ると驚き、その健康とは言いがたい変貌振りから何かを悟ったのだろうか。



「今晩は好きなもの作ってあげるから。吐いてもいいから純粋に食べたいものを言いなさい。何が食べたい?」と聞いてきた。




久々にとる食事であった。


食欲がない状況ではあったが、ハンバーグがたべたいという私の為に、姉は買出しに誘ってくれた。



その夜、姉は「魔法の言葉」という4箇条を記したメモ帳を、部屋の壁に張ってくれた。



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1.薬の処方は必ず守ること

2.無理はしないこと

3.ご飯は必ず食べること

4.いつでも帰ってきなさい


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その下には、「焦らなくていいんだよ。失敗は誰しも経験すること。自分を責めなくていいんだよ。家族はみんな味方だからね」とメッセージが添えてあった。








胸が熱くなった。


私にはこんなにも心配してくれる家族がいたんだと。




一人じゃないんだ。頼ってもいいんだ。


ようやく自分の心が軽くなり、何とか姉に「ありがとう」と伝えたかったのだが、この言葉を言ってしまうと盛大に泣き出してしまいそうで、照れくさくていえなかった。



布団に入ってからは、どうしても止められなくなった涙を誤魔化すために早々に寝たフリをした。その内に寝てしまったようである。こんなに熟睡できたのは久々だった。






翌日になると、両親も駆けつけてくれた。


家族が揃うのは久々である。


久々といってもたった4ヶ月しかたってはいないのだが、今まで生きてきた中で一番長く感じられた4ヶ月だった。

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