桃太郎に退治される鬼達の話

@JonMan

第1話 ある村の出来事


これは桃太郎が鬼の退治を思いつく、ほんの数年前の話である。


「今こそ金棒を手に!」

村一番の暴れん坊、赤鬼は肩を怒らせ憤怒していた。彼は鼻息の荒い仲間を引き連れ、長老の家の前に押し寄せていた。その勢いは、長老の家の周りをがっしりと囲い込むほどに膨れ上がっている。この村の鬼達は、二つのグループが対立し、激しい闘争を繰り広げていた。一つは穏健派と呼ばれる勢力で、長老を筆頭に鬼全体を束ねる多数派の勢力である。そしてもう一つは、赤鬼を筆頭とする急進的な勢力である。


「人間の脅威は恐ろしさを増すばかりだ。今こそ立ち向かうべきだ。」

赤鬼は憤怒の表情で力説する。

「どうやって立ち向かうのかね?」

長老は相手の力量を推し量るように、表情を変えずに尋ねる。

「決まっているだろう。金棒で武装して、人間に脅威を感じさせるのだ。」

「ふん、バカ者が。そんなことをすれば、ますます人間を刺激するだけだ。」

挑発的な長老の答えに、赤鬼の鼻息はますます荒くなる。

「バカはあんただ。現実をわかっているのか?いや、あんたは平和ボケしているんだ。」

「人間がそんなに怖いかね?」

長老は冷ややかに尋ねる。

「当たり前だ。あんたは長生きしている割に、人間の恐ろしさをちっともわかっていなんだな。」

赤鬼は「人間史」と書かれた分厚い書物を取り出して、人間が有史以来、どれだけ多くの争いを繰り返してきたのかを力説した。

「最近は村の界隈でも、人間が外の動物を駆逐し始めてんだ。悠長なことは言ってられないんだよ。」

「しかし人間も、次第にわかり始めておるのだ。」

長老は眉を潜めて続ける。

「それに考えてもみよ。今我々が人間と争ったところで、勝てる見込みなどあるのかね?」

「だからと言って、自衛をしないのは間違っている。」

赤鬼の態度は毅然として妥協の余地がない。

「長老。あんたの考えは時代遅れで危険だ。このまま何もしなければ、取り返しのつかないことになる。」

「ふん。お主も強情よの。それでは一つ、ふんどし相撲で決闘を挑んだらよかろう。」

赤鬼の表情がみるみるうちに硬くなる。剛力で知られる赤鬼と言えど、「ふんどし相撲」となれば、明らかに分が悪い。それは鬼の文化に古くから伝わる伝統的な相撲であり、ルールはシンプルだが一風変わっている。お互いが持参した勝負用のふんどしを綱引きのように交差させ引っ張り合い、どちらか一方が最初の立ち位置から動いたら負けとなる。相撲というよりは、綱引きと同じ要領である。

一見すると、ふんどしを引っ張る力の強い方に勝敗が傾くのだが、話はそう簡単ではない。力任せでは、相手を倒せないのである。なぜなら、鬼のふんどしには特殊な力が備わっているからである。それは時として、物理的な腕力以上の力をもたらし、相撲の勝敗を左右する。鬼の間では、年季の入ったふんどしほど、より強い力を発揮するとされている。

当然、村の長たる者は、例外なくこの「ふんどし相撲」が一番強いのである。言い換えると、一番年季の入った(邪悪な匂いを放つ)ふんどしを持っているということでもある。そして村の重要な意思決定は、全て長老に委ねられているのである。そのため村では、「ふんどし相撲」は、鬼達の気軽なスポーツであると共に、政治的な手段としての側面も持っているのである。

赤鬼はうろたえた。なぜなら自分より上の者に「ふんどし相撲」の決闘を申し込んで敗れた場合、挑戦者は村を出なければいけない掟があるからである。その代わり、勝てば村の勢力を一変させることが出来る。赤鬼は考えた。ハイリスクな手段に出るべきか否かーー。それでも赤鬼は、一度啖呵を切った以上、後には引けなかった。協力をしてくれた仲間達の後押しもある。

「日付と場所を指定して、再度決闘を申し込む。」

そう言い残し、赤鬼は村長の家を後にした。


家に帰るや否や、赤鬼は必死になって相撲の特訓を開始した。その練習はあまりにも過酷であったため、村鬼からは「気でも触れたのか」と陰口を叩かれる有様であった。

赤鬼の一番の親友である貴鬼は、そんな一本気な赤鬼の様子を見ながら考えていた。幾ら赤鬼と言えど、あの年季の入った長老(及びふんどし)を打ち負かすことができるのだろうか。若い鬼達は、一度として長老が「ふんどし相撲」で負けた瞬間を見たことがないのである。不敗神話を築く長老はいつしか神格化され、決闘を申し込むことは即ち、自殺行為のように思われていたのである。

そうした懸念をよそに、決闘の日はやって来た。


土俵の周りには村の鬼達がこぞって押しかけて、その試合を待ちわびていた。赤鬼は威風堂々と土俵に上がってシコを踏み、緊張した面持ちで対戦相手を見据えた。長老は如何にも落ち着き払った表情で相手を見据え、百戦錬磨の風格を漂わせていた。両者共に試合用のふんどしを取り出し、丹念に手触りを確かめる。長老がおもむろに取り出したふんどしは、観客席までその匂いを撒き散らし、その年季の長さを観客に思い知らせた。多くのものは苦虫を噛んだような、苦悶の表情を浮かべている。まだ物心もつかないであろう小さな鬼達は、あまりの匂いに大声で泣き始める。行司が登場し、双方に試合の結果に対する処分を読み上げる。

「甲:挑戦者が負けた場合には、問答無用で村を去ること」

「乙:応戦者が負けた場合には、問答無用で乙の申し出を受け入れること」

双方ともに角を付き合わせ、合意したことを確かめ合う。会場の空気が張り詰める。ここで負けるわけにはいかない。鍛錬の成果を発揮する時である。お互いに競技用のふんどしを交差させ両手で持ち、両足をしっかりと地面につけて開始の合図を待つ。会場が水を打ったように静まり返る。赤鬼はあらん限りの力を一身に込めて、試合の合図と共にふんどしを力強く引っ張った。が、相手のふんどしはビクとも動かない。まるで大木を相手にしているようである。

「ふん、若造が」

その言葉を聞き取るのが先か、赤鬼の身体は宙に放り出され、視界がぐるりと反転した。それはほんの一瞬の出来事に過ぎなかったが、赤鬼の頭の中では走馬灯のように過去の記憶が呼び起こされた。

幼い日のふんどし相撲大会。

鬼のあり方を巡る村での討論会。

そして先日の村長との押し問答ーー。

しかしそんな記憶は、圧倒的な力の差の前では、風の前のチリに等しかった。

かくして赤鬼の要求は退けられると共に、リーダーを失った急進勢力も、その勢いを失っていたのである。


それから数年の歳月が流れ、まさしく赤鬼の危惧した通り、凶悪なる桃太郎が村に襲来したのである。言うまでもなく、あれだけの権勢を振るった長老のふんどしは、自衛手段として何の役にも立たなかったのである。

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