悪逆の機獣無法者《アーマーローグ》/ The Seeker
漂白済
本編
ウェスト・コーストの邂逅
西暦2050年。1月25日。サンフランシスコ。
実家に帰省してから一度も切らず、長くなってしまい、後ろで一つに纏めた黒髪がたなびく。
ハイヒールというのはどうにも履きなれない。緊急時に際してこれでは碌に走れもしない、と考えてしまうのはもはや職業病である。
スーツにパンツスカートという就活生の鎧を身にまとい、故郷より遠く離れたアメリカ合衆国の大企業ドールの廊下を歩く。
基地内では男性の隊員と同様に裾の長い制服のズボンを履いていた為に、スカートも履きなれていない。スカートなど式典の際の礼服着用の義務がある時だけ履いていたのだ。
そんな自分がスーツに身を通し外国企業の廊下を歩いているというのは政姫はどこか場違いで自分でも信じられない、と感じつつも新天地でもしっかりやろうと意気込んだ。
不意に目線を移した先には外の光景が見える窓があった。そこから見えるのはサンフランシスコの街並みだ。何もかもが日本とは違う。西にある太平洋というのは何ともおかしな感じがしていた。故郷の私室から見る太平洋は東側にドンと構えていたのだ。
航空会社のジャンボジェット機のエコノミー座席に9時間と少しほど拘束されてようやく着いた就職先だ。粗相があってクビにされたら敵わない。政姫はこれから上司に挨拶に行くつもりであった。
政姫がそのぎこちない足取りを止めると、とある一室の扉の前に立った。この向こうに政姫の雇い主がいるのだ。
(大丈夫…私だって大卒だしここまでだって英会話はやってこれた…YesとNoだけでも案外やって行けるって証明されてるのよ! 行ける行ける、気持ちで負けるな政姫! )
英語にはとんと自信の無い政姫だが、自分はやれば出来る子だと暗示を掛けていると、目の前の扉が一人でに開いた。
『あら? お早いですねミス井伊。流石はジャパニーズですね。重役出勤の役員方にも見習っていただきたいわ』
「ほ、本日はお招き頂き…きょ、恐悦至極っ! 」
政姫は緊張の余りおかしな口調で日本語を話してしまった。目の前に突然現れた女性は金髪に碧眼。どう見たって日本人ではない。
「失礼、ミス井伊。英語は得意ではない、と送られてきた履歴書に書いておられましたね。日本語で構いませんわ。どうぞ中に」
女性は流暢な日本語で話し始め、政姫は肩透かしを食らった。言われるがままに彼女の後に付いていく。
一歩部屋に踏み入って、暖房がある事に気が付いた。今は1月、ついている方が当たり前だろう。緊張のし過ぎで寒ささえ忘れていた事に政姫はようやく気付いたのだった。
この部屋はこの女性専用の部屋のようだった。
部屋に置かれた一際大きなデスクには山のような資料が散乱していた。
「そっちのソファに掛けていただけるかしら。今、飲み物を入れるわ。コーヒーと紅茶、どっちがいいかしら? 」
「あっ、コーヒーで…」
政姫が答えると電気ポットのお湯を注ぐ音が返ってきた。遅れてコーヒーの豆の香りが部屋に立ち込める。
高級品なのか、腰が沈み込むほどのソファに、背筋を生真面目に伸ばして政姫は座り、上司の歓待を待つ。
二つの向き合ったソファの中心にはテーブルがあり、そこに女性は政姫の分のコーヒーと、彼女の分らしいカップを置いた。しかし、そっちの中身はコーヒーではなく紅茶であった。
「私、
「アメリカの方じゃなかったんですね…」
自らを英国人と呼んだ女性はカップを唇に寄せ、紅茶を口に含んで飲み込んだ。それに習うように政姫もコーヒーを啜った。
「さて、自己紹介をしましょうか。私が今日からあなたの雇い主になったエメリン・ワイズです。あなたも所属するドール第6研究セクションの所長です。これからよろしくね」
「は、はっ! 自分は日本防衛軍第七機甲師団所属井伊政姫三等陸尉であります! あっ、」
立ち上がって敬礼までしてから、自分の自己紹介のおかしすぎる部分に赤面してしまった。
エメリン・ワイズ所長はその姿が面白いのか、声に出して笑い出してしまった。
「えぇ、いいわ・・・。社会人生活を軍隊で過ごしたんですもの。仕方ないと思います・・・」
「そっぽ向いて笑われたぎゃ! ? 」
政姫はテンパり過ぎて方言まで出てきてしまった。標準語で話すために夜な夜な練習していたのも今や昔の思い出だ。
「ごめんなさい…、あんまりにも面白いものだから。んんっ、これからよろしく井伊政姫さん? 」
エメリンは右手を差し出した。政姫も徐に右手を出す。頻繁に握手をする文化の無い日本人の政姫は少しぎこちない。
「はいっ…よろしくお願いします」
手を繋いだ瞬間、一際強く心臓が鼓動した。それがこれからここで教えられる真実に対する予感だったとは政姫は思いもしていなかった。
「ここは? 」
「第6研究セクションの実験棟です。今日からあなたの職場になります」
エメリンに連れてこられた研究セクションの実験棟なる施設。息を吸い込む度に何かの薬品の匂いが鼻に付いた。
そこで政姫は驚くべき、そう驚くべきモノを見た。
「ドクター・ワイズ。あそこにあるのはアメリカのアーマーギアですよね? そして…」
そして、政姫は言葉を失った。アレを的確に形容する言葉が思い浮かばない。
真っ白な体表に赤い瞳、それでいて口のような物が見当たらない。そんなのは政姫の知るどの生物とも合致しない。
(あれは、何? 私は今何を見せられているの…? )
政姫の疑問は取るに足らないと言うように、エメリンは読み込んだ辞書の読み慣れた一文を読み上げるようにアレの名を口ずさんだ。
「アレの名をイジン。神が生み出してしまった醜悪なる怪物。そして、人類の敵対者」
エメリンは余程人間が嫌いなのだろうか。仰々しい説明の中でも彼女の言葉はフィクションを匂わせない。真実を語っているのだ、と政姫は理解した。
「日本ではまだアレの発見報告が無かったはずですね。あの個体は太平洋、マリアナ海溝の深度10000mの海底にて捕獲しました。あなたの為にね」
この女、何といった? 政姫はエメリンを睨み付けた。あの醜悪な生き物を私に見せ付けるために捕まえただと? 政姫は心底目の前の女性が恐ろしく思えてきた。
「海から来た、人とは異なる生物…イジン」
「さて井伊、ご覧なさい」
始めてちょうだい、とエメリンが脇に控えていた研究員に合図すると、強化ガラスの向こうの実験場でバケモノが身悶えを始めた。
「一体何を…? 」
「イジンはアルファ鉱石に興味を示します。それが何故かは研究中だけれどね。まず、彼らは誘蛾灯に群がる蛾のように殺到していくわ」
アーマーギアが起動した。すると、イジンは狂ったようにアーマーギア目掛けて飛びかかろうとする。しかし、イジンの両足には強固な枷が地面にイジンを縫いつけている。
『枷を外して』
エメリンの指示通り、実験場のイジンを縛っていた枷が解き放たれた。イジンは水を得た魚の如く、アーマーギアに飛びかかった。いや、ドクターの話に従うならアーマーギアを構成しているアルファ鉱石に、だ。
その小さな身体の何処にそんな膂力があるのか。身の丈10mのアーマーギアに飛び付こうとして、アーマーギアの手の平で握り潰された。
アーマーギアの手の平がイジンの体液で汚れてしまった。
「グロっ…」
「慣れてもらわないと困るわ。あなたの明日からの相手はアレなんだもの」
目の前の惨状に対する感想はよりショッキングな業務内容によって上書きされた。
政姫は血の気が引くのを覚えた。政姫の顔は死人のように真っ青で、全身に冷や汗をかいていた。
イジンに対する恐怖。イジンに対する生理的嫌悪感。それらが混ざり合って政姫の胃の中身が段々と喉元に迫って這い上がって来る。
「ごめんなさい。脅かしすぎたわ。あなたの相手はアレに対抗する兵器の開発よ」
「あんなすばしっこくて小さいのに対抗する兵器…? 」
さっきのイジンは体長1mにも満たない小型だった。それに対抗する兵器とは、まさか小銃なんかの歩兵用の携行火器の類ではあるまいか、と政姫は押し戻した吐き気が息を吹き返したのを感じて、ポケットに手を突っ込んでハンカチがあるのを確認した。
「イジンの特徴的な点はその個体個体の環境適応能力の高さ。イジンは進化するの。今、自分がいる環境に完璧にマッチした最適解に身体を作り替える。そんなバケモノがアーマーギアを襲う為に最も適した身体を求めるとしたらさっきまでのように小さいままでいるかしら? 答えはNoよ。イジンは個体の一体一体が種の起源にあるような存在。ジュラ紀に入った恐竜が背の高い植物から餌を確保する為に身体を大型化させたようにイジンも巨大化すると我々は考えている」
エメリンはここに来て、一度も嘘を付いていない。彼女の語る夢物語は決してフィクションでもジャパニメーションでも無かった。
「イジンが地上の王になってからでは襲い。打てる手は打てる時に打つべきよね。だからこそ、アーマーギアを操縦出来る人間を我々は求めていた」
「そんな…こんな事って……」
とんでもない所に就職してしまった。いや、それ以上だ。分水嶺はおろか地獄の入口は知らず知らずのうちに通り過ぎていたのだ。
「募集要項に明るく元気でポジティブな方を募集って書いていたでしょう? 明日から一緒に前向きに頑張りましょ」
「…………」
声が出なかった。
何もかも仕組まれているような気がして、ユーモアのある会社だな、と思ってノホホンと履歴書を送った自分を政姫は殺したくなった。
政姫は一人、休憩スペースの椅子に座り込んでぼーっとテレビを眺めていた。
ニュースキャスターが何か物々しい顔でリポートをしている。だが、英語で矢継ぎ早にまくし立てるものだから何を言っているのかさっぱり分からない。
映像に映っているのは黒煙を吐き出す車だ。ハイウェイのド真ん中でエンジンが爆発したらしいという事は分かった。フレームはきっと爆発の衝撃と熱で歪んでしまったのだろう。見るも無残な姿に変えられた外車がアップで映される。
それに伴って何台もの大型トレーラーが横転してしまっていた。爆風の影響か、と政姫は職業柄推察してしまっていた。体に染み付いた軍人の性は当分抜けそうにない。たとえこの世ならざるバケモノを見せられた直後でも。
それが可笑しくなって政姫は自嘲を含んだ笑みを浮かべた。
「逃げた先も地獄か…」
いや、と政姫は自分の言葉を否定する。
(こっちの方が楽かもしれない。イジンは殺しても文句は誰も言わないだろうし)
政姫は横浜基地で今も祖国の土を踏みしめているであろう
「バ〜ンっ」
西部のガンマンを気取ってみた。
気分は最悪だが、不思議と気持ち悪さは無くなった。
「あの…」
「はいっ!? 」
急に掛けられた声に政姫は驚いて飛び上がった。
(さっきの見られた・・・!? )
政姫は背筋をピンと伸ばし顔に汗を垂らして立ち尽くす。恥ずかしさで。
「あ、驚かせてごめんなさい。えっと…井伊政姫さん。私、第6研究セクション研究員兼メカニックの
「は、はぁ…榊原さんですか。えっと、何か…? 」
榊原祐香子。名前が示す通り日本人だ。特有の黒髪を肩に少し触れる程度に伸ばして、緑のフレームのメガネを掛けている。
自分以外にも日本人がいるなんて考えもしなかった政姫は彼女が声を掛けてきた事にも何か裏があるんじゃないか、と勘ぐってしまう。
「第6セクションにも新しく日本人が入るってワイズ所長に聞いたので、挨拶しようと思ったんですが…イジン、見たんですよね? 」
「……はい」
思い出しただけで身の毛がよだつ。生理的に受け付けない感じだ。ゴキブリとタイマン張れるんじゃないかと政姫は勝手に思っている。
「無神経でしたね私。誰だってあんなの見せ付けられれば落ち込みます。私もでしたから」
「榊原さんも? 」
政姫が祐香子の顔を見ると、祐香子は頷いた。
「やっと技術も資金もあるドールでアーマーギアの開発に携われるって思った矢先、似たような形で実験場に連れてかれて。ショックで一週間は何も喉を通りませんでしたよ」
「みんな、そんな感じなんですかね」
何気なく政姫が呟いた。
「当たり前ですよ! 機動兵士バンダムのノリでテレビを付けたらバイオチックハザードのグロテスクな映像が急に流れたような感じですよ! 」
「ば、バンダム…? 」
70年近く昔のアニメだったと政姫は記憶している。前いた駐屯地にも好きな隊員がいたが、まさか祐香子の口からバンダムなんて単語を聞くとは思わなかった政姫は豆鉄砲を食らった鳩のようだ。
「あ、失礼しました……」
祐香子は赤面して俯いた…と思うと今度は勢い良く顔を上げた。
「ですが、みんなイジンには迷惑掛けられてるんです。やり返したいじゃないですか。第6セクションの研究はその為の研究なんです」
「あ〜…それはドクターからも聞いたんですが、具体的にどんな研究なんですか? 」
政姫の投げ掛けた当然の疑問に祐香子は不敵の笑みを浮かべると、メガネを輝かせる。
「付いて来てください」
祐香子は政姫の手を掴むとぐいっと引いて歩き出した。
「ちょ、ちょっと!」
政姫の抗議を無視して榊原研究員は実験場に戻って進んで行く。
祐香子はカードキーで実験場のゲートを開けた。
イジンを殺した実験場の下の階だ。
「地下にもこんな広い施設があるんですね」
「今のアメリカを作った大企業ですからね。研究費用も目玉が飛び出すくらいです」
広い実験場には固定ハンガーが置かれている。それなりの数がある中で、中身が収まっているのは二つだけだ。
一つは上でイジンを握り殺したあのアーマーギア。そしてもう一つは……?
「あなたが明日から乗るのはこっちです」
祐香子は立ち止まると、政姫の手を離した。
固定ハンガーに収まっているのは見たことも無い真っ白なアーマーギアだ。だが、一目で普通じゃないと感じ取れた。
アーマーギアとはおよそ人型である。だが、目の前の白のアーマーギアは人は人でも異形と言う他ない。
まず、アーマーギア共通のデザインとして脚部は自重を支え自立する為に比較的太く設計されるが、このアーマーギアは細い。
日本の代表的なアーマーギア戦陣の脚が力士の脚ならこの機体の脚は陸上選手のそれだ。
腕部、指先を見ると武装を保持する為の手では無いことに政姫は気付く。
爪だ。獲物を切り裂く獣の爪。マニピュレーターを覆っているのか、元から無いのかは定かではないが、武装を運用するコンセプトでは無いのは間違いないだろう。
と、そこで一度目線を下ろした政姫の視界に突如として飛び込んだ物がある。
「尻尾あるし…」
これに至っては政姫の常識の範囲外である。用法にアテが無い。
そして、政姫は恐る恐るという感じで白き巨体を見上げる。
やはりというか、顔に当たる部分は最も人に遠く、爬虫類のように前に出張った顔をしていて、鋭利な牙が照明に照らされて輝きを放っている。
無機質な表情は、それでいて沈んだ政姫の心を慰めているようであった。
「これが、私の…」
「第6セクションの、です」
祐香子はそう言うが、政姫は食い入るように白の機体を見つめていて細かく聞いていない。
政姫は閉じた常識に白い爪痕が刻まれた感覚を感じ取っていた。
「榊原さん、この機体の名前。なんて言うんですか」
祐香子の方は見ないままに尋ねる。今、この機体に全ての注意力を傾けているのだ。
「型式番号GZ-X11-M1。コールサインはワイルドハント。名前はまだありません。所長は専任パイロットのあなたが好きなように名付けていいと」
「私が名前を決めてもいいんですか? 」
「はい。所長のお達しですから」
政姫が見上げているのは人類を守護する使命を持って作り出された機械仕掛けの獣だ。獣は目覚めの時を静かに待っている。政姫の声を待っている。
「
「良い名前だと思います政姫さん」
政姫は霊牙に手を触れる。鏡面のように美しい霊牙の装甲には政姫の顔が映り込む。
「これからよろしくね、霊牙」
声は無い。だが、確かに応えは返ってきたのを政姫は感じた。
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