特別編 ファースト&ネクストジェネレーション

第一部 ヒルフェマン・ビギンズ

前編 古我知剣一の追憶

 今より、少し昔。日本では大きな災害が起き、多くの命が奪われた。

 愛する母を、その災厄で喪った一人の男は己の非力を嘆き、ある研究に没頭する。


 人を超える力を得る、機械の鎧。

 それを纏う者に、この先の未来で危機に晒されるであろう人々の希望を託すべく。


 ◇


 ――二◯二四年。

 アメリカ合衆国某州。


 砂漠地帯に敷かれた一本のアスファルト。その道を突き抜けた先に広がっている小さな田舎町を、黒のレザージャケットを纏う一人の少年が歩いていた。

 彼の両手は薄茶色の紙袋と、その中に詰め込まれた大量の食料や飲み物で塞がっている。


「……あ!」


 ふと。寂れたモーテルを通り掛かる彼の目に、そこに溜まっていた三人組の男達が留まった。


「おっ、ケンイチか。今日も買い出しか? 大変だなァお前も」

「あはは、しょうがないよ。僕は本当の子じゃないしね」

「家族がいるだけマシに思っとけよ。ま、いない分自由に過ごせると思えば、あながち悪いもんでもないがな」


 屈託のない笑みを浮かべ、三人組が少年の周りに集まってくる。彼らはこの片田舎で暮らす孤児であり、少年――古我知剣一の友人達だった。

 彼らは身寄りもなく、日雇いの仕事でその日暮らしの毎日を送っている貧民だが、そんな生い立ち故か仲間意識が人一倍強く、血の繋がった家族のいない剣一にも好意的に接している。


「しかしすげーよな、お前んち。人命救助のためのパワードスーツ? なんてSFみたいな代物作ってるんだろ?」

「いいよなー、お前は着たことあんのか? ソレ」

「ううん、全然。僕なんかが触れるようなような物じゃないからね」

「そっかー……こんだけ骨折ってんだから試運転くらいさせてくれたっていいのにな」

「ははは……」


 思い思いに語る三人組に、剣一は聞き手に徹しつつ苦笑いを浮かべている。


「けどよ。お前もそろそろ、ピストルの一丁くらいはぶら下げといた方がいいぜ。なんもないこんな田舎町だけど、近頃やべー強盗もうろつき出したって噂だ」

「そうなんだ……確かに、ちょっと怖いね」

「お前んちも酷だよなー。そんな買い出しさせといて、護身用のハジキ一つも寄越さないなんてよ」

「あはは……まぁ、僕なんて狙う価値もないし」


 ――彼はこの時、嘘をついていた。


 剣一は幼少の頃、救芽井家に孤児院から引き取られて以来、ここから数十キロ離れた山中にある研究所で暮らしており――十七歳の若さにして「救済の先駆者」のテストを任される秀才であった。


 今も右手首には――そのスーツを粒子化し内蔵する「腕輪型着鎧装置」が巻かれている。いざという時の「実践テスト」のために装備している、ピストル以上の自己防衛手段だ。


 非常時にはそれを使い、人命救助を行い実践データを取る――という目的で、彼は腕輪の携行を許可されていた。

 だが、それは「絶対に着鎧甲冑で人を傷つけない」という約束の上に成り立っている。着鎧甲冑の超人パワーで生身の人間を殴打すれば、怪我では済まされないからだ。

 万一、暴漢に狙われるようなことがあっても、その力で戦ってはならない。その力はあくまで、人命救助にのみ使わねばならない。その約束を愚直に守り、彼は今も「救済の先駆者」の力を保持し続けている。


 その「人間を超える力」を隠す黒いレザージャケットの袖を一瞥し、彼は愛想笑いを続けていた。


(人命救助のため、か……)


 友人達から出た言葉を胸の内で噛み締め、少年は胸中に淀みを感じる。


 ほんの数年前なら、「人命救助」という理想を掲げる救芽井家の理念を褒められれば、我が事のように心から笑っていられただろう。

 だが今は、素直にその言葉を喜ぶことが出来ない。喜べない自分に、なってしまっていた。


 ――着鎧甲冑の基礎技術はすでに完成し、最低限の量産に必要なデータも概ね仕上がっている。

 だが、より安定したスーツを効率的に量産するには、今の研究費用では足りなくなっていた。ここまで辿り着くために、持っていた予算の大部分は使い切っている。

 今後の研究開発を円滑に進めて行くには、スポンサーの確保が必要になるのだが……その点は難航していた。


 機械技術で世界一の座を欲しいままにしているこのアメリカは、軍事大国としての側面も持ち合わせている。研究開発においてここ以上の土壌はないが――救芽井家の理念と国家を代表する軍事企業の要求は、真っ向から対立していた。


 兵器としての運用を条件とする出資の話は、数年前から絶えず持ちかけられてきたが、甲侍郎は一度たりともその話を聞き入れたことはない。

 軍事が絡まない出資の話もなくはないが、その額はこの先必要になる研究開発費にはまるで届かないものばかりだ。


 技術は人を傷付けるものではなく、人を救うためにある。その救芽井家の理念が、救芽井家自身の首を絞める状況が続いていた。


 ――兵器として利用することで死者は増えるだろう。だがいずれは、それ以上の生者を救えるはず。

 それが無理だとしても、今この瞬間に死にゆく運命にある人々を救うことは出来るのではないか。理想より、今在る命を守るべきではないか。


 研究開発に深く関わっているからこそ少年は、そのような疑念を抱いたまま今日を生きていた。


(甲侍郎さん……あなたは、本当に正しいのですか……?)


 彼が育ての親を疑い始めるようになったのは、それだけではない。


 今から二年前――二◯二二年。日本では未曾有の航空機墜落事故が発生し、乗客乗員が全滅するという大惨事が起きていた。


 その墜落現場に居合わせた甲侍郎は、唯一の生き残りである少年「橘花隼人」に延命のため人体改造を施し、「雲無幾望」という新たな名を与えた。


 一見、人命のために死力を尽くした美しい行為にも見えるだろう。事実、助けられた当人は甲侍郎に深く感謝していた。

 ――だが剣一には、その光景がただただ痛ましかった。


 甲侍郎が彼を秘密裏に保護下に置いたのは、善意によるものではない。いや、善意が全くないと言えば嘘になるが――本質は別のところにあった。


 彼は警視総監の子息に人体改造を施したという罪を問われ、研究に支障を来す事態を回避しようとしていたのだ。

 だから新たな名と居場所を与え、隼人本人を懐柔して事実を闇に葬ったのである。


 確かに彼は、死の淵から少年の命を救った。全ては、着鎧甲冑の研究――ひいては大勢の人命を救うためにある。

 彼の近くで生きてきたからこそ、剣一はその真意を深く理解し――それゆえに、反発もしていた。


 このように人の運命を、自分の物差しで左右するような行いが許されるのか。さも正しいことのように吹聴され、騙されている少年の笑顔を見て、何も思わないのか――。


 そうした「疑い」が膨らむに連れ、剣一は幸せであるはずの今の暮らしを、心から受け入れることが出来ずにいた。孤児である少年達の傍らに、「居場所」を感じてしまうほどに。


「ケンイチ? どしたんだ、さっきから難しいカオして」

「え……あ、い、いや何でもない。毎日重たくってやんなっちゃうなー、ってさ、ははは」

「はは、だろーな。見るからに重そうだ。何日分買い込んでるんだっての」


 いつしか、顔に出ていたらしい。養父への不信が表情に現れていることを指摘され、剣一は焦るあまり紙袋の中身を落としそうになる。

 そんな彼の様子から、疲れているのだろう――と当たりをつけた三人組のリーダーは呆れるように笑いながら、道路の果てを親指で差した。


「呼び止めて悪かったな。さっさと帰れよ、しんどいだろ」

「うん、ありがとう。じゃ、また明日!」


 彼の心遣いに応じ、剣一は笑顔で会釈すると、彼らに背を向けモーテルから離れていく。やがてその姿が見えなくなると――三人組は再び顔を付き合わせ、談笑を再開した。


 すぐそこに――危機が迫っているとも、知らずに。


 ◇


「あれ……お兄ちゃんは?」


 同時刻――とある山中にひっそりと建てられた、救芽井研究所。その一室で暮らす研究者一家の最年少である、十二歳の少女――救芽井樋稟は、台所まで足を運んでいた。


「剣一君なら、街まで買い出しよ」

「あれ? そっか、今日は買い溜めの日か……。もう、おじいちゃんったらいつもおっきなピザやハンバーガーばっかりなんだから」

「ふふふ、剣一君も買い出しに行かされて大変よね」


 兄代わりの少年の行方を探す彼女を、台所に立っていた一人の美女が微笑ましく見下ろしている。少女の母、救芽井華稟だ。

 義父――救芽井稟吾郎丸の「アメリカンな食べ物がいい!」という我儘に付き合わされ、遥か遠くの田舎町まで買い出しに行かされている養子の苦労は、彼女もよく知っている。


「日本食の備蓄ならいっぱいあるのに……」

「だから私達で美味しく頂いちゃいましょ。今日はあなたと剣一君が大好きな唐揚げよ」

「ほんと!? やったー! 私も手伝うー!」

「はいはい。じゃ、お手手洗って来なさい」

「はーい!」


 だからせめて、義父の我儘に付き合っている養子には、美味しいものを食べさせてあげたい。その心遣いから、華稟は彼の好物である唐揚げの準備をしていた。

 そんな母の愛情に触れ、樋稟も嬉しさを全身で表現するように飛び跳ねる。どたどたと手洗い場に駆け出す愛娘の背中を、母は穏やかに見送った。


(剣一君……近頃、甲侍郎さんを避けてるわよね。何があったのかはわからないけど……どうにか、元気にしてあげないと)


 ――だが。

 娘から視線を外し、台所と再び向かい合った彼女の顔色は、どこか不穏な色を滲ませている。


(それに……なんだか、嫌な予感がするわ)


 養子の胸中に渦巻く闇に気づいていながら、その全貌を解き明かせない至らなさが、その胸を締め付けていた。


 ふと、華稟は窓の外から伺える山の下――荒野に敷かれたアスファルトの向こうにある、田舎町を見つめる。


(剣一君……)


 彼女は内心どこかで、悟っていたのかも知れない。


 あの町で今――運命が動き出したことに。


 ◇


 乾いた青空に突如、火薬の唸りが響き渡る。


「え……!?」


 銃声が数発。確かに、聴覚に轟いていた。

 自分が撃たれたわけではない。体のどこにも、痛みは感じない。


 剣一は、町を背にした途端に響き渡った音に反応し、咄嗟に振り返った。動揺に揺れる、その視線の向こうには――喧騒に包まれたモーテルが伺える。


 さっきまで、友人達と談笑していた溜まり場だ。


「……!」


 それに気づいた瞬間。剣一はそれまで大事に抱えていた紙袋を放り出すと、一目散に走り出す。

 息を荒げ、肩を揺らし、懸命に走る彼の目前で――二度目の銃声と、悲鳴が上がった。

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