第4話 本当の名前


「……なんだったんだよ、アレ」

「アレ、とは何でしょうか」


 夕暮れ時になっても、幸人は休まず庭の整備を続けていた。そんな彼の背後に立つ恵の影が、夕日を受けて大きく伸びる。


 あの後。

 役員のビンタを受けて正気を取り戻した琴海は、生徒の頭上に植木鉢を落とし危害を加えようとした犯人を突き止めるべく捜査を開始。さらに緊急の全校集会で、被害者側である一年生に注意喚起を呼び掛けた。

 自分が狙われていた、と知った真里はかなりのショックを受けたものの、学業を遅らせるわけには行かない、と琴海から勧められた自宅待機を拒否。生徒会に見守られながら、明日からも登校し続けることになった。


 それほどの騒動の渦中にいた身でありながら、相変わらず素っ気ない幸人の態度に腹を立てつつ、それでもなお、恵は怒気を抑えて口を開く。


「とぼけんな。……お前がこそこそ用務員のフリして、ヒーローやってる理由。アタシが納得出来るよう説明しな」

「……」

「それとも企業秘密ってやつか? どのみち、こうして生徒に知られちまった以上は時間の問題じゃねーのか」


 幸人の正面に回り込む恵は、強い眼差しで真っ向から彼を見上げる。体格では劣るものの、その姿勢から放たれる気迫は、少女の体躯からは掛け離れた大きさだった。


「もう日が沈みます。早くお帰りになられた方が……」

「アタシはな。あんたに、ちゃんと礼が言いたいんだ。あの誰の仕業がわからねぇ嫌がらせ……いや、『殺人未遂』から、真里を守ってくれたあんたに」

「……」

「そのためにも、ちゃんと知りたい。あんたに後ろ暗いところなんかない、真っ当なヒーローだってことを証明して欲しいんだよ」


 もしかしたら真里を助けたのも演技か何かで、本当は悪い奴なのではないか。普段無口なのも、腹黒い本音を隠すためではないか。

 全貌が不透明であるがゆえに生じる、不信感。それを取り払い、親友を救ってくれた恩人として誠意を込めて謝礼したい。それが、恵の意思だった。


 得体の知れない振る舞いのために、親友の恩人を疑うようなことはしたくない。そんな彼女の心情を鑑み、幸人は暫し黙したまま彼女を見つめる。


「大切にされているのですね。佐々波様を」

「な、なんだよ。当たり前だろ」

「わかりました。佐々波様を大切にされている玄蕃様ならば、お話すべきなのかも知れません」

「……? なんだよそれ。お前がヒーローやってること、真里が関係してんのか?」

「私の役職との関係はありません。私の、個人的な問題です」


 そしてようやく、恵は真相に近づく一歩を踏み出せたのだが。その言葉か意味するものを、この時はまだ察することは出来なかった。


 ◇


 翌日。


 授業を終えた恵は、真里に「送りたいのは山々だが、今日は大事な用事がある」と言い残して早々に教室を飛び出し、早退の準備をしていた幸人と合流する。

 すでに周りの話題は昨日の一件で持ちきりであり、この近くに「救済の遮炎龍」が住んでいる、という噂も立つようになっていた。


「この分じゃ、あんたに当たりをつけられるのも時間の問題だな。……にしても、あの植木鉢落としたクソ野郎はどいつだぁ? ぜってぇ探し出してブチのめしてやる」

「玄蕃様。この女学院に、校舎内に立ち入れる男子用務員はおりません。教員も全て女性です。クソ野郎という形容詞は不適切であるかと」

「言葉の綾だ馬鹿野郎、いちいち訂正すんな!」


 相変わらずの仏頂面と口調に、恵は苛立ちを募らせつつも隣を歩く。作業着のまま校門を出る彼と、絢爛な制服に身を包む恵の組み合わせは酷く不釣り合いだ。


「……あー、後で真里への言い訳考えとかなくちゃなぁ。コイツと一緒に下校したせいで、変な噂が立ちそうだ」

「確かに、一介の用務員と生徒様が必要以上に親しげにしていては、怪しまれるかも知れませんね」

「アタシが気にしてんのはそこじゃねー。……ったく、よくこんな鈍い奴に惚れたもんだ」


 親友の男の趣味は、よくわからない。恵はそんな心境を渋い表情で顕しつつ、幸人の後を追う。


(……にしても、あの「救済の遮炎龍」がうちの女学院で用務員やってたなんて、な。あの会長が知ったら卒倒もんだ)


 やがて二人は、女学院からやや離れた住宅街の一軒家に辿り着いた。そこで足を止めた幸人の横顔を見遣り、恵はここに「救済の遮炎龍」の秘密があるのだと確信する。


(さぁ、才羽。あんたがどういう奴なのか、今日こそ白黒付けてやろうじゃんか)


 自分のことを何一つ明かさない、胡散臭さの塊。その靄を切り払い、本当に真里を守ってくれたヒーローだということを自分に証明するべく。


 車庫のシャッターを開ける幸人の後を追い、恵はその敷地に一歩ずつ踏み出して行った。


「これって……」


 そんな彼女の視界に飛び込んできたのは――スポーツカーを思わせる形状の、赤塗りの車体。その背部には、放水ポンプや梯子が折り畳まれて積載されていた。

 バンパーの部分には、「SCARLET RANGER」と刻まれている。恐らく、この消防車の名前だ。


 まさか、いきなり小型の消防車と対面することになるとは思わず、恵は暫し呆然とその車体を見つめていた。


 そんな彼女をよそに、幸人は作業着の上着を脱いでTシャツ一枚になると、その胸に取り付けていた真紅の袈裟ベルトを外し、車庫の端に置かれたテーブルに乗せる。ゴトリ、という重量感に溢れた音が、その重みを物語っていた。


 その時。


「おや、お帰り幸人。思いの外、早かったね」


 白衣を纏う中年の男性が、別室と繋がる扉からぬうっと顔を出してくる。


「ああ。仕事の一区切りが予想より早くってさ。オレも、今帰ったとこ」

「……!」


 そんな怪しさ全開の中年男性と言葉を交わす幸人の姿は、一ヶ月に渡る日々の中で恵が抱き続けてきた「才羽幸人」の印象を瓦解させるものだった。表情こそ普段通り仏頂面だが、その口調はかなり砕けている。

 自分や真里の前では欠片も見せてこなかった、素の言葉遣いを見せる彼の佇まいに、恵は思わず目を剥いた。


「そうか。……その御令嬢が例の?」

「ああ、そうだ。……玄蕃様。こちらは私の育ての親であり、『救済の遮炎龍』のスーツを開発された才羽誠之助博士です」


 だが、学校を一歩出れば……というわけではないらしい。彼は恵と向き合った途端に元の口調に戻ると、淡々とした口調で中年男性を紹介する。

 あからさまにお姫様扱いを受けている感覚に、恵は顔をしかめる。さっきのような振る舞いを普段から垣間見せていれば、真里も好きな男に、もっと気兼ねなく近づいて行くことが出来たろうに、と。


「ご紹介に預かりました、救芽井エレクトロニクス研究開発班所属の才羽誠之助です。まぁ、開発者といっても主任である四郷博士の助手のようなものでしたがね。……それはさておき、玄蕃恵様。うちの幸人が大変お世話になっているようで」

「……いいよそういうの。アタシは才羽の話を聞きに来たんだから」


 不機嫌を滲ませた表情で、恵はじとりと幸人を見遣る。そんな彼女を一瞥する幸人は、恵のそばにスッと椅子を用意した。

 長話になるから座れ、ということか。そう察した恵はドカッと乱暴に腰を下ろし、しなやかな白い足を組む。


「誠之助さん。……話しても、いいよな」

「ああ。しかし、引退間近にバレた相手が選りに選って『彼女』の親友とはな」

「……?」


 確認を取るように視線を移す幸人に対する、誠之助の言葉に、恵は引っかかるものを感じた。

 引退間近、という話も十分気になるが。それ以上に、二人の間にある微妙な距離感が気掛かりだった。


 苗字から、二人が親子であることは容易に推察出来る。開発者の息子であるならば、「救済の遮炎龍」をやっていた理由も想像がつくというもの。


 だが、彼らの間には親子と呼ぶには遠い溝を感じる。

 無論親しい間柄であることは間違いないが「親子」にしては、何処か「遠い」のだ。

 それは父の誠之助を名前で呼ぶ幸人の接し方のせいだろうか。


(いや、待て。確か才羽の奴、才羽博士のことは「育ての親」って言ってなかったか?)


 そう当たりをつけた恵は、ふと幸人の言葉を思い出し、核心に至る。実の親子でないのなら、あの距離感も納得がいく。

 なら、幸人の両親は……? そんな恵の疑問を氷解させる言葉が、幸人自身の口から飛び出してきた。


「まず何から話すべきか……。そう、ですね。まず私は、才羽誠之助の実の息子ではありません。才羽という姓は、彼の養子となる際に頂いたものです」

「……!」

「私の本名は、鳶口幸人とびくちゆきと。七年前の火災事故で殉職した消防士、鳶口纏衛の息子です」

「な……!」

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