最終話 地獄を感じた、あの日から

「げほっ、ごほっ! ここ、どこ……!? 苦しいよ、熱いよ……お母様ぁ!」


 前後左右、全ての視界が封じられた煙の世界。そのただ中に取り残された一人の少女が、灼熱と窒息の恐怖に震えていた。

 亜麻色の長髪を靡かせる彼女の胸に抱かれた金色のペンダントが、己の存在を示すように音を立てて揺れている。


 ――二◯三四年、十二月。


 聖フロリアヌス女学院――かつて橘花麗を輩出し、久水茂の妹である久水梢ひさみずこずえが学園長を務める、上流階級の子女ばかりを集めた淑女の園。その学び舎の学生達による、六十階建ての高級ホテルを舞台としたクリスマスパーティーで――事故は、起きた。


 シェフの不注意によるガス漏れに端を発する出火。そこから引火と誘爆が連結し、大規模な火災へと発展してしまったのだ。

 女学生達は我先にと悲鳴を上げて逃げ出し、警備員達がそれを誘導した。同席していた父兄側のヒステリックな叫びと、女学生達の嗚咽が飛び交う地獄絵図が、一瞬にしてビルを席巻したのである。


 だが、娘の付き添いで居合わせた父兄の中には――救芽井エレクトロニクスと繋がりのある資産家がいた。彼はすぐさま日本支社を経由して、伊葉和士に救助を要請。

 迅速に着鎧甲冑の精鋭レスキュー隊「レスキューカッツェ」を手配した彼の手腕により、火災がパーティー会場を飲み込む前に参加者のほとんどを無事に脱出させることに成功したのだった。


 ――だが。事態はまだ、終息に向かってはいなかった。


 階段を降り、脱出したはずの女子生徒の一人が――いなくなったのである。それに気づいた父親までもがレスキューカッツェの制止を振り切り、来た道を引き返してしまっていた。

 九死に一生を得た他の生徒や父兄達も、ビルの下でヒステリックに騒いでいる。この場からすぐ離れねば危ない、というレスキューカッツェの警告にも耳を貸さず。


(くそ……これだから上流階級はやりにくいんだ)


 ビルの前に立ち、全体を見渡せる位置から指示を出す和士は、人知れず毒づいた。


 一般的な中流階級なら、プロであるレスキューカッツェの指示にはまず逆らわない。仮に最初だけ反発していたとしても、最終的には素直に礼を言って保護下に入るものだ。


 しかし日本全体でもごく少数の上流階級となると、なかなかそうはいかなくなってくる。彼らはレスキューカッツェのようなプロを従える立場であるため、自分達の方が格上である、という意識が強い。そのため、素直にこちらの指示に従いにくいのだ。

 その上、首尾よく救助してもケチを付けてきたりすることもある。自分の無事を確信するや否や、女性隊員にセクハラを働く父兄すらいた。

 無論そんな連中には当てはまらない名君もそれなりにはいる。だが上流階級そのものが少数であるため、そうそう巡り会うことはない。


 それはヒーローになる以前から、和士も熟知していることだった。かつて総理大臣だった父を持つ彼は、強い者に媚び弱者を蹴落とす上流階級の闇を、嫌というほど見てきたのである。


(助かるための指示は聞かない。助からなけりゃ、何をしていたと難癖付け放題。こんな連中に、あいつらは喰い物にされたのか! ――んッ!?)


 その時だった。


 ビル全域を見遣りながら、いなくなった父娘を部下に追跡させていた彼の目に――ある変化が留まる。


 ――約四十階ほどの階層にて。黒煙が噴き出す窓から、人が乗り出してきた。あの身なりのいい白スーツの壮年男性は――父親の方だ。


 火災の熱気と煙に追い詰められた人間が窓に逃げ、極限状態の緊張により地表を実際より近いものと錯覚して飛び降りる。――よくある話だ。


「煙に追い詰められたか! 父親の方を発見した、近場の隊員は直ちに救助に――!」


 その知識から導き出される悲劇の予兆。瞬時にそれを認識した和士は咄嗟に指示を出すが――父親の飛び降りの方が先だった。


「――ちィッ、着鎧甲冑ッ!」


 それを見るや否や。和士は走りながら羽根つきの「腕輪型着鎧装置」から黒いヒーロースーツを転送し――「至高の超飛龍」の「基本形態」に着鎧する。

 通報の際に聞いた現場の状況から「飛行形態」は不要と判断し、いち早く現場に到着することを優先して「超飛龍の天馬」に乗って来なかったことが仇となっていた。


(恐らく娘を追う途中に煙に遮られ、自分が耐え切れなくなって飛び降りたんだな。ド素人が余計なことしやがって! ――あの高さじゃあ、俺がジャンプして受け止めても骨折は避けられん。ちくしょう、飛行ユニットさえあればこんなことには!)


 被災者側が指示に従わなかった結果であるとはいえ、全員無事とは行かなくなったことには変わりない。あらゆる事態に対処し切れなかった自分の采配を悔やみながら、それでも「命」だけはと和士はひた走る。


 ――すると。


「……!?」


 別の人影が、振り子のように和士の視界に映り込んできた。四十階相当の高さから、まるでターザンのように割り込んできた「影」に、和士はさすがに目を点にする。


 アンカーを四十階の壁に突き刺し、黒いワイヤーで弧を描くように現れた「影」。それは飛び降りた男性を横から攫うと、滑るように地上へと降り始めた。

 恐らくワイヤーの長さを調節しながら降りているのだろうが――さすがにワイヤーの限界が来たか。残り十メートル前後というところで「影」はワイヤーを手放し、地面を転がりながら着地する。男性を怪我させまいと抱えながら。


「お、おいっ!」


 他の被災者から離れた地点に着地した彼の元へ、和士は素早く駆け付けた。そんな彼の前で、「影」はゆらりと立ち上がる。


「……!」


 振り返った「影」は――十五歳ほどの、少年だった。やや切れ目の鋭い目付きであるが、白い肌と艶やかな黒髪を持つ美少年である。

 赤と黒を基調とするライダースジャケットを纏う彼は和士の方へ振り返り、素顔を露わにする。白いマフラーが寒空の風に揺れ、ふわりと舞った。

 彫像のように整った目鼻立ちでありながら、この冬にも勝るほどに冷たい無表情の彼は、訝しむ和士をじっと見つめていた。


「……こちらの方に怪我はありません。ですが、かなり煙を吸っておられるはず。救急車の手配もお願いしたいのですが」

「……それはもちろん、こちらで手配する。だが、お前は一体何者だ。先ほどの手腕から只者では無い事はわかるが――!?」


 ようやく口を開いた少年に食ってかかる和士だったが、言い終えないうちに言葉を止めてしまう。

 少年の左腕が――右腕より異様に長く。左肩が、右肩よりかなり低い。明らかに、脱臼している。


 ――恐らく先ほどのキャッチと、大人一人を庇いながら十メートルの高さから飛び降りたショックのせいだろう。だが、そんな状態でありながら辛そうな表情一つ見せない少年が、和士としては何より不気味に感じられた。


「お前、怪我してるじゃないか! 話は後だ、ここに部下を呼ぶからお前は待って――」

「――必要ありません。それに今は、残りの一名の救助を優先すべきです。ここは私が引き受けますので、あなたは他の被災者の説得に向かってください」

「はぁ!? そんな状態で何を言って――!?」


 またしても和士は、言葉を止められてしまった。


 鈍い音。関節の中にある筋肉と骨が歪に擦れ合う、聞くに耐えない音だ。

 彼は――眉一つ動かすことなく。外れた肩を、自力で整復していた。耐え難い激痛が伴うはずのその行為を、まるで当然のことのようにこなす少年の姿に――和士は一瞬言葉を失うのだった。

 彼の動揺を他所に、少年は無表情のまま首を捻り後方の被災者達を一瞥する。


「――お、まえ……」

「被災者の方々は、今も突発的な状況に精神を乱され、冷静さを欠いています。彼等を宥め、より安全に被災者全員の身柄を保護するには――絶大な求心力と名声を持つあなたの『声』が必要なのです」

「……お前は一体!?」


 生身一つで飛び降りた男性を救助し。自分の長所を的確に指摘し。事件の状況を正確に把握し。肩を脱臼しても顔色一つ変えず、即座に整復。

 どれをとっても並のレスキューヒーローとは比にならない能力だった。その実態を問う和士の前で――少年はライダースジャケットのファスナーを下ろす。


「――私は」


 ライダースジャケットの下には――メタリックレッドで塗装された、鋼鉄製の袈裟ベルト。


「それ、は……『第三世代型サードフェイズ』着鎧甲冑のデバイス!?」


 救芽井エレクトロニクス上層部しか知り得ない門外不出の最新鋭機。そのスーツを粒子化した専用デバイスが、彼の胸に巻かれていた。


 ――初めて世に現れた着鎧甲冑である「救済の先駆者ヒルフェマン」や、世界的にその名を知らしめた伝説的ヒーロー「救済の超機龍ドラッヘンファイヤー」。

 それら黎明期の着鎧甲冑は「第一世代型ファーストフェイズ」と呼ばれる。


 基本となるヒーロースーツに様々なオプション装備を携行させ、汎用性に特化したその世代に対し――「第二世代型セカンドフェイズ」では海中や空中など、局地的な状況に特化した増加装甲による、基本性能の底上げが図られた。

 「救済の超水龍ドラッヘンダイバー」や「救済の超飛龍ドラッヘンフェザー」等が、それである。


 だが、状況とは常に移り変わるもの。「第一世代型」の汎用性も、「第二世代型」の局地性も、犠牲には出来ない。

 それに対する回答は、スーツを粒子化して携行するデバイス自体を「腕輪」から「ベルト」に大型化することで、デバイスの容量をギリギリまで高め――スーツと増加装甲の両方・・を粒子化・収納し、自在かつ同時に展開するシステムを実現する、というものだった。


 そうして、救芽井エレクトロニクス随一の技術を持つ四郷鮎子しごうあゆこ博士の設計から第三世代型サードフェイズ」の第一号が開発されたのだが――「腕輪型着鎧装置」に代わるデバイスとなる袈裟ベルトが、スーツと増加装甲を一纏めにした影響で六十キロ以上の重量になるという、到底「有事に備えて手軽に携行」するデバイスとしては成り立たない代物になっていた。


 ――そのため、正式なロールアウトは見送られたはずだったのだが。


 かつて和士は噂で、より軽量かつ効率的に運用できる「第三世代型」のデバイスを開発すべく、データ収集のために開発関係者が第一号をテスト運用している――という話を聞いたことがあった。


「まさかお前が!?」


 だが、その噂が本当であることも。その「開発関係者」がこんな少年であることも。和士はこの瞬間まで、信じてはいなかったのだ。


 限界まで、粒子化したスーツと増加装甲を袈裟ベルトへ詰め込むためにオミットされた、音声入力機構に代わる着鎧スイッチ――漆黒のカードキーを、その視界に捉えるまでは。


「――接触コンタクト


 少年の呟きと共に。開かれた袈裟ベルトのカバーに、カードキーが装填される。彼がカバーを閉じた時――


『Armour Contact!!』


 ――電子音声と共に。門外不出の「第三世代型」が、和士の前に姿を現した。


 一瞬にして彼の全身を固める、真紅のヒーロースーツ。その関節各部を、黒と黄色のプロテクターが覆い――首に巻かれた白マフラーが、一際激しく揺れる。


『Awaken!! Firefighter!!』


 着鎧シークエンスの終了を告げる電子音声。その宣告を合図に、未知の鎧を纏う少年の躰が跳び上がって行く。


「はァッ!」


 彼は短い気勢から放つジャンプでワイヤーをキャッチし、そのまま最初に引っ掛けた階層まで直行して行った。見たことのない着鎧甲冑の登場に、野次馬が沸き立っている。


「ご覧ください! 今、謎の着鎧甲冑がワイヤーで壁を伝い、逃げ遅れたものと思しき被災者の救助に向かっているようです! しかし、火災はかなり多くの階層に広がっている模様! 果たして彼は、被災者を助け出せるのでしょうかッ!?」

「ちょ、玄蕃さんトーン落として! 顔怖い! 超怖いですから!」


 さらに報道陣も大勢詰め掛け、最前列の女子アナウンサーは猛り狂うように現場を実況している。その鬼気迫る実況に、カメラマンが慄いていた。


「ごほ、ごほっ! う、うぅ……琴海ことみ、琴海ぃ……!」


 その時。和士のそばで倒れたままの男性が、うわ言のように娘の名を呟いた。それに気づいた和士はそばに寄り添い、励ますように声を掛ける。


「大丈夫です。大丈夫ですよ。あなたも娘さんも、必ず助かりますから」

「あ……あの娘はきっと、亡くなった妻の形見の、ペンダントを……取りに戻ったのです。あの時、琴海は『お母様のペンダントがない』と泣いていた……」

「ペンダント……ですか」

「確かにあれは、私にとっても大切な宝物です。だが、あの娘の命には換えられない! お願いします! どうか、どうか命だけは……!」

「心配いりません。大丈夫ですよ、絶対に」


 和士としては、これといった根拠などない。それでも他に頼れる相手もいない以上、彼は「第三世代型」を持つ少年に賭ける他なかった。


(二次災害を回避するために、他の隊員には下層を捜索させているが――あいつは真っ先に上の階層を目指していた。……俺の采配を汲んだ上で、捜索の穴を睨んだのか)


 少年自身の意思で上層を捜索した――となれば、そこで彼に万一のことがあっても、形式上は和士の責任にはならない。彼は和士の部下ではないのだ。

 それに、いくら能力があると言っても危険が一際大きい上層の捜索を、他人にさせることは和士の良心が許さなかった。


 彼が和士の胸中をそこまで読んだ上で、命令されるまでもなく自己判断で上層に向かったのかは――定かではない。だが少なくとも、今の状況は和士にとっては好機とも言えた。


(今は……あいつを信じるしかない。あいつと、「第三世代型」一号機――「救済の超遮炎龍ドラッヘンインパルサー」を)


 やがて――少年の背を見上げる和士が、鉄の拳を握り締める瞬間。ワイヤーを伝っていた彼は、黒煙が立ち込める窓の中へと飛び込んで行った。


 彼の視界を暗黒が埋め尽くす。だが――マスクのバイザーに内蔵された暗視装置が、直ちに目の前を明瞭にした。


「……」


 ――彼が纏う「救済の遮炎龍」のスーツには、生体反応レーダーが内蔵されている。その情報から、すでに彼は逃げ遅れた最後の一人の位置を概ね特定していた。

 だが、それは四十階以上の上層――というところまででしかない。その精度をさらに高める補助機能を使うため――彼は、腰のポーチからもう一枚のカードキーを抜いた。

 先ほどとは対照的な純白のカードキーを胸のカバーに装填し、閉じる。


『Shield Contact!!』


 刹那。少年の左手に、真紅の盾が装備された。バックラーを彷彿させる、そのアタッチメントは――「盾型消火銃インパルス・シールド」。

 特殊合金製の盾にインパルス消火システムを一体化させた「救済の遮炎龍」の主力装備であり、その裏面には圧縮空気タンクと生体反応レーダーの補助機能も組み込まれている。


「……要救助者、確認。直ちに保護する」


 「盾型消火銃」の装着から、被災者の特定。その所要時間は五秒もなかった。彼は場所を断定するや否や、猛然と階段を駆け抜けて行く。

 黒煙と炎に包囲された五十二階に、亜麻色の髪を持つ彼女はうずくまっていた。窓の近くにいたためか、そこまで煙を吸っておらず――微かに意識がある。


「お母様……お母様……琴海を置いていかないで……」

「……」


 発見して間も無く保護し、マフラーで少女の鼻と口を塞ぐ直前。彼女が残したうわ言が、少年の耳に届いたのか。

 彼女を抱きかかえた彼が、窓から飛び出した瞬間。彼は、誰にも聞こえないように――囁いていた。


「置いて行ったりなんか、しない。絶対に。……そうだろ、父さん」


 少女に、その言葉が届くことはない。それは少年もわかっていたはずだった。彼の言葉は、本当に少女に向けたものだったのか。


 彼自身にも、それはわからない。窓を飛び出し、四十階のワイヤーまで壁を駆け下り――その勢いのままワイヤーを片手で掴み、減速しつつ優雅に地上へ降りるまで。

 彼は無言のまま、謎のニューヒーロー誕生に沸き立つギャラリーに目もくれず。気を失った少女を、静かに見つめていた。


「……『救済の遮炎龍』……か」


 そんな彼の活躍を見上げる和士の周りでは、救急車や消防車、それにパトカーまでが大勢入り乱れていた。ようやく、事態が終息に向かおうとしている。

 だが、彼の心は晴れない。少年が見せた、無茶を無茶と思わせないほどの苛烈な戦いぶりに――かつて離れ離れになった戦友達に、重なるものを感じたためだ。


「――どんないきさつかは、知らないがな。自分を幸せに出来ない奴は、他人を幸せになんか……出来ないんだぜ」


 少年がそれをわかっているか否か。それを見抜けなかった和士は、案じるように言葉を投げかける。だが、この喧騒の中で聞こえる声量ではない。

 言える立場ではない、という意識が邪魔したのだろう。事実、少年がいなければ少女は助からなかった。


 その意識の強さが、いたたまれなさを生んだのか。和士は踵を返すと、少年から離れるように被災者達の方へと向かっていく。混迷の中で人々が、傷つけ合うことにならないために。

 それが和士に残された、レスキューヒーローとしての矜恃であった。


 ――時は二◯三四年。新しいヒーローの物語はまだ、始まってすらいない……。

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