第31話 ツナガルオモイ

「お〜……いちち、痔になってねぇかなオレ……」


 日曜の夜。

 あの後解散した陸は、臀部の激痛を堪えながら辛うじて自宅に生還し――自室の散らかった部屋の布団に寝そべっていた。


(いつも、これくらい散らかった頃に結花が遊びに来て……ぷりぷり怒りながら片付けてくれてたっけ)


 横になったまま、あちこちに散らかったゲームや漫画を見遣る。その光景に、垢抜けない幼馴染の可愛らしい怒り顔が浮かんだ。

 ――そして、視線を天井へと移し。手首に巻かれた黄色の腕輪を、ジッと見つめる。


(……別に、こんなもん貰わなくたってオレは……)


 忠道は、陸が足を無くして陸上が出来なくなったことについて、かなり気に病んでいる。心配させまいと明るく振舞っているようでも、実のところはこの件で酷く落ち込んでいるに違いない――というのが、彼の見解であった。

 陸自身に言わせればそれは杞憂に過ぎず、彼は忠道の胸中を察しては何度もそう言って励ましてきた。だが、忠道は未だに陸の足のことで自分を責め続けている。その弁明すらも気遣いだと受け取っているのだ。


 そんな彼にとって、和士から持ち込まれた「雨季陸を新型着鎧甲冑のテストヒーローにスカウトしたい」という話は天啓だったのだろう。だからこそ、彼のカルテを渡して「超駆龍の剛脚」の開発と採寸に一役買っていたのだ。

 無論。陸にとっては無用な気遣いであったのだが。


(でも……確かにな)


 ――だが。忠道の言い分がわからないわけではない。

 中学陸上競技会の日本代表でもあった自分の存在は、誰の目から見ても大きなものだった。ちょっと足が速いだけの中高生とは訳が違う。その自覚はあったし、そのための努力に手を抜いたつもりはない。

 バカなりに、がむしゃらだった。


 そこまで走り抜いた先がこれとあっては、確かに落ち込まないはずがない。実際、落胆する気持ちは確かにあった。

 ――だが、そこまでなのだ。忠道が案じるほどの傷心ではないし、自暴自棄になるほどのことにも感じなかった。

 あの事故の後、結花を除く天坂家全員が両手をついて謝りに来たこともあったが――陸本人も両親も、死人が出なかっただけでも儲けものと笑い飛ばし、大して怒ることもなかった。


 陸の両親はかなりの放任主義で、事故を受けても「生きてるなら良し!」で終わりにしてしまい、陸上辞めるならさっさと卒業して店を継げと言うようになった。

 周りが聞けば陸上競技会の申し子になんてことを言うのか、と憤慨しただろう。陸も、それは容易に想像できる。

 だが両親はそんな調子だし当の陸本人も、自分自身が不思議に思うほどに気にならなかったのだ。


(……実はオレ自身が思ってるほど、陸上に打ち込んでなかった――とか? いや、それは違うな……)


 なぜそう感じたのかは、今でもわからない。だが、何と無くでも他ならぬ自分自身が「それでいい」と思ったのなら、それでいいだろう――と、気にも留めなかった。


 その代わり。

 結花のことを思い出させるものを見つけるたびに、彼女は今どうしているだろう、ちゃんとご飯食べてるだろうか、と気にかかるようになった。

 彼女に代わって勉強を見てくれている結友から聞いた限りでは、回復傾向は今一つであり、度々部屋から出るようになった程度らしい。

 リビングに出ては「らあめん雨季」の方向を窓から見つめて、ポロポロと涙を零していたという。――胸に、陸との思い出が詰まったアルバムを抱いて。


(……結花……)


 足を無くしても。あれほど打ち込んできた陸上が出来なくなっても。大して辛くもないし、気に病むこともない。

 だが――当たり前のようにいた幼馴染のことばかりが。気にかかる。


(……なんだよ。答えなら、出てんじゃねぇか)


 ガバッと身を起こした陸は、携帯に手を伸ばすとメールを打ち始めた。過去に何度も送っても返事がなく、会いに行けば泣かれたため控えていたが――今なら、返事が貰える気がした。


『長い東京生活、お疲れさん! 見送り行くから、オレのこと忘れんなよ! 気が向いたら、また店に来てくれよな!』


 特に変わったことは書かない。いつものように――そう、事故が起きる前の、あの頃のように。陸は、何一つ飾ることなく見送りの言葉を文面に起こした。


 そして――送信から、僅か二分。


『うん。ありがとう。ごめんね。ごめんね』


 事故以来、初めて返事が帰ってきた。天坂家の自室で、枕を抱いて少女が啜り泣く頃。陸は確かに、彼女の言葉を受け取ったのだ。


(陸……ごめんね。私、私……逃げることしかできなかった。もう一生かけても、償いきれないこと、しちゃったの。だから、もう陸には会わないって決めてた……)


 何があっても変わらない、愛おしい幼馴染のメールは、結花の胸を締め付け、頬を濡らす。


(それでも……それなのに。そんな私だって、わかってるのに……会いたい、一緒にいたいって……思っちゃうの!)


 ポロポロと、止まらない想いが。彼女の目に映る画面を、歪めていく。携帯を握る手が震え、噛み締めた唇に塩のような味が染み込んだ。


 彼を拒絶することで、距離を置くことで。見放してもらうつもりでいた。自分という人間を、消してもらうつもりでいた。自分にできる償いなど、それしかないと思っていたから。

 だが彼は、それすらも容易く受け止め、包み込んでしまう。優しくしないでと暴れる幼子を、あやすように。


 そこまでされてしまったら、もう。ドロドロに、心を溶かされてしまったら。拒みようも、なくなってしまう。一緒にいたい、愛し合いたい、という浅ましい本心も、全て丸裸にされてしまう。


(でも、このまま何もないような顔で陸に会うなんて、できない……。だから、「時間」が欲しいの。その「時間」でちゃんと自分の罪と向き合って、その上でちゃんと……今度こそ、気持ちを全部伝えられるように。どんな結末でも、泣かないように……)


 直に言葉を交わす必要はない。数行にも満たない文章でも、想いは伝わる。幼馴染には、そういう繋がりがある。

 遂に手に入った結花の返事から、携帯の向こう側で涙する幼馴染の想いを、察した陸は。


「……」


 携帯を切り――再び布団の上で大の字になる。広く逞しい胸元に、その端末を置いて。


(……やっぱし。それくらい好きだったってことだよなぁ。コレは)


 ――自分の本心を改めて実感した陸は。幼馴染との幸せな毎日でも夢見ようと、瞼を閉じるのだった。


 ◇


 その頃。


 薄暗い研究室の中で、部屋全体を妖しく照らすディスプレイの光を、苛烈な瞳が射抜いていた。


「……」


 キーボードを絶え間無く叩き、ディスプレイに視線を釘付けにしている男――伊葉和士の目には、今年から初運行となる最新鋭リニアモーターカー「リニアストリーム」の映像が映されていた。


 救芽井エレクトロニクスから一部の技術を買い取った企業が、総力を挙げて開発したという最新型のリニアモーターカー。

 フェザーシステムの推進ジェットを応用して開発された超加速システムにより、従来のリニアモーターカーを大きく凌駕した速度を誇ると言われている。

 その最高時速は七百五十キロ。文字通りに弾丸級の速さがウリと、昨年から幾度となくメディアで喧伝されていたニューマシンだ。


 その初運行が、月末に行われることになっている。着鎧甲冑の技術を応用した乗り物というだけあり、関係者各位や一般市民も期待を寄せているようだった。


 ――だが、伊葉和士だけは。

 そのリニアストリームの勇姿を、訝しむように睨んでいる。


(……フェザーシステムの推進ジェットは、確かに強力だ。だが、フェザーシステムの着鎧甲冑があの推力をコントロールできるのは、間に合わない「減速」を「逆噴射」で自在にカバーできる飛行ユニットの特性にある)


 総重量数百キロの鉄塊である、二段着鎧した着鎧甲冑を縦横無尽に長時間飛行させるエンジンは、確かに凄まじい。リニアモーターカーのエンジンに使う発想そのものは、悪くはない。

 しかし。あの高出力が生み出す速度を制御するには、通常の減速では間に合わないケースが多い。


 ――事実、あの実験小隊の初期メンバーはそのケースのために、雲無幾望を除く全員が殉職している。

 以降、それを補うためにフェザーシステム十号からは、ジェットの噴射角を自在に操作できるギミックが導入された。これによりジェット噴射の角度を反転させ、逆噴射による緊急減速を実現。減速不能による墜落事故は激減した。

 だが、それでも事故が止まなかったのは――その逆噴射の難易度が原因だった。


 自在にジェット噴射の方向を調整できる――と言っても、それを「寸分違わず正確に」反対方向に向けられなければ、明後日の方向にジェット噴射が行われ、機体は予期せぬ回転動作を起こし、事故に繋がる。

 今現在「救済の超飛龍」と命名されているフェザーシステム二十一号からは、その操作も自動化されたOSが組まれたが――それまでのデータ収集期間では、操縦ミスによる墜落死という新たな問題が多発していた。


 人間一人を満足に飛ばす小さな飛行ユニット一つのために、それほどの人命と時間が失われてきた。そのノウハウがある時代に生まれて来たモノとはいえ、勝手の違うリニアモーターカーに流用して、満足に機能するだろうか。

 ――安全に、人を運べるのか。


 それが、フェザーシステムに纏わる悲劇をその眼に焼き付けた和士の、懸念であった。


(「企業秘密」のために詳しくは探れなかったのが痛いな……。設計者がリニアモーターカーに合わせて出力を調整しているのなら、杞憂に終わるだろうが……)


 速さを追求した流麗なデザイン。何も知らない人々が諸手を挙げて称賛する、その新時代のスーパーマシンを見つめ――和士は席を立った。


(――万に一つも。罪なき人々の安全が脅かされるようなことは、あってはならない)


 そして、黒い手袋を取り――赤い両手の義手を露わにする。


 一年前。瀕死の雲無を抱きかかえて秘密飛行場に駆け込んだ和士は、オーバーヒートした「動力強化装置」から発せられた高エネルギーに両腕を焼かれていた。

 彼の治療も雲無の集中治療と並行して行われたが――彼自身が夏に雲無の救命を優先させたため、両腕の処置は不十分なものとなり。

 ……結果として彼の両腕は壊死。切断を、余儀無くされたのだ。


 以来、彼は雲無の改造手術のデータを基に造られた義手を身に付け、ヒーロー活動を続行していたのである。――ストライカーシステムの開発と、並行して。


(こいつの眠りを覚ますのは気が引けるが……準備はしておく必要はあるかも知れんな)


 彼は過去に味わった痛みを思い出すように、感覚のない腕をさする。そして、予想しうる有事に備え――闇の中に佇む「超飛龍の天馬」を見上げるのだった。


(「白」なら、それに越したことはない。だが、仮に「黒」だったとしても。俺達は人々の未来のため、「黒」を「白」に捻じ曲げねばならないんだ。わかってくれ、「至高の超飛龍」)

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