第25話 風の唸りに、血潮が叫ぶ

 薄れる意識の中で、少年は何度も夢を見た。


 あの墜落事故で、多くの人々が骸と化していく様。

 フェザーシステムのために身命を懸け、散って行ったテストパイロット達。次の世代のためと信じ、自らを命もろとも実験機に捧げて行く彼らは、メディアで持て囃されているどんなヒーローよりも輝いていた。

 だが、彼らの活躍が世に出ることはない。その功績全てを、伊葉和士が手中に収めてしまうのだから。


 ――だが、彼らは怨みなどこの世には残さない。これこそが、彼ら自身が望んだ結末だったのだ。自身が名誉を手にするより、少しでも多くの後輩ヒーローを救う。

 フェザーシステムならばそれができると、確信した上での決意だったのだから。


 腕一本。首一つ。それだけをこの世に残して昇天していく同志達は後を絶たず、それすらも残さずに消えて行く者もいた。

 そんな人々がどんな思いで空を翔け、地に墜ちていくのか。ずっと、その目に焼き付けて生きてきた。だから――わかる。


 そうして世に生まれてくるフェザーシステムが、どれほど尊いか。どれほどの重みを背負い、翔んでいるのか。


 そして今まさに――その意義を問う瞬間が訪れていた。


(僕の身体は……もう、ヒーローとしては使い物にならないところにまで、来ていたんだ……)


 概ねの状況は、和士からの連絡で把握している。流されてしまった少女が、自分が不時着しているポイントを通り掛かるようなのだ。

 ――しかも、少年こと雲無がいるポイントは、隆々とした岩山が川の中に幾つも聳え立っている。これをかわして流れ続けることは、不可能だ。

 無論、この濁流の速さに流されるまま岩山に激突すれば、大怪我では済まされない。間違いなく、命にも関わる。


 ならば、彼女がそこまで流されてしまう前に救出しなくてはならない。――そう。己の最期の力さえ、燃やし尽くして。


(和士さんは、下手に動くなと仰ったが――行くしかない。人一人を抱えたままの救出活動となれば、如何に完成形のフェザーシステムといえどバランスの安定は難しいものになる。まして、要救助者は濁流のただ中。万一水面に触れてバランスを崩そうものなら、その場で二次災害に繋がりかねない。ここは無茶だろうと何であろうと、手ぶらの僕が動くべきなんだ)


 木に背を預け、もたれ掛かりながら震える両足を杖に――雲無はふらつきながらも立ち上がる。二本の足でしっかりと立ちながらも、その上体はぐらりと揺れておぼつかない。

 それでもなお、彼は動き出そうとしている。


(――見えた! ……ん!?)


 ぐらつき、焦点がなかなか合わない視界の中で――雲無はマスク内の長距離カメラに映された映像を凝視する。そこには、確かにビキニ姿の美少女が助けを求める姿があった。


(あ、あの時の綺麗な女の子!? どうしてこんな場所に……!? ――いや、今はいい。とにかく今は、なんとしてでも――あの子を助けなければッ!)


 その見覚えのある姿に目を丸くしつつも、雲無はあくまで熱く――それでいて冷静に、次の飛翔に向けて前傾姿勢となる。

 そして――死神から送られる「最終通告」に当たる、胸の痛みを敢えて無視する彼は――拳を震わせ、地を蹴る。


「……死なんざ上等だ、このクソッタレがァァァァッ!」


 血は、争わない。妹以上の猛々しさが、雲無という少年の温和さを奪い取っていた。妹以上の怒号を上げ、助けを求めてもがく彼女に突撃していく。


 崖の端を蹴りつけ宙へ飛び出し、バーニアを噴かせて少女のもとへ。唸る痛みと苦しみに顔を歪める彼の心は、仮面の最奥へと封じられていた。

 打算も何もなく、ただ愚直に翔ぶその姿は――


(……! あれ、は……!)


 ――水に蹂躙され、意識が混濁する中にいる少女の眼に焼き付けられ。彼女の胸中に、今までにない感情が広がって行った。

 ライトグリーンの翼を背に、唸るように水面を翔ける仮面の騎士。その背後では、同色の飛行機が天翔る天馬の如く上昇していた。


(王子、様……?)


 白馬の王子と呼ぶには、無骨過ぎる見た目だが。欲に塗れた男達しか知らない少女にとって、その邂逅は強烈であった。


「こちら雲無、要救助者を発見! 救助に向かいます!」

『なにっ!? もうそんなところまで……! 俺が来るまで待てそうにないか!?』

「すぐそばで川が岩山に阻まれています! 急がないと彼女が危ない!」

『く……わ、わかった。だが、無理はするなよ!』


 和士からの言葉が終わる頃には、すでに少女との距離は目と鼻の先であった。雲無は僅かに逡巡したのち――彼女を素通りする。


(向かいから着鎧甲冑のボディで流されている最中の彼女に接触したら、衝撃で骨を折るかも知れない。――だったら!)


 そして――僅か数メートル先まで飛んだ瞬間、彼は新体操の如く体を上下に急旋回させ、反対方向への急加速に突入する。


「ぐっ――あぁあぁあぁあああぁあッ!」


 その切り返しに伴う全身への圧力が、すでにボロボロになっていた雲無の身体にさらなる追い討ちをかけた。マスクだけではなく、スーツ全体の各関節部から鮮血が噴き出してくる。

 それでもなお雲無は寸分も怯まず、躊躇わず――真っ赤に染まる視界に映る、少女の涙に慟哭する。この一瞬のために、自分の半生は在ったのだと、万感の思いを込めて。


 ――先程とは打って変わり、少女を追うように猛進する雲無の手は、下から掬い上げるように水没しかけた彼女の手を掴む。そして、一瞬にして少女の肢体を腕一本で引き上げた彼は――彼女の身体を抱き締めながら、最期の力を振り絞るように上昇していった。


 だが。もはや彼には、安全に着地できる余力も残されてはいなかった。意識が乱れ、失血により思考もまとまらず、上下左右もはっきりしない。

 そんな状況の中でもなお、心の奥底に残された「少女を守る」という大命だけは、褪せることなく彼の行動原理に焼き付いていた。ふらふらと安定しない飛行の中でも、鋼鉄の腕はしっかりと少女の柔肌を抱き締めている。


 ――そして。


「うっ……ぐ……!」


 徐々に高度を失って行く雲無の身体は、岸辺の砂利を削りながら、不時着していく。大地と己を削りながらも、少女の身体だけはしっかりと守り抜いて。

 数十メートルに渡る滑走を経て、ようやく止まった時。ほんの僅かな静寂を経て――気力に溢れたエンジン音が、聴覚を刺激する、


『なんてことだ……雲無! 聞こえるか!? 応答してくれ、雲無!』

「ぁ……ぅ、ぁ……」


 歪む視界には、曇り空の中を飛ぶ「至高の超飛龍」の姿があった。そして、その鋼鉄の腕の中には――


(麗……よかった)


 ――それがわかった時。力尽きたように、雲無の両腕が大の字のように広がる。長い保護から解き放たれた少女は、それに気づくと我に返ったように目を見開く。

 そして青ざめた顔で、動かなくなった白馬の王子の手を――傷付いた羽根の腕輪ごと、揺さぶるのだった。


「どうしたの……!? どうしちゃったのよ! 起きてよ! ねぇっ!」

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