第14話 「名誉」の代償

 ――事故から、数ヶ月が過ぎ――季節は再び、春を迎えようとしていた。

 時は二◯三三年。その新たな時代の中で、新たなヒーロー達が巣立とうとしている。


 ヒルフェン・アカデミー第一期生は、この日を以て卒業を迎えたのだ。桜の満開を待ちわびるかのような、暖かな風が吹き抜ける快晴の下――過酷な訓練をくぐり抜けたヒーローの卵達が、孵る日に向けて踏み出しているのである。


「卒業生代表、前へ!」


 その卒業生の名代を務めているのは――


「はい、伊葉候補生!」


 ――かつて次席の座に収まっていた、伊葉和士であった。

 彼は卒業生代表として、理事長である久水茂の眼前に立ち――全ての同期達の視線をその背に浴びて、卒業証書を受け取る。


「ヒーロー候補生、伊葉和士! 以下三百名の者は、本校の教育課程を修了したものとする! 貴殿らの、今後益々の活躍を祈る!」

「ハッ! ありがとうございます!」


 全ての教官と同期達の拍手を一身に浴びる彼は、神妙な面持ちで久水茂と視線を交わす。――その眼差しは強い決意を帯びて、真っ向から理事長の眼を射抜いていた。


 ◇


 ――あの三二一便墜落事故で、乗員乗客は一人も欠けることなく生還し、天坂総合病院に搬送された。現在、すでに半数以上が無事に退院している。


 この一件で、着水に成功したパイロットの腕ももちろんであるが、現場を早急に発見した「救済の超水龍」の活躍にも注目が集まっていた。


 それまで世に出ていなかった新型が、これほどまでに華々しいデビューを飾ったのだから、当然だろう。その試作三号機のパイロットとしてインタビューに応じた伊葉和士は、大勢の人々に英雄と称えられた。

 彼は、待ち望んでいた「名誉」を、ついに手にしたのだ。


 だが――彼と共に数多の命を救ったもう一人の英雄は。その表舞台に上がることはなかった。


 大勢の人命を救助したとはいえ、伊葉和士と海原凪の行為は、新型機であるダイバーシステムを勝手に運用した挙句、大破させる結果となった。

 その責任を背負う形で、海原凪は――退学処分となったのである。


 脅しという強制力によるものとする凪の主張を信じず、二人纏めて連帯責任で処分すべきと叫ぶアカデミー関係者は多かった。

 だが、久水茂は凪の言葉が和士を守るための虚言と見抜いた上で――人々を救ってくれた彼へのせめてもの礼としてその意を汲み、彼の発言通りに事を進め、一名のみの退学処分になったのである。


「お願いします! 凪の処分を取り下げてください! 俺は……俺は凪を犠牲にして得た『名誉』なんて、誇れない!」

「――それは、君が望み続けてきたものであろう。海原凪の名誉ならば、彼が望む形ですでに実現されている」

「されていません! あいつは……凪は、故郷を救うための『名誉』が必要なんです! みなも村の名を世に響かせるための、名声がッ!」


 その処分が下された直後。和士は床に頭を擦り付け、久水茂に直談判していた。しかし、スキンヘッドを煌めかせる彼の鋭い眼差しは、彼の懸命な訴えを聞いても揺らぐ気配を見せない。


「……その様子だと、何も聞いていないようだな」

「え……!?」


 そして、和士の訴えを根底から覆すように。淡々と――真実を語る。


 彼のふるさと――みなも村は。

 すでに、全滅していたのだ。


 東北の海の近くに築かれた、小さな村であるみなも村は――温暖化に煽りを受けた海面の上昇が影響し、徐々にその領域を侵されつつあった。

 相次ぐ若者の疎開だけではなく、村の面積まで失われつつある中。他の村や町で生き抜く術を知らぬまま歳を取った村民達は、唯一村に残っていた若者である凪を外界へ逃がし、自分達は村と心中する決断に踏み切ったのである。


 世間の誰にも、知られることなく。彼らは崖から海中へと消え行き――みなも村と共に、日本地図から姿を消し去ったのだ。

 村を見放すことなく、故郷を愛し続けたただ一人の若者――凪だけを、この世に残して。


 ――そう。日本地図からみなも村が消えたのは、間違いなどではなかったのだ。


「そ、んな」

「彼は全てを喪った。帰る場所も、帰りを待つ人々も。だからこそ彼は、『名誉』を求めてアカデミーの門を叩いたのだ。自分自身を、みなも村とその村民が存在していた証とするために」

「凪……」

「だが、その『名誉』は世間に誇るためではない。自分自身に誇るため――いつの日か家族の元へと逝く時、胸を張って誇るための『名誉』なのだ」

「……!」


 久水茂が語る、その背景に――和士は、自分自身が受けた言葉を思い返した。


『――おらは、おら自身に誇れるものが「名誉」だと思ってるだ。自分にすら誇れないものを、人に見せびらかせるわけがねぇべ』


『あの飛行機さ見捨てたら――おら、みんなのとこへ胸さ張って行けねぇだよ。助けることが罪なら、おらが背負うだ』


 過去に裏打ちされた言葉を振り返り、和士はようやく悟る。凪は、亡き家族に顔向けできる自分であるための「名誉」を求めて戦ってきたのだと。

 ――だから彼は。自らの名声を投げ捨て、和士を救う道を選んだのだと。


(凪……凪、凪っ……!)


 膝から崩れ落ち、涙ながらに親友の名を胸の内で呼び続ける和士。そんな彼の様子を一瞥する久水茂は、踵を返すと話は終わったと言わんばかりに立ち去って行った。


(誰かを救うために己を削り、それを信念とする――か。やはり、このような人種はヒーローには向かんな。己を傷付けるばかりでは、いつか倒れる。そうなれば、大切な誰かを守り抜くことはできん)


 最後に一瞬だけ。肩越しに、泣き崩れる少年の姿を見届けて。


(彼自身、それを理解していたからこそ――この男のヒーロー生命を生かしたのだろう。自分のエゴに他者を巻き込むことを、最後まで恐れていたこの伊葉和士ならば、自分自身も人々も守り抜く本当のヒーローになり得ると信じて……)


 ◇


 ――それから数ヶ月。晴れて卒業を迎え、ヒーローとしての一歩を踏み出した和士は今。

 揺るがぬ決意を宿した瞳で、自分に卒業証書を渡す久水茂を、射抜いている。


(……俺はもう、立ち止まりはしない。凪の戦いは正しかったのだと、俺自身が英雄になることで証明するためにも――最後の一瞬まで、俺は戦い続ける!)


 その瞳の色のまま、彼は踵を返して久水茂から視線を外す。そして自分を英雄視する全卒業生を見渡し、壇上から立ち去って行った。


(だって、凪がいてくれたからこそ、今の俺が在るのだから……!)


 誰にも知られることのない想いを溢れさせるように――その拳を握り締めて。


 ◇


 ――その後。式を終えた卒業生達は、ルーキーを迎えに現れた世界各国のヒーロー機関の使者に招かれ、それぞれの道へと歩み出して行く。

 トラックの荷台に載せられ、過酷な研修に臨む者。デビュー早々にVIP扱いを受け、リムジンで旅立って行く者。所属していたクラスによって格付けされていた卒業生達は、この時点からすでに扱いの差が現れていた。


「……」


 ――その一方。卒業生達の中でただ一人、海外のヒーロー機関に赴くことなく、救芽井エレクトロニクス日本支社の正社員として故国に居残ることになった和士は。

 同期達の旅立ちを一通り見送った後、一人静かに空を仰いでいた。平和を象徴するかの如く、青々と透き通る快晴の空を。


(……凪……)


 目に映る晴れやかな景色に、親友の底抜けの笑顔を重ねた時。彼の後ろに、二人の人影が現れた。


「……和士」

「麗、か」


 茶色が掛かった黒髪のセミロングに、透き通るような白い柔肌。お嬢様学校らしい純白の制服に袖を通した橘花麗の姿に、和士は僅か一瞬だけ見惚れていた。

 麗自身も――三二一便の件を経て、一皮も二皮も剥けた和士の面持ちに、熱を帯びた視線を送る。そんな二人の様子を、スーツに筋肉を隠した強面の男性が、交互に見遣っていた。


 アカデミーの中でも長身だった凪よりも、さらに頭一つ分ほど大きい彼は、値踏みするような視線を和士に送る。


「……君が伊葉和士君か。娘が、大変世話になっているな」

「あなたは……」

「申し遅れた。私は橘花隼司――麗の父だ」


 その実態は警視総監であり、麗の父でもある橘花隼司。そこいらのゴロツキなど足元にも及ばないほどの強面であり、全身から近寄り難い威圧感が噴出している。

 このような見た目でなくとも、その気勢だけで人を遠ざけてしまいそうな佇まいであった。


「まずは、命を賭して娘を……多くの人々を救ってくれたことに、父として警視総監として、例を申し上げたい。……ありがとう」

「私からも言わせて。和士……本当に、ありがとう」

「いえ、俺は……」

「――海原凪という少年にも、いつかそう伝えてくれ」

「……!」


 だが、そんな外見に反して、彼の口調は柔らかなものだった。報道規制されているはずの凪の名が出たことに、和士は思わず顔を上げる。


「隼人も――私の息子も生きていれば、君を慕っていただろう。あの子は、いつも言っていたからな。皆を守る、ヒーローのようになりたいと」

「うん……お兄ちゃんも、きっと和士のこと、気に入ってくれたよ」

「……そうですか。しかし私など、ヒーローと呼ばれる人々には遠く及びません。凪にも……」

「君自身がそう思うなら、その通りなのかも知れん。だが、君がいなければ娘は助からなかった。それだけは間違いないのだから――どうか、誇っていて欲しい。彼のためにも、君のためにもな」

「……ありがとうございます」


 苦笑いを浮かべつつ、和士は目を伏せる。そんな彼の様子を静かに見遣る隼司は、威厳に溢れた容姿とは裏腹な、穏やかな声色で語りかけてくる。


「……君の父とは、旧知でね。君と同じように私も度々、彼と面会していてな」

「えっ……?」

「彼は、涙ながらに喜んでいたよ。あの意固地で無愛想な息子が初めて、楽しそうに『友達』の話をしてくれたと」

「……」

「君の『友達』には……海原君には、彼も深く感謝していた。息子に笑顔をくれて、ありがとう、とな。――そんな彼がいて、君がいる。それが、この一件に奇跡を齎してくれたのだろう」


 そこまで語ると、隼司は腕時計を見遣り踵を返す。そんな父の様子を一瞥した麗は、名残惜しげに和士を見つめながら、その後に続いていく。


「さて。実は君に一目会いたいがために、仕事を抜け出してきたクチでな。そろそろ御暇せねばならん」

「また、ね……和士」

「ああ。――お元気で」


 去り行く彼らを身届けた和士は、再び視線を青空へと映し、独りごちる。


「……なぜ、俺なんだろうな。みんなを守ったヒーローは、お前なのに」


 そんな彼を見下ろす太陽は――この世界のどこかで旅に出ている、本当の英雄を見つめていた。

 小麦色に焼けた肌と、溌剌とした八重歯を持つ彼もまた。――帰る家も故郷も、帰りを待つ家族もいない、彼も、また。


「……へへ。こりゃ、いい釣り日和だべ」


 同じように――その輝きを見上げている。

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