第10話 美女と田舎っぺ

 ――二◯三二年、十二月。


 眩い輝きを放つ、東京の夜景。その光を放つ大都会と、冬季休暇を間近に控えたアカデミーを隔てる、極寒の東京湾。

 その深く暗く、冷たい世界の中を――藍色の方舟が駆け抜けていた。



「準備はいいな、海原!」

「いつでも行けるべ! 和士くん!」


 黒のライフジャケットと蒼い防水ズボンで身を固める、「超水龍の方舟」のパイロット――伊葉和士は、自分がいるコクピットの下で発進準備に入っている「救済の超水龍」こと海原凪に、出撃の合図を送っていた。

 紫紺のヒーロースーツとマスクで全身を固める凪は、「超水龍の方舟」の下部ハッチで出撃の瞬間を待ちわびている。


 そして――彼らが潜行を始めて、三十分。その時は、ついに訪れた。


『目標点に到達。「救済の超水龍」、射出せよ!』

「了解ッ!」


 通信機から響いてくる、アカデミー理事長・久水茂からの指令。それを耳にした和士は、コクピット内の赤く塗られているレバーを握り込む。


「……行くぞッ!」


 そして――意を決してレバーを引いた瞬間。ガコン、と大きな何かが外れる音が響き渡り――下部ハッチが開かれた。


「――『救済の超水龍』、発進するだ!」


 次の瞬間、前方に向かって打ち出された「救済の超水龍」の青い背が、和士の視界に映し出される。水を切り、魚雷の如く海中を直進していく親友の姿を見届けた彼は、間髪入れず青く塗られた二本目のレバーを手にかけた。


「増加装甲、発射!」


 その合図とともにレバーを引き――今度は潜水艇の側面から、蒼いプロテクターが次々と打ち出されていった。

 水流ジェットにより猛進する鎧達は、瞬く間に海中を進む「救済の超水龍」に追いつくと――磁石のように、その全身に張り付いて行く。

 そうして全てのプロテクターが「救済の超水龍」の一部となった瞬間。


『Setup‼︎ DolphinForm!!』


 「潜行形態」への二段着鎧を果たしたことを知らせる電子音声が、プロテクターから発される。――青い鎧を纏う、水中のヒーローはその音声を聞き取ると、背後から見守っている親友にサムズアップを送った。


『状況開始から着鎧完了まで二十秒弱、か。――訓練生にしては、頑張っているな』

「……ありがとうございます」

『参考程度に教えてやる。アメリカで試作一号機を運用しているレスキューカッツェのテストパイロット「フラヴィ・デュボワ」と「ジュリア・メイ・ビリンガム」は、十秒以上時間を掛けたことはない』

「……」


 ――だが、まだまだプロには及ばない。


 通信で冷淡に評価を下す茂の口からは、救芽井エレクトロニクス直属のエリートR型部隊「レスキューカッツェ」によるテストの結果が語られた。――今の和士達の未熟さを、知らしめるかのように。

 レスキューカッツェが所有している試作一号機と二号機はアメリカで運用されている。今現在、日本で和士達が運用している機体は試作三号機。性能で言えば、他の二機より優れているはずだった。

 にも関わらず、倍以上タイムに差をつけられている。その現実と直面した和士は、操縦桿を握る手を悔しさで震わせた。


(……訓練生だから仕方ない、とかじゃない。俺が上手くやれないと海原の出動が遅れることになる。そうなれば、救われたはずの命を見殺しにする羽目にも……くそッ!)


 ヒーローとして名を上げ、父の名誉を取り戻す。それが如何に大言壮語であるかを――数字という形で突き付けられた和士は、両手を震わせたまま目を伏せ、歯を食いしばるのだった。


 ……一週間後。

 世間がクリスマスで賑わい、海を隔てた先の大都会が、より一層活気を増すようになってきた頃。

 年末休暇を目前に控え、気を緩めた訓練生達が談笑しながら校内を往来する中――和士は一人図書室に篭り、「超水龍の方舟」の資料を熟読していた。


(来年の春には、俺も海原も卒業して正式なヒーローになる。……あいつは変人な上に田舎者だが、ヒーローとして大切なものを持っている。きっと大丈夫だろう。けど、俺は……)


 資料に視線を落とし、考えに耽る和士は憂いを帯びた表情で、今の自分を省みていた。

 プロどころか身近な親友にも敵わないまま、卒業の日を迎えようとしている。卒業すら危うい他の生徒から見れば贅沢な悩みなのだが、それでも和士は真剣だった。


(俺は……あいつのように強くない。けど……それでも。諦めるわけにも行かないんだ)


 ふと、和士は携帯に送られてきたメールに目を移す。そのディスプレイには、あの橘花麗から送信された文面が映されていた。

 ――夏の日の一件以来、プライベートでも度々交流するようになった二人は、こうして連絡を取り合うようにもなっていたのだ。それが原因で、和士が警視総監に目を付けらたりもしているのだが。


(麗……)


 そのメールには――ヒーローを目指す和士を素直に応援する、純情な少女の想いが綴られている。顔を合わせればつっけんどんな態度を取る彼女も、メールになると素直になれるらしく……和士を案じる旨の内容が、長々と書かれていた。

 一方で彼女自身も、G型学科を諦めてはいないようで――今日の夜に東京国際空港からアメリカ行きの三二一便に乗り、救芽井エレクトロニクス本社との交渉に発つとメールに記されている。


(麗も、頑張ってるんだよな……。なのに、俺は……)


 和士はそんな彼女の、相変わらずの強気な物腰に微笑ましさを覚える一方で――自分だけが置いていかれているような錯覚により、焦りを心に滲ませていた。


 凪は現在、救芽井エレクトロニクス日本支社で、現役のヒーロー達の下で研修を受けている。僅か数ヶ月で飛躍的に実力を伸ばしていた彼は、本来なら卒業後に受けられるはずの待遇をすでに勝ち取っているのだ。ナンバー2である和士は、未だにアカデミーから出られずにいるというのに。


 その現状は絶え間無く、取り残された和士の胸中を締め付けている。


(……ダメだ、こんな暗い気持ちのままでいては。そうだ、せっかくもうすぐ年末休暇なんだ。みなも村にこっそり行って、御歳暮を送りつけてやろう。きっと驚くぞ、あいつ)


 そこから、無理矢理にでも抜け出そうとして。席を立った和士は校内を歩く生徒達を一瞥すると、本棚の方へと足を運ぶ。日本地図が記されている書類が置かれた棚で足を止めた彼は、今年度の冊子に手を伸ばした。

 仰天してひっくり返る親友の姿を想像し、頬を緩めながら。


(夏季休暇の時にお中元でも送ってやろうとして、みなも村の住所を聞いたら、あいつにはぐらかされたんだよなぁ。郵便も届かないド田舎だから……って。だったら、こっちで調べ上げて直接持って行けばいい)


 ページをめくり、みなも村を探す和士。その胸に期待を膨らませる彼は、彼が生まれた地である場所を指先でなぞり――徐々に、その表情を曇らせて行く。


(え……?)


 ――ない。見つからない。本人から聞いた話では、その辺りで間違いないのに。

 凪は、つまらないウソをつくような男ではない。いや、彼はつまらないウソすらつけない。ならば、この地図がおかしいのか。

 半信半疑のまま、和士は手にしていた冊子を元の棚に戻すと、その隣に置かれていた前年度の日本地図を手に取った。


 そしてページを開き――同じ地点を探すと。「みなも村」という場所は、すぐに見つかった。

 東北地方の端の端。他の人里から遠く離れたその村を見付けることは、思いの外容易かった。


(……なんだよ、ちゃんとあるじゃないか)


 胸を撫で下ろした和士は満足げに冊子を戻し、ため息をつく。どうやら、今年度分だけ誤植があったようだ。確かにこんな小さな村、見落とされていても不思議ではない……のかも知れない。


 ……だが。


(――妙、だな)


 和士の心には、微かな違和感が残されている。彼は念のためにと、他の年度の冊子も確認したのだが……その全てに、「みなも村」は正確に記載されていたのだ。


 昨年から十年前まで、一度も欠かされることなく。なのに。

 ――今年度「だけ」、みなも村は地図から姿を消しているのだ。


(今までずっと記載されてきたのに、今年だけ忘れられるなんて……)


 そんなこと、あるのだろうか――と、和士は訝しむ。

 ――すると。


『Aクラス、伊葉和士。面会希望者が来られた。直ちに応接室に来るように』

「……面会?」


 自分の名がアナウンスされ、顔を上げた和士は思考を一度断ち切り――眉を顰めた。こんな時期に面会希望者が来るとは聞いていない。


 アカデミーに入る前まで――投獄された元総理の息子ということでメディアから注目されたり、強引な取材を受けたことはあった。その類が、とうとうアカデミーまで波及してきたのか。

 ――そう訝しむ和士は険しい表情で腰を上げ、応接室へと足を運ぶ。


「伊葉和士、入ります」

「……はい」


 だが、応接室の扉の向こうから聞こえてきた女性の声を聞き、ドアノブを押した和士は――その表情を驚きの色に一変させる。


「……こんにちは」

「き、君は……」


 テーブルと向かい合う椅子だけが置かれた、殺風景な応接室に居たのは。メモもカメラも持たない、報道関係とは無縁な人物だったのだ。

 だが――彼を驚かせたのは、そこではない。彼は、応接室で待ち続けていた女性――否、同い年くらいの少女に見覚えがあったのだ。


 ――雨が降りしきる入学式の日。橋に落ちた子供を救おうと凪が急流に飛び込んだ、あの一件。

 自分達が到着する前から、溺れている子供を助けようとしていた、あの少女だったのだ。


 腰に届く長さの、艶やかな黒髪。淡い桜色を湛えた唇に、透き通るような柔肌。出るところは出て、締まるところは締まっている滑らかなプロポーション。

 そんな女性の理想像を詰め込んだかのような容姿を持ち、大和撫子という言葉がまさに当てはまる、色白の美少女は――穏やかな面持ちで和士に一礼する。


「あの時の……」

「……はじめまして。では、ないかも知れませんけど……天坂結友あまさかゆうという者です」


 そう自己紹介する、彼女の黒い瞳は――か弱くも真摯に、少年の眼を見据えていた。その麗しい眼差しに、彼は思わず息を飲んでしまう。


(あの時は必死過ぎて気づかなかったけど……こ、こんな美少女だったのか)


 そんな和士の胸中にはまるで気づかないまま、少女は静かに口を開く。だが、ドギマギしながら椅子に腰掛ける和士は冷静な対応ができずにいた。


(にしても、この娘の顔……どこかで……? 気のせいか……? いや、それよりも!)

「この辺りで天坂って言ったら、もしかして……」

「……はい。父は天坂総合病院の院長でありまして」

「そ、そうなんだ……」

(こんな美少女な上に、あの天坂総合病院の院長の娘って――どんだけハイスペックなんだよ……!)


 一方。あの日以来一度も会っていないはずなのに、どこか既視感のある彼女の顔立ちに、小首を傾げてもいた。

 だが、それも次に飛び出た情報にかき消されてしまう。天坂総合病院と言えば、都内最大の敷地と規模を誇る病院だ。そこの令嬢ともなれば、身なりの良さにも説明がつく。


「……あの時は、本当にありがとうございました。身の程も弁えずに無茶なことをして……その挙句、アカデミーの方にまで多大なご迷惑をお掛けしてしまうなんて」

「い、いやいや。むしろ君が頑張ってくれていたおかげで、俺達も間に合ったんだし。そ、それに助けたのは海原であって、俺は結局何もできなかったし……」

「海原……そうですか、あの人は海原さんと仰るのですね」

「……?」


 そんな彼女は、ふと、和士が凪のことを口にした途端。パアッと表情を綻ばせ、和士の目を丸くさせる。

 今までの大人しそうな振る舞いから一転して、興味津々といった様子を見せる彼女は、興奮を抑えるように胸に掌を当てていた。


「君は、海原を尋ねてここへ?」

「はい……。伊葉さんのことは『元総理の息子がヒーローに』っていう当時のニュースを見て、すぐに知ったのですけど……あの日、あなたと一緒にいらした海原さんのことは、わからないままでしたから……」

(……それで俺を呼び出したのか。まぁ、そうだよな。あの時、命を張って彼女と子供を助けたのは、海原だもんな)


 さらにその頬は、ほんのりと桃色を帯びていた。はにかむようなその表情を目の当たりにして、和士はようやく悟る。

 ――子供ごと自分を窮地から救ってくれた凪に会いたくて、あの時彼と一緒にいた自分を尋ねてきたのだと。


 健全な男子高校生の性として、スタイル抜群の美少女とお近づきになった以上は、「そういうこと」を否応なしに期待してしまう。

 それゆえに、わかりきってはいても目当てが自分ではないという事実に、和士は微かに落胆していた。


「それで……あの……その、今日お尋ねしましたのは、海原さんのことを教えて頂きたくて……」

「そうか……。しかし、悪かったな。あいつは今、特別待遇で救芽井エレクトロニクスまで出向して研修を受けてる。アカデミーには、いないんだ。今日の夜には帰ってくると聞いてるんだが」

「あっ……そ、そうだったのですか。でも……凄い人なんですね、海原さんって! まだ卒業前なのに、プロのヒーローさん達と一緒に仕事してるなんて!」

「そ、そうだな……」


 だが、自覚があれば気を取り直すのも相応に早くなる。和士は愛想笑いを浮かべて凪のことを語る。その口から伝えられた彼の輝かしい活躍を聞いた結友は、見る者を虜にする華やかな笑みを浮かべ、和士の話に聞き入っていた。


 ――だが。和士の胸には、一抹の不安があった。それは、彼女が望むままに凪を紹介していいのか――ということ。

 ヒーローとしての海原凪を否定する気は毛頭ない。人柄も好ましく、能力も申し分ない。


(確かにあいつは、ヒーロー候補としては立派だと思う。申し分ない、と思う。けど、けどなぁ……)


 しかし。それほどの高評価を以ってしても、拭いきれない不安がある。それは、凪が非常識なまでに凄まじい田舎者である、ということだ。

 恐らく結友は、朧げにしか覚えていない海原凪という人物を、過剰に美化している。彼女の脳内に存在する命の恩人はきっと、現実とは掛け離れた姿になっていることだろう。


 そんな夢想に生きている彼女が。草履に着物、麦わら帽子という場違い極まりない格好で東京を闊歩する変人――もとい「現物」と対面しようものなら。卒倒は必至。

 到底、幻滅では済まされない。


「ま、まぁ、あいつが帰ってくるのは夜になるし。あいつには君のことも伝えておくから、そう遠くない日に会えるさ」

「そうですか……! ありがとうございます!」

(……あいつを無修正でこの子に会わせるわけにはいかない。次にこの子がここに来るまでに、あいつに常識的な振る舞いを叩き込まなくては……!)

「……伊葉さん?」


 人知れず決意を固め、拳を握り締める和士。そんな彼のただならぬ様子に、結友は小首をかしげるのだった。


 ――そして、その夜。

 トップアイドル「フェアリー・ユイユイ」も出演している流行りのバラエティ番組を、テレビでぼんやりと見ながら。和士が自室で頭を悩ませていると。


「ただいま帰ったべ〜! いんや〜、さすがにプロとの演習はキツかったべ。アカデミーの訓練とは全然違うんだべなぁ!」

「……」


 そんな事情など露ほども知らぬルームメイトが、相変わらずの能天気な笑顔で帰って来た。出会った頃から変わらない、いつも通りの振る舞いを前に――和士はさらにむすっとした表情になる。


「ん? どしただ、和士くん。あ、もしかしてお腹空いてるだか? へへ、そうだと思っていっぱいお土産買ってきただよ! 明日は休みだし、今夜はお菓子ぱーてーだべ!」

「……はぁ、お前なぁ……」


 アカデミー首席にして、最新鋭スーツ「救済の超水龍」のテストパイロット。そして、学生の枠を超えた、救芽井エレクトロニクスの研修生でもある。

 そんなエリートヒーローとしての肩書を根こそぎ台無しにしてしまう、その佇まいを前にして。結友の件で頭を抱えていた和士が、一言申そうと腰を上げた時。


 突如。


 緊急速報を伝える無機質な効果音が、テレビから響いてきた。


「……ん?」


 その聞きなれない音に気を取られた和士は、凪から視線を外しテレビ画面に目を向ける。そこには――緊急速報の内容が、テロップで淡々と流されていた。


「え……」


 その内容に――和士の顔が。凪の表情が。

 凍りつく。


 ――本日未明。乗客乗員合わせ、五百三十名を乗せたジャンボジェット機「三二一便」が、東京国際空港から太平洋上を移動中、消息を絶った。

 機長との通信記録によると、操縦不能に陥ったという情報もある。


「こ、れって」


 ……そこまでの内容を記したテロップが、淡々と繰り替えされていた。

 司会者や出演者達が陽気に笑い合うバラエティ番組の最中に流された、その情報に――和士は目を剥き、文字の一つ一つを凝視する。


 そして、幾度か繰り替えされたループを終え、ようやくテロップが消えた瞬間。元通りになったテレビには目もくれず、和士は充電器に繋いでいた携帯に飛び付き――メールを開く。


『――私も今夜の三二一便で、アメリカに発ちます。あなたの勇気に、負けないように』


 その内容は――間違いであって欲しい、という和士のささやかな願いを。跡形もなく打ち砕いてしまった。


「うそだろ、うそだよな」


 譫言のように呟く和士。だが、嘘ではない。

 すでにテレビでは番組が中断され――どのチャンネルでも、この大事件を取り上げた緊急ニュースが放送されるようになっていた。


「……麗!」

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