第8話 正義の鉄槌?

 ――夕日が東京湾の果てに沈み、今日という日の最後に鮮やかな輝きを放つ頃。

 その影に隠された、体育館裏という闇の中に、彼らはいた。


「離しなさいッ……離してッ! 私にこんなことして、ただで済むと――!」

「ただで済むように、これから処置するんだろうがよ。へへ……」

「澄ました顔して、どスケベなカラダしやがってよぉ。堪らねぇよ、なぁ」

「あぅッ……ん……!」


 警視総監の娘、橘花麗。十五歳という年にそぐわない、その発育した肢体は今――和士に追い払われたばかりの不良達に拘束されている。彼女を羽交い締めにしている倉知という男は、自らの下腹部をその臀部に摺り寄せ、下卑た笑みを浮かべていた。

 対して間山という男は、正面から麗を抱き締めるように体を密着させ、豊満な胸の感触を愉しんでいる。透き通るような色白の肌を、獣欲のままに舐め回しながら。


(こんな、こんなッ……! こんな連中に、いいようにされるなんてッ……!)


 屈辱的な辱めを受け、怒りと恥じらいで頬を紅潮させる麗。その脳裏に、このようになったいきさつが過る。


 和士に報復しようと、着鎧甲冑保管庫から訓練用の「腕輪型着鎧装置メイルド・アルムバント」を盗み出そうとしていた彼ら二人を、偶然見つけた彼女が声を上げた瞬間。

 不良達はこれ幸いと彼女を攫い、ここへ連れ込んだのである。散々馬鹿にされた礼を返した上で「溜まったモノ」を解消し、罪を全て被って貰うために。


「わかってんな? これから始まる『撮影会』の内容をバラまかれたくなけりゃあ――俺達の指示に従え。拒否権なんてねぇからな」

「全世界にエロい自分を暴露されるのと、ここでちょっと悪さしたことにされるのと――どっちがマシか、世間体が大事なお嬢様ならわかるよなぁ?」

「うぅっ……!」


 胸を揉まれ、尻を撫でられ――わざと屈辱を与えるかのように、一つ一つゆっくりと服を脱がせながら。ならず者達は言葉巧みに、麗を追い詰めて行く。

 ブレザーの上着。シャツ。スカート。ストッキング。靴下。――純白のブラジャー。一番大切なところを隠しているパンティを除く全てを剥ぎ取られた麗は、抵抗らしい抵抗も許されないまま、組み伏せられてしまった。

 ――そして。飢えたケダモノの手が、その最後の砦に迫る。


(……お兄ちゃんっ!)


 自らの貞操に、絶体絶命の危機が訪れたと実感した彼女は――亡き者であるはずの兄に助けを求め、声にならない叫びを上げる。

 だが、そんな叫びを聞き取れるものが、いるはずが――


「そこまでだ!」


 ――いた。そこには、確かにその男がいたのだ。いるはずのない場所に立ち、夕日の光を背に受けて。


「……!」


 その輝かんばかりの勇姿を前に――麗は目を剥き、驚嘆のあまり言葉を失った。先ほど、自分が罵倒したばかりの伊葉和士が――この場に駆けつけてきたのだから。


「て、てめぇ……伊葉!」

「なんでここが……!」

「親切なお友達が教えてくれてな。――さて、言い残すことはあるか落ちこぼれ共」


 間山と倉知は、その天敵の登場を前に動揺を走らせ――互いに顔を見合わせる。そして、互いに冷や汗を頬に伝わせながら、威勢良く立ち上がった。


「いい気になんなよ、伊葉ァ。この生意気女の調教は、あくまで延長線上のことに過ぎねぇ。本来の狙いは――」

「――お前なんだぜッ!」

「……!」


 そして見せつけるかのように、白い「腕輪型着鎧装置」を空に翳し――彼らの全身を、白く簡素なヒーロースーツが覆って行く。間違いなく、盗難された訓練用のものだ。


「貴様ら、どこまでも下衆な……! こんなケンカ如きのために、着鎧甲冑を奪ったのか! 一体貴様らは、何のためにこのアカデミーにっ!」

「うるせぇな。お前みたいなヤツがいるせいで、外部でナンパしても女が寄らねぇんだよ。こっちは溜まって溜まって溜まる一方なんだっつーの!」

「このクソ女は優しくしてやりゃあ付け上がるしよ。もう俺らも、我慢の限界ってやつなのさ。この力でてめぇを再起不能になるまでボコったあと、この女を嬲って弱みを握る。最後はこの女に自分がやったと言わせりゃ、ミッションコンプリートってことさ」

「貴様らッ……!」


 着鎧甲冑を纏い、気が大きくなった倉知と間山は、口々に身勝手な計画を語ると――麗の方に振り返る。その粘つくような眼差しを浴び、彼女は思わず身を竦ませる。


 だが、彼女が怯えたのは自分が犯されるから、ということだけではない。自分を助けるために来た和士が、着鎧甲冑の馬力で暴行を受けることになる――という未来が、その胸中にのしかかっているのだ。


 如何に腕っ節に差があろうと、使用者に超人的身体能力を齎す着鎧甲冑を纏えば、そんなものは容易くひっくり返る。アカデミーの学生ではない彼女から見ても、それは明らかだった。


「へへへ……さぁ、今までの分。たぁっぷり礼をさせて貰おうか! 二度とデカイ口が利けなくなるよう、両手両足へし折って、芋虫にしてやる!」

「そのあとはこの女だ。生意気な口利いてくれた分、今まで俺達が溜め込んできた分、全部そのエロい身体に叩きつけてやる! ……へへ、こりゃあ孕んじまうかもな。今のうちに、ガキの名前でも考えときな」


 血と女に飢え、ヒーローの道から外れたならず者が二人。この学び舎に、悲劇をもたらそうとしていた。


「……ッ!」


 絶体絶命であることは、誰の目にも明らか。――しかし、それでもなお。和士は心を折ることなく男達に向き合い、拳を構えて見せる。

 一歩も引き下がらない、その毅然とした姿勢に男達は嘲るように笑い、麗は表情を驚愕の色に染めた。


「ほっほぉ! 面白れぇ! この状況で、俺達と一戦交えようってか!」

「さっすが次席様! いつも俺達には真似出来ねぇことやってくれるね! やりたくもねぇけどな!」

「な、にを……! に、逃げて……!」


 震えながら、それでも声を絞り出す麗。そんな彼女を遮るように、下品な笑い声を上げるならず者達。彼らを射抜く和士の眼差しは――猛々しさをその奥に宿している。決して譲れぬという、決意の炎を。


「――悪意から人を守れないで、何がヒーロー。君は、そう言ったな」

「……!」

「その通りだと思う。R型よりG型の方が、荒事に向いているのは事実だ。――だがな」


 その姿勢のまま、一歩踏み出る和士。彼の気勢に触れてか――圧倒的な優位に立っていながら、男達は僅かにたじろいでしまった。


「武器の一つも持たないR型にだって――この拳がある。着鎧甲冑が持っている力は、武器の有無で危険か否かが分かれるような、生半可なものじゃない」

「……」

「――だからこそ。それをこんなことに使うこいつらを、許すわけにはいかないんだ!」


 さらに踏み出し、仇敵の目前に進み行く和士。その気勢に飲まれまいと、ならず者達は声を張り上げる。――だが、その言葉は和士をさらに焚き付けるものだった。


「ナ、ナメんじゃねーぞ! あんなカッペ野郎に遅れをとったエセエリートが!」

「あんなヤツに首席譲ってる時点で、てめーの威厳なんて高が知れてんだよ!」


 それが誰を侮辱している言葉なのか――と、和士が思考を一瞬だけ巡らせた瞬間。彼の脳裏を通う脳細胞がプチンと切れ、その眼差しにさらなる「殺気」が宿る。

 自分達が言ってはならないことを言った――と気づかない彼らは、その身が凍るような威圧感に触れて、無意識のうちに引き下がってしまった。


「――口に気をつけろ。あいつをバカにしていいのは、この世界で俺一人だ……!」

「ひ、ひっ……!?」

「バカヤロウ、ビビッてんじゃねぇ! どんなに粋がろうとあいつは生身! 着鎧甲冑を装備した俺達の敵じゃねぇ!」


「嘗めるなよ。前へ踏み出すこの一歩に、強いも弱いもない。勇気があるかないか、それだけだ!」

「……!」


 気圧されるあまり、物理的に有利な立場であるはずの間山が引き下がる。倉知はそんな彼を怒鳴りつけると、拳を鳴らしながら和士ににじり寄って行く。

 彼の言う通り、如何に気迫で勝っていようと、現実の腕力では向こうが明らかに上。自分に迫ってくる着鎧甲冑と対面し、和士は改めてそれを実感し、頬に冷や汗を伝わせる。

 だが、それでも。彼は恐れを顔に出すことなく、毅然と向き合って見せた。


「試してみるか? ――落ちこぼれ共ぉぉおぉおッ!」


「や、やめてぇえぇえッ!」


 そして――麗の悲痛な制止に、耳を貸すこともなく。その身を弾丸のように撃ち出し、彼は勝ち目のない戦いへと飛び込んで行く。

 効率的とは程遠く、海外の大学を卒業した秀才にあるまじき行い。その無謀窮まりない姿は、あの日垣間見た親友の「勇気」を追い掛けているようだった。


 ――が。


「わぁあぁあぁあ!」


 この緊迫した一瞬をぶち壊すような、間抜けな悲鳴が響き渡り――和士の目が点になる。


「へ」


 そんな彼が、思わず腑抜けた声を漏らしてしまった瞬間。同じく何事かと歩みを止めた倉知の頭上に――青い物体が激突した。

 悲鳴を上げる暇もなく、人の形をしたその物体の尻に押し潰された倉知は、瞬く間に意識を失い――着鎧を解除されてしまう。


「いったたた……! すげぇ性能だべな、これ。訓練用とは全然違うべ」

「海原……!」


 青い物体――否、口元をシールドで防護している蒼いヒーロースーツ「救済の超水龍」を纏う彼の、聞き慣れたその声色に触れ、和士は思わず声を上げてしまった。

 ほとんどの着鎧甲冑は人工呼吸を円滑に行うため、マスクの口元部分を唇型に設計してある。だが、この「救済の超水龍」は水中活動を意識して設計された特別製であり、口元は水の抵抗を左右に流すためのシールドで覆われている。

 久水茂からその資料を渡されていた和士は、彼の声と蒼いカラーリング、そしてその外見的特徴から瞬時に凪だと判断することが出来たのだ。


 ……訓練中に、暴走してここまで吹っ飛んできてしまった、ということも。


(大方、訓練用「救済の龍勇者」との性能差に対応出来ず、勢い余ってここまで跳んできたってところだろう。パワーだけなら、かの「救済の超機龍」にも迫るポテンシャルと書いてあったし……はぁ……)


 そんな大変な代物を預かるルームメイトの、その能力に見合わない間抜けな姿にため息をつく。俺の決死の覚悟を返せ、と愚痴るように。


「ひ、ひぃぃいい!」

「こ、この着鎧甲冑は……!?」


 だが、その口元は安堵に緩んでもいた。(事故とはいえ)一瞬で倉知を無力化してしまった謎の着鎧甲冑の出現に、間山は尻餅をついて怯え切っている。もう、彼らに逃げ場はない。

 麗もその見慣れぬ着鎧甲冑の登場に、驚愕しているようだった。


 思わぬ形で勝利をもぎ取ってしまった和士は苦笑を浮かべ、未だに状況が見えず左右を見渡している凪を見遣る。


「あれ? 和士くん? おっかしいべ、おらぁ、ついさっきまで校舎中央の訓練場にいたはずなんだども……」

「……はは、助かったよ。ありがとな、海原」


 そして、尻餅をついたまま辺りをキョロキョロしている彼に、困ったような笑顔を浮かべ――その手を差し伸べるのだった。

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