第239話 鉄拳同士

 目撃した者は必ず半殺しに遭い記憶を失うため、確固とした証拠や証言が存在せず、半ば伝説となっている用心棒がいた。

 幼少の頃から武器密売シンジケートの兵士として育てられたその男は、今も己の意思を持つことなく冷たい拳を振るい続けているという。


「『鉄拳兵士』……! ただの噂じゃなかったんだ……!」


 その伝説を体現する存在を前に、ジェナは戦慄する。次いで、状況に追い付いた頭を働かせ――腰のホルスターから拳銃を引き抜いた。

 しかし、その銃口が銅色の戦士に向けられる直前。拳銃を握る手に、龍太の掌が添えられた。

 思いとどまるよう、諭すように。


「イチレンジ先輩……!?」

「残念だが、ジェナではあいつは止められない。広範囲に渡る火炎放射器の攻撃さえかわす速さなんだ、拳銃で捉えるには無理がある」

「だけどっ……!」


 なおも食い下がるジェナ。その瞳には、彼女の十五年間を支えてきた強固な意志が宿っている。

 彼女がこうなってしまったら、テコでも動かなくなることは龍太もよく知っていた。身体能力に優れたダスカリアン人の例に漏れず、彼女自身も保安官として非凡な才能を持っていることも承知している。


 しかし、それでも。鋼鉄を纏う超人の相手を、生身の彼女にさせるわけには行かなかった。――戦う者としての土俵が、そもそも違うのだから。


(……つっても、この娘がそれで納得するとも思えないんだよなぁ。ほっとけば勝手に向かって行きそうだし……よし、ここは……)


 そこで、龍太は彼女にさらなる大役を与えることに決める。

 彼女の手腕を発揮するに足るステージへ、誘うために。


「ジェナ。お前は奴らのボスを追ってくれ。こいつは俺がなんとかする」

「せ、先輩……だけど!」

「このまま奴らを逃がせば、必ず準備を整えて仕返しに来るだろう。そうなりゃ、確実に大勢の人が危険にさらされることになるんだ。お前が行かなくちゃ、この国が危ないんだぞ」

「くっ……!」


 ジェナは焦りを滲ませた表情で視線を泳がせる。だが、龍太の言うことが事実であることも、迷っている時間がないことも確かであった。

 多くの人々を守るために、自分が為すべきこと。僅か数秒でそれを見極めた彼女は、拳銃のグリップを握り締め――顔を上げた。


「……先輩、必ず応えて見せるから!」

「ああ、期待してるぜ!」


 刹那、彼女は勢いよく地を蹴り――アジトへと乗り込んで行く。疲労と恐怖で戦意を喪失してしまった今の私兵達では、ジェナ一人にも敵わないことは明白であった。


 勇ましく敵地へ踏み込んで行く彼女を見送り、龍太は「鉄拳兵士」の方へ向き直る。

 銅色の戦士は両拳を構えたまま、静かに龍太の出方を伺っていた。


「なるほど、ボクシングのスタイルってわけか。……しかしあんた、随分と慎重なんだな。俺を倒せるチャンスならいくらでもあったはずだが」

「……お前が見え透いた奇襲で勝ちを拾える相手だとは、思わん……」

「ほう、随分と高く評価されてるらしいな」

「事実を述べているまでだ」


 その冷淡な口調に反して、彼の両拳は既にこれから始まる闘いを期待し、武者震いを始めている。その姿を一瞥した龍太は、僅かに目を細め――瞬時に「救済の超機龍」を纏うのだった。


「さすが、『鉄拳兵士』様はお目が高い。ジェリバン元帥にも負けてないぜ。……もっとも、その鎧はそろそろ博物館入りだろうがな」

「……!」


 言葉の最後に付け足された単語に、「鉄拳兵士」は反応するように一瞬だけ両肩を震わせた。

 軽いフットワークで常に体を揺らしている彼にとっては微々たる動きであったが、それを見逃す龍太ではない。

 仮面の奥の瞳を細め、口元を静かに緩ませる。そして、自らが知り得る「鉄拳兵士」の全てを語るのだった。


「『鉄拳兵士』――本名、真壁悠まかべゆう。日本人ではあるが、出生後間も無くダスカリアン王国に渡って来た移民の一人。十五年前のジェノサイドで両親を失った後、武器密売シンジケートに拾われ、用心棒として育成される」

「……ッ!?」

「その後はシンジケートが戦乱に乗じて奪取した、『銅殻勇鎧』の先行試作型を使って組織お抱えの用心棒となった……どうだ? タレコミだが、そこそこ信頼できる筋からの情報だからな。まるっきりハズレでもねーだろ」


 龍太の発言に対し、「鉄拳兵士」は何も答えない。しかし、そのフットワークには微かな乱れが出来ていた。

 彼が言う通り、全て外れているような見当違いの情報だったならば――こんな影響は出ない。思うところがなければ、このような反応はあり得ないのだ。


「――ジェノサイドが起きた当時、遺体が発見されなかった子供のリストにあんたの名前があったらしくてな。あんたが過去の活動で現場に残した指紋や頭髪を研究して、ようやく繋がったんだ」

「……」

「政府が公にしないはずさ。なにせ、今は日本の助けがなきゃ国が存続できない状況なんだ。そんな中で日本人への憎しみに拍車を掛けるような情報が出回ったら、それこそダスカリアンは自滅の道にまっしぐらよ」


 現地のダスカリアン人に彼を始末させては、その情報が漏れてしまう。牛居敬信が日本政府を代表して、日本人の龍太にシンジケート壊滅を依頼した理由の一つは、彼にあったのだ。


 彼自身にどのような思いがあって、シンジケートに与しているかは知らない。それでも龍太は、同じ日本人として彼を見過ごすわけには行かないと――拳を握るのだった。


「――さあ、かかってきな。長かったあんたの闘いに、幕を引いてやるよ」

「……ッ!」


 そして。

 その一言を合図に――戦いの幕が上がる。


 「鉄拳兵士」の速攻が始まったのは、その直後だった。


「おっ……と!」

「……シッ!」


 手数とパワーを共有する、拳という弾丸の雨が降る。その連撃を、龍太は紙一重でかわし――適度な間合いを確保する。

 しかし、流れは「鉄拳兵士」にあった。


 素早いジャブやフック、ストレートの連打は龍太を徐々に後退させ、追い詰めて行く。

 横転した装甲車を背後にした瞬間、彼は大きく跳び上がり……相手の視界から逃れるように、車体の裏側に着地するのだが。


「……ォオッ!」


 地の底から唸るような叫びと共に――「鉄拳兵士」は装甲車をアッパーで殴り飛ばしてしまった。車体の向こう側に降りた龍太に、その鉄塊をぶつけるために。

 いかに「救済の超機龍」と言えど、十数トンの装甲車をぶつけられては、ひとたまりまない。


 そう。それを纏う人間が、「超人」に近しい「人間」である一煉寺龍太でさえなければ。


「――ホワチャアアアッ!」


 怪鳥音が轟く瞬間、龍太の蹴り上げが装甲車を舞い上げ――彼の後方に墜落する。その衝撃で砂埃が吹き上がり、夜空を覆い隠してしまった。


「ひ、ひひぃあぁっ!」

「うわぁああぁああっ!」


 人智を超えた、超人同士の戦い。その激しさを肌で感じた特捜隊の兵士達は、武器を捨てて戦場から散らばって行く。


(……いいんだぜ、怖いなら逃げても。その方が、俺としても戦いやすくていい――が)


 龍太はそんな彼らを一瞥し、踵を返して「鉄拳兵士」に背を向ける。しかし、銅色の拳士は両拳を構えたまま、動き出す気配を見せなかった。


 ちらり、とそんな彼の様子を見遣りながら――龍太は気絶しているルナイガンを担ぎ上げた。


(誰か一人くらい、助けてやれよなぁ。お前らの隊長だろうがよ)


 胸中でぼやきつつ、彼はルナイガンを唯一無事なトラックの荷台に寝かせる。その作業を終えて元の位置に戻ってくるまで、「鉄拳兵士」はただ静かに待ち続けていた。


「……あんたなら、待っててくれると思ってたよ」

「……言ったはずだ。見え透いた奇襲になど、頼るつもりはない」

「カッコいいねぇ。……悪党なのが勿体ない」


 龍太の感心した声が「鉄拳兵士」の聴覚に届く瞬間。

 彼は、再び攻撃を再開する。


 十数メートルの間合いを一瞬で詰め、低姿勢からのアッパーカット。弾丸の如く――という言葉が比喩にならないほどの速さだった。


 しかし。


「がっ……!」


 「鉄拳兵士」の拳は、龍太の仮面の鼻先を掠め――


「速いな」


 ――龍太の上段回し蹴りが、「鉄拳兵士」の三日月を打ち抜いていた。


 頬と顎の中間に存在する急所に痛烈な一撃を浴びた銅色の身体は、激しく回転しながら地面に墜落する。

 その様を見届けた龍太は、確かな手応えを感じていた。


 一秒にも満たない時間の中で交わされた攻防。その一瞬を制した彼は、身を震わせながらも立ち上がる「鉄拳兵士」の背を見つめ、思案する。


(見え透いた奇襲になど――か。やはり、ただの戦闘マシーンじゃなかったな)


 「鉄拳兵士」は今まで、数多くの人間を半殺しにしてきた。軍人、傭兵、要人、偶然現場に居合わせた民間人……。彼の手に掛かった人々の痛みは計り知れない。

 しかし、彼は記憶を失わせるような打撃のみを繰り返し――誰一人として殺してはいなかった。殺すよりも何倍も難しい戦い方を、選び続けていたのだ。


(俺にこだわっていることといい……なんで、こんな奴が……)


 その理由を知ることに価値を見出す龍太。気づけば彼は、敢えて構えを解き――片膝で辛うじて立っている「鉄拳兵士」に歩み寄っていた。

 そんな彼を、銅色の男は静かに見上げている。


「……さっきはちと惜しかったが、見事なパンチだった。俺でなきゃ、確実に入ってたろうよ」

「……」

「その見事な腕前ついでに、ワケを聞いてもいいかな。それだけの力を、シンジケートに捧げている理由」


 「鉄拳兵士」が、その強さを悪事に委ねている現状。その経緯を尋ねる龍太に――彼は沈黙と。


「……シィッ!」


 ――拳で答えるのだった。お前に語るつもりはない、と。


 それも想定に含んでいた龍太は、片膝の体勢から繰り出されて来たストレートをスウェーでかわす。

 ……しかし、「鉄拳兵士」の攻勢はそれだけでは終わらなかった。


「……ッ!」

「な……ッ!」


 紙一重でかわした龍太の首に、パンチをかわされた腕が勢いよく絡み付く。スウェーで避けられることを想定した動きだった。

 向こうも、こちらの動きを読んでいたのである。


 そして、たじろぐ暇も与えず――龍太の眉間に、一角を突き刺すように放たれた頭突きが炸裂する。

 その一撃は「救済の超機龍」の仮面を貫き、龍太自身の生身を傷つけた。


「……!」


 悲鳴を上げるまもなく、龍太の身体は膝から崩れ落ちていく。

 その時――地に倒れ伏す彼を、「鉄拳兵士」が受け止めた。


「……」


 銅色の男は無言のまま、龍太の身体を静かに寝かせる。容赦のない攻撃を繰り返した伝説の用心棒とは、別人のようだった。


 再び、静けさを取り戻す荒野の戦場。その周囲を見渡した後――「鉄拳兵士」は踵を返し、アジトへと帰還していく。


 ――だが。


「……やっぱ、強いな。あいつ」


 打ち倒されたはずの「救済の超機龍」は……一煉寺龍太は。


「あいつなら、俺がマジになっても大丈夫そうだ」


 額から血を流しながら――ゆらり、と立ち上がるのだった。


 その全力を縛る、電磁警棒を投げ捨てて。

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