第214話 真理と力と三つの影

『はぁあああッ!』


 ついに幕を開ける、救芽井とラドロイバーの闘い。

 先手を打つべく最初に動き出したのは、救芽井の方だった。


 地を蹴り、矢のように打ち出された身体から拳が振るわれる。弧を描くように放たれたその一撃は――ラドロイバーの肩をかすめ、空を切る。

 足捌きにより紙一重でかわすラドロイバー。その表情に、動きはない。


『くっ!』


 だが、救芽井の攻勢もこれで終わりではない。パンチが空振りに終わる瞬間、屋上に足を着け……そこからのワンステップで、一気に間合いを詰めて行く。


『うああぁあぁッ!』

『……』


 次いで、機関銃のような乱打が始まる。手数のみに賭けた力押しの技だが、着鎧甲冑の拳で繰り出す以上、一発でも生身に当たれば痛いじゃ済まない。

 ――が、ラドロイバーには一発も当たっていなかった。少なくとも見た目は生身のままだというのに。狭い民家の屋上だというのに。


 やはり、あのコートの下には何かある……!


『は、はぁ……はぁっ……』

『……近接格闘において、スタミナ切れを相手に悟られる事態は致命的です。素人が撃つ鉄砲玉では決定打にはなり得ません』


 救芽井がラッシュを始めて約三分。スタミナの限界を感じた救芽井は一旦間合いを離し、息を整えているが……ラドロイバーの方は、汗一つかいていなかった。

 ――しかも、二年以上前から拳一つで着鎧甲冑や自身を狙う悪漢と戦ってきた救芽井が、素人扱い。この腕前、仕込んでる兵器だけのおかげじゃなさそうだ……!


『あなたが取るべき策は一つ。着鎧甲冑の機動性を活かして私を撹乱し、撤退すること。少なくとも、その程度の動きで私を捉えるのは不可能ですから』

『ひ、ひりりん様っ! これ以上は危険です、お逃げください! 私達は大丈夫ですからっ!』

『……残念だけど、それだけはあり得ないわ』


 ラドロイバーは息を乱している救芽井に、退却を呼びかけている。一見、敵に塩を送っているかのようにも見えるが――この言葉こそ、彼女が云う撹乱なのだ。

 ここで救芽井が撤退する……つまりラドロイバーをロストすれば、再び作戦はふりだしに戻ってしまう。そうなれば、次にラドロイバーを発見するまでにどれほど被害が広がることになるか。

 それが見えていた救芽井に、撤退の二文字はない。他の分隊が集結するまでの足止め、それこそが彼女の任務なのだから。


『……あなたは勘違いをしています。これは勧告ではありません。命令です』

『ならば尚更、あなたの指示には従えない! あなたは、絶対に――ここで食い止めるッ!』

『……』


 その思いに突き進むまま。

 救芽井は再び拳を振り上げ、ラドロイバーに向かって行った。


 そして。


『……がっ……!』


 再び拳は虚空を切り裂き。


 悲鳴を上げる暇もなく。


 彼女の鳩尾に、ラドロイバーの膝が突き刺さる。


『命令違反は、重罪です』


 次いで、感情のない、冷たい声が風に乗り。集音マイクを通して、俺の聴覚に届く頃。

 救芽井は膝から崩れ落ちるように、倒れ伏していた。


 その様子を見下ろす彼女の瞳に、光はない。まるで、羽虫が落ちていく姿を眺めているかのようだった。

 ……彼女にとって、救芽井は倒すべき外敵ですらなかったのかッ……!


『ま……ま、ちな、さっ……』

『……意識は保っていましたか。さすがにそこまで貧弱ではなかったようですね』


 ――だが、そんなラドロイバーの評定を、救芽井は覆して見せた。

 震える腕を伸ばし、踵を返したラドロイバーの片足にしがみついたのだ。すがりつくように彼女を捕まえているその姿からは、ここで逃がせば更に町が燃やされると、自身を奮い立たせている意志が伝わってくる。

 その決死の思いが、立ち去ろうとしたラドロイバーを引き止めていた。


 しかし、ラドロイバーの顔色は変わらない。彼女は石ころを蹴るような仕草で、救芽井を簡単に振り払ってしまう。


『あうッ!』

『……ですが、これでわかったでしょう。所詮、力の伴わない正義に値打ちなどないのだと』

『……な、んですって……! あ、あぁっ!』


 屋上に打ち捨てられた救芽井は、震える身を起こそうとする。しかし鳩尾に入った衝撃は想像以上だったらしく、短い悲鳴と共に倒れこんでしまった。


『あなた方がどれほど気高い精神で、着鎧甲冑の兵器化を封じてきたか。私も知識だけなら知っているつもりです』

『なら、どうしてこんなッ……』

『――知った上で、愚かであると感じたからです』

『なんですって!?』

『言語も文化も常識も違う。そんな人間ばかりがひしめき合うこの星に、あなたが掲げるような薄甘い理想はあり得ない。あるとすれば、それは全てを屈服させる圧倒的な武力によってのみ実現しうる概念です』


 救芽井を煽るような言葉を選び、ラドロイバーは淡々と語る。まるで、事務的に授業を進める教師のようだ。


『……それでも、私達はッ……!』

『その「それでも」という想いの果てにあるのが、この状況なのですよ。命を救う力は、兵器に始まる武力ありきのもの。優しさとは、強さのあとについて来るものなのです』

『うッ……!』


 しばらく救芽井を見下ろしていたラドロイバーは、そこで言葉を切ると再び踵を返してしまった。一瞥する価値もない、と背中で語るかのように。


『……ダスカリアン王国の姿をご覧になればお分かり頂けることでしょう。あの国は日本の支援がなければとうに崩壊し、諸外国の紛争に巻き込まれ国土も分裂していたはず。生き延びた元国民も、流れた先の紛争に駆り出され、同郷同士で殺し合っていたかも知れません』

『……な、なにが言いたいの』

『そんな国を日本が助けられたのは、日本に力――すなわち知力と財力があったからです。それがなければ、日本は滅びて行く王国の姿をただ眺めるしかなかったはず』

『……』

『ですが。その逆は決してあり得ない。ダスカリアン王国が日本を助けることはない。強さを持たないダスカリアンに、そんな余力はないのですから。そしてそれをわかっていながら、なお日本が援助を続けられるのも、仇で返されても受け止められるほどの「武力」の賜物。あなたの語る理想は、あなたが良しとしない「力」によって守られてきたのです』

『……そ、んな』


 責めるような口調ではない。ラドロイバーはありのままの真実を、諭すように並べている。

 確かにラドロイバーの言うことにも一理はある。しかし、その武力が暴走すれば悪戯に被害を振りまいてしまうことだってあるはずだ。あの、瀧上凱樹のように。

 だからこそ、当たり前のように兵器として着鎧甲冑を扱う相手にこの力を渡すわけにはいかないんだ。

 ……しかし、救芽井は根っこの理想を大切に抱えて生きてきたためか――俺以上に重く、彼女の言葉を受け止めているようだ。物理的なダメージ以上の痛みが、指先の震えに現れている。


『母は強くなければ、我が子に無償の愛を捧げることすら叶わない。それと同じなのですよ』

『……』

『――尤も、あなたの思い描く未来も嫌いではありません。やり方さえ違わなければ、あなたとは上手く付き合えたことでしょう』


 そんな救芽井の衰弱した姿を、再び一瞥するラドロイバー。その瞳には、哀れみの色が滲んでいる。

 もう、救芽井に彼女を引き留める余力はない。彼女を止めるために一番必要だった「力」が、届かなかったことに心を折られてしまったのだろうか。


『では――さようなら。夢見る可愛い女の子』


 そして、改めて立ち去ろうとするラドロイバーが。


 皮肉るような捨て台詞を残す――


『確かに、貴様の言うことは正しい。どのような御託を並べようと、弱肉強食こそが真理。世を統べる資格は強者にのみ与えられる』


 ――瞬間。


『……だが、その真理に則り勝利するのは貴様ではない』


 金、銀、銅。三つの影が、青空から舞い降りる。


『我々だッ!』


 ――そう。

 第二ラウンドは、まだ終わってはいない。

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