第208話 最初で最後の決戦日和

 鮎美先生が運んできた報せは、ラドロイバー発見という衝撃の内容だった。

 その名が出てきたことに、一同は戦慄を覚え――誰もが、迫る嵐の激しさを予感する。


「――来たか」


 その宣告に微塵も臆することなく、茂さんが立ち上がる。既にその右手には、黄金の腕輪が巻かれていた。


「我が久水家直属の親衛G型部隊を伴い、エルナ・ラドロイバーを直ちに発見、捕縛する。……行くぞ梢、松霧町へ」

「――はい。直ちに」


 いずれはこの時が来ると常に想定し、警戒していたのだろう。久水先輩も慌てる様子を見せることなく、淡々と兄の命に応じていた。


「では父上。カラオケ対決の決着は次の機会に」

「……おう、行ってこい。せっかく久水流を修める決心を付けたんじゃ、先祖に誇れる戦をしてこい」

「くれぐれも気をつけるのですよ……茂、梢」

「お任せを。必ずや、開祖に勝る戦果を挙げましょうぞ」


 両親に挨拶している彼の横顔は、勇ましくも生気に溢れている。刺し違えてでも――などというような後ろめたさはない。


 ……今朝方、毅さんから久水流の開祖――久水忍の話を聞いたことがある。


 大正七年に当たる一九一八年に久水流銃剣術を編み出した彼は二年後、京都に妻子を残してシベリアに赴き――戦死したという。

 シベリアからの撤兵が声明される大正十一年まで生き延びた彼の部下は、「何をおいても生き延びることこそ、最大の戦果」としていたと、彼の人柄を語っていたそうだ。

 その信念に沿うならば、彼はその「最大の戦果」を挙げることは叶わなかったのだろう。


 生き延びるという、何より勝る戦果を得られなかった開祖。その開祖を超える戦果を挙げるということは――必ず生きて帰って来る、という決意の証なのだ。


 命を賭し、その上で生き延びることを望む。危険を代償にしてなお、生を勝ち取る。

 それこそが、「人間」が強くある仕組みなのかも知れない。命を顧みないのではなく――顧みるからこそ、その重さを守るために戦おうとしているのだ、彼は。


「鮎美さん、『超機龍の鉄馬』の調整は?」

「システム自体は出来上がってるし、あとは鮎子の脳波を受信させるだけよ。……ただ、エネルギー充電とエンジン出力調整には少々時間が掛かるわ」

「――出発までに日付が変わらなければ十分です」


 鮎美先生と短い言葉を交わし、茂さんは素早い足取りで屋敷の出口へ向かう。彼の従者達も、緊急出動に臨むレスキューヒーローに負けない速さで行動を起こしていた。


「茂様。今からですと到着予定時刻は午後三時半となります。それから現地に遣わした調査員によりますと、救芽井エレクトロニクス直轄のG型機動連隊とレスキューカッツェが警戒を強化。ラドロイバーの追跡に当たっているとのことです」

「戦闘による火災で町を焼かれんためのレスキューカッツェか……。もしくは戦闘が長期化した場合のバッテリー補給要員でもあるのだろうが、戦闘能力を持たない彼女達は状況次第では獲物にしかならん。それまでに我らの親衛G型部隊を機動連隊と合流させておけ。か弱いレディには指一本触れさせぬよう伝えろ」

「かしこまりました」


 早歩きで廊下を歩く茂さんの背後につき、セバスチャン――じゃなくて瀬芭さんが状況を伝える。レスキューカッツェ……フラヴィさん達も来てるのか……。

 茂さんは瀬芭さんの語る現状に対し、しばらくは背を向けたまま対応していたが――


「それともう一つ。誰一人として、犠牲になることは許さん。全隊員に生還を厳命せよ」

「……仰せのままに」


 ――振り返り、その一言を言い放つ様は、随分と堂に入っている。こういう当主らしいところをいつも見せてくれりゃあ、素直に先輩ヒーローとして立てようって気にもなるんだがなぁ。


 とにかく、俺達もこうしちゃいられない。

 俺と鮎子は互いに目を合わせて頷き合うと、互いの部屋へ駆け出して行く。今すぐとは行かないが、俺達も戦闘準備だ。


 燃え滾るような色遣いのユニフォームに袖を通し、暑苦しい鉢巻をきつく締める。

 不思議と今日は、服を着る動作一つにも力が入ってしまう。それに、よく見ると指先の先端だけが僅かに震えているようだった。

 ――武者震いか。恐れか。答えなら、すぐに出るさ。


 せめて、先輩の出陣くらいは見送ってやろう。その一心で門前に駆けつけた頃には、既に久水家のヘリが旋風を起こしていた。


 見送りは――いない。ヘリの中から威風堂々と身を乗り出している茂さんの両脇は、瀬芭さんと久水先輩に固められていた。


「……なんだよ、見送りは俺だけか」

「必要なかろう。ワガハイが命じた以上、全員の生還は確定された。見送りというものは、その者の未来を案じるがゆえに行うもの。ワガハイには不要である」

「随分な自信じゃねーか。それでコテンパンにされたら格好つかないぞ」

「格好ならつくさ。むしろ、我々だけで決着がついた時に肩透かしを食らうのは誰かな」

「……その方が、俺も鮎子も楽でいいんだがな」


 この土壇場でも、茂さんの姿勢には一片の揺らぎもない。俺の心配が馬鹿らしくなるほどに、恐れや焦りというような負の感情からは遠いところに立ち続けている。


「確かに、な。我々の敵はラドロイバーだけではないのだからな」

「なに?」

「――日本政府の連中が、この件がここまで拡大していることに感づくのも時間の問題だ。そうなれば、我々に手を引くよう厳命し――国家権力を利用して脅しに来ることも考えられる」

「……!」

「そうなる前に手を打たねば、どの道ダスカリアンにもあの王女にも未来はなくなる。今日を逃せば、次はないと思った方がいい」


 ……瀧上凱樹を切り捨て、四郷姉妹を見殺しにしようとした日本政府――か。確かに、その線もあるかもな。

 敵はラドロイバーと――時間。全てを解決するチャンスは茂さんが言う通り、今日しかないのだろう。


「――そうだな。明日はない。今日を、決戦にしよう」

「うむ。貴様も、その意気でワガハイに続くがいい。……瀬芭、出陣だ!」

「ははっ!」


 そして、茂さんの命令に応じる瀬芭さんの声に応じて、ヘリは勢いよく上空へ舞い上がる。これから赴く、戦地を目指して。

 俺はしばらく、微動だにせずにその出発を見送っていたが――


「……!」


 ――ふとした瞬間、久水先輩の姿が目に入り。思わず、目を見張る。


 彼女は、地上の俺に向けてあるサインを送っていたのだ。

 中指、人差し指、親指の三本を立て、手の甲を相手に見せるようにして額に翳す。

 ――俺が所属していた、レスキューカッツェ特有の敬礼だった。


「……」


 レスキューカッツェは追っかけ対策として、隊員個人の情報から訓練内容に至るまで、救芽井エレクトロニクスによってあらゆる情報が秘匿されている。

 にもかかわらず、あのローカルルールをどこで知ったのか。どうやって知ったのか。


 皆目見当つかないが――ただひとつ、はっきりしていることはある。

 そんな細かいところまで知ろうとするほどに、彼女は俺を愛してくれていた。それだけは、たぶん確かだ。


「……ありがとな、こずちゃん」


 その気持ちには応えられなかったが――せめて、敬意として応じよう。きっとそれが、今の俺の精一杯だから。


 レスキューカッツェ式敬礼で送り出す俺を背に、ヘリはさらに高く舞い、遠くへ飛び去って行く。

 見えなくなるまでに、そう時間はかからなかった。

 ――そして。


「……参ったな。震え、止まらねぇ」


 すぐにでも追いたい、力になりたい。そんな俺の思いが、この拳を震わせていた。

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