第199話 茶番劇の始まり

「こ、梢……」

「……さ、こちらざます鮎子。鮎美先生も、どうぞこちらへ」

「……えぇ、失礼するわ。――その髪も、似合ってるわね」

「――ありがとうございます」


 短く切り揃えられた久水先輩の髪が、風に流され僅かに揺れる。その姿を遮るように、茂さんは一歩ずつこちらへ踏み込んでくる。

 ――右腕に、黄金の輝きを放つ腕輪を携えて。


 一方、久水先輩は俺を一瞥すると、四郷姉妹の方へと声を掛けていた。当然といえば当然だが、随分と素っ気なくなってしまったもんだ。


「入院している間の貴様のことは、こちらで一通り調べてある。貴様が、とうとう一人に決めたこともな」

「……そうか。報告が省けて助かる。決闘が済めば、その件であんたに謝らなけりゃならないだろうが――」

「――必要ない。梢がいかに貴様を想おうと、全ては互いの心次第。貴様は梢を選ばなかった。それだけの話だ」


 そして、茂さんは刺し貫くような眼光を一寸の狂いもなく――ただ真っ直ぐに、俺に叩きつけている。

 言葉遣いこそ穏やかだが、その眼の色は滾る戦意を隠そうともしていない。


「オレが許せないのは、そんなことではない」


 ……「オレ」、だと? 今までの茂さんじゃない……。

 これが、今目の前にいる男の、素顔だとでも言うのか……?


「誰よりも強く。それゆえに、誰よりも正しくあらねばならない貴様が。よりにもよって、あの『新人類の身体』の残骸に縋り、鮎子君を地獄に叩き落とそうとしていること。それだけは、何を置いても許すわけには、いかんのだ」

「――その業を背負わなければ、ダスカリアンとあの王女が滅ぶとしてもか」

「その通りだ。確かに貴様が手をこまねいていれば、あの国は滅ぶ。だが、あの国を見捨ててでも貴様が生きねば――貴様にしか救えぬ別の未来が、破滅を迎えるだろう」


 茂さんは言葉を紡ぎながら、決闘の間合いまで足を踏み込んで行く。

 そして、林から吹き抜ける一つの風が過ぎ去り――また一つ、言葉が流れ出る。


「今の貴様は、瀧上凱樹と何ら変わらぬ。目の前にある全てを救うために、己の中にある人間の心さえ、捨て去ろうとしている。本末転倒という言葉が、これほど似合う男はいまい」

「あんたの言うことは、もっともだ。間違いなく、俺は狂ってるだろうよ。間違ってるだろうよ。だがな、その正しさだけじゃ、あの国は救われないんだ。瀧上凱樹の犯した罪を、精算することさえ叶わないんだよ。俺が普通のヒーローとして生き延びることで、救われる命があるとあんたは言うが――俺にとっては、そんなあるかないかわからない未来よりも、目の前にある現実の中で苦しんでる人間の方が、何倍も大切なんだ」


 脳裏に、ダウゥ姫の姿が過る。

 茂さんの知らない、ただの女の子としての彼女の姿が。決して、犠牲にしてはいけない少女の姿が。


「その大切な人のために、貴様は鮎子君を修羅道の道連れにするというのか」

「四郷には、辛い思いをさせるだろう。恨まれもするだろう。それでも俺はやらなきゃならない。そのために戦って死ぬなら、諦めもつく」

「――いい加減に、目を覚ませ。いかな『救済の超機龍』といえど、所詮は人の手で造られたカラクリの鎧に過ぎん。万人を救える、都合のいい神にはなれんのだぞ」

「だったら、演じ切るまでだ。都合のいい神、って奴をな。そのためなら、人間だって辞められる」


 そんなところにまで踏み込んだ俺さえ、支えると言った矢村や救芽井のためにも、ここで立ち止まるわけには行かない。

 テコでも動かない俺の姿勢を前に、向かい合う茂さんと、奥の入り口で見守る久水先輩は、見定めるように目を細めた。


「……呆れましたわ。人の話も聞かないで、もう決闘を始めるつもりですわね」

「お姉ちゃん、先輩は長旅で疲れてるはずじゃ……」

「――そのはずだけど、あそこまで言っといて今更止まるとは思えないわね。どっちも単細胞の大馬鹿だわ」


 久水先輩にエスコートされ、彼女の隣に移動した四郷姉妹は、固唾を呑んでこちらを見つめている。


「太陽に近づき過ぎた英雄は、得てして翼をもがれるもの。ここで引き返さねば、貴様も地に堕とされるぞ」

「上等。なら、その太陽とやらもブチ抜いてやるまでだ」

「――やはり、決心は固いか。ならば、仕方あるまい」


 そして、強硬な姿勢を崩さない俺を前に、茂さんは一歩だけ下がると――右手に巻かれた黄金の「腕輪型着鎧装置」を構える。

 アレが、例の「二号ヒーロー」って奴だな……!


「力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力。少林寺拳法の理にもある言葉だ、貴様も知っていよう」

「……?」

「そう、正義は力によって守られ、力は正義によって秩序を得る。力がなければ、その正義は他の正義に蹂躙され、悪と見なされ破滅するのだ」


 茂さんの構えに応じてこちらも臨戦態勢に入るが、向こうは戦う気配を見せずに、諭すように語りかけてくる。


「それは、法整備が敷かれた現代においても変わらない。救芽井エレクトロニクスが正義を勝ち取り、軍事利用の魔の手から逃れられたのは、国連という力の傘に守られていたがために起きた奇跡に過ぎないのだ。それがなければ、救芽井甲侍郎はとうに暗殺され、着鎧甲冑の技術は戦闘用装甲服に成り果てていた。力が、正義を守ったのだよ」

「何が言いたい?」

「正義を成すのも壊すのも、結局は力次第、ということだ。松霧町に巣食う悪を力で粉砕した瀧上凱樹が、正義として認められていたように――貴様もまた、オレを屠ることで己の正義を証明しようとしている」

「妙なことを言う。それは、あんたも同じことだろうが」


「そうだ。どのような御託を並べようが、結局は強い者が正しい。この世界はそのように造られている。そんな世界に生まれ育ったオレ達が、その理から逃れることは永遠に不可能なのだよ――!」


「――ッ!」


 強い者こそが正しく、その真理からは逃れられない。そう言い切って見せた茂さんの眼に、一瞬にして炎が宿る。


 そこから迸る猛烈な殺気に突き動かされるように、俺も赤い腕輪を翳し――互いの身を、稲妻が覆い隠してしまった。


「だから――」


 そして、稲妻が作る煙が晴れる頃。

 「救済の超機龍」の鎧を纏った俺の眼前に、金色のヒーローが現れる。


 全身を覆う黄金のスーツ。各関節や胸板を守る、真紅の装甲。「龍」と刻まれた、和の鉄兜。

 そして、右手に握られた琥珀色の小銃。


「――なッ!?」


 「救済の龍勇者」の名残など、微塵も残していないその姿に、俺は思わず息を飲む。


「――あくまで己の正義を貫くというならば、力を以て通せ。貴様の矛が『救済の超機龍』ならば、オレの矛はこの『龍を統べる者タツノオウ』だ」


 そんな俺に畳み掛けるように、茂さんは威風堂々と構えたまま、決闘の開始を宣言するのだった。


「ついに、始まったのね……全く、二人ともせっかちなんだから……!」

「先輩、負けないで……!」


 そして、この決闘を見守る女性陣の一人が――


「このままじゃ敷居は跨がせないって、言ったのに……。男はみんなそう、女の気持ちなんで、これっぽっちも知らないで……愚者同士の、茶番だわ……こんな戦い……」


 ――拗ねるように、それでいて切なげに独りごちていたことを、俺達は知る由もなかったのだ。

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