第191話 二人の改造人間

 俺と先輩の決裂から、一週間。

 血を吐かず、ぶっ倒れることもないギリギリのラインの中で――俺は必死のリハビリを断行していた。


 立って、歩き、走る。そんな子供でも出来るような挙動にさえ苦心する俺を見る皆の視線は、常に不安の色を湛えていた。

 ――当たり前だろう。万全だったとしても勝てるかどうか定かではない相手に、こんなコンディションのままで挑もうというのだから。


 しかし、やらなきゃならない。逃げるわけには、いかないんだ。

 自分で決めたやり方に、嘘を付かないためには。


 ……そして、決闘の前日。その日だけはリハビリという名の特訓は休みとなり、回復のみに専念することとなった。


 一分一秒も無駄にしたくない、という感情としてはもどかしい限りだったが、ガタガタになった身体に前日まで鞭打ちしたところで、本番の時に動けなくなるのが関の山だろう。

 そう説得する鮎美先生の眼差しは、いつになく据わっていた。――そう。妹にあんな宣告をさせた以上、彼女にとっても負けられない戦いとなったのだ。


「……ふぅ」

「具合はどうだい、龍太君」

「明日から決闘を始めようって奴に言う台詞じゃないなぁ。この期に及んで半病人扱いはあんまりだぜ」

「確かに、これから戦いに向かう君には相応しくはなかったかもね。だけど、忘れないことだ。今の君は本来ならば今も病室で安静にすべき状態なんだよ」

「……分かってるさ。だから今日だけは大人しくしてるんじゃないか」


 病院の敷地内にある、緑豊かな広場。兄貴が眠る病棟のすぐそばにある、その静けさに包まれた光景を眺めながら、俺と古我知さんはベンチに腰掛けていた。

 患者服を着たまま外に出ている俺とは違い、彼の方は兜だけを外した臨戦体勢となっている。――ラドロイバーがいつ襲ってきても、即座に迎撃出来るようにするためだ。


 決闘を翌日に控えた今日、こうして快晴に照らされた病院の外に出ているのは、外気に慣れさせるという目的の他に、俺の精神状態をリフレッシュするという意味がある。


 襲撃の危険があるとはいえ、決闘直前まで外に出さないままでは気が滅入ってしまう……という、鮎美先生なりの気遣いによるものなのだ。


 燦々と輝き、俺と古我知さんを照らす太陽。雲ひとつない、澄んだ青空。そして、静寂の中で際立つ小鳥の囀り。

 ――これが決闘という嵐の前の静けさでなければ、どれほど安らいだことだろう。


 ちなみに、決闘は先輩の実家――すなわち、久水家の本家がある京都で行われる運びとなっている。

 ……茂さんが決闘に勝った暁には、そのまま俺の身柄を京都に縛り付け、久水家の総力を挙げてラドロイバーからの保護に尽力する。それが、久水先輩が表明する、舞台を京都に選んだ理由であった。

 先輩自身は交渉が決裂した次の日に、足早に松霧町を去ってしまっている。今は京都で、「決闘に勝った後の段取り」を進めているらしい。……舐められたもんだ。


 ――まぁ、勝つ前提の準備のしてるのは向こうだけじゃないんだがな。


「で、四郷の方はどうなんだ? 例の訓練」

「まだまだ難航してるみたいだね……。君のデータを把握しきって動くには、かなりの技量が要求されるみたいだよ。僕らの常識がまるで通じない君を知り尽くさなきゃならないんだから、当然なのかもしれないけどね」

「悪かったな、非常識で」

「僕にぼやいたってしょうがないだろ。――そんな君だからこそ、彼女は生きて、こうして君に尽くしてるんだろうけどね」


 この一週間、血反吐を吐く思いで特訓に臨んでいるのは、何も俺一人だけではない。


 俺の行動を的確にサポートし、二段着鎧のメリットを活かすための訓練を始めた四郷もまた、地獄の苦しみを味わっているのだ。


 引き際をわきまえた他の資格者達とは違い、レッドゾーンの遥か先にまで土足で踏み込んで行く俺の動きに合わせながら、増加装甲に装備されたスラスターを、正確なタイミングで起動させる。本来ならば、俺の筋肉の動きを感知して自動で行うコンピュータの仕事であるそれを、彼女は人力で制御しなくてはならないのだ。

 つまり、ただでさえ非常識な奴の一挙一動を、全て把握して手動でサポートしなくてはならない――ということになる。


 「新人類の身体」の機構に疎い俺にだってわかる。これは、無茶振り以外の何物でもない。

 あの豪華客船の一件も含めた俺の全ての出動データがあるとはいえ、それだけの情報で俺に合わせた動きを得ようだなんて、無茶苦茶にも程がある。


 それに彼女にとっては、機械仕掛けの身体に戻ることはおろか、その名を聞くことさえ身を裂かれるような苦痛だったはず。なのに彼女は今も俺の勝利を信じながら、その理不尽な訓練をめげることなく続けているのだ。


 ……俺は、間違っているのだろうか。


 仲が良かったはずの姉に散々怒鳴り散らされながら、コンピュータに向かってひたすらシミュレーションを繰り返す。そんな小さな背中を病院の中で見かける度に、そんな言葉が脳裏を過る。

 そしてその都度、俺は頭を振り、自身のリハビリに臨む日々を過ごしていた。


 ――ここで引き返すことは、ダウゥ姫を見捨てることを意味する。それは彼女を救おうとした、俺自身のやり方を……四郷達を助けてきた、一煉寺龍太という在り方を、辞めてしまうことを指す。

 そのやり方が間違いだというなら、いつか必ず、そいつを力でねじ伏せられる日が来るだろう。あれほど強かった瀧上凱樹が、結局は……ああなったように。

 だから俺も――抗いようがない力に潰されるまでは、間違いだとしても……走り続けるしかないんだよ。


 その時が今なのか、そうじゃないのか。その結論は、明日の決闘がきっと教えてくれる。


「樋稟ちゃんは鮎子君のケアに大わらわだし、賀織ちゃんは君の世話に必死だし。伊葉さんは甲侍郎さんの支援を求めて東京に行ってるし。将軍は『我々は我々でラドロイバーを探ろう』なんて言って、姫様と一緒に行方をくらますし……なんだろうね、僕ばかり役立たずって気がするよ」

「んなこたぁない。あんたがいなきゃ、俺はこうしてお天道様の恵みを浴びることすら出来なかったんだ。感謝してんだぜ、これでも」

「……僕に、もっと人間兵器としての力があれば。君が、それを有り難がることもなかったのかもね」

「よせよ、辛気臭い。どんなに悔いたって、それで兄貴の怪我が治るわけじゃないし、ラドロイバーに勝てるわけでもない。だったら、今の俺達に残された手段で、この厄介な事件を乗り切るしかないだろ。違うか?」

「……そう、だね。あはは、まさか君に元気付けて貰う日が来るとは思わなかったよ。――大人に、なったね」


 そう呟き、微笑みかける古我知さんの面持ちは――少しだけ、安らいでいるようにも見えた。

 かなり、気に病んでいたのだろう。


「ま、兄貴の身分証に頼らずともエロゲーを買える歳にはなったからな」

「はは……それが言えちゃうくらい立ち直れてるなら、精神面の心配はなさそうだね。……でも」


 そこで一度言葉を切り、古我知さんはこちらへ刺し貫くような視線をぶつける。さっきまでとは――違う空気だ。


「……僕の本音を言わせて貰うなら……君にはこれを契機に、『普通の人間』に立ち戻って貰いたかったよ。わがままな話だけど、それだけが心残りだった」

「――あいにく、だったな。俺は、まだ怪物を辞める気はない」

「そうか、残念だ」


 短い問答を経て、俺達の間に妙な静寂が訪れる。理解出来ないわけではないけれど、どこか相容れない。そんな、距離だ。


「……あまり長い時間、外にいたら危険かも知れない。そろそろ、病室に戻ろうか」

「……そう、だな。ジッとするのは好きじゃないんだが、仕方ない――ん?」


 どちらが先に耐え兼ねたのか。俺達は同時に立ち上がると、病棟に向けて踵を返した――のだが。

 遥か先から土埃を上げて急接近してくる人影に、思わず眉を潜めてしまう。それが矢村だと俺達が気づく頃には、既に目と鼻の先まで間合いを詰められていた。


「龍太ぁぁっ! 大変やぁぁっ!」

「ど、どうしたんだよいきなり。俺が言うのも変だけど、ラドロイバーが襲ってくるかも知れないってのに、勝手に外に出ちゃダメだろ」

「賀織ちゃん、一体何があったんだ?」


 突然、切羽詰まった様子で駆け込んできた矢村にたじろぐ俺に対し、古我知さんは息を切らしている矢村を冷静に宥めながら、事態の把握を急いでいる。

 やがて、数秒の間を置いて息を整えた彼女は、大口を開けてまくし立てるように状況の説明を始めた。


「りゅりゅ、龍太んとこのお母ちゃんが、えらい真剣な顔で樋稟を呼び出しとったんや! ここ、今回のことで樋稟、めっちゃ怒られてまうんやないやろか……! 龍太、どど、どないしよ……!?」


 怯える子犬のように瞳を潤ませながら、小麦色の少女は視線を泳がせる。

 そんな彼女の様子を一瞥し、俺と古我知さんは互いの顔を見合わせる。


 母さんは元々、着鎧甲冑の仕事に対してはあまり快く思ってはいなかった。

 その関係もあって、救芽井に対してはやたらと厳しい一面も覗かせていた――のだが、救芽井の真摯な姿勢も知っている母さんが、彼女を頭ごなしに否定するとは考えにくい。


 だが、今回の一件で兄貴は意識不明の重体になり、俺は内臓まで失っている。その責任がどこに向かうのかを、母さんが考えた場合、行き着く先は――!


「……行ってみよう。あんまりなことを言うようなら、俺が止める」


 不安げにこちらを見上げる矢村の頭を優しく撫でて、俺は古我知さんと視線を交わす。


 そして、無言のまま静かに頷く彼に対し、首を縦に振ってから――矢村を連れて、俺は病棟へと駆け出した。


 母さん……信じていいんだよな……?


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