第189話 姫騎士の眼光

 俺に向けられる、敵意とも言うべき鋭い視線。それは親友を危険な目に遭わせまいとする、「正義感」に基づく「義憤」であった。

 確かに、彼女の言い分を覆せるだけの正当性は、俺にはない。自分のエゴで四郷を「新人類の身体」にしようという俺のやり方が、許されるはずはないだろう。

 しかし、今はそれでもやらなくてはならないのだ。誰よりも正しい彼女に、逆らうことになるのだとしても。


「撤回――か。残念だが、それは無理だ。お前の言うことの方が正しいんだろうけどな」

「ご自分のなされていることが、あの瀧上凱樹とさして変わらぬ道である……という自覚は?」

「……あるさ。あいつも俺も、きっと大して違わない。それは、あの時あいつを助けようと思った時から、わかってたことだから」

「全て理解した上で、あなたは鮎子を?」

「お前からすれば、許せないだろうな。俺も、正直どうかとは思ってるよ。もう少し前の俺なら、今も他に方法はないのかって喚いてただろうな」


 俺は拳を握り締める久水先輩を一瞥し、自分の手に付いた血の痕へ視線を落とす。救芽井達に拭き取られた後も、その赤い痕跡は僅かに俺の掌に残されていた。


 ――余裕がない、と身体が察したのだろう。決断を迷っていられるだけの時間も惜しいのだと、俺の肉体が信号を発したのだ。

 健全な精神は、健全な肉体に宿る――という言葉がある。それは裏を返せば、肉体が健全なものでない限り、健全な精神は得られないと言うことだ。


 人間に必要とされる部分を機械で補い、それによって「生かされている」だけの俺の身体は、もうまともな精神を宿せないのだろう。生身の部分が脳髄しかない「新人類の身体」だった四郷や瀧上が、人とはどこか違う雰囲気を纏っていたのも、肉体の有無が関係していたのかも知れない。


 四郷の力を借りなければ、今回の危機を脱することは出来ない。その現実に抗おうとしていた俺の精神は、ガタガタになった俺の肉体に内側から侵食されていた。

 きっと今、屈している、のだろう。俺は、俺の弱さに。


「――今は、そうやって喚いていられる時間も惜しいんだ。お前の怒りは尤もだが、今だけは俺のワガママを聞いては貰えないか」

「……梢。ボクからも、お願い。先輩の好きに、させてあげて……」

「ワタクシは、鮎子のためだけに言っているわけではありませんのよ。先程も申し上げたはずざます。あなた様のためにも――と」

「俺のため、だって?」


 眉を顰める俺に向け、久水は少しだけ――悲しげな表情を覗かせる。それは一年前の事件で、「新人類の身体」だった頃の四郷が眼前で砕かれた時の形相に、少しだけ似ていた。


「その左目の傷も。左肘の裂傷も。その胸に残された痕も。全て、あなた様自身の『狂気』によって刻まれたものですわ。樋稟さんも賀織さんも――鮎子も、あなた様の狂気を受け入れていくつもりでいるようですけれど。ワタクシは、あなた様とあなた様を取り巻く人々のためにも、その狂気を認めるわけには参りませんの」

「……一年前に古我知さんからも、同じようなことを言われたよ。それで、先輩はどうしたいんだ。俺に再試合を降りて欲しいのか?」


 メディックシステムには、身体の傷を最高速度で完治する代わりに、通常の治療なら消えるはずの傷痕を一生残してしまう――という欠点がある。その影響で、俺の胸と背中には、鉄骨による大きな裂傷の跡が残されていた。

 既に痛みも消えているはずの、その胸を抑え……俺は逡巡する。


 ――例え弱い心を持ってしまったのだとしても、ここまで来ておいてダウゥ姫を諦めることなど、俺に出来るはずがない。久水先輩だって、それはわかっているだろうに。


 そんな身勝手なことを思う俺に向けられる眼差しは、さらに鋭さを増す。凍てつく氷柱のように、硬く――冷たい。


「その通りですわ。鮎子を救って下さった、あの優しさを――この無礼な異国の姫君のために投げ捨てると仰るのならば、そんな『異物』など見捨てて下さいませ」


 残酷。久水先輩が放つ言葉は、その一言に尽きた。


 その言いように、周囲に更なる戦慄が走り――ダウゥ姫は唇を噛み締めた。憤怒と負い目のジレンマに苛まれ、その愛らしい顔は痛ましく歪んでいる。

 そんな彼女へ向けられる久水先輩の眼光は、俺に向けられた時以上の敵意に満ちていた。


「梢先輩っ! あなた、なんてこと……!」

「――ダスカリアン王国は過去……あの憎っくき瀧上凱樹に滅ぼされたとは言え、現在では伊葉氏の活躍で復興へ進みつつありますわ。その恩恵がありながら、わざわざ過去の話を掘り返して無用な衝突を招いた挙句、今回の一件であなた方の仇を討って下さったはずの龍太様にこのような重傷を負わせる。例えラドロイバーが諸悪の根源なのだとしても、あなた方が犯した過ちは到底許されるものではありませんのよ」

「……確かに、な。貴殿の言う通りだ。ラドロイバーの策に乗せられた民衆を抑えられなかったのは、私の落ち度だ。あの天井の件にしても、私がいち早く感づいてさえいれば……」


 救芽井の叱責に耳を貸すことなく、久水先輩は淡々とダスカリアン組を糾弾する。ジェリバン将軍は歯を食いしばり、身を震わせるダウゥ姫を庇うように立ち――その非難を真っ向から受け止めていた。

 そんな将軍の様子をしばらく静観していた久水先輩は、やがて興味を失ったかのように俺に視線を戻す。


 彼女の言い分は理解出来るし、俺を案じての言葉だというのは確かだろう。

 しかし、それでも。ダウゥを責め立てる久水先輩に向けて、いい顔をすることは出来なかった。矢村はそんな俺と先輩を交互に見遣り、おろおろと視線を彷徨わせている。

 四郷は親友の発言を止めようと足を踏み出していたが、姉に肩を掴まれ制止されていた。伊葉さんと古我知さんの二人は「自分達にどうこう言える資格はない」と、目を伏せていた。


「――などという、もっともらしい理屈をこねたところであなた様が折れるわけがない。そうでしょう? 龍太様」

「そこまでわかっておきながら、随分な言い草だったじゃないか。俺を挑発するメリットなんて、先輩にあるのかよ」

「ええ、もちろん。大有りですわ。あなた様の反応を見れば、ダウゥ姫のことを本気で助けようとしていることが確かめられるんですもの。ワタクシや鮎子を想って下さった時と、『同じ』ように」

「……」

「でも女というのは、自分が一番愛されていないと我慢できない生き物ですの。気に入りませんのよ、ハッキリと申し上げるならば」


 久水先輩はそこで言葉を切ると――再び俺を、真剣な眼差しで刺し貫く。

 冷たさはない。むしろ、焼け付くように――熱い意思が、瞳の奥から滲んでいた。


「ですが、そんなことを言ったところであなた様の心は動かない。ですから、ワタクシはあなた様に相応しいやり方で、あなた様の意思を潰させて頂きますわ」

「相応しい……やり方?」


 そして、彼女は告げる。俺が、この弱い心から生まれた決断を押し通すための試練を。


「――今のあなた様に、狂気を持った上で鮎子を守れるだけの力が残されていることを証明してくださいまし。お兄様ともう一度闘い、勝つことで」

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