第185話 エルナ・ラドロイバーという女

 俺が眠っていた病室には、着鎧甲冑部の皆や鮎美先生、それに古我知さんや伊葉さんも待っていた。あのダスカリアンの二人は、今こちらに向かっている最中と聞いている。

 その中の一人を除く全員が、どこと無く沈痛な表情のまま、帰ってきた俺を見つめている。掛ける言葉が見つからないのだろう。


「やっと帰ってきたわね。どう? 少しは落ち着いたかしら」

「ああ。なんとか、な」

「そう。無茶したツケを払わされて意気消沈って感じにも見えたけど、意外に元気みたいね」

「あ、鮎美先生っ! そんな言い方……!」


 その一人――鮎美先生の、静寂を破る無遠慮な言い草に、救芽井が悲痛な顔のまま食ってかかる。が、俺はその先の言葉を片腕で制して、鮎美先生の冷たい瞳を真っ向から見つめた。


「まぁな。ちょっと、叩き直されてきた」

「りゅ、龍太、君……?」

「ふーん? ま、元気になったなら何でもいいわ。その方が話も進めやすいしね」


 なぜ俺が立ち直ったか。その理由を深く問わないまま、彼女は胸の谷間から一つのガジェットを引き抜いた。

 青いスマートフォンのようにも見えるそれは、彼女が愛用している手の平サイズの立体プロジェクターだ。新開発した作品の3Dシミュレーション等を行う際に、よく使っているのを見たことがある。


 今回の件で何かわかったことがあるのだろうか。

 彼女の口ぶりからそう察した俺は、プロジェクターが起動する前にディスプレイに注目し――驚愕することになる。


「……これ、は」

「あなたが寝てる間に、レスキューカッツェの調査データと天井の焼け跡から手に入った情報が合致しててね。今までご家族のゴタゴタで説明するタイミングがなかったわけだけど――つまるところこの女が、今回の件の黒幕ってわけ」


 そこに映されていたのは、あの時の――ブロンドの長髪を靡かせた黒衣の美女。人形のように立体映像として映し出されたその姿は、あの豪華客船に現れた時のままだ。

 艶やかな桜色の唇。切れ目で、鋭くもあり――どこと無く哀れみの色も湛えている眼差し。あの日と、何も変わっていない。


「エルナ・ラドロイバー。元陸軍の技術大佐であり――『新人類の巨鎧体』の開発主任だった女よ」

「『新人類の巨鎧体』、だと……!?」

「生年月日は一九八〇年八月七日。セルビア出身で、二十一世紀初頭にアメリカ陸軍へ入隊。兵器開発部の道へ進み、女性であることや若手であることを感じさせない活躍を続けてきたことで、陸軍では有名だったそうよ。……このナリで五十歳ってんだから、腹立たしいったらありゃしないわ。十一年前に私が会った頃とこれっぽっちも変わってないんだもの。若返りの秘薬作りが本業なんじゃないのって、一度文句言ってやりたいぐらいね」


 ともすれば二十代にも見えるその実態に、鮎美先生は露骨に舌打ちをする。ふと周囲を見渡すと、それが波紋のように病室に広がり、女性陣全員をより不機嫌にさせていることが分かった。


 確かに、その姿に似合わぬ経歴の持ち主らしいが……俺としてはそれ以上に、「新人類の巨鎧体」の名が現れたことに驚きを隠せずにいた。

 「新人類の巨鎧体ヤークトパンタン」。それは、瀧上凱樹がダスカリアン王国を滅ぼした際に運用していた、十メートル以上の体躯を誇る戦闘用人型ロボット。

 一年前の事件で、古我知さんに破壊されたのだが……言われてみれば確かに、鮎美先生はアレを陸軍に「作らされた」と言っていた。それを主導していたのが、この女性だというのか。


「――そんな彼女は二〇十九年に、当時中東で目撃されていたサイボーグ……凱樹に目を付けた。彼と接触したラドロイバー大佐は、『力が欲しい』という凱樹の意向に乗っかる形で、私に新兵器の話を持ち込んできたのよ。……ちょうど、十一年前のことね」

「……その人は、俺に何の用があってあんなマネを……」

「詳しい経緯は私も把握してはいないのだけれど……とにかく彼女は、強力な兵器を一秒でも早く作り出すことにこだわり続けていたわ。そして、その思想を退役する直前まで主張していたそうよ」

「――まさか」


「ええ。彼女のことだから――おそらく狙いは、着鎧甲冑の兵器化にある」


 鮎美先生が呟いた一言に、周囲が瞬く間に凍り付く。他の皆は俺より先に聞き及んでいるはずだが――それでもなお、この事実による緊張は拭えないようだ。

 かつて封じられたはずの思想の再現。その脅威に触れた経験を持つ救芽井と、その実行者だった古我知さんの表情が、一際険しいものになる。


「『新人類の巨鎧体』が起こした大量殺戮の責任を問われたことで、彼女の支持者は激減したわ。これまで重ねてきた功績のおかげで退役だけは免れていたのだけど、二〇二八年に創設された救芽井エレクトロニクスの方針に、真っ向から反発し続けたことがとどめとなって軍部から追放されたのよ」

「……鮎美先生に言われて、思い出したの。二年前、女性の陸軍将校に着鎧甲冑の技術を公開するよう何度も詰め寄られた、って……」

「龍太君。救芽井エレクトロニクスが掲げている『軍用禁止令』が保たれている背景は知ってる?」

「ああ、救芽井から聞いたことがあるよ。国連が結託してアメリカ軍に圧力をかけたって話だろう」


 救芽井が言うように、設立当初の救芽井エレクトロニクスには今以上に敵が多かった。着鎧甲冑の技術を応用すれば、古我知さんが開発した「呪詛の伝導者フルーフマン」のような戦闘用パワードスーツを開発できるからだ。

 超人的身体能力と防御力。そして、その開発理念に裏打ちされた圧倒的突破力。白兵戦において、これほど旨味に溢れたテクノロジーは近年では希少だったのだ。


 それゆえにアメリカ軍部や軍需企業は躍起になり、この技術を独占しようと救芽井エレクトロニクスに迫ったのである。この技術が万一テロリストや敵対国家の手に落ちれば、三年前のゴロマルさんや甲侍郎さんが危惧していた通り、戦闘用のパワードスーツによる殺戮が始まる危険性があるためだ。「呪詛の伝導者」という前例の存在があったことも大きい。

 事実、アメリカで「救済の先駆者」としてヒーロー活動を続け、賞賛を浴びていた救芽井も、その裏では現地のマフィアや噂を聞き付けたテロリスト達、さらには他国のスパイにまで日夜狙われ続けていたのだという。一年前に日本に来たのは、そこから逃れるため、という意味合いもあったらしい。


 ――だが、甲侍郎さんはあくまでアメリカ軍を含む全ての武装組織を拒み、着鎧甲冑を兵器に関わらせることについて、強硬な姿勢を固め続けた。それに業を煮やした勢力が、とうとう彼の暗殺まで企てるようになった頃。

 救芽井エレクトロニクスが掲げる理念や着鎧甲冑の性能に目を付けた国連が、動き出したのである。


 国連は自分達の息が掛かったマスメディアを最大限に利用し、救芽井エレクトロニクスの方針や活動を徹底的に美化して全世界に発信したのである。

 それまで救芽井エレクトロニクスの指針について疑問を提示していたアメリカのマスコミも、その煽りを受けて手放しに救芽井エレクトロニクスを支持する方向に「変えられて」行った。

 そうした世論の変化を受け、軍部の兵器化を求める声も次第に萎縮し、現在の救芽井エレクトロニクスの地位に至るのである。


 だが、別に国連は救芽井エレクトロニクスの理念に感銘を受けて、このような大々的な印象操作を行ったわけではない。

 救芽井エレクトロニクスの理念とアメリカ軍の対立が、自分達にとって都合が良かった、というだけの話なのだ。


 年々軍拡を続け、武力に物を言わせているアメリカの独断専攻に歯止めを掛けたかった。そんな国連にとっては、救芽井エレクトロニクスとアメリカ軍の構図は、まさに「好機」だったのである。さらに国連の舵を握る主要国の中には、自力で開発出来ない着鎧甲冑の技術に近づくべく、救芽井エレクトロニクスに恩を売る……という思惑もあった。


 百数十の加盟国が結託して救芽井エレクトロニクスを支持し、その意向を全世界に発信する。そんな中で、さも平和の象徴であるかのように神格化された着鎧甲冑を、一つの大国が「兵器にしよう」と言い続けるならば――世界がどのようにそう主張する人々を見るかは、自明の理と言える。


 これ以上アメリカに強力な武器を与え、さらなる増長を招くようなことがあれば、自分達の意見がさらに蔑ろにされてしまう。そう感じていた国連の幹部達が声を揃えて実行に移したのが、この牽制作戦だったのだ。

 もちろん世間で報じられているように、「救済の龍勇者」の性能を二分化することで兵器化を求める勢力に譲歩したことも大きい。が、そんなものは実際のところ、国連に話のネタを与える程度に過ぎなかったそうだ。


 ――というのが、救芽井から聞いた救芽井エレクトロニクスの繁栄の裏側。あまり聞こえのいい話じゃないが、綺麗事だけでは世の中が回らなかった、ということだろう。


「そう。国連による印象操作で立場が悪くなりかけた軍部は、痛い目を見る前にしっぽを巻いて逃げた……ってわけ。ゴリ押しで兵器にするだけの価値があるのかも、当時はわからなかったしね」

「それでも兵器化を推し続けたから、同じ軍人達から疎まれて追放された、ってことなのか? 一体、どうして……」

「さぁね。私も『新人類の巨鎧体』の設計に携わった時に何度か彼女と話したことはあったけど、そこまで親しかったわけじゃないから詳しくはわからないわ。ただ、そうさせるだけの何かがあったんじゃないかしら」


 そこで一度言葉を切り、鮎美先生はプロジェクターを胸元にしまい込む。そして――鋭い眼差しをこちらに向けた。

 まるで、槍で刺し貫くような――覚悟を問う瞳だ。


「――ま、これでだいたいの意図は読めたわね。向こうの狙いは恐らく、着鎧甲冑の兵器化。そして――『救済の超機龍』の抹殺」

「抹殺……ね。俺のタマを取る意味を聞きたいもんだ」

「最高傑作である『救済の超機龍』の奪取と、一種のみせしめじゃないかしら。『人命救助なんて負け戦してたって所詮はこうなる運命。だったら兵器として戦って成果を挙げた方がマシでしょ』……ってね。あの手のマッドサイエンティストにはありがちな思考回路よ」

「あんた鏡見たことある?」

「失礼ね。私はマッドサイエンティストという名の清廉な淑女よ」

「結局マッドじゃないか」

「ほっといて頂戴」


 命を狙われる恐怖に呑まれまいと、敢えて軽口を飛ばす。そんな俺の意図を汲んでか、彼女も冗談めかした返事を寄越して来る――が、その眼は微塵も笑っていない。


「ダスカリアンに凱樹の情報が漏れたのも、彼女の仕業と見ていいわ。決闘になる事態を誘って、そのゴタゴタに紛れてあなたを殺すか。もしくは目の前で犠牲者を出させることで、精神的になぶるつもりでいたのか――どちらにしろ、悪趣味には違いないわね」

「俺を潰してから『救済の超機龍』を頂く寸法、ってわけか」

「今やあなたは救芽井エレクトロニクス最強のヒーローで、言わば樋稟ちゃんに次ぐ同社のシンボル。そんなあなたを存在から否定することで、もう一度世界に自分の主張を訴えようとしているのかも知れないわね」


 俺のために作り出された「救済の超機龍」が、兵器のために使われる。そして、その野望のために俺は作り物の内臓を入れられ、兄貴は瀕死の重傷を負った。

 許されることじゃない。いいや、俺が許さない。その人を――放っておくわけにはいかない。


「――とにかく、そのラドロイバーって人を捕まえるまでは、決闘どころじゃなさそうだな。住民の避難はもう完了してるのか?」

「えぇ。一人だけ避難所から抜け出してきた人がいたらしいけど、たった今無事に保護されたらしいわ」


 バイブが鳴っていたケータイを弄りながら、鮎美先生は呆れたような視線を俺に送って来る。おやっさんも無事のようだ。

 ここまでのことをされた以上、逃がすわけには行かない。俺はおやっさんの励ましを思い返し、拳を握る――が。


 その拳に、白く滑らかな手が添えられた。弱々しく寄り掛かるかのように。


「……ねぇ、龍太君。ラドロイバーはまだこの町に潜伏してる可能性もあるし、あなたの内臓もまだ不完全なのよ。今まで寝たきりだったせいで体力も落ちてるはずだし……その、気持ちはわかるけど、今回だけはあなたは動いちゃ――」

「――悪いが、ここまでやられて何もしないわけには行かないんだよ。俺は今だって資格者で、『救済の超機龍』なんだ」

「い、いけんよっ! あんな目に遭ったばっかやのにっ!」

「……抑えなきゃ、ダメ……! 先輩、ダメっ……!」


 救芽井の言い分もわかる。今の自分の身体が完全とは程遠い、ということも。

 だが、俺はここで引っ込んだままでいたくはない。例え、血ヘドを吐いてもう一度ブッ倒れようと――彼女を、止めなくちゃ行けないんだ。

 矢村も四郷も俺の患者服を掴み、必死に引き止めようと引っ張っている。普段なら小言を言いつつもおとなしく従っていたところだが――今回ばかりは、彼女達の言葉を聞き入れる余地はなさそうだ。


 一方、伊葉さんと古我知さんは痛ましい表情のまま、目を伏せてしまっている。自分達が決闘――すなわち今回の事態を招いてしまったと、再び責任を感じているに違いない。結局のところはラドロイバーという女性が悪いのだが、それでも結果的に片棒を担いでしまったと思い悩んでいるのだろう。


「……」


 そんな中で、一番騒ぎそうな久水先輩は――腕を組んで膨大な巨峰を寄せ上げながら、ひたすら沈黙していた。

 そして、何か言いたげであり――忌ま忌ましげな視線をこちらにぶつけている。……あれ程までに鋭い眼差しは、初めて見るな。眼を合わせるだけで、剣で刺されているかのように錯覚しそうだ。

 他の男に向けているような見下した色でも、いつも俺に注いでいる情欲の色でもない。倒すべき敵を見るような――憎しみの色。

 なぜ彼女がそんな眼の色を見せるようになったのか。この時の俺は、それを完全に理解してはいなかったのである。


「……ごめんな。それでも、俺はやらなきゃいけないんだ。それに決闘の原因がラドロイバーって人の仕業だとしても、どの道俺の強さを証明してダスカリアンを救うには、ジェリバン将軍との決着もちゃんと着けなきゃならないし――こんな身体でも、やるべきことはあるんだよ」

「龍太君、そのことなんだけど――」


 そして、俺が久水先輩から視線を外し、救芽井達に向けて説得の言葉を述べ――それを聞いていた鮎美先生が、何かを言おうと口を開いた時。


「――その必要はない」


 唐突に扉が開かれ――今まさに話題に挙がっていた張本人が、その姿を現したのだった。


 ……必要、ない……?

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