第184話 温もりと拳骨

「……なにを、べそかいとんや」

「えっ……」


 しばらくの間感情のままに、身勝手な雫を垂れ流し――ようやく少しだけ落ち着いた時。

 立ち上がろうとした俺の目の前に、ここに居ないはずの人物が現れる。


 親父にも劣らない、筋骨逞しい体格。短く切り揃えられた角刈りの黒髪。肉食動物を彷彿とさせる獰猛な眼差し。

 そして、聞き慣れた言葉遣い。間違える、はずがない。


「武章、さん……? どうしてここに……」


 矢村武章。矢村のお父さんであり、この町に住む大工達を束ねる棟梁だ。

 しかし、本来なら彼は今ここに居るべきではない。なぜなら――


「ふん。避難命令のことか? 俺ぁ、んなことより大事なことがあるけんのぉ」


 ――そう。今、松霧町全体には避難命令が発令されている。あの得体の知れない妨害者の存在が、その理由だ。


 あの天井を切り裂いたレーザー。あらかじめ積み上げられていた鉄骨。どう考えても、普通の相手ではない。

 そして向こうの狙いも見えない以上、この町全体に何らかの危害が及ぶ可能性も考慮しなくてはならないため、住民全員には隣町に一時的に退避するよう救芽井が呼び掛けていたのだ。

 久水も金にモノを言わせて、隣町に避難施設を大量に用意したらしいし、今は閉鎖されている隣町の一煉寺道院も、臨時避難所の一つとして活用されていると聞く。住めるスペースが足りないはずはないのだが……。


「……他の皆も、おま――ゴホン、「救済の超機龍」を見捨てて逃げられるかって反発しとったんやけどなぁ。『「救済の超機龍」に負担が掛かりますから』って言われちまったら、どうしようもないやんけ。あのお嬢ちゃん、見掛けによらず卑怯な言い方してくれるのぉ」

「あ、えっと、その……お、俺と兄貴も体調が回復したら、すぐに娘さんと一緒に隣町に向かいますから、お構いなく……」


 兄貴はともかく、俺が隣町に向かう、などという話はもちろん真っ赤な嘘だ。しかし、俺も「避難する側」の人間だと主張しておかないと、俺が「救済の超機龍」ではないかと勘繰られてしまうに違いない。

 そんな俺の弁明に武章さんは深いため息をつき、角刈りの頭を掻きむしる。……大丈夫、だよな? バレてないよな?


「……ったく、まぁだそんな戯れ事ぬかしよるか。まぁええ、今は乗っかったるか」

「え? 今何か……」

「ちっ、なんでもないわ! ただの独り言や、独り言!」

「は、はぁ……。そ、それで、武章さんはどうしてここへ?」


 彼が呟いた一言。その意味を問おうとした俺に、理不尽な怒号が飛んで来る。

 今の自分自身が情緒不安定なこともあって、その勢いにすっかり気圧されてしまった俺は、怖ず怖ずと彼にこの場にいる理由を問い掛けた。我ながら、気持ちも身体も随分と弱ってしまっているらしい。


「……足手まといなんは事実やし、娘を迎えに来たつもりやったんやけどなぁ。当の賀織から『龍太を置いて避難なんて出来んっ!』って、物凄い剣幕で噛み付かれてのぉ。しゃあないけん、お前に『救済の超機龍』への伝言を伝えて帰ることにしたんや」

「伝言……?」


 そう言って、彼は作業着の袖を捲って小さな歯形を見せ付ける。物理的に噛み付いたのかよアイツ……。

 ――それはさておき、「救済の超機龍」への伝言……か。妨害者の正体を掴めず、ふがいない失態を侵した俺への、叱責に違いあるまい。

 この町の皆を守る。それだけのためにこの町のヒーローとして常駐してきたのに、こんなザマでは信用なんてあったもんじゃない。

 ……何を言われても、真正面から受け止めるしか、ないんだ。俺には、反論する資格なんてない。


 険しい表情を湛えた武章さんが、静かに歩み寄る。そこからどんな言葉の暴力が来ても、俺は目を背けたりしない。背けることなど、許されないのだから。


「よぅ、あの赤いヤツに伝えとけや」


「――!?」


 しかし。


 飛んできたのは言葉の暴力ではなく――拳骨。意表を突いた武章さんの鉄拳は、反応する暇も与えず俺の脳天に減り込んだのだった。


「つうっ……!?」


 思わず頭頂部を手で抑え、うずくまってしまう。しかし、猛烈な激痛ではあるものの……たんこぶまでは出来ていない。

 痛みだけを与え、怪我はさせない――昔ながらの躾のような、完璧な加減による一撃だった。


「お前がどんなに苦しい思いで、ヒーローになったかは知らん。お前がどんな覚悟を持って、俺らを守っとるんかは知らん」

「……!?」

「――やけんど、お前が命張って皆のためになることをしとる。その事実だけは、町の皆はちゃんと知っとる。やから、誰もお前を責めたりなどせん」

「……」

「この先どこかで、そのためにどんな間違いが起きたとしても、お前は自分を曲げたらいけん。それは、それまでのお前の生き方で救われた連中を、否定することと同じやからや」


 そう言い放つ武章さんの眼差しは、俺の眼を捉えて離さない。険しくも、どこか温もりを漂わせるその佇まいは、えもいわれぬ安心感を与えていた。

 ……救われた連中の、否定……。


 ふと、俺の脳裏にダウゥ姫の泣き顔が過ぎる。あの時、俺は彼女のために串刺しになり――兄貴は瀕死の重傷を負った。

 それは、許されない俺の過失。だが、助けなければ彼女は命を落としていたかも知れなかった。ゆえに悔いてはならないと叫ぶ、自分がいる。


 それを真っ向から認めた存在は――何かと俺に突っ掛かっていた、あの武章さんだったのだ。


「だいたい、若造如きが『何が正しい』だの、『何が間違い』だのと、そんな高尚な悩みを抱えるなんざ百年はえぇ。若いもんはやりたいことを、やりたいようにやりゃあいいんや。それが本当にどうしようもないくらいの間違いなんやったら、俺達大人が腕ずくでブチのめしたる。……今度こそ、や」


 「今度こそ」。その言葉が意味するものを考えた俺の頭の中に、あの赤髪の戦士のビジョンが浮かび上がった。

 この町の皆はやはり――俺に瀧上の姿を重ねていたのだろうか。


「それに……お前がどんな失敗をしよったって、『まだ』その力を必要としとる連中もぎょうさんおる。途中で諦めて、そいつら全員見放すようなマネでもしおったら、俺が地球の裏側――いや、宇宙の向こうまで追いかけ回して、さっきよりキツくドツいたるけんな」

「……」

「やから賀織のためにも……さっさとシャキッとせぇよ。お前の『力』も、『生き方』も、まだまだ皆には、必要なんやけんの」


 畳み掛けるような説教は、そこで一区切りを迎えた。武章さんは最後に俺の額をデコピンで弾くと、踵を返して咳ばらいをする。

 そして、「さぁて」と小さく呟いてから、再びこちらへと向き直るのだった。


「俺が言いたかったんは、こんだけや。今の拳骨の痛みも言葉も、全部しっかり『救済の超機龍』に伝えとけよ。ええな」

「……はい」


 言動の節々に違和感こそあるものの、どうやら俺の素性まではバレてはいないらしい。そのことに安堵しつつ、武章さんの言い付けに対して返事をした俺の声色は――自分でも驚くほど、穏やかなものになっていた。

 ただ殴られて、説教されただけだというのに。少し話しただけだというのに。なぜ、こんなにも気持ちが落ち着いているのだろう。なぜこんなにも、暖かいのだろう。


「返事が弱い。男なら、気合い入れて返事せぇ!」

「は、はいっ!」


 そう一喝する彼に頭を掴まれ、乱暴にわしわしと撫でられた時。俺は、「錯覚」していた。

 彼に背中を押され、少しずつ……ほんの少しずつ、心が活力を取り戻し始めている。そんな、おこがましい「錯覚」だ。


 ――しかし、今はそれでいい。誰かに許されてそう思っているわけじゃないが……この「錯覚」を手放してはならないと、本能が訴えているのだ。

 兄貴のことは、今でも濃厚に記憶の全体にこびりついている。その上で俺は浅はかにも、この温もりと「錯覚」を享受しようとしていた。

 物理的にも精神的にも、ぽっかりと穴を空けられてしまったこの胸の、いびつな隙間を埋めるように。


「フン、男はそれくらい元気がねぇとな。よし……俺はもう隣町に行くけんのぉ。お前らも用が済んだら、さっさと逃げるんやで」

「……はい。武章さんも、道中気をつけて」

「バァーロゥ! 『武章さん』なんてやめぇや、気持ち悪ぃ。『おやっさん』だ、『おやっさん』」

「え……? わ、わかりました。えと、お、おやっさん」


 しかし、その「錯覚」に浸る暇も与えず、彼は再びこちらに背を向けてしまった。どうやら、そろそろ彼も隣町に向かうつもりらしい。

 そんな武章さ――おやっさんの背には、目に見える分以上の「父親」としての逞しさが伺えた。なぜ呼び名を指定されたのかはイマイチわからなかったが――彼との距離が縮まったような気がして、なんだか照れ臭い。疎遠になっていた父に甘えてしまった時の感覚に、近いものがあった。


「……一発殴った以上、認めてやらにゃ男やないけんのぉ。賀織のこと、泣かせよったら承知せんでぇ……」

「え? 今なんて……」

「だぁーやかましい! 人の呟きにいちいち聞き耳立てんなや、女々しい奴やのぉ!」

「え、えぇえぇ!?」


 だから、なのだろうか。彼の一挙一動を気にかけてしまい、当の本人に反発されてしまうのは。

 そんな照れ臭くも、どこか暖かい時間を少しだけ延長し、俺達は別々の道へ進んで行く。


 おやっさんは、町の皆が待つ隣町へ。そして俺は、着鎧甲冑部の皆が待つ別の病室へ。

 そして、そこへ赴く俺の足取りは、兄貴の病室を出た時よりも少しだけ――ほんの少しだけ、軽いものになっていた。

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