第170話 地下室に眠るバイク

 ジェリバン将軍とダウゥ姫が退室して、数秒後。俺は味方であるはずの着鎧甲冑部に何故か「補食」されようとしていた。

 そんな状況であるにも関わらず、大人二人は我関せずとばかりに視線を逸らしている。古我知さんがようやく助けに入ってくれたのは、興奮した久水先輩にズボンのチャックを降ろされかけた時だった。


「……まず、今一度君達には謝らなくてはなるまい。あの事件からもうじき一年が経とうというこの時期に、このような事態に巻き込んでしまったことを」

「僕にもっと力があれば……こうはならなかったはずなんだ。済まない……」


 手遅れの一歩手前でやっと重い腰を上げた大人は、着鎧甲冑部の面々を宥め、ロープを解いてくれた。しかしその表情は暗くなる一方であり、夕暮れの影で顔色が窺えない今でも、沈痛な面持ちが目に見えるようだった。


「済んだことは仕方ありません……だから、顔を上げてください。お二人とも」

「そ、そうやそうや! 龍太の強さは知っとるやろ!? 今度もきっと何とかなるっ! 絶対やっ!」


 そんな彼らを励ますように、救芽井と矢村は立て続けに声を掛ける。その一方で、久水先輩と四郷は浮かない表情で互いを見合わせていた。


「戦闘用サイボーグの古我知さんでも歯が立たなかった相手……ざますか。これは、対策を練る必要がありましてよ」

「……少なくとも古我知さんよりは強くならなきゃ、龍太先輩は将軍には勝てない……」


 久水先輩の言葉を受けた四郷は、眼鏡をクイッと直して俺の方へと向き直る。その視線は、俺を刺し貫くかのように鋭い。

 それほどの相手なのだと、俺に忠告しているのだろう。

 一年前、ダスカリアン王国を滅ぼした瀧上凱樹との死闘の中で、俺と同等以上の立ち回りを見せていた古我知さん。その彼が一撃でやられた――とあっては、俺も警戒せざるを得まい。


「大丈夫さ。この一年、俺が遊びほうけてたわけじゃないってことは皆も知ってるだろう。――きっと、何とかしてみせる」


 だが、恐れるようなことじゃない。俺は一年間親父の修練に耐え、レスキューヒーローとして何度も危険な現場に繰り出してきた。

 確かにジェリバン将軍が強敵だというのは事実だ。しかし、躊躇っていては……恐れていては、きっとどこかで迷いが生まれてしまう。

 その迷いで死ぬ人間を増やさんためにも、俺はまず、この決闘には勝たなくちゃならない。


「あの二人からすれば、余計なお世話もいいとこだろうが……それでも俺は、死ぬと分かっててみすみす死なせる程、割り切った考えができるタイプじゃないからな」

「そうか……ありがとう、一煉寺君」


 俺は自信満々に不敵な笑みを浮かべ、伊葉さんに言い放って見せる。そんな俺の姿も多少の気休めにはなったらしく、彼は安堵したように口元を緩めた。


「全く……龍太様の猪突猛進には、いつものことながら呆れるしかありませんわね。あのような恩知らず、生半可な神経の人間ならばとっくに見捨てられているはずでしょうに」

「ま、それが龍太のええところなんやないの? アタシらはしょっちゅうそれでヒヤヒヤしとるんやけどな」


 そんな俺の発言に、何か気に食わないところがあったのだろうか。久水先輩と矢村の二人は、目を細めてこちらを睨んでいる。


「……あの去り際のダウゥ姫、間違いなく女の顔だった。先輩の無節操さには言葉も出ない……」

「人をやきもきさせるの、すごく上手だもんね。龍太君は」


 加えて、四郷と救芽井までもが不機嫌そうに頬を膨らませていた。

 ……おかしいぞ。妙だ。俺は今、凄くカッコイイ台詞をぶちまけたはずなのに。「龍太君かっこいー」くらいは聞けてもいいんじゃないか? 嘘でも言ってくれていいんじゃないか?


「……とにかく、この一週間で少しでも戦い慣れておく必要があるよね。僕に協力させてくれないか」

「そうだな。じゃあ、早速明日から始めようぜ。山の外れに、いい特訓場所があるんだ」


 俺は古我知さんの提案に応じ、相槌をうつ。「一煉寺」での修練に、客が一人増えることになりそうだ。

 その時の古我知さんは、一点の揺らぎもない真っ直ぐな眼差しで俺を射抜いていた。自分の失態を少しでも取り返そうと、償おうと……必死なのだろう。


「あら。それよりも我が久水財閥本社の地下にある、特設訓練所ならばより効果的な特訓が――」

「背後にチェーンソーを付けたベルトコンベアの上を走る練習はもう御免だ!」

「資格試験前の梢先輩のスパルタを思い出すわね……」


 すると、今度は久水先輩が俺にねっとりと絡み付くような視線を送ってきた。その発言から想像される過去を掘り起こされ、俺は条件反射で拒絶反応を起こす。

 俺を庇うように前に立ち、しっしっと追い払うように手を振る矢村を見つめながら、救芽井はしみじみとした口調で俺の古傷をえぐるのだった。


「……酷いざます。あのあと、試験前で溜められていた情欲がワタクシの肢体にぶつけられる瞬間を、今か今かと心待ちにしておりましたのに」

「結局行き着く先はそこかいッ!?」

「龍太ッ! 久水先輩に惑わされたらいかんでっ! 歳を取ったらあんなもん垂れる一方なんやから!」

「ふふ、久水財閥特製の秘薬を以ってすれば、そのような些細な問題など即解決でしてよ。これは、ワタクシの母上様ですわ」


 矢村は俺の両肩を掴むと、視界全域が小麦色のあどけない顔で埋まる程に、急接近して力説する。そんな彼女の背中を微笑ましく見つめ、久水先輩は胸元のホックを外し――白く膨大な谷間を覗かせた。

 何事かと目を見張る俺の視界を、矢村は両手で封鎖しようとする――のだが、それよりも早く久水先輩の谷間から、一枚の写真が取り出されたのだった。

 俺の目を塞ぐことを忘れ、写真に意識を奪われてしまった矢村は、その中に映されている光景を目の当たりにして……絶句するのだった。


 写真に映っているのは、赤いビキニ姿でみずみずしい肢体を強調している、妙齢の美女。外見だけで判断するなら、三十代前半くらいに当たるのだろうか。

 艶やかな茶色のロングヘアーやエメラルドグリーンの瞳など、確かに久水に通じる特徴が見受けられる。あの巨峰も、母譲りだったようだ。


 ……だが、三十代では計算が合わない。久水先輩の兄の茂さんは、今年で二十歳を迎えるからだ。

 それに久水先輩は以前、俺に話したことがある。


 ――あと十年も経たないうちに還暦を迎える両親は、一日でも早く孫を見たがっている、と。


「ぐっはぁあぁああぁあッ!」

「ちょ、矢村っ!?」


 その現実という名の一撃が、よほど強烈だったのだろうか。矢村は白目を剥いて血を吐くと、もんどりうって倒れてしまった。


「……大丈夫。命に別状はない。それより、そろそろ先輩はお姉ちゃんを起こしに行ってあげて……」

「ハァ……心配ないわ、龍太君。これ、いつものことだから」

「いつものことなんだ!?」


 たまに俺以外の部員と女子生徒達で、女子会を開いているという話を聞いたことがあったが……その時も、こんな調子だったのだろうか。

 矢村に限ってそんなことはないと思っていたが……これは、貧血の心配もしなくちゃならないな。


 部室の隅に置かれているソファーへ矢村を運ぶ、救芽井と四郷。その背中をしばらく眺めてから、俺は指示された通りに地下室へ向かう。

 テーブル下に隠された秘密の扉を開く先には、底の見えない暗闇が広がっていた。この先で、我が着鎧甲冑部の顧問は人の気も知らずにグースカ寝てるわけだ。


「龍太君……君も結構苦労してるね」

「……まーな」


 寝かせられた矢村に、うちわで風を送る大人二名。そのうちの一人の労いの言葉を背中で受け、俺はため息混じりの返事で応えるのだった。


 そして、俺は自ら怪物に食われようとするかの如く、暗闇の先へ飛び込んでいく。

 だが、底は意外にも浅く、すぐに両足が床に着いてしまった。次の瞬間、暗闇を切り裂くように周囲に電灯が付き――眼前に白い扉が現れる。


 その扉に一歩近づいた瞬間、来客を感知した扉は俺を手招きするように開かれた。

 そして、自動ドアを抜けた先には――資料や部品があちこちに散乱した、お世辞にも綺麗とは言い難い研究室が広がっていた。


 何に使うのかわからないパーツやら、意味不明な専門用語が飛び交う書類。それらを踏まないように気をつけながら、俺は辺りを見渡し――椅子にもたれ掛かっている一人の女性を見つけた。

 歳は三十代。流れる川のような藍色の長髪をポニーテールで纏めた、病的なまでに白い肌と女優顔負けのスタイルが特徴の美女。……四郷鮎美。四郷の姉にして、着鎧甲冑部の顧問だ。


 保健室の養護教諭でもある彼女は、白衣が似合う美人教師として、校内でも人気が高い。――この部屋を見る限り、女子力は皆無のようだが。

 それでも、この女性が世の中に貢献しているのは事実だ。彼女が四郷と二人で救芽井エレクトロニクスの開発に協力し、余分なコストの削減や性能の底上げに成功したことで、人命救助の能率は飛躍的に高まっている。

 まだ開発途中ではあるらしいが、かつて携わっていた人工義肢の技術を応用した、人工臓器の研究も進めているらしい。国内外で、彼女達姉妹の功績を讃える有力者も多いのだとか。


 ――それでも、彼女達姉妹は決して表舞台に上がろうとはしない。あらゆる研究機関のスカウトを蹴り、彼女達は今もこの町で暮らし続けている。

 もう、嫌気がさしたのだろう。自分達の力で誰かを傷つけてしまう、そんな可能性を秘めた世界に出ていくことが。


「……ん?」


 そんな時。


 俺の視界に、見慣れないモノが映し出された。以前ここに訪れた時には、置かれていなかったモノだ。


 蒼く、流麗なラインを描く――そう、例えるならば、蒼い身体を持つ馬のような形状。

 かつて、四郷姉妹を捕らえていた悪夢の象徴たる、鋼鉄の肢体を彷彿させる――その色を湛えた、一台のバイク。

 その背後には、排気口にしてはやけに巨大な筒が二つも取り付けられていた。


 ――こんなもの、いつの間に……?


「……ん。あら、寝込みを襲いに来たのかしら? あなたにしては、なかなか強引じゃない」


「うッ!?」


 そして、それに気を取られていた俺の不意を付くように――鮎美先生は眠たげな目をこすり、挑発的な視線をこちらへ向けるのだった。

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