第161話 盟友は社長様

「そうか……そんなことが」

「あぁ。今、フラヴィさんが調査中なんだけど……あなたは何か知らないか? 甲侍郎さん」


 大理石の床を一面に敷き、整然としている一室。この社長室の外から窺えるのは――ところ狭しと立ち並ぶ、数多のビル。


 そして、大都会を織り成すその景色を一望できる、透き通ったガラス張りの壁の近くには――長身の男性が手を後ろに組んで、静かに佇んでいた。


 茶色の短髪に、縁の四角い眼鏡。ベージュのスーツに、老練な印象を漂わせる端正な顔立ち。ナイスミドル――とでも云うのだろう。


「『密航者』の線が濃厚ではある……が、十数メートルを越える跳躍力や瞬時に姿を消す現象など、君から聞く話だけでは実態を掴めない情報が多い。ひとまずその女性の身元を確かめるなら、あの船の出航時に近場にいた人間の中から、近い者を洗っていくしかないな」


 その人物――救芽井エレクトロニクス社長・救芽井甲侍郎は、ガラスに映る俺の顔を見詰めながら、ゆっくりと口を開いた。

 若くして着鎧甲冑を発明した天才科学者にして、その製造を請け負う救芽井エレクトロニクスの社長まで務めている。なんでもあり、という言葉が服を着たような人物だ。


 つい最近に資格を取ったばかりの俺が、それ以前から高性能機の「救済の超機龍」を預かっているのも、彼からの信頼によるものが大きい。そんなに大した恩を着せた覚えはあまりないが。


「そう、か……。ありがとう、甲侍郎さん」

「礼などいい。身元不明の行方不明者を出しておいて『全員生還』など、私にとっても望ましい話ではないからな。……だが、今回の件での君と『レスキューカッツェ』の働きは実に見事だった。彼女達もそうだが、『救済の超機龍』の名も、今や世界中に轟いている。出来れば『最年少資格者』であるという点も含めて、君自身のことも報道したかったのだがな……」

「いいさ、別に。ギリギリの補欠合格じゃあ格好が付かないし、あんまり注目されても小っ恥ずかしいからな」


 俺から視線を外した甲侍郎さんは、澄み渡る青空を見上げる。その穏やかな眼差しは、遠く離れたどこかを見詰めているように見えた。


「――君と初めて出会ってから、もう三年か。思えば、随分と逞しくなったものだ。あの小さな少年が今や、世界に知られる正真正銘のスーパーヒーローなのだからな。……ところで、今月で十八歳になるのだったかな?」

「ああ。久々に家族で集まって、ゆっくりしようって話になってる」

「ふふ、そうか。出来れば我が救芽井エレクトロニクス主催の、誕生日パーティーを開こうと思っていたのだが……家族水入らず、とあらば私の出る幕はあるまい。御家族と共に、幸せな時間を過ごすといい」

「うん。……ありがとうな」


 俺が生まれる少し前、甲侍郎さんは母親を災害で亡くしたのだという。彼が着鎧甲冑を作ろうと思い立ったのも、それがきっかけだったそうだ。

 そんな彼にとっては、やはり「家族」という響きには特別な想いがあるのだろう。俺の都合を優先してくれたのも、それゆえの心遣いなのかもしれない。


「ところで――だ」


 すると、そこで甲侍郎さんの声色が急に重々しくなり……こちらへ振り返った時には、やけに鋭い目付きに変わっていた。


「娘とは、最近はどうなのかね?」

「え? きゅ、救芽井と?」

「……まだファーストネームすら呼んでいないのか。君は他の女性に対しても基本的にはそうらしいが、そろそろレディの扱いに慣れてきてもいいのではないかな? 樋稟はああ見えて繊細な娘だ。そろそろ君に会いたがってそわそわし始める頃だろう」

「あ、あはは。わかってるって。このあと、ちゃんと会いに行くよ」

「たまに私は思うのだが……君は娘以外にも気にかける娘がたくさんいるのではないかね? 力のある男の一つの生き方として、愛人や妾を囲うこともあるにはあるのかも知れんが――娘を蔑ろにするようなことだけは、君といえど許容するわけにはいかんな」

「イ、イエッサー……」


 獲物を射止める狩人のような、刺々しい視線。世界中の注目と称賛を集める救芽井エレクトロニクスの社長というだけあって、その威圧感は計り知れないものがあった。

 ――そう。俺は彼の娘、救芽井樋稟の婚約者ということになっているのだ。ほぼ一方的な形ではあるが。


 三年前、救芽井家の危機を救った俺は、娘の裸を見た件について甲侍郎さんに散々詰め寄られ、責任を取るように脅されたのである。

 一年前に起きた「ある事件」以来は負い目を感じているのか、そこまで結婚を迫るようなことは言わなくなってきているが――やはり娘が心配なのか、度々こうして俺の監視のために来日してくるのだ。


 彼の都合に合わせてスケジュールを何度も組み直している、アメリカ本社の方々の苦労は察するに余りある。ここ、日本支社の社員や幹部達も、いきなりトップに来日されて大騒ぎだったらしいしな。

 ――ま、俺が原因なんだけどね。全世界の救芽井エレクトロニクス関係者の皆様、ごめんちゃい。


「……まぁ、君も樋稟もまだ若い。様々な経験を重ね、将来を見定めるのも悪くはないだろう。とにかく、今回はご苦労だった。まさか合格が確定した夜に、正式な資格者としてのデビューを果たすことになろうとはな」

「はは、俺も驚いてるよ。ゴールデンウイークを全部潰して東京に来て試験を受けて、無事に合格して『明日帰るぜー』ってところで、夜中にフラヴィさんに叩き起こされたんだもんな」


 高校三年になった俺は着鎧甲冑の試験を受けるべく、仲間達と共にゴールデンウイークを利用し、この東京に設立されている救芽井エレクトロニクスの日本支社に赴いていた。


 そこでの基礎体力試験や救助活動試験、格闘能力試験をくぐり抜け……筆記試験でちょっとだけ躓いたものの、なんとか着鎧甲冑の所有資格を獲得するに至ったのである。


 そして、明日になったら大手を振って我が家に帰ろう――と思った矢先で、あの事故だったのだ。

 フラヴィさんにバックドロップで起こされたのは少々堪えたが、背中に当たるマシュマロの感覚を味わえたことだし、それに関してはプラマイゼロってことにしておこうと思ってる。


 また、あの事故の原因になった爆発についても、現在調査が進められているらしい。

 何が原因であんなことになったのかは知らないが、いつも俺達がなんとか出来るとは限らないわけだし、造船会社の人達にはもうちょっと頑張って貰いたいところだよな。


 ――っと、そろそろ仲間達と一緒に地元に帰る時間だな。あんまり皆を待たせちゃ悪いし、もう行かねぇと……。


「……ふっ。卒業後に我が社に来るなら、状況に応じて深夜に出動する機会も増えるだろう。今のうちに慣れておいた方がいい。――さて、そろそろ時間だな。では、今後の健闘を祈る」

「ああ、失礼する。……またな、甲侍郎さん」


 ……っていう俺の心境は、甲侍郎さんにはお見通しだったようだ。顔や仕種にでも出ていたのか、こちらに向かって苦笑しながら出発を促して来る。

 その心遣いに感謝しつつ、俺は一礼すると踵を返し、仰々しい程に大きな扉を開いて社長室を後にした。


「さて……行くか。皆、待ってるしな」


 社長室を出た先の広々とした廊下は、貴族が暮らす王城のように、きらびやかに造られている。

 あの豪華客船にも劣らない鮮やかさを持つ、この日本支社の出来栄えを眺めながら、俺は「仲間達」が待つラウンジへと向かった。

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