第159話 たった一人を助けるために

 ――燃え上がる船上は阿鼻叫喚の煉獄と化し、炎から逃れようとする人々が、次々と海に飛び込んでいく。

 そんな人達を残らず回収していく作業を、もうどれくらい繰り返しただろう。上空のヘリから定期的に補給されるマントの数も、それをボートにする酸素タンクの予備も、そろそろ限界が近い。


 苦しい状況だが――死人が一人も出ていないことを考えれば、上手く行っているとも言えるはず。その希望こそが、今の俺達の原動力となっていた。


 一方で、火に包まれている船体は船尾から沈み始め、船首が浮き上がる――という現象が発生していた。船が後ろから、海底に引きずり込まれているかのように。

 ……あのままだと、船体が自重に耐え兼ねて二つに折れてしまう。そんなことになったら、近くにいる乗客達だけじゃなく、レスキューカッツェの皆も危険だ。


 急がなくてはならない。既に何人もの乗客達が船の床から海面に向かい、滑り始めている!


「西条隊員ッ! 俺のボートを曳航して、船尾近くの人達を回収してくれ! 俺は滑ってる連中を受け止めに行く!」

「りょ、了解しました!」


 俺は近場にいた唯一の日本人隊員、西条夏さいじょうなつさんに指示を出し、すぐさま自分のボートから船上に跳び移った。

 船はかなり傾斜が激しくなっており、俺が着地した地点から遥か先では、巨大な何かが軋む音が響いている。この船が裂けるのも――時間の問題か。


 船上で鎮火と避難誘導を行っていた別動隊も、この事態は予見していたらしい。隊員達は流れ作業のように、広げたマントで滑る乗客達を受け止める行動を繰り返していた。恐らく、フラヴィさんの指示によるものだろう。

 ディヴィーゲマントは、ゴム製ゆえに引っ張れば伸びる。それを応用して、激突や墜落を回避するための即席クッションにも出来るわけだ。


 ――っと、感心してる場合じゃないな。セレブな格好したオッサン達が、猛烈な勢いで転がってきている。このまま海面に激突すれば、痛いじゃ済まされん!


「ジュリアさん!」

「おぉーう! 一煉寺の坊やじゃねぇか! ちょーど良かったぜぇ、マント引っ張ってくれる奴が近くに居なくってよぉ! ちょっくら手ぇ貸しな!」

「了解ッ!」


 本性をさらけ出し、ハッチャケながらも堅実に救助活動を続けていたジュリアさん。そんな彼女と合流した俺は、彼女が手にしていた白いディヴィーゲマントを思い切り掴む。

 そして、その場から飛びのくように床を蹴り、端の手すりに背中を寄せた。さらに両手でマントを限界まで広げて、受け止めの体制を整える。


 この準備が完了を迎え、俺が坂道を見上げる頃には、例のオッサン達は既に目前に迫っていた。立て続けにマントを持つ手に衝撃が伝わり、白いクッションがくの字に変形していく。

 いかに超人的パワーを持つ着鎧甲冑といえど、たった二人で十数人の衝突を凌ごうともなれば、その負担は計り知れない。

 マントを持つ手と指の筋肉が、はち切れんばかりの痛みと痺れを訴えていた。


「くっ……!」

「……のォオォオオッ!」


 しかし、その程度のダメージに屈するわけにも行かない。

 俺が歯を食いしばり、ジュリアさんがけたたましい叫び声を上げる瞬間。クッションが斜めに傾き、勢いを吸収されたオッサン達は、全員死なない程度のスピードで海に向かって転げ落ちて行った。


 そうして海に投げ出された人達を、渦に巻き込まれる前に回収するのが、本来の一煉寺分隊おれたちの役目だ。今は、西条隊員がそれを担ってくれている。

 俺とジュリアさんで作ったクッションに衝撃を殺されたおかげで、墜落死を免れたオッサン達が、西条さんに回収されている様子が伺える。なんとか上手くやってくれているみたいだな……。


「ふうっ……。間に合ったみたいだな。それにしても、滑る連中の流れが止まっちまったみたいだが……?」

「船首近くにいた私の部下共から連絡があった。どうやら、今のが船上にいた最後の成金連中だったらしいぜ。少なくとも今のところは、乗員乗客は全員無事なんだとよ。他に船にいる乗客が居るとしたら、火災から逃げ遅れた奴だけだ。今、フラヴィ班が捜索に向かってる」

「そっか……。無事だといいんだが」

「んな悠長なことばっか吐かしてもいられねーぜ? 船首の傾きがかなりヤバくなってきてる。このまま船体が真っ二つにへし折れちまったら、衝撃でこの辺りのプカプカしてる連中全員がボートごとおだぶつだ」


 ――どうやら、状況は芳しいとはまだ言い切れないようだ。ジュリアさんが言う通り、ここでモタモタしていると、せっかく助かった人達が船体崩壊に巻き込まれてしまうだろう。

 既に軋む音は、俺達のすぐ傍にまで迫って来ている。ところどころに大きな亀裂も入りだしたし、もはやいつ裂けてもおかしくない状況だ。


「フラヴィ隊長によりゃあ、白人の女性客らしき奴をゴタゴタの中で一人見掛けたらしいんだが……。そいつを追って船内を隈なく捜しても、全く見付けられずにいるらしい」

「その人さえ回収できれば、乗員乗客は全員生還――ってことなんだな。だけど、フラヴィさん達が見つけるより先に、船の方が割れちまったら……」

「……だな。火の勢いも止まる気配はねぇし……今フラヴィ隊長に死なれちゃ、ポーカーのツケも返して貰えねぇ。とにかく、船の近くにいる連中はレスキューカッツェの隊員も含めて、全員退避させるしかねぇな」

「あぁ。さて……」


 ジュリアさんの判断に深く頷くと、俺は無数のボートに詰められた溢れんばかりの乗客達を見遣り、腕輪の通信機に口元を寄せる。

 ……ここから一番俺達の近くにいて、通信が繋がりやすいのは――西条さんだな。


「――西条隊員、聞こえるか? 船がこのままへし折れたら、衝撃で辺りの皆が巻き添えを喰らっちまう! すぐに分隊全員に、退避するように連絡してくれ!」

『巻き添え……!? りょ、了解です! あの、一煉寺分隊長は……!?』

「あぁ、俺は――」


 そこで一瞬だけ言葉を詰まらせ、俺はジュリアさんの方を振り返る。表情こそマスクで見えなかったが、肩を竦めるその仕種には「しょーがねぇ奴だな」というニュアンスが感じられた。

 これから出そうとしている答えを、既に把握しているのだろう。その上で、背中を押してくれているのだ。

 その心遣いに内心で感謝しつつ――俺は、見透かされている答えを述べる。


「――俺はフラヴィ斑と協力して、逃げ遅れた人を捜す。まだ、誰かがここに居るらしいんだ」

『ッ!? そ、そんな……危険です分隊長! 今の船内に留まったまま沈没に巻き込まれたりしたら、いくら着鎧甲冑でも……! それに、もう分隊長の角には予備の酸素もないはずですッ!』

「まぁな。……悪い、心配かけちまって。でも、俺はそういう西条隊員の優しさがあったから、今こうして誰かを助けに行ける立場に立ててるんだ。それに、ここで逃げちまったら、俺は一生後悔しちまう気がするんだよ」

『で、ですがッ……!』


「大丈夫さ。この『救済の超機龍』のポテンシャルと、隊員皆に鍛えられた俺の力なら、絶対に死なないし死なせない。つーか、俺だって死にたくねぇよ。俺、隊員のみんなが大好きだしな。もちろん西条さんも」

『ふ、ふあぁっ!? ま、ままっ、まぁそこまでおっしゃるなら、分隊長の判断に従いますが……く、くれぐれも無茶だけはなさらないで下さいね?』

「あぁ、絶対生きて帰ってくる! 向こうで待っててくれよ!」


 多少渋られはしたが、どうやら西条さんにも、上手く気持ちは伝わったみたいだ。俺は威勢のいい啖呵を切り、通信を終了させる。

 心配させちまったのは気の毒だけど、無茶苦茶だろうが無謀だろうが、着鎧甲冑の資格者として、逃げ出すわけには行かないからな……。

 にしても西条さん、途中から声が上擦り出してたけど、風邪でも引いたのかな? もう春も終わる頃だし、暖かくなって来てるはずなんだけど……。


「……かぁ〜、相変わらずだなぁ坊やも。樋稟お嬢様が苦労するわけだぜ。呆れて物も言えねぇや」

「救芽井が苦労……? あぁ、そうだな。あいつが付きっ切りで勉強見てくれたってのに、結果が補欠合格だもんな。申し訳ないって俺も思ってるよ」

「そこじゃねぇえー! ……ハァ、まぁいいか。今に始まったことじゃねーし。――それより、夏も言ってたが無茶ばっかしてんじゃねーぞ。さっき私に通信が来たが、なんでもジュリア班も退避命令を出されて、隊長以外は既に船を出てボートに合流してるって話だ。隊長は意地でも女性客を見つける気でいるぜ」

「そうか。じゃあ、ジュリアさんもすぐに船を出てくれ。俺は例の女性客とフラヴィさんを捜してから脱出する」

「ハッ、臨時隊員の癖に副隊長様に指図か? 坊やも偉くなったもんだ。……まぁ、大人数でドタドタ捜し回っても、船が壊れるのを早めることになりかねないしな。ぶっちゃけ気にくわねーが、まぁ、ここは言うこと聞いてやんよ」


 ジュリアさんは腕を組んでたわわな胸を強調しつつ、フンと鼻を鳴らして背を向ける。格下の言いなりになってしまうのは、やはり気に入らないようだ。

 だが、ここに留まってフラヴィさんのサポートに向かいたい、というのはあくまで俺個人のエゴだ。それにジュリアさんを巻き込むわけには行かないし、下手をすれば分隊長三人が全滅する可能性だってある。

 いざという時のためにも、ジュリアさんはレスキューカッツェには欠かせない存在なのだ。自分一人でも助けようとする程の責任感を持つ、フラヴィさんにも劣らないくらいに。


 その想いが伝わったのか、肩越しにこちらを一瞥したジュリアさんは再び「しょーがねぇな」と肩を竦めて、俺の傍らを通り過ぎ――


「坊やがあと十年くれぇ早く産まれてりゃ、ちったぁ考えてやったのによ」

「……?」


 ――要領を得ない捨て台詞を残して、船の外へ飛び出していった。ぷるんと胸を揺らしながら豪快にボートに乗り込む様は、さながら歴戦の女海賊のようだ。


 何が言いたかったのかはイマイチわからなかったが……まぁ、それはひとまず置いておくかな。今は――「全て」の人間を救出することに専念しよう。


 女性客はもちろん、フラヴィさんも。

 そして、俺自身も。


「よし……行くか」


 ……目指すは、フラヴィ班が最初に着地していた、船体前方にある内部への入口。

 最後の救出対象を求め、俺は急な坂道となった床を駆け上がっていった。

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