第一章 ヒーローの凱旋

第158話 ドラッヘンファイヤー、出動

 ――二〇三〇年、五月上旬。


 東京湾の夜空を飛ぶ、「救芽井エレクトロニクス」が所有する三台の専用ヘリ。そのうちの一機に俺……一煉寺龍太いちれんじりゅうたは、その身を置いていた。


 満月の光を浴び、神々しい輝きを放つ海。本来ならば、そんな景色を優雅に拝めていられたのだろう。

 ――しかし、現実に眼前で広がっている夜景は、そんな悠長なものではなかった。遥か彼方にぼんやりと見える、不自然な赤い光。

 その煌めきは、漆黒の夜空を夕暮れのように照らしているのである。何もかも、焼き尽くすように。


『目標地点まで、残り四百メートル! そろそろ見えて来たぜぇ、一煉寺の旦那ァ!』

『正式な資格者としては初陣になりますね、一煉寺様。――いえ、「救済の超機龍ドラッヘンファイヤー」様、とお呼びした方がよろしいですか?』

「いや、いつも通りでいいぜ。なんだかんだで、やることは普段と変わりないしな」


 俺の右手首に嵌められた真紅の腕輪から、荒っぽい叫びと穏やかな囁きが矢継ぎ早に飛び出して来る。通信相手は、この仕事で俺がよく世話になっている人達だ。

 ……ちなみに、両方ともれっきとした女性である。


 俺達は今、着鎧甲冑を用いた救助活動を要請され、ヘリで現場に急行しているところだ。


 東京に向かって航行していた豪華客船が、突如爆発事故を起こしたという非常事態の連絡を受け、緊急出動することになったのである。

 沈没する可能性も高いことを考えれば、相当に深刻な事態だ。


『……しっかしよォ、いけ好かねぇ成金共がプカプカしてるとこを助けに行けだなんて、樋稟お嬢様も随分と癪に障る仕事を押し付けてくれたもんだ』

『ふふ、フラヴィ隊長ったら相変わらず嘘ばっかり。樋稟お嬢様が私達に出動を要請されるより早く、隊員全員にヘリに乗って救助に向かうよう大声で指示されていたのはどなたです? それも、隊員達の夕食をひっくり返しながら』

「そーそー。おまけに試験の疲れを癒そうと、ぐっすり寝てた俺まで説明抜きに引きずり出しやがってよ。ま、仕事自体は望むところだけどさ」

『や、やっかましい! いいかテメーら、今回の任務でアタイら「レスキューカッツェ」の有り難さってヤツを、スカした金持ち共に見せ付けてやるんだ! そのためにも、ぜってぇに死者は出しちゃならねぇ! 全世界最高峰の「R型ヒーロー」を結集した超エリート部隊のイカした面に、泥塗るんじゃねェーぞッ!』


 この生真面目な姿勢に相反する、つっけんどんな口調の持ち主は――フランス出身のフラヴィ・デュボワさん。

 世界に四十人だけ存在する「R型ヒーロー」の中でも、ずば抜けた能力を持つエリートだけを結集した、救芽井エレクトロニクスお抱えの特殊部隊「レスキューカッツェ」のリーダーなのだ。

 ちなみに現在二十六歳独身、彼氏募集中とのこと。


「おうっ! ……だけど、随分と火の手が上がってんな。避難状況はどうなってるんだ?」

『はい。先行したヘリの情報によりますと、救命ボートも救命胴衣も足りてるはずなのですが……船内から吹き出ている火災のせいで、乗客も乗員も酷いパニック状態のようで……。動転する余り、胴衣も付けずに海に飛び込んでいる者も多いのだとか。加えて、船体も徐々に傾き出している模様です』

「……ひでぇ。ディヴィーゲマントが多めに配備されてて良かったよ。救命ボートを取りに行くより、こっちで広げちまった方が早いもんな」

『えぇ。全員で一斉に展開すれば、胴衣なしで海に落ちた人数分は拾えるはずです。他の乗員や乗客も、低体温症になる前にマントを補充すれば補えるでしょう。その間に、他のメンバーで火災の鎮火に向かうのが得策かと』


 粗暴な言葉遣いが際立つフラヴィさんとは違う、穏やかな物腰と透き通るような囁き。

 その声の主は、アメリカにある救芽井エレクトロニクス本社から出向してきた、「レスキューカッツェ」の副隊長。ジュリア・メイ・ビリンガムさん、二十四歳。

 救芽井エレクトロニクスが創設された当初から、テストパイロットとして着鎧甲冑の量産開発に協力していたというベテランヒーローだ。


 彼女達二人は今、俺が乗っているヘリの両脇を挟んで飛行中の、残りの二機に一人ずつ乗っている。それぞれが、ヘリに乗っている他の隊員達を統率する分隊長となっているのだ。


 そして俺も、今回は暫定的にその立場に就いて活動することになっている。これまでも、彼女達とこうして一緒に出動することが多かったのが、その理由だ。


 センスの古い真っ赤なユニフォームとマントを纏う俺の背には、似たような格好をした女性が数人。

 個人の格闘能力が何より求められる「G型」とは違い、「R型」は身軽さが強力な武器となっているらしく、「レスキューカッツェ」の隊員は全て女性で構成されているのだ。


 彼女達の制服はデザインこそ俺と同一のものだが、色調が純白で統一されている、という相違点があった。警察用の「G型」もレスキュー用の「R型」も、俺以外の資格者は全員このユニフォームなのである。


 ――つい先日、俺は着鎧甲冑の所有資格に合格し、事実上の最年少資格者になった。しかも、「G型」と「R型」の両方の試験に合格した、初の新人ヒーローとして。


 ……にも関わらず、この件はマスコミには公表されておらず、世間でも俺のことはこれっぽっちも話題にされていない。

 着鎧甲冑の資格者が国内から輩出された、ということだけでも号外が出る程の大ニュースだというのに。

 理由は簡単。

 どちらもボーダーラインギリギリの「補欠合格」だったため、授賞式が一年間延期されることになったからだ。

 その時までの間は、正式な資格だけを持つ「見習い」として扱われるため、社長の救芽井甲侍郎さんの判断により、来年まで俺のことは伏せられることになったのである。


 つまるところ、俺は正式な資格者としては試用期間中、というわけなのだ。

 ま、何の資格もないのに社長令嬢と仲がいいってだけで、高性能専用機の「救済の超機龍」を使って活動していた去年と比べれば、まだ正当な資格を得たと言える方ではあるだろう。


 ……そんなことを思い返しているうちに俺達を乗せたヘリは、例の豪華客船の真上にまで迫ろうとしていた。

 耳をつんざくようなヒステリックな叫び声が引っ切りなしに轟き、俺の意識を一瞬で現実に呼び戻す。


『残り百メートル! さァてめーら、腹括んな! デュボワ班は火災の鎮火! ビリンガム班は乗客乗員の誘導! 一煉寺班はディヴィーゲマントで海に漂流してる連中の回収に向かいな!』

『ふふ、了解です隊長。一煉寺様も、準備はよろしいですか?』


 ――天を衝くように燃え盛る、全長二百五十メートルの豪華絢爛な船体。逃げ惑う人々の悲鳴が響いて来るに連れて、視界全体に猛火が広がっていくようだった。


「……ああ! 一人残らず拾って見せる!」

『よぅーし、その意気だぜ旦那ァ。んじゃあ、行くぜ! 総員着鎧用意ッ!』


 その状況に気を引き締め、俺は唸るような声を上げる。次いで、フラヴィさんが通信越しに気合いを入れた瞬間、俺を含む隊員全員が、一斉に「腕輪型着鎧装置」を口元に寄せた。


 ……この一年間、「救済の超機龍」として年がら年中、レスキューヒーローとして活躍してきたんだ。この程度の現場、屁でもない。

 プロとして――どんな人間でも救える「怪物」として。絶対に、誰ひとりとして見逃さない。


 さぁ……始めるか。


『作戦開始ッ! 「レスキューカッツェ」、全員降下だァッ!』


 その指示が、下される瞬間。


『着鎧――』


「――甲冑ッ!」


 俺達全員が、同時に同じパスワード音声を腕輪に入力し――レスキューヒーローとしての姿である、パワードスーツを身につけた。仲間達は、純白のスーツ「救済の龍勇者」を。俺だけは、二本の角が付いた深紅のスーツ「救済の超機龍」を。

 そして全員が「着鎧」――すなわち変身を完了させるのと同時に、部隊全体に動きが現れる。


 フラヴィさんが紛する「救済の龍勇者」は数名の部下を引き連れ、燃え上がる船上へ一気に飛び込んでいく。着鎧甲冑ってボディラインが露骨に出るから、着鎧する人によっちゃ目のやり場に困るんだよなぁ……。


『では、一煉寺様。お先に――』


 そして、ジュリアさんも純白のヒーロースーツを纏い、フルフェイスのマスクで顔を覆い隠した仲間達と共に、船の端で逃げ惑う人々の元へ優雅に降り立って行った。

 さながら、地上へ舞い降りる天使達のように。


『――ッシャアアァアア! いくぜ野郎共ォオォオオラァッ!』


 ……着鎧した途端、フラヴィさん以上に荒ぶり出したジュリアさん本人だけは別として。


「よしッ……! 俺達も行くぜッ! 総員降下ッ!」

「はッ!」


 そして、隊長と副隊長が無事に船上に着地して、各々の双丘を盛大に揺らしている頃には、俺達もマントを靡かせヘリから一斉に飛び出していた。一人だけ両角の付いた赤い奴が居たり、三分隊で唯一「マント」を装備した集団だったりとイレギュラーな要素があるせいか、乗客達の注目を一番集めているような気がする。


 ――余談だが、フラヴィさんとジュリアさんは両方とも部隊随一の巨乳だ。

 加えてどちらも体格や(根っこの)性格がほぼ同じなので、着鎧によって顔が隠れている場合、彼女達を見分ける際には胸の揺れ方を見定めるテクニックが要求されるのである。

 着地時の揺れ幅が大きく、ぶるるんっと派手に揺れるのがフラヴィさん。彼女程の大きさには至らないため、ぷるんっと小さく揺れるのがジュリアさんだ。

 今回は分隊ごとに役割が割り振られてるから、そんなところを見なくてもどっちがどこを担当しているのかはすぐにわかるのだが――今の俺なら、その情報がなくたって二人を判別出来るんだぜ。ドヤァ。


「一煉寺分隊長……」


 ……などという意味のないスキルに酔いしれてる場合じゃねぇ。なんか後ろの隊員達の視線がヤベェぞ。

 そろそろ――俺も本領発揮と行くか。


「各員、ディヴィーゲマント展開ッ! 誰ひとり見落とさないでくれよッ!」


 まっすぐに船上へ飛び降りていく他の二分隊とは違い、俺達は船の近くの海上へ降下していた。風を切る音にヘリのローター音がかき消され、視界に大海原が広がっていく。


 眼前に迫る、月明かりと炎に照らされた海面。そこへ仮面越しの視線を集中させ、俺は背に纏っていた赤いマントを空中に広げると、ベルトに装着されたバックパックから一本のチューブを引き抜いた。

 そして「救済の超機龍」の特徴である頭部の両角にチューブを繋ぎ、マントにも同様に接続する。


 すると、俺の両角に詰まっている「空気」が、マント「だったもの」を際限なく膨らませていく。まるで、風船のように。


「おしっ……!」


 そして、俺の身体が海に激突するよりも早く――深紅のマントだったはずの物体は、全長二十メートルにも及ぶ、真っ赤な巨大ゴムボートに大変身していた。


 ――「R型」の基本装備である、大量の空気を詰めた酸素タンク。それを特殊ゴムで構成されたマントに注ぎ込むことで、巨大かつ丈夫なゴムボートを、一瞬で作り出してしまうのだ。

 いわばこのディヴィーゲマントは、空気を吹き込む前の風船のようなモノなのだ。


 俺に続いて飛び降りてきた隊員達も、腰に装備している酸素タンクを自分達の白いマントに注ぎ、次々と真っ白なゴムボートを作りながら海上に着地している。

 ……いいなー、俺なんか酸素タンクが頭の角にしかないから、ゴムボートを作ったら角が萎んで犬耳みたいになっちまうんだぞ。カッコ悪いったらありゃしない。


 ――ま、それで助かる命があるなら安いものさ。


「よし、全員ゴムボートは用意できたな! これより、乗員乗客の回収に向かう! 船の沈没で渦が出来たら、救助が困難になる! みんな、急いでくれっ!」

「了解!」


 俺の指示を受け、隊員全員が声を張り上げる。既にここにいる全ての隊員が、自分が作ったゴムボートの上に着地していた。


 今の俺達の使命は、海に投げ出された人々を一人残らず救出すること。特に救命胴衣を持たない人間は、救出を急がなければ力尽きて海に沈んでしまうだろう。

 事態は、一刻を争うのだ。


 「なんとしても、全ての人間を救い出す」。

 眼前でもがき苦しみながら、助けを求めて叫びを上げる、夥しい数の人々を目の当たりにして――俺は、己の任務を再確認させられたのだった。


「……さぁ、作戦開始だッ!」

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