第147話 迫り来る終末

「ライ……センス?」

「ああ。母さん、俺はこれからも――続けていくよ。着鎧甲冑で救う仕事を」


 絶対に反対される。そんなことは、わかりきっていた。

 母さんが俺の身を案じて、着鎧甲冑を嫌がっているのはわかるし、仕方のないことだとも思う。自分の家族が一生消えない傷を負ったとあらば、元を辿った先にいる人間に矛先が向かってしまうことも、避けようがないのだろう。


 ――だが。そうだとしても、俺は引くことができない。他の誰かのためじゃなく、俺個人のエゴのために、俺はこの生業を選ぶ。

 だから……残念ながら、兄貴の後追いは叶いそうもない。俺は、趣味を仕事にはしないことにした。


 兄貴や親父は、そんな俺の発言について肯定的な目線を送っている――が、母さんだけは違っていた。


「太ぁちゃん。あなた、前にも着鎧甲冑っていうのに関わって、怖い目に遭ったんでしょ? 今回だって、ずっと消えない傷が顔にまで付いて……。あなたが何を見てそう思ったのかは知らないけど、ママとしては、そんなお仕事を応援することはできないわ。ライセンスなんて、必要ないわよ」

「……ッ」


 母さんの歯に衣着せぬ物言いに、救芽井はいたたまれない様子で、唇を噛み締める。その瞳は自責の念を浮かばせており、両肩は小刻みに震えていた。

 困ったように眉を潜ませながらも、笑顔そのものは絶やしていない母さんだが、その言動には一切の容赦がない。表情と相反するその辛辣さに、辺りの空気も僅かに強張った。


「おい、親父。止めなくていいのかよ」

「龍太の人生に関わる以上、避けては通れん道だ。少々気の毒だが、ここは本人達の意気込み次第となる」

「うっへ、厳しいねぇ」

「夢を追う男の道に、茨以外に似合うものはない。お前の場合は叶えてからが、茨の本番だがな」


 一方、兄貴は小声で親父に話し掛け、母さんを制止するように呼び掛けている――が、親父はあくまで見守る方針のようだ。こりゃあ……助け舟は期待しない方がいいかな。


 そしてその頃も、救芽井は追い詰められた様子で唇を噛み締めていた。

 ……確かに救芽井に会うことがなければ、着鎧甲冑に関わることも戦うことも、傷付くこともなかっただろう。だけど、俺はそれを悔いてなんかいない。

 どんな痛い目に遭っても、そう思わないくらい……彼女の存在は大きいのだ。少なくとも、俺にとっては。


「母さん。何がきっかけでも、俺が俺の意思でライセンスが欲しい……って思ったのは、事実なんだ。俺はこれからも『救済の超機龍』でありたいし、いつまでも無免許でいるわけにもいかない。――『今の俺』は、着鎧甲冑で誰かを助けられる、そういう仕事がしたいんだよ」

「太ぁちゃん……。あなた、本気なの? そのためなら、危ない目に遭ってもいいって言うの? また、戦うっていうの?」

「危ない目に遭わなきゃいいんだ。俺は、今よりもっと強くなる。今回みたいな危険なんか、無傷で跳ね返すくらいにな。それに……拳法をやらせたくなかった、っていう母さんの気持ちには応えられないかも知れないけど、『命を助けるため』の仕事なんだから、拳法で戦うばかりにはならないよ。必要かも知れないから、鍛えるだけだ」

「――命を助ける、ため?」

「ああ。助けに行くための力で、助けられる人間を助ける。無茶でもなんでもない。自分にできる、自分にやりたい仕事ってだけなんだよ」


 笑顔のまま訝しむ母さんに、俺は畳み掛けるように説得を試みる。救芽井が誇りを以って形にしてきた着鎧甲冑を、本人の前で否定されるわけには行かない。

 確かに痛い目には遭ったかも知れないが、今回みたいにボロボロになるまで殴り合ったり、死にかけたりするような事態が、ホイホイと繰り返されるわけじゃない。そうならないための「着鎧甲冑」で人助けをしようってんだから、無理な筈はないんだ。


「その無茶じゃない仕事のために、太ぁちゃんが危ない目に遭ったってこと? 着鎧甲冑って、本当に頼りになるのかなぁ? ママ、心配」

「大丈夫なはずだ。……いや、絶対に大丈夫。久水達が味方に付いてくれたおかげで、救芽井エレクトロニクスも軌道に乗ったって話だし、着鎧甲冑は今より頑丈になるさ。俺自身も強くなって見せるし、もう母さんに心配掛けるようなことにはならねぇよ。だから――俺にもう少し、チャンスをくれないか、母さん」

「……ふぅん?」


 母さんは相変わらず苦笑した表情のまま、救芽井の方に顔を向ける。再びあのオーラを当てられ、彼女の肩は一瞬怯んだように跳ね上がった――が、その眼は屈してはいない。


 救芽井自身、言われっぱなしではいられなくなったようだ。明らかに、気圧されていた時とは異なる雰囲気を纏っている。


「救芽井さん。あなた、太ぁちゃんに『危険な戦い』に向かう仕事をさせてるんじゃないかしら? 仕事を任せる以上、フォローしてあげる責任はあると思うんだけどなー……?」

「……災害救助が主である以上、レスキューに向かう資格者の安全が、完璧に保障されることはありません。G型は格闘能力が要求され、R型はレスキュー能力が重視されていますが、龍太君ならそのどちらにも適応できる、という期待があります。それゆえに、彼に――『救済の超機龍』に掛かる負担も軽いものではないでしょう。災害と戦うにしても、人間と戦うにしても、彼の活動に危険が付き纏うのは、否定できません」

「そう。じゃあ太ぁちゃんに夢と力を与えておいて、もし万一のことがあったら、太ぁちゃんのせいにするのね?」

「お、おい母さん! いくらなんでも言い過ぎ――」


「――ですが、お義母様!」


 救芽井に対し、にこやかな笑みに反した苛烈な追及を続ける母さん。俺はそのあんまりな言い草に「さすがにマズい」と判断し、止めに入ろうとしたのだが……その言葉を遮って、救芽井が凛とした声を上げる。


 揺るぎない信念を宣言するかのように、その声色に曇りはない。さながら、先陣を切って戦場に立つ英雄のようだ。


「今回の件を受け、本社では『救済の超機龍』を含めた着鎧甲冑全体の装甲強化が検討されており、着鎧する資格者の保護に重点を置くスタンスが確立されようとしております! もちろん、両方のシステムを兼任できる龍太君の活動を、バックアップする計画も進行中です! 龍太君を無益に傷つけないための整備に、抜かりはありませんッ!」

「……あら、まぁ」

「お義母様ッ! 確かに今回は我社の計画のために、御子息を傷つけてしまいました! ですが、それでも龍太君は――『着鎧甲冑で救う仕事を続けたい』と、言ってくれたんです! 私は、その気持ちに応えたい! どうか今一度、私にそのチャンスを与えてくださいッ!」


 全身全霊を込めた、本気の説得。彼女の姿勢は、まさしく真剣そのものであった。

 周囲を圧倒する、そのありったけ真摯さを母さんにぶつけ――最後に彼女は、深々と頭を下げた。


 母さんはそんな彼女の全力を目の当たりにして、「困ったわねぇ」と頬を撫でている。

 一見すると、今まで通りに笑っているように見えるが――その目は、何かを見定めるようにスゥッと細められていた。まるで、獲物を見つけた鷹のように。


「……久美。本人達にここまで言わせれば、お前も十分だろう。この子らは、自分達で何とかしてみせると言っておるのだ。子を守るのが親の役目なら、『見守る』のも役目の一つだ」

「あなた……」

「なに、心配ない。これからは俺が龍太を鍛えるんだ。本人が言う通り、『どんな危険も跳ね返せる男』になるさ」


 ――へ?


「お、親父? 親父が鍛えるって、どういうこった?」

「お前のことだから、今後もその道を進みたがるだろうと思ってな。昨日のうちに龍亮と話し合い、あいつからお前の師匠役を引き継ぐことになったのだ。松霧町の近くに転勤になったから、俺だけ町に帰ってくることになったしな」

「そーそー、生半可な鍛え方のせいで死なれちゃ、一煉寺の名折れだもんな。いっぺん絞られてみたらどうよ、ウェヒヒ」

「う、うそぉおおぉおんッ!?」


 なにそれ死ねる。なんでこのタイミングで親父が帰ってくるんだよッ! せっかく一人で、死なない程度に鍛えられるメニューを考えてたってのに! つーか兄貴、そのムカつく笑い方はやめろッ!


 ……や、やべぇ、親父の修練なんて耐えられるのか!? 戦闘ロボットを素手で破壊する兄貴でさえ、音を上げるレベルだって聞いてるぞ!?


「技に関してのお前の成長速度は、俺や龍亮を遥かに凌いでいる。よりによって拳法を学ばせまいとしていたお前が、最高の素質を持っていたとは皮肉な話だが――お前が望む以上、俺も遠慮はしない。退院後が楽しみだな、龍太よ?」

「二十一世紀史上、最強の拳士を目指せるかもな? お兄ちゃん鼻が高いよ」


 そんな俺の動揺をよそに、兄貴はニヤニヤと楽しげに笑っている。ち、ちくしょう、この状況を楽しんでやがるッ!


 そして過酷な未来を憂い、頭を抱える俺を見つめていた兄貴は、誰にも聞かれないよう、静かに呟いていた。


「……だから、簡単には死ぬんじゃねぇぞ、龍太」


 その言葉を知る由は、俺にはない。


「あらあら、私達すっかりお邪魔虫になっちゃったわねぇ」

「……救芽井さん、頑張ってる……」

「あ、あわわわ……! きゅ、救芽井、大丈夫なんやろか……」

「――やりますわね。さすがは、同じ殿方を愛する女。それくらい言えなくては、張り合いがありませんわ」


 一方、他の女性陣はすっかり救芽井と母さんの対決に注目しており、完全に俺のことを失念していらっしゃる。


 伊葉さんや古我知さんも生暖かく見守るばかりだし……ああもう、なんで誰も助けてくれないんだッ!


 ――いや、今はそれどころじゃない。救芽井の本気を受けた母さんは、どう感じたのだろうか。どのような答えを、返すのだろうか……。


 母さんは穏やかに口元を緩めつつ、薄く開かれた瞳で救芽井を見つめている。今まで以上に険しいオーラを浴びせているようだが――救芽井も、引き下がる気配がない。


「……太ぁちゃんの名前はね。ママが付けたのよ」

「えっ……?」


 しかし、一触即発とも言うべきこの静寂を切り裂いたのは……この空気との関連が、まるで見出だせないような話題だった。俺の名前……?


「お父さんが護身術ってことで、亮ちゃんに拳法を教えはじめた頃よ。ママが、太ぁちゃんを授かったのは。……お父さんは私のためにお寺を出て、拳法漬けの生活を止めてくれたけど、『護身術』の範疇でも、お父さんの拳法指南は凄すぎたの。亮ちゃんも、最初は凄く嫌がってたわ」

「あ、あのお兄さんが……?」

「でもね。ママが太ぁちゃんを身篭ってから、亮ちゃん、変わったのよ。『ぼくが弟を守るんだ!』って、張り切っちゃってね。それでいつの間にか、お父さんみたいなめちゃくちゃ強い拳法家になっちゃって。強くなったのはいいけど、これじゃ寺を出る前と変わらないって、ママ、泣いちゃったんだ」

「そんな……」

「――だからお父さんと相談して、次に産まれて来る子供には、もう拳法は教えないことにしたのよ。太ぁちゃんの名前には、『拳法に頼らない生き方でも、太く、逞しく育つように』って願いが込もってるの。私達家族みんなで、太ぁちゃんを守るために」


 今までの話と、何の関係があるのか。そんな俺の疑問を押しのけるように、母さんは俺の名前の由来を語る。


 そんな話は初めて聞いたが――まさか、兄貴にそんな経緯があったなんてな。照れるように頭を掻きむしる一方で、決して否定はしていない兄貴の様子を見るに、事実には違いないようだ。


 しかし、俺の名前がそんな経緯で付けられていたとはな……。今のままじゃ、名前負けになりかねないじゃないか。拳法に頼らないどころか、その修練に傾倒しなけりゃ、死にかねない世界に居るのだから。


「だからね、ママは太ぁちゃんに『拳法の力を必要とさせた』あなたのことは、どうかなーって思うの。今後もあなたに関わり過ぎたら、太ぁちゃんを危険に晒すことになる、というならなおさらね」

「……」


 救芽井に関わり、着鎧甲冑を使った活動を続けていく。どうやらそれは、俺に付けられた名前の意義を否定することになってしまうらしい。少なくとも、母さんはそう主張している。


 ――だが、俺はそうは思わない。俺が目指しているレスキューヒーロー……いや、「怪物」は、そんな戦うばかりの在り方ではないからだ。

 目の前に転がってる命を拾うため。それこそが俺の本懐であり、着鎧甲冑の存在意義だったはず。戦いなんてものは、脅威を跳ね退けるためのオマケでしかないのだ。

 確かに拳法に頼らなくちゃ、死ぬような状況にもなったが……俺は、戦うことだけの「怪物」を目指した覚えはない。まだ、名前負けには成り切っちゃいないはずだ。


 そんな俺の心境を知ってか知らずか、母さんはさらに言葉を紡ごうと口を開く。だが、そこから飛び出てきたのは――


「だけど、『助けに行くための力で、助けられる人間を助ける』……。本当にそういうお仕事なのなら。『戦う』ことより『助ける』ためのお仕事なのなら……ママも、少しだけ考えてあげようかな」

「えっ……!」

「今のままじゃ、名前の通りにもならないしね。もし本当に太ぁちゃんを、拳法だけじゃない逞しさのある子にできる、というのなら……『お友達』から『親友』にランクアップさせてもいいかしら」


 ――俺が警戒していたような内容では、なかった。むしろ、俺の思いに通じるものが感じられる。


 救芽井の熱意に動かされたのか……表情が変わらないままではあるものの、口調の方にはかなりの「優しさ」が戻ってきていた。


 そして、そんな母さんの様子の変化を前にして――救芽井は心の芯から救われたかのように、その麗顔を目一杯輝かせる。


「お任せ下さい、お義母様ッ! 必ず龍太君を、名前の通りの素晴らしい『ヒーロー』に育てて見せますッ! 私自身の全身全霊を込めてッ!」


 希望に満ちた瞳で、母さんを見つめる救芽井。その姿からは、さっきまでの沈んだ様子とは掛け離れた「生気」が放たれていた。

 そして、彼女を見つめる母さんの眼差しも、自分の子供に注ぐような暖かさを滲ませている。


 ――どうやら、母さんなりにも納得しようとしてくれているらしい。なんとか、着鎧甲冑での活動を続けることは許してもらえそうだ。


「龍太君っ! 頑張ろっ! 頑張ろうねっ!」

「あぁ。所有資格の試験のこと……教えてくれるか?」

「うん、もちろんっ!」


 親に褒められた子供のように、救芽井は無邪気に大はしゃぎしている。そんな彼女の様子を見て、周囲のみんなも一安心したように顔を綻ばせていた。飛び跳ねる彼女の体に合わせて、そのたわわな胸が上下に揺れているのは――ご愛嬌ってことにしとくかな。


 これからは親父の修練にヒィヒィ言いながら、救芽井と所有資格のための試験対策に挑むわけか……。自分で言い出しておいて難だが、退院しても元気でいれる気がしないぜ。


 ……けど、悪くない、と思う。そんな毎日でも、得られるものは確かにあるんだから。


 しかし、その時。伊葉さんと古我知さんが穏やかな面持ちで俺に歩み寄り――


「だが、その前にまずは一般的な学業からだな、一煉寺君。今日は八月二十九日……君も近々退院する予定らしいし、すぐに学校が始まるだろう」

「そうそう。着鎧甲冑の試験より先に、学校の勉強をしないとね、龍太君」


 ――衝撃の事実を告げてきた。二人とも、俺の肩を優しく撫でながら。


 に、二十九日……!? もうそんなに経ってたっけ!?


 確かに十日も寝てたらしいから、それくらいでもおかしくないけど……イロイロありすぎて、今まで全然気が付かなかったッ!


「……あ」


 そして、次の瞬間――俺の精神は、ある境地に達した。


 それは、夏休みという悠久の安らぎを経た人間が、誰しも一度は到達するであろう、絶望と恐怖の次元。


 二学期という悪夢の襲来さえ及ばない、人類共通の災厄にして、破滅の象徴。


 その受け入れ難い現実を思い起こし、俺はただ独り戦慄する。


「宿題――やってねぇ」


 迫る終末に、抗えない弱者の如く……。

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