第144話 確かな体温

 黒いスーツに身を包む、二人の男性。古我知剣一と伊葉和雅は、この病室に来た時から、唖然とした表情で目を見開いていた。

 まぁ、当然だろう。部屋に入る前から飛び出してきた矢村と出くわし、何があったのかと駆け付けてみれば、救芽井と久水が膝を抱えて沈んでいたというのだから。


「あのキスのことか……確かに、樋稟ちゃんにはショックだったろうねぇ」

「うそ、うそよぉ……わた、私、龍太君のほっぺにまで、二回も、二回もしてあげたのにぃ……」

「……こうなれば、もっとスゴイことを、キスなんて目じゃないくらいなのを、りゅーたんとりゅーたんとりゅーたんと……」


 古我知さんの古傷をえぐるような指摘に、救芽井は涙目になっていた。一方、久水は何やら不穏な独り言を呪文のように繰り返している。


「矢村君、君もそろそろ落ち着いたらどうかね。一煉寺君も困っていよう」

「……」


 見兼ねた伊葉さんは、扉の傍で指を合わせてモジモジしている矢村に声を掛けている――が、当の彼女は頬を赤らめて俯くばかりで、全く反応を示さない。元総理大臣に話し掛けられてスルーとは……よっぽどキスの件が堪えてるらしいな。


 ……そこまで過剰に意識されると、こっちまでどうしようもなく恥ずかしくなるんだけど。それに、この先のことを考えたら、申し訳ない気持ちも出てきてしまう。

 俺がレスキューヒーローとして死ぬまで働くことになるのだとしたら、彼女の気持ちは――どうなるのだろうか。


「しかし、意外と元気じゃないか。あんな目に遭ったばかりだから、もっとナーバスになってるものかと思ってたんだけど」

「あんたと違ってバカだからな。そっちこそ、あれだけバラバラにされたってのにすっかり元通りかよ」

「元通りと言うより、開発時のデータを基に新しいパーツに取り替えたんだけどね。おかげで以前より性能アップさ。……それを誰かにぶつけることは、もうないだろうけどね」


 雰囲気を切り替えようと話題を振る古我知さんは、五体バラバラにされる前と変わらない佇まいだ。「新人類の身体」の技術を使ったボディというのは、俺が思っていた以上に簡単に替えが利くらしい。


 ――だが、彼の口調はどこと無く沈んだ色を湛えている。結果として復讐を果たしたことで、虚しさだけが残されたように。


「あんたが詳しく事情を話してくれたんだって? 世話掛けたな」

「あそこまで必死だった君の意見を、丸ごと蔑ろにしたら、後で何発殴られるかわかったものじゃないからね。……僕より、結果的に折れてくれた甲侍郎さんに礼を言えば? いつか、会いに行ってさ」

「……それもそうか。まぁ、あんたにも礼は言っとくよ」

「ふふ、どういたしまして」


 目を合わせず、俯きながら「礼」を呟く俺に対し、古我知さんは穏やかに微笑みながらこちらを見つめていた。虚しさはあれど、憑き物が取れたことには違いないようだ。

 結果的に瀧上を殺したことになり、復讐を果たしたことで気持ちに決着が付いた……というのも、あながち悪い結末ばかりではないらしい。確かに素直に喜べるオチではないが、ズルズルと復讐心を引きずり、彼まで憎悪に歪んでいくよりはマシなのだろう。


 ――そう。古我知さんの戦いは、もう終わったのだ。救芽井エレクトロニクスが久水財閥を味方に付けたことで、着鎧甲冑が埋もれていくことはなくなり、瀧上の死が確定したことで、両親の仇も討たれたのだから。


 瀧上の死も……仕方、ない。元々、瀧上の生存などありえなかった。すぐに殺されなかったのも、俺のわがままが生んだ結果に過ぎないのだ。

 彼の心を否定する権利は、俺にはない。


「……剣一、さん」


 その時、久水と一緒に部屋の隅でうずくまっていた救芽井が、泣き腫らした瞳で古我知さんを見上げた。そんな彼女の眼差しに、二年前のような敵意の色はない。

 両親をさらわれても。敵対しても。殴られても。縛られても。兄と慕っていた面影を捨て切ることは、できなかったようだ。

 そんな彼女に注がれる、古我知さんの視線も――二年前のような鋭さは、失われている。


「もう、怖いこと、しない……?」

「……そうだね。もう、しないよ。今まで、ごめんね。樋稟ちゃん」


 縋るような儚い瞳。妹を見守るような、暖かい面持ち。それが交錯している今ならわかる。これが、本当の二人なのだと。


 自分を気遣うような発言を受けた救芽井は、再び顔を伏せ、泣き始めてしまう。だが、その声色はさっきまでとは違う雰囲気を纏っていた。それが意味するものを彼女自身に問うのは、野暮だろう。


「……龍太君。自分を支えてくれた家族を裏切っておいて、こんなことを言えた義理じゃないのはわかってるけど……曲がりなりにも、彼女の傍に居た人間の一人として、言わせて欲しい」

「……」

「この娘を――頼むよ」


 彼女にとっての兄として生きてきた、古我知さん。そんな彼の懇願を聞き、俺は無言のまま静かに頷いた。


 救芽井に付き合い、彼と戦うことになった二年前のあの日から、こうなることは決まっていたのかも知れない。彼女の夢に感化され、きっかけになった本人すらおののく程の「怪物」に成り果てる、という未来は。


 彼は今後も、「妹」を泣かせないために俺を否定する立場を取るだろう。それは構わない。

 だが、それで俺の考えが揺らぐこともない。古我知さんには悪いが、やはり俺は「普通」のままではいられないようだ。

 瀧上が死ぬとわかってからは、より一層考えが固まっちまったからな。何があっても、どんな奴でも助けられる、そんなレスキューヒーローにならなくてはならない、と。


 ――もう、こんな歯痒い思いをしないように。救芽井を泣かせることにも、ならないように。


「古我知君の人生を狂わせたのも、私の責任――だな。凱樹君があのようになると予見していれば、全ては未然に防がれていた」

「和雅さん。それはもう、言わない約束でしょう。僕達は、それを償うために生きていくんだから」

「……ああ、そうだったな」


 ふと、表情を曇らせた伊葉さんに向け、古我知さんが意味深な言葉を投げかけた。その声に、虚しさの色はない。やるべきことを見つけた、男の声だ。


「償う?」

「うん。来週、僕と伊葉さんは日本を出るんだ。瀧上凱樹が滅ぼした国の、復興のために」

「私が凱樹君の起こした事件を知り、退陣した時から十年間続けていたことでな。繋がりのあるNGOに呼び掛け、破壊された町の復興を行っていたのだ。来週から数年間、私はその視察を兼ねた支援活動に向かう。――それが唯一、私に出来る罪滅ぼしだからな」

「その国の指導者が生き延びていたから、政治体制は五年程前から回復してるんだけど、治安や経済はまだまだ不安定だからね。和雅さんのボディーガードとして、僕も同行するってことさ」


 ……瀧上が滅ぼした国、か。あの映像で見た惨劇以来、ずっと荒れ果てた砂漠のままなのかと思ってたけど、少し杞憂だったらしい。

 あの国の人達は、まだ生きている。あんなことがあっても、強く生き続けてるんだ。


「そう、か……。なんだろうな、遠い国の――知らない国の話なのに、妙に勇気付けられちまう」

「同じ災厄とぶつかった者同士、だからかもね。僕も『瀧上凱樹を殺した罪』は、僕自身のように『彼に家族や未来を奪われた人達』のために働くことで清算するつもりだ。それを何年、何十年続ければ罪が消えるかはわからない。だけど、仮に消えない罪だとしても、僕には償い続ける義務がある」


 恐らくはこの復興支援に、償い以上の生き甲斐を感じているのだろう。俺に共感を示す彼の口調は、まくし立てるように強い。


「甲侍郎も、救芽井エレクトロニクスの経営と『救済の龍勇者』の生産活動が軌道に乗れば、協力すると約束してくれたよ。……しかし、君にも随分と迷惑を掛けてしまったな、一煉寺君。まさか、この件にここまで君を巻き込んでしまうとは予想外だったよ。本来なら甲侍郎が突入した時点で、君を退避させるつもりだったからな……」

「ゴロマルさんもそうだけど、みんな過ぎたことを掘り返し過ぎだよ。予定には沿わなかったかも知れないけど、四郷は助かったんだから結果オーライってことでいいじゃないっすか。……そうだ。ゴロマルさんはもう成田に行っちまったのか? もうちょっと話したかったんだが」

「ゴロマ……? 稟吾郎丸氏のことか? 彼なら、もうこの町を出ておられる。飛行機の予定時刻が早まったらしくてな。確か、自分の代わりにスペシャルゲストを呼んだ……とか言っていたが」

「スペシャルゲスト?」


 見舞いにスペシャルとかあったのか。つーか、ゴロマルさん行っちまったのかよ……ちょっと寂しくなってきたぞ。もうちょっと昔話に興じたかったのによ。


「とにかく、龍太君。瀧上凱樹にやられた国のことは僕達に任せて欲しい。代わりに、君が今後もレスキューヒーローを続けるつもりなら、樋稟ちゃんのこと……頼むよ!」


 一方、古我知さんは俺が無茶苦茶しないかが余程心配なのか、手まで握って来る。あんたはウチのオカンか……。


 ――その時。


「はーい、ちょっとお邪魔しちゃうわよ」

「……お邪魔、します……」


 聞き覚えのある女性の声が、二つ。


「し、四郷ッ……!?」

「鮎子! リハビリお疲れ様ですわ!」

「四郷! もうリハビリ終わったん? 順調やなぁ」

「来月には歩けるそうじゃない。やったわね!」


 それが聴覚に届く瞬間、俺は思わず声を上げる。次いで、救芽井と矢村と久水が彼女に労いの言葉を掛けた。


「あ、鮎美さんッ!」


 さらに古我知さんが頬を赤らめて驚愕し、この場にいる全員の視線がそこへ集中される。


 部屋の入口から俺達を見詰めている、水色のショートヘアの少女。そして、その少女を乗せた車椅子を押している、蒼い長髪を束ねた美女。


 間違いない。間違えようがない。四郷鮎美と――四郷鮎子。生身の肉体を取り戻した正真正銘の「姉妹」が、そこにいるのだ。


 車椅子に乗った四郷は、相変わらずの無表情だが――その肌のみずみずしさは、以前とは掛け離れた温もりを湛えている。見ているだけでわかるのだ。もう彼女は、機械の身体ではないのだと。


「……あら。ホントにお邪魔だったみたいね。鮎子、どうする?」

「……大丈夫。男に走るつもりなら、少しずつ矯正していけばいい……」


 ――って、男に走る? 四郷は一体何を……?


「ちょっ、誤解です鮎美さんッ! ぼ、僕はただ龍太君が心配でッ!」

「あらあら、恥ずかしがることないじゃない。いいわよぉ別に。組み合わせ的には悪くないから」

「うぐあぁあああッ!」


 古我知さんは急に俺の手を離すと、顔を赤くしたまま必死に身振り手振りで何かを弁解している。まるで、浮気の言い訳をしてる夫みたいだな。……いや待て。浮気ってなんだ。誰が誰と浮気なんだ。

 一方、そんな彼の反応を楽しむように、所長さん――否、鮎美さんは妖艶な笑みを浮かべている。組み合わせ……?


 何がなんだか正直さっぱりだが、古我知さんが頭を抱えて絶叫しているところを見るに、あまりいい話ではないのだろう。釈然としないところはあるが、迂闊に詮索しない方がいいのかも知れない。


「……鈍感」


 そして、そんな俺に対する四郷の指摘は相変わらず手厳しい。だが――その口元に伺える僅かな緩みを、俺は見逃さなかった。


 その緩みにある、確かな体温を。

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