第138話 貴様にだけは

 巨壁に砕かれた俺の拳は、だらりと赤い液体を垂らして小刻みに震えている。空気に触れられているだけで、そこに矢を刺されるような鋭い痛みが、絶えず猛威を振るっていた。


「ぐっ、あ……!」


 決して途切れることのない激痛の嵐。それを受け続けて無表情でいられるほど、俺は強くはない。思わず顔をしかめてしまった俺は、せめて気持ちだけは屈しまいと眼前の鉄人を睨み上げた。


「ガ、ゴ……コォーッ、コォーッ……!」


 しかし、向こうの様子もただ事ではない。鉄兜の奥で光る血走った凶眼は、激しく焦点を揺らしており、まるで故障したロボットのような挙動をしきりに繰り返していたのである。


「……!?」

「ゴーッ、ゴオッ! ガ、アオォア……!」


 俺と脚をもがれた古我知さんを交互に見遣り、腕を振り回しては、奇声を発する。そんな動きばかり見せている彼は、もはや正常な意識は保っていないようだった。


 だが、よくよく考えてみれば当たり前のことだろう。

 水が苦手な「新人類の身体」が、海水に落下した挙げ句「新人類の巨鎧体」の爆発に巻き込まれた。そんなことになって生きていること自体がほぼ奇跡なのだから、何らかの意識障害が起きたって不思議じゃない。

 実際、肘と膝の関節や、頭の部分からは煙まで噴き出しているのだ。ガタガタなのは向こうも変わらない、ということらしい。


 ――それでも、状況が絶望的なことには変わりない。こちらの戦う手段は実質なくなってしまったが……向こうは正気じゃなくなっても、戦う意識自体と鋼鉄の身体は健在なのだ。古我知さんを砕いたあの一撃が、それを証明している。


 もはや、打つ手はない。俺も古我知さんもこの狂人に殺されて終わり、彼自身もグランドホールの崩落に飲まれて消える。

 そして死者三名を出したこの事件は、メディアへの露出を嫌う政府に揉み消されて迷宮入り。それが、俺達に残された運命なのだろう。……どうしようもなさ過ぎて、逆に冷静になってしまうな。


「ぐっ、お――あぁああぁああッ!」


 しかし、その上で――俺は敢えて立ち向かうことを選んだ。屈しないという想いを心持ちだけで終わらせたくない、という意地だけを理由に。

 身体の芯から唸り、そびえ立つ最大の障壁に飛び掛かる俺は、膝へ、脇腹へ、鳩尾へ。煙が出ている場所を弱点と睨んで、ひたすら回し蹴りを叩き込んでいく。


 ――古我知さんは立つことも出来ず、「救済の超機龍」もバッテリー切れ。瀧上さんは生きているどころか、ますます狂気に包まれ手が付けられなくなっている。

 「普通」に考えれば、どう転んでも俺達に勝機などない。瀧上さんを助けるなどと抜かしておいて、なんてザマだ。


 だが、だからといってこの現実を黙って受け入れられるほど、俺は利口でもない。

 古我知さんにああ言った以上、もう俺は「普通」のままでいるわけには行かないのだから。


「――ゴォッ!」

「ァ、がッ!」


 そんな俺に待ち受けていた現実という強敵は、思いの外手強いらしい。生身のまま抵抗を繰り返していた俺の腹に、ひしゃげた鋼鉄の足底が突き刺さる。

 骨が軋み、内臓が圧迫され、胃の中が悲鳴を上げて口外へと飛び出す。衝撃に歪んだ視界と、朦朧としていた意識が元に戻り始めた頃には、俺は数メートル吹っ飛ばされた先で、うずくまって血を吐いていた。


「……おォ、う、えっ……! げほっ、おぇえッ……!」


 コンペティションとして彼と戦っていた時も随分痛い目には遭ったが、ここまでではなかった。着鎧している時と生身の状態とでは、受けるダメージが違い過ぎる……というのは理屈としては当然のことではあるが、実際に喰らってみるとその格差に愕然としてしまう。


 ここで、彼に殺される。その非情な命運を、一番身近に感じた瞬間だった。


「ふっ、ぐ、うぅ……あァッ……!」


 瓦礫に額を押し当ててうずくまるだけで、身動き一つ取れない俺の身体。どれだけ「動け」と心で叫んでも、震えるばかりで立ち上がれる気配が、まるでない。

 それほどまでにダメージが大きかったのか。それとも、今の一撃で知らないうちに戦意を刈り取られていたのか。

 混濁しかけている今の意識では、それすらもわからない。動けなければ死ぬということだけは、揺るぎようのない事実だというのに。


 覚悟を決めて戦うにせよ、恐れをなして逃げるにせよ。身体が動かなければ、「死」を受け入れるしかない。なぜ、俺の身体はそれすらも理解してくれないのだろう。


「……!」


 俺は「せめてもう少しバッテリーがあれば」と、後悔の念を込めて右手首を見遣る。すると、さっきまで俺の手首に収まっていたはずの真紅の腕輪は、いつの間にかその姿を消していた。


 どうやら、さっきの一発に吹き飛ばされた衝撃で外れてしまったらしい。

 ……不運なことってのは、重なるもんだな。これじゃあ今バッテリーが残っていたとしても、同じことじゃないか。


 想像しうる、全ての「可能性」を潰された。「腕輪型着鎧装置」を見失った瞬間に感じたのは、まさにそれだったのだ。


「ゴ、ゴォ……コォ、コォーッ……!」


 抗う力も気力も奪われ、無力な人形に成り果てた俺に、正真正銘の破壊神がじりじりと迫る。意識障害がよほど深刻なのか、その足取りは今にも転びそうなほどに不安定なものになっていた。

 そのうち勝手に倒れて、動けなくなってくれないだろうか――という無駄な期待もしてみるが、どうやら神様はそこまでこちらの都合を考慮してはくれないらしい。


「ゴォ、コォ……オォッ……!」

「……く、くそったれめッ……!」


 俺を見下ろし、ゆっくりと拳を振り上げる。瀧上さんはそんなことが出来る間合いまで、たどり着いてしまったのだから。


 古我知さんの手足を破壊したその拳で、俺の命を絶とうというのだろう。それは、避けようのない現実だ。もう受け入れるしかない、というのはわかる。


 ――だが、十七年の人生を締め括る最期の光景があんたってのは、気に入らねぇ。あんたの面を見て死ぬぐらいなら、古我知さんの方がまだマシだ。


 そんな往生際の悪い動機で、眼前の鉄人を視界から外した俺は、手足をもがれた白銀の騎士に視線を移した。


「……んッ!?」


 そこで見た光景に、目を見張ることになるとは思いもよらずに。


 ――瓦礫と一緒に転がっているガラクタのように、傷だらけになりながら横たわっている機械仕掛けの男。

 その白い胸の奥で、鈍く光る蒼い球体には、見覚えがある。


 そして、そこから幾つもの管に繋がれているのは――俺の「腕輪型着鎧装置」。どうやら、腕輪は彼がいる辺りまで吹っ飛ばされていたらしい。

 最初に彼が転がっていた場所とは少し離れたところに居る辺り、恐らく腕輪を拾うために、残った右腕一本で這いずり回っていたのだろう。命を繋ぐためとは言え、この状況で大した根性だな。


 それにしても、なんであの人は……あんなに笑っていられるんだ? 俺の腕輪から電力を補充したって、その身体でどうにか出来るとは思えない。

 こちらに向けられている彼の微笑みは、子供を元気付ける大人のような頼もしさが滲み出ている。……が、この状況じゃそんな顔されたって、どうしようもないだろうが。


「……え?」


 その時。

 俺は、蒼い光球の異変に目を奪われた。


 光が……暗くなっていく。点滅していく。まるで、使い果たされた電球のように。

 どういうことなんだ。あのコードに繋いだら、腕輪から電力を補充出来るはずじゃ――!?


 ――ちょっと待て。おかしいぞ。

 なんでわざわざ俺の腕輪を繋ぐ意味がある? 俺の腕輪には、ハナから補充出来るバッテリーが「無い」んだぞ!?

 意識が曖昧なせいで、そんな当たり前のことに気づかなかった俺も大概だが……古我知さん、あんた何を考えてやがる!?


 まさか、まさかとは思うが、あんたはッ……! あんたという人はッ……!


「……クッ!」


 ――そんな俺の予測に沿うかのように、古我知さんは微笑からキッと真剣な顔に切り替えつつ、右腕で赤い腕輪を瀧上さんの頭に投げつける。


 その頃には――胸の蒼い輝きは、九分九厘その煌めきを失っていた。


 その状況が意味するものを、憔悴した彼の表情が物語っている。


 激しい金属音と共に鉄人の頭に激突した腕輪は、持ち主である俺の目の前にガシャリと落ちる。

 ……彼が、バッテリー切れ「だった」これを届けた理由。それは、俺の想いを汲んでのことだったのだろうか。それとも、「コイツだけはなんとしても殺してくれ」という、喜ばしくない期待ゆえ、なのだろうか。


 いずれにせよ、今は「死」を受け入れる以外の選択肢を、望むべきだ。


 生命維持装置は、自分の心臓の働きを補強するためのもの。彼は、確かにそう言っていた。

 なら、それが止まったとしても、すぐに死に至るわけじゃない。停止した心臓が、電気ショックで鼓動を再開できるように。


 なら、命の灯が消えかけている彼に対し、「力」を与えられた俺が何をするべきか。――なんて、考えるまでもないか。


「ゴッ……。ゴォ、ゴォオ、オ……」


 弱点の頭にピンポイントで攻撃を当てられたことで、抹殺対象が変わったらしい。瀧上さんは俺に対する興味を失ったように、虫の息の古我知さんへ向かおうとしている。


「――待てよ。古我知さんなら、そっちにはいないぞ」


 そして。


 俺に向け続けていた微笑が消え。


 白い顔に生気がなくなり。


 残された銀色の右腕が、力無く倒れ伏し。


 蒼い光球が、その光を完全に燃やし尽くした時。


 その光景に突き動かされるように、俺は立ち上がっていた。今まで、痛みや恐怖で身動き一つ取れなかったのが、嘘のように。


 瀧上さんを助ける。そんな都合のいい理想に巻き込んで、彼を瀕死に追いやった自身に対する憤怒か。「力」を預かる者としての義務感か。それとも、自身の本懐を発揮できると喜ぶ、「怪物」ならではの狂気なのか。

 この沸き上がる力の理由。その候補は、言葉で語るには余りにも多過ぎる。


 それに、今は――そんなことを考えていられる余裕もない。

 迅速に、レスキューヒーローとしての責務を果たす。今考えることは、それだけで十分だ。……いや、今の俺にはもう、それだけしか考えられない。


 立つ瞬間に右腕に嵌めた、赤い腕輪。そこからは今、見慣れない青白い電光がほとばしり続けている。

 溢れ出る「力」の奔流。それを形容するかのような輝きが、絶えずこの空間に閃いていた。


 ――どうやら、古我知さんがこの腕輪に与えていたエネルギーは、腕輪自体のキャパシティを超える程の量だったらしい。彼も必死過ぎて、そこのところは上手く調整できなかったのだろう。


 R型のバッテリーを、短時間で吸い尽くすほどの「食いしん坊」な生命維持装置。その総てを腕輪に注ぎ込むと、これほどのエネルギー過多を引き起こすのか……。


「うっ、ぐ、あ……おおぉッ……!」


 右腕を伝い、全身に流れる「力」の電流。その勢いに飲み込まれ、俺は思わずうめき声を上げてしまった。

 腕輪から漏洩し続けている蒼いエネルギーは、さらに激しさを増していく。強すぎる「力」が周囲にまで影響を及ぼしているのか、俺の足元の小さな瓦礫がポルターガイストの如く小刻みに震え、舞い上がっていった。

 今にして思えば、この溢れ出る「力」こそが、俺が立ち上がれた一番の要因なのかも知れない。古我知さんの「命」を奪って手に入れた、許されないはずの、この「力」が。


「ぐ、おぅ、あッ……お、アァアァアアォオオォッ!」


 俺の全身を飲み込む、触れるもの全てを吹き飛ばしてしまいそうな蒼い「力」。

 その膨らみが最大限に達した時。俺は「人」ならざる雄叫びを上げ、自分の身体の全てを、その煌めきの中に封じ込めてしまった。浮き上がっていた瓦礫の全てを、弾き飛ばしながら。


 ――やはり、生命維持装置の電力というものは、「腕輪型着鎧装置」の機能を狂わせてしまう程のパワーだったらしい。

 発光が僅かに大人しいものになり、俺の姿が浸水してきた海面に映るようになった頃には、既に着鎧が完了していたのである。

 そう、お約束の「着鎧甲冑」というコールを待たずして。


 しかも、そこに映っていた俺の姿は、本来のものとはどこか違っていた。……普段より、筋肉質になっているのだ。

 急激に流し込まれた強すぎる電力が、バッテリーを過剰に稼動させたせいで、スーツ内の人工筋肉が肥大化したのかも知れない。全身に漲るこの「力」を肌で感じていれば、この変化が見た目だけじゃないことはすぐにわかる。


 ――そんな俺の変わりようには、正気を失っている瀧上さんもさすがに無視できなかったらしい。生命維持装置の補助を失い、気絶している古我知さんから目を離すと、直ぐさまこちらへ向き直った。


「ゴ、ゥオ、ガッ……!」


「……貴様も俺も、人を巻き込んで傷付けてるって意味じゃ同じなんだろうな」


 同族嫌悪、という奴なのだろう。気がつけば、俺の彼に対する口調は以前より刺々しいものになっていた。


 正常な意識を失いつつも、俺達を殺すという執念だけで戦い続ける灰色の鉄人。対しては、人の命を奪って人を救おうとする、歪な正義の味方。

 ……どっちが勝っても、ロクなことになる気がしないな。

 だけど、俺はそれでも――


「けど、俺はそのままでいいとは思わない」


 ――貴様みたいに奪うだけの「怪物」にだけは、なりたくないんだよ。


「さぁ、こちとら拾わなきゃならない『タマ』を三つも抱えてんだ。さっさと済ましちまおうぜ、『瀧上』」

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