第128話 四郷鮎子、散る

 ――無惨に砕かれた、四郷の身体。


 現実という名の地獄を見ている俺に、その光景が残酷に突き刺さる。


 腕も、脚も、胴体も、全て瀧上さんの一撃の前に、粉々にされてしまっている。取り替えの利く機械の身体だとしても、彼女の有様は……あまりにも痛ましい。

 壊れた人形のようにあちこちに散らばっている彼女の破片は、宿主を失ったことで完全な「無機質」に成り果てている。糸の切れたマリオネットと同じで、それらが人間のように動くことは、もうないのだ。


 ……だが、まだ宿主を縛る「糸」は完全に切られてはいない。むしろ、今までよりも太く、残忍な綱で縛られているのだ。そう、あの灰色の鉄腕に。


 身体の残骸や残された首の断面からは火花が激しく飛び散り、血を見ているような錯覚に襲われてしまう。もし彼女が生身の人間だったらと思うと、気を失ってしまいそうだ。

 次いで、俺に降り懸かって来るのは――無力感。


「うっ……ぐ! 俺は、俺は……!?」


 あんなに近くにいたのに、なにもしてやれなかった、という……無力感だった。


「あ、鮎子ぉおぉおッ!」

「いや……いやぁッ! そんなっ……どうしてよッ! どうしてよ凱樹ぃいッ!」


 俺はそんな失意からか、受け身を取るとることも忘れて、頭から客席に落下しようとしていた。だが次の瞬間、久水と所長さんの叫びに呼び覚まされるように、俺の意識は目の前の現実に帰還する。


「……くそォッ!」


 そのおかげで、なんとか空中で身体を半回転させ、両足で着地することに成功した。……だが、絶望的な状況に変わりはない。


 瀧上さんの掌上で眠る四郷の首は、死んでしまったかのようにピクリとも動かない。瞳は焦点を失い、水流のような水色の長髪だけが、静かに揺れていた。端から見れば、人間の生首と大差ないのかも知れない。

 その想像を絶する惨状に、この場にいる誰もが絶句していた。俺の傍にいた矢村も、腰を抜かして目に涙を浮かべている。


 ――所長さんの足元に落ちる、ひび割れた丸渕眼鏡。それだけでも、この悲劇を物語るには十分だろう。


「そんな、こんなの……こんなのってッ……!」

「くッ……貴様ァァァアッ!」


 そして、救芽井が悲しみに染められた声を零した時。炎を吐くような雄叫びと共に、茂さんが電磁警棒を手に瀧上さんへと飛び掛かっていく。


 「絶対に許さない」という怒りを全身から噴き出すその姿から、今までにない程の威圧感がほとばしる。全ての感情を一点に込めた矢のように、彼の電磁警棒が瀧上さんの喉首に向かって行った。「必要悪」も無言の殺気を唸らせ、高電圧ダガーで瀧上さんの首を狙う。

 目には目を、歯には歯を、首を取られたなら彼の首を――ということなのだろうか。


 だが、茂さんの執念の一撃が、遂にそこへたどり着いた瞬間。


「――ぐはぁアァッ!?」

「くぅッ!?」


 瀧上さんは押し黙ったまま、茂さんと「必要悪」を跳ね退けるようにその場を飛び出し、「新人類の巨鎧体」のコックピットへと引き返してしまったのだ。茂さんより動き出しが遅かった「必要悪」は、一撃を叩き込む暇もなく弾かれてしまう。

 ――そう。茂さんの全力攻撃を首に受けても、彼は全く反応を示さず、そのまま何事もなかったかのように帰ってしまったのである。まるで、茂さん達の存在など初めから認識していなかったかのように。

 だが、その一方で茂さんのダメージは深刻なものになっていたらしい。迎撃のような形で強烈な体当たりを喰らってしまった彼の身体は、紙切れのように吹き飛ばされ、アリーナの床にたたき付けられてしまっていたのだ。

 その衝撃に着鎧甲冑自体がとうとう耐え兼ねたらしい。着鎧が解かれた瞬間、茂さん自身の苦痛に歪む表情があらわになっていた。真正面から体当たりを受けた分、横から襲おうとして吹っ飛ばされた「必要悪」より遥かに重い損傷だったのだろう。事実、「必要悪」の方は吹き飛ばされたと言っても、数メートル引き下がる程度で済んでいる。


「お、お兄様アァァッ! ……あ、あゆ、こ……い、いや、いやぁ……!」


 あれ程の冷静さを保ち続けていた久水も、親友の惨状を目の当たりにしたショックのあまり、今となってはただ泣き崩れるばかり。かつての女帝の姿は、もはや見る影もなくなっていた。


 ……いや、ここは「本来の彼女に戻った」、と言うべきなのかもしれない。親友を想う、ただ一人の優しい少女に。


「くッ……瀧上凱樹ッ! 貴様、四郷鮎子君の首を取ってどうするつもりだッ!」


 そして彼女の悲鳴に突き動かされるように、今度は甲侍郎さんが怒号を上げる。しかし、瀧上さんは全く反応を示さず、冷たい鉄兜越しに冷たく俺達を見下ろすばかりだ。


「ま、まさか、彼は……! 本気なのか!? 凱樹君ッ!」


 そんな時、何かに気づいたかのように、伊葉さんが驚愕と焦燥の入り混じった声色で叫ぶ。次いで、所長さんの表情もみるみる蒼白になっていった。


「うそ……でしょ。ねぇ、冗談よね……? あ、鮎子ッ……! 凱樹っ……!」


 ……なんなんだ? 二人は一体何に……ん?


『脳波を感知することでイメージ通りに操縦することができる……』


 ――脳波を、感知して、操縦……。


 ……まさか!?


「さぁ、鮎子。遂にお前の力を見せる時が来たな。オレ達の正義を今こそ、この者達に見せてやろう」


 瀧上さんの狙い。その実態に感づき、俺の顔面から一瞬で血の気が失われる。そして、彼は俺の予想を忠実に再現した。


 死人のような顔になっている、四郷の頭部。それが今、コックピットの接続機に繋がれてしまったのだ。

 接続機は彼女の頭の大きさに対応するように自動で収縮され、まるで初めからこうなる予定であったかのように、整然と収まっている。


 コックピットに踏ん反り返り、怪しい機械に縛られた四郷の首を掲げる瀧上さんの姿は、「正義のヒーロー」とは対極の世界に踏み込んでいるようにしか見えない。

 だが、彼にその自覚はないだろうし、指摘されたとしてもそれを認めることはないのだろう。

 ……これが、彼の胸中に在る「正義」の概念だとするならば。


「バッ……バカなッ! 四郷鮎子君の脳波で『新人類の巨鎧体』を動かすつもりだと……!?」


 そして、彼の思惑を甲侍郎さんが言い当てる瞬間、コックピットの周囲が鈍く光り――


「貴様らの命運もここまで。……行くぞ、鮎子。正義執行だ……!」


 ――赤褐色の巨人が、新たな産声を上げようとしていた。


 その時、俺は。


『……泣かないで。お姉ちゃん』


 聞こえるはずのない彼女の声が、聞こえたような気がしていた。

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