第120話 歪んだ正義と狂気の幕開け

 このコンペティションに外部が干渉し、「瀧上凱樹」という人物を「処理」しようとする勢力が現れる。


 それは、所長さんが何よりも恐れていた「瀧上さんの暴走」に繋がる展開であり、絵空事であって欲しいと強く願われたことだった。


 だが、それは今まさに、決められていたシナリオをなぞるかのように――実現しようとしているのだ。


 唇を噛み締め、瞼を閉じて俯く所長さんの姿には、現実を認めまいと足掻いているかのような痛ましさがある。――見ていられないのだろう。これから起こるであろう、何かを。


「甲侍郎さん……これは、どういう……?」


 口から自然と、疑問の声が零れてしまう。彼らが何をしに来たのかは、とうにわかりきっているはずだというのに。

 もしかしたら、俺や所長さんの予想とは外れた要件なのかも知れない。そんな淡い期待を、この期に及んで捨てきれなかったのだろうか、俺は。


「驚かせてすまなかった。久しいな、龍太君。……だが、旧交を温めている暇はない。今は、この悪鬼を仕留めることが先決なのだ」


 だが、そんな俺に対する甲侍郎さんの返事は、余りにも「予想通り」。僅かに抱いていた望みは、はかなく消え去った。


「――お父様ッ! このコンペティションに『救済の龍勇者』を連れて介入するなんて、一体どういうつもりなのッ!? それに『悪鬼』って……!?」


 次いで、この状況を飲み込めずに狼狽していた客席側を代表し、救芽井が叫ぶ。正々堂々と性能を競う場であるはずのこのコンペティションで、よりによって自分の父がこんなトチ狂ったマネをしているとなれば、あの反応も当然だろう。


 その他の様子も、様々なものだった。救芽井と甲侍郎さんを交互に見遣り、不安げな表情を浮かべる矢村。「やはり何かあったのか」と納得したように、ある程度の落ち着きを保ち、成り行きを静観している久水兄妹。そして――顔を引き攣らせ、この先に起きるであろう事態に怯える四郷。


 彼らの登場が、この空間を最悪のルートへ導こうとしている事実は、もはや揺らぎようがない。

 ……始まるのだ。所長さんが予告した通りの、十年前の惨劇の再現が……!


「――手短に説明しよう。この男は十年前、中東の紛争地帯へ渡り……多くの人々を恐怖に陥れ、国さえ滅ぼすという大罪を犯した、史上最悪の『怪人』だ! このまま放っておいては、いずれ我が救芽井エレクトロニクス……ひいては日本全体の脅威となる存在なのだよッ!」


 娘の問い掛けに、彼は実にシンプルな答えを返し、瀧上さんの顔面に向けて電磁警棒を突き付ける。……「怪人」、か。「存在を許されない者」を形容する言葉としては、実に甲侍郎さんらしい表現だ。

 その甲侍郎さんの発言を受けたためか、瀧上さんの手に震えが現れる。弾け飛びそうな黒い感情を閉じ込めようと、もがいているかのような悍ましさが、手から腕へ、腕から全身へと広がっていく。


「な、なんです、って……!?」

「えっ、く、国……!? 滅ぼす……!? う、嘘やろ……!?」


 彼の激白にアリーナ全体の空気が凍り付くと、救芽井と矢村は魂を抜かれたかのように口が利けなくなってしまっていた。久水兄妹も、薄々感づいていた様子ではあったが、さすがにこの内容には目を見張っている。

 何の反応も示さず、まるでバッテリー切れでも起こしたかのように動かない瀧上さんが、どこと無く不気味だ……。


「十年前にこの者がここに追放されたことは、当時の総理大臣であった伊葉和雅氏から聞き及んでいた。……いつ暴れ出すかわからない、不発弾のような存在として、政府全体でこの者の存在に蓋をしてしまったことも、な」


「じゃあ、なんで今になって……!」

「言っただろう。救芽井エレクトロニクスのため、だよ」


 R型の四人に道を阻まれながらも、抗議の声を上げる俺に対し、甲侍郎さんは背を向けたまま静かに答える。


「……!」

「このような者を野放しにしていては、救芽井エレクトロニクスの技術力がいつ狙われるか、わかったものではないからな。……話し合いが通じる相手であるという、期待もない。警報装置に引っ掛かった時はどうしたものかと思ったが――どうやら、四郷鮎美氏もこの計画のことについてはお察しだったようだ。そして、警報が解除されていたところを見るに……彼女も協力的らしい」


 その言葉に、瀧上さんを除く全員の視線が審判席の所長さんに注がれた。次いで、瀧上さんの右手が更にわなわなと震え、やがてその手は憎悪を握りつぶすかのような拳の形へと変化していく。


『……出来ることなら、あなた達が来る前に全てを終わらせてしまいたかった。これ以上の血が流れる前に、妹を悲しませる前に。でも、それはもう、叶わない。なら、せめて――』


 ようやく顔を上げた彼女は、疲れ果てた表情で瀧上さんを見遣る。かつて恋い焦がれたヒーローの幻を追い続け……やがて諦めた。彼女の瞳に映る色は、そんな憂いを湛えているようだった。


『――これ以上、罪を重ねる前に……私が愛したあなたのままで、あなたの旅をおしまいにしたい。鮎子と私と、あなた自身のためにも……それが、私の願う全てよ。凱樹』


 精一杯の想いを捧げるように、彼女は声を絞り出していく。だが、当の瀧上さんは鉄兜で表情が見えない上に、さらに身を震わせるばかりで、聞こえているのかいないのかがさっぱりわからない。


 要領を得ないことばかりだが……ここまでの流れで、ひとつだけ判明していることがある。


「まさか――いや、やっぱり……このコンペティションも……!」

「――そう。全ては秘密裏にこの者の現状と、その戦力を測るための舞台装置。そして今……我々の能力を以って、瀧上凱樹を捕縛出来るものと判断し、実行に移すことにしたのだ。日本政府――伊葉氏の協力のもとに、な」


 ……やはり全部、瀧上さん一人を潰すための計画だったんだ。このコンペティションも。俺達と四郷姉妹との、出会いさえも。

 ふと審判席を見上げてみれば、伊葉さんが静かに「もう下がりなさい」といいたげな視線を送っているのがわかる。……彼も、グルだったということか。


「くっ……!」


 わかりきっていたことだろうに。所長さんの話を聞いた時から、予想はついていただろうに。


 ――それでも、こんな争いに着鎧甲冑が使われることはないはずだって、期待していた自分がいるんだ。唇を噛み締めるこの痛みが、それを証明している。


「そんなっ……! じゃあ、お父様は救芽井エレクトロニクスの繁栄のために、政府とこんなことを計画してたって言うのッ!? そんなことのために、龍太君をッ――!」

「――済まないね。彼を計画に利用していた事実は、確かに許されることではないだろう。……だが、私には彼が適任であると考える他はなかったのだ」

「えっ……?」


 父親を糾弾する救芽井の叫びが終わらないうちに、甲侍郎さんは諭すように静かな口調で言葉を返し――僅かに首だけをこちらに向ける。


「救芽井エレクトロニクスの創設以降、多くの協力者が資格者と成りうる優秀な人材を提供してくれたおかげで、ここにいる精鋭九名を含めた多くのヒーローを誕生させることが出来た。……だが、問題はその『協力者』だったのだ」

「協力者が問題……?」

「そう。資格者としてアメリカ本国から推薦されたヒーロー達の多くが、軍部に関係する連中の息が掛かった者ばかりだったのだ。当時は選り好みをしていられる状況ではなかったし、資格者として採用するだけなら――と目をつぶっていたがね。……だが、この件が『人命救助』を重んじる着鎧甲冑の理に反した計画である以上、そういった連中に隙を見せるわけには行かなかった。私が直々に買い取ったこの九名に『偵察』の大役を与え、恩を売るわけにも、な」


 俺と何の関係があって、こんな話をしているのかは知らないが――恐らく、甲侍郎さんは自分が連れて来た九人さえ信用していないのだろう。それは本人達もわかっているはずだが……それでもついて来るなんて、よっぽど着鎧甲冑を使えることに感動してるんだな。


 ――相当な給料で雇われたから、とは考えたくないもんだが。


「だから、我々には『瀧上凱樹にある程度対抗出来るだけの格闘能力』を持ち、純粋に『人々の命を救うため』という救芽井家の理念を理解し、代表としてここに赴く樋稟の身柄を命懸けで守り通してくれるだけの、絶対的な信頼を置くに足る人材が必要だったのだ」

「――!」

「……だが、そんな見込みがあるような逸材スーパーヒーローなど、どこを探しても居るはずがなかった。――救芽井エレクトロニクスを創設する以前から、我々が知っているただ一人の少年を除いては、な」


 ……ッ! なるほど、そういうことか……。


「まさかッ……! じゃあ、『救済の超機龍』を造ったのもッ……!?」

「その通りだ。救芽井エレクトロニクスの未来とお前のためとは言え、国一つ滅ぼすような相手に挑もうという義息子に、安物を宛がうほど薄情になったつもりはないからな。着鎧甲冑の理念を守りつつ戦わねばならん以上、相応のポテンシャルは必要になるだろう」

「酷いっ……あんまりよお父様ッ! 人を救うのが私達の仕事なんでしょッ!? なのに、こんなの……こんなのってッ……!」


「着鎧甲冑でやることじゃない、龍太君に押し付けるようなことじゃない、と言いたいのだろう。――言われずとも、本来の道から大きく外れているということは、私も十分に理解しているつもりだ。しかし、この者を避けて救芽井エレクトロニクスを繁栄させられるなどと、甘いことを考えるつもりもない」

「でもっ……!」

「……心配するな、ここから先は我々大人達の仕事だ。もう、龍太君やお前に負担を掛けることもない。だから、下がっていなさい」


 泣き崩れる救芽井に、甲侍郎さんは優しく慰めるような物腰で諭している。父親として、娘を泣かせてしまったことに負い目を感じているのだろう。


 救芽井は顔を伏せたまま「ごめんなさい龍太君、ごめんなさい」という言葉を、ひたすらテープレコーダーのように繰り返していた。彼女の肩を抱く矢村がいなければ、飛び下り自殺でもやりかねない程の追い込まれようだ。人命救助をポリシーとする家柄である分、責任感もより重く感じられてしまうんだな……。


「救芽井甲侍郎様ッ……! ワガハイもあなたに資格者としての栄誉を与えられた身である以上、あなたの判断を尊重したい……。しかし、御息女の涙を見せられては、男としてあなたの行いを肯定するわけには行きませぬッ……!」

「久水家の現当主か。ひたすら樋稟に纏わり付く君に資格を与えてしまうのは些かどうかと思っていたが……娘のためにそこまで怒れる君を見る限り、私の判断は正しかったようだな」


 席から立ち上がり、怒りを押し殺すように唸る茂さんに対しても、甲侍郎さんは涼しげな姿勢を崩さない。瀧上さんと向き合っている以上、相手をしていられる余裕がない、というところもあるかも知れないが。


「――救芽井甲侍郎。あなたは大事な一人娘を自分の都合で泣かせた挙げ句、ワタクシの龍太様をいたく傷付けたざます。それだけのことをした以上、きっちり責任を取って頂かなくては……スポンサーとして協力する件について、考え直さなくてはならなくってよ」

「わかっている。君が龍太君とどういう関係なのかは後でじっくり伺うとして――私は私の責任を果たさねばなるまい。これだけの騒ぎを起こした以上、必ず我々の手で決着を付けなければならん」


 感情を剥き出しにしていた茂さんとは対照的に、久水の声は恐ろしい程に落ち着いている。燃えるような怒りを通り越した、吹雪のような冷酷さを孕む、静かな声。

 そんな威圧に晒されてなお、甲侍郎さんに怯む気配はなかった。むしろ、会話内容からして俺が一番ヤバい気がする……?


「――さて、待たせたな。貴様の十年間に渡るヒーローごっこは、もう終わりだ。貴様と同じ歪んだ正義の前に、屈するがいい」


 そして、話すべきことを話し終えた甲侍郎さんは、遂に瀧上さんとの対決に向かおうとしていた。六人のG型精鋭部隊が電磁警棒を一様に構え、灰色の鉄人にジリジリと迫る。


 歪んだ正義――その言葉を聞き、俺は改めて彼が自分の行為を嘲っていることを知る。自身の判断や計画がすべて正しいと信じて疑わないのなら、あんな言葉は出ないはずだ。


 ……「歪んだ正義」、か。「どんな奴でも助けたい」って願おうとした俺も、例外じゃないのかもな。


「……ダメ……! お願い、やめて……! もう、やめて、よぉ……!」


 だが、次の瞬間。


 四郷の哀願するような、啜り泣く声が聞こえた時。


「『怪人』……? このオレが? 『怪人』だと……!?」


 燻っていた全ての憎悪が破裂するかのように――瀧上さんの狂気が、唸りを上げて解き放たれた。

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