第106話 始まりの舞台、それは幻想の廃墟

 視界全体に広がる、廃墟と化した市街地。ひび割れたビルや家屋、電柱や裂けたアスファルト。それら全てが立体映像……つまるところ「幻」だと言うには、余りにも現実味を帯びすぎている。

 何も知らずにいきなりここへ放り込まれたなら、被災地から廃墟をそのままくり抜いてきたかのように錯覚していたことだろう。


「な、なんだよこれ……。全部、立体映像だってのか?」


 近くでふらふらと揺れている、折れかけた標識。そこへ手を伸ばしてみると――まやかしでもなんでもない、確かな感触がある。


「いっ……!?」

『廃墟の光景そのものは、確かにただの立体映像。だけど、そこにはホログラムを応じたオブジェクトを設置させて貰ってるの。あなたが触ったのは、「標識のように見える」ウチのガラクタね』

「じゃ、じゃあこの景色が全部、再現されてるってのか!?」

『その通り。だから建物を足場にしようとしてすり抜けちゃう、なんてことにはならないから、安心していいわよ』

「今に始まったことじゃないが、ホンッと無茶苦茶だぜ、ここは……」


 しかも、ついさっきまで何もなかった空間に、こんな「オブジェクト」を立体映像通りに瞬時に配置するという手回りの良さだ。今回のコンペティションに向けた段取りのクオリティが伺い知れる。


「龍太が触っとるヤツ……なんやアレ? 細くて折れかけたマニピュレーター……なんか?」

「び、びっくりしたわ……いきなり床からビルみたいな大きさの突起が幾つも出てくるんだもの。しかもあそこ、木造住宅みたいな形じゃないかしら?」

「鮎子が立つ場所――いつの間に床が歪んでいたざます? あれではまるで、地割れの跡ですわ!」


 ……どうやら、観客席からはホログラムを帯びていない、素のオブジェクトが見えているらしい。この光景が荒廃した市街地に見えているのは、俺と四郷と……進行役の所長さん達だけみたいだな。

 よく見ると、高見の見物を決め込んでいる彼ら二人は、何か機械的で特殊な造形の眼鏡を掛けている。3D眼鏡か?


『さて、それでは第一課目「救助対象者への迅速な移動」についてのルールを説明するわ。といっても、それは実に簡単。各々に割り当てられた「救助対象者」を迅速かつ安全に救助するだけ。先にノルマを達成できた方を勝者とします』

『……ただし、いかに早く救助できたとしても、それが救助対象者を危険に晒す可能性があった場合、勝者と認められないケースも有り得る。十分に配慮するように』

『本来なら「救助対象者」に関する情報収集及び、捜索込みで行う予定だったけど、「救済の超機龍」の活動は「外部からのコンピュータ支援」を受けて初めて成り立つものだということだから、「計測対象あなた達自身の単純な移動能力」をフェアに測るためにそれらは省略させてもらってるわ。前提となる「目的地」の情報が既にある今、勝敗を左右するのはあなた達の現場における「基本性能」と「本人の能力」に裏打ちされた行動力よ! ただ、現場のシビアさを踏まえて必要最低限のマップデータしか送らないから、予想外のケースにも対応できる準備をしておくこと!』

『彼女の言うとおり、この勝負の判定は主に君達自身のフィジカルに懸かっている。しかし、優位に立とうと焦燥に駆られてメンタリティに支障を来せば、それは実際の行動にも少なからず影響を及ぼすことになる。くれぐれも気を付けたまえ』

「……了解……」

「お、おう」


 所長さんの説明に付け足された、伊葉さんの補足。その声色は、この第一戦における大きな落とし穴になるという「警告」の色が感じられた。


 確かに、救助対象者を助けたからといって、そのために無茶をして対象者を死なせたりなんかしたら本末転倒だ。そこに気を遣わなくては、この三本勝負を制することは出来まい。


『では、各自のバイザー及びアイカメラに、救助対象者のデータを転送するわ。転送完了と同時に、テスト開始よ。各自、実践の感覚で迅速に対応すること!』


 その時、所長さんの声から感じられる雰囲気に、変化が訪れる。いつになく真剣な――あの夜を思わせる声だ。


 俺は条件反射で、いつでも飛び出せるように重心を足のつま先に落とし、視界を包むバイザーに映る「NOW LOADING」の文字を注視する。恐らく、四郷にも同じものが映っているのだろう。


 夏の暑さゆえか、焦燥ゆえか、あるいはその両方なのか。「救済の超機龍」のマスク内は、俺の僅かに荒い吐息と頬や顎を伝う汗で、「戦い」が始まる前から既にサウナ状態だ。


 転送されたデータが、ロードを終えて展開される。コンピュータの動作の中で、これほど単純なものはない。それは、そこまでコンピュータ関連に詳しいわけでもない俺にだってわかる。

 だが、このデータが救助対象者に関する情報を開示した瞬間、ここまで来た意味の全てが懸かった競争が始まるのかと思うと、こんなシンプルなプログラムにさえ神経を擦り減らしてしまう。

 そのくらい、このコンペティションには重要な意味がある。負けられない、負けるわけには――


「……ッ!」


 ――その時。意味もなく俺は「再現された」地面を蹴り、正面に駆け出していた。


 「NOW LOADING」の文字に代わり、バイザーから見える視界の右端に顕れた、この廃墟全体を示したものと思しきマップ。その存在を俺の視神経が頭脳へ伝えた瞬間、脊髄で反応するかのごとく、俺は行動を開始していたのだ。

 そして、それに対応しているかのように、マップ内を北に向かって猛烈に直進している赤い光点。恐らく……いや間違いなく、これが俺の居場所を指したポインターなのだろう。

 とすると、マップの北西で点滅している青い光点が――!


「……うっ!?」


 ――だが、救助対象者の元へ安易に行かせてくれるほど、この試験は甘くはないようだ。北西……つまり左斜め前方へ向かおうと、屋根の下敷きにされたかのように潰れている木造住宅を飛び越えた瞬間。

 隣のビルの上部が崩れ――瓦礫が降ってきた!


「龍太君ッ!」


 それと時を同じくして、救芽井の切羽詰まったような声が響き渡る。やはり「瓦礫のように見える」ことは幻覚でも、物が降って来ていること自体は紛れも無い真実のようだ。くそっ……松霧町に居た頃なら、火事になってたり脆くなってたりしてる建物の情報も入るから、こんな事態には滅多にならないんだがッ……!


 ――しかし、「データにない事態に対応してみせる」のも必要なスキルだと、以前救芽井に教わったこともある。

 空中に飛び出した以上は避けようもないし、このまま直撃すれば「救済の超機龍」といえども、ただでは済まされないかも知れない。……とは言え、こんなことで躓いてはいられないのも事実だ。

 俺は宙に浮いたまま体勢を変え、それに併せて周囲に「生存者」がいないことを確認し――迎撃に出る。


 ――お前までいちいちうろたえてんじゃねーよ、しょうがない娘だな全く。こんなまやかしに引っ掛かる「救済の超機龍」じゃ――


「……ねぇだろッ!?」


 空中で体を捩るように回転させ、それに釣られるように弧を描く足を、瓦礫に向けてたたき付ける。刹那、瓦礫「だったもの」は重々しい衝撃音に比例するように砕け散ると、あちこちへ四散してしまった。


 これが本物だろうが紛い物だろうが、「救済の超機龍」のポテンシャルをぶつけた胴回し回転蹴りの前には関係ない。「救済の先駆者」だとこうは行かなかったのかも知れないし、これを造ってくれた救芽井には感謝するしかないよな。


 そして、蹴りで崩れた体勢を安定させるために、空中で何度か前転するように身体を回転させ、スタッと着地する。次いで、再び北西部を目指し、松霧町でやっていた通りに建物から建物へと跳び移っていく。


 ――我ながら、実に「それっぽい」動きじゃないか。本場の救芽井や着鎧甲冑を所有してるプロ達に比べりゃまだまだだろうが、少なくとも最低限の動きは出来てきているはず。あの二週間の特訓の中で、ニューヨーク駐在のR型部隊の訓練を見せられたのは、無駄じゃなかったみたいだな。


「龍太ぁ〜っ! 行けるっ! 行けるでぇ〜っ!」

「龍太様っ! その調子でしてよーっ!」

「一煉寺龍太ッ! ひとまずスタートダッシュは及第点だが、油断はならんぞッ!」


 それに、二週間で詰め込んだ付け焼き刃の動きでも、多少の役には立つらしい。

 俺の特訓に付き合う形で着鎧甲冑の道を学びつつ、救芽井共々鬼のようなシゴキを繰り返していた矢村様も、今は俺の動きに歓声を送ってくれている。久水や茂さんにも応援して貰ってる以上、一本先取は何がなんでも狙いたいところだ。


「――おしッ! ここを抜けりゃあ道が開けるッ!」


 ビルの倒壊や地震の影響か、見るも無惨に荒れ果てている住宅街。その上を何度も跳び上がって通過していくうちに、ようやく割れ目の少ないアスファルトが見えて来る。


 ……別に地形が歪んでいたって走れないわけじゃないし、走れないほど酷いなら、今やってるように跳び回ればいい。だが、やはり一番速く動こうと思えば、損害が少なく平地になっていて、走り易そうなアスファルトを探してしまう。

 それに「空高くジャンプしている」気分というものは、普通は着鎧している時にしか味わえないもの。そんな滅多に頼るわけでもない感覚に任せて移動するよりは、一番人間として自然体である「自分の足で走る」という手段をなるべく使っていきたい、というのが正直な気持ちなのだ。


 ――そんな「気持ち」は、彼女には残っているのだろうか。あの身体になったまま、十年間過ごし続けてきた、彼女には……。


 ふと、そんな事が脳裏に浮かび、俺は思わずアスファルトの手前にある廃屋の上で立ち止まってしまう。そして一瞬頭を左右に振ると、再び足場を蹴ってアスファルトの上を駆け出して行く。

 ――彼女の気持ちなんてろくすっぽ知らないクセして、いっちょ前に同情かよ! 俺はそんなに上等な人間じゃないッ! 今できることは、彼女が助かる望みをちょっとでも捻り出すためにも、この勝負に勝つことだけだ!


 あの夜に知った、四郷姉妹を縛る暗黒。所長さんが語る、その残酷な実態を聞かされた時から、彼女のことが頭を離れることはそうそうなかった。

 そんな状態が続いていたから、コンペティションが始まった今になってなお、彼女のことを考えてしまうのだろう。こればっかりは、言い訳のしようのない俺の落ち度だ。


 ――もう、考えるのはやめだ。勝負が始まった今になって、まだ悩むなんて女々しいにも程がある! これからは、純粋に勝負のことだけに目を向けるんだッ!

 そう決めて、俺は自分に言い聞かせようとした――その時だった。


「……おわッ!?」


 突然、アスファルトを走る俺の頭上に、ガラスがあられのように降り掛かって来たのだ。瓦礫ならさっきのように蹴り砕けばいいのだが、細かくバラバラに降って来るガラスの破片となると、なかなかそうも行かない。

 加えて、さっきまで四郷のことであれやこれやと逡巡していたため、完全に不意を突かれてしまい、もろに破片の雨を浴びてしまう。


「ぐっ!」


 もちろん、着鎧甲冑を纏った今なら大したダメージなんかない。だが、避けようと思えば避けられたはずの障害だ。


 ……くそっ! 何が「それっぽい」動きだ、まるでドシロウトみたいじゃないかッ! ――にしても、一体なんでこんな所にガラスなんて降ってきたんだ? 地面の裂け具合も酷くないし、ここはそこまで損害はないはず――


 ガラスの存在を意識していくうちに、脳裏に浮上してきた疑惑。その実態を確かめるべく、俺は頭上を見上げ――思わず言葉を失った。


 そこには、マニピュレーターを翼のように広げ、ビルからビルへと跳び回る、四郷の姿があったのだ。

 ……しかも、俺とは段違いの速さで。


「……現時点、半径五十メートル以内における『生存者』のデータは、なし。現移動方法を継続……」


 相変わらずな無表情のまま、呪文のように何かを呟くその姿は、さながら人工知能に「憑りつかれている」ようにも見えてくる。頻繁にあちこちを見渡してる辺り、「生存者」がいた場合に、さっきみたいなガラス破片を落とさないようにと気を付けてるみたいだが……ライバルにも気を遣ってほしいもんだ。着鎧甲冑を着てるとは言え、一応本物の人間なんだから。

 ……にしても、彼女のマニピュレーターを使った動きには驚かされるな。


 建物と建物の隙間に飛び込み、マニピュレーターでその両端を掴んで、その勢いを利用して飛び出している。まるで、パチンコの弾丸だ。

 確かに、あの方法ならただ単純に脚力だけで動いている俺なんかより、よっぽど速く動ける。最高速度に乗ったトラックを、腕力だけで止められるマニピュレーターの力で、あの小さな身体を打ち出しているんだからなおさらだ。


 ――こりゃあ、手強いどころの騒ぎじゃない……! 急がないと、あっという間に差を付けられちまうッ!


 そして、慌てて踵を返し、目的地の青い光点を目指そうとした瞬間。

 今度は視界が突然真紅に染まり、警告音が鳴り出した!


「こ、今度はなんッ――」

『さて、両者共に救助対象者までの距離が半分を切ったところで、いよいよ本テストの最大の障害メインディッシュよ! コレだけはさすがに物理的には再現できなかったけど、飲み込まれたら即ゲームオーバーって意味じゃあ、危険度は変わらないわ。二人とも、くれぐれも気をつけるようにっ!』


 ――メ、メインディッシュ? 飲み込まれたら即ゲームオーバー? 一体何だってんだ……?


 意味がわからない。

 焦る気持ちもあってか、その一言しか心の言葉にできずにいた、その時。


 警告音がさらに激しさを増し、背後に何かの影を感じた。次いで――とっさに振り向く。


「……マジ……かッ!?」


 その「実態」を目の当たりにして、ようやく俺は所長さんの言っていたことの意味に、たどり着くことができた。――いや、「今頃になってたどり着いた」と表現する方が正しいのかも知れない。


 俺自身はおろか、アスファルト一帯を覆わんと襲い来る「大津波」と相対してしまった、今となっては。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る