第74話 四郷先生の恋愛教室

 寝床の件で迷走しつつあった俺を見つけたのは、水玉模様のパジャマ姿になっていた四郷鮎子。養豚場の豚を見るような――というほどではなかったものの、かなり怪しそうな目をしていた。

 そんな彼女に無言で手を引っ張られ、俺は今、彼女の部屋にいる。


 俺が最初にいた部屋ほどではないものの、ここもかなりゴージャスだ。久水の部屋とは対照的な、蒼い色使いのシャンデリアやベッドからは、涼しげな雰囲気が伝わって来る。


「……ボクのために、梢が作ってくれた。気持ちが、とっても、嬉しかった……」

「お前のために? そういや、友達なんだったな。久水と」

「……うん。ボクにとっては、少なくとも……」


 友達のために、自分の別荘に部屋を……か。やっぱいいとこあるじゃないか、あいつ。


 しかし、こんなに青々とした部屋の壁に掛けられてる、あの赤いドレスはやけに目立つな。確か、昼に着てたヤツだよな、あれ。


「なぁ四郷、あそこのドレスって……」

「……梢の、お古。ピッタリだった。梢と同じ服が着れて、嬉しかった……」


 あぁ、やっぱりそうだったのか。昼間に見たとき、久水が着てたヤツとサイズ以外がお揃いだったから、なんか変だとは思ってたんだよな。


 にしても、あのボッチだったらしい久水に、お古のドレスや部屋をあげちゃうくらいのマブダチが出来ていたとは。野郎のダチが一人もいなくなった俺としては、何とも言えない敗北感……。


「あ、あのさ。久水とはどういう経緯で知り合ったんだ? 別に嫌なら話さなくてもいいんだが」

「……いいよ。話す。一煉寺さんなら、多分、大丈夫かも知れないから……」


 別に友達作りの参考にしたかったわけじゃないが、彼女らの馴れ初めは、個人的にはかなり気になっていた。素性が知れない、彼女自身のことも。


「……ボクの姉は、四郷研究所の所長。梢とは、その関係で知り合った。四郷研究所が、久水家にスポンサーを依頼してたから……」

「姉が所長!? ――ってことは、四郷のお姉さんが責任者やってんのか! そりゃスゲーな」

「……うん。でも、久水家は茂さんの意向で、救芽井エレクトロニクスと組みたがってた……。だから、依頼の話は保留になってる。四郷研究所はきっと、今度のコンペティションを契機にして、久水家をこっち側に引き込もうとしてるんだと思う」


 ……なんとまぁ。質問開始から数秒で、実に具体的な情報が転がり込んできたもんだ。確かに研究所の責任者の妹となれば、「四郷」という姓にも、コンペティションの件を知ってることにも説明がつく。

 彼女の話から察するに、今回のコンペティションとやらは、どうやら制式採用を賭けるだけじゃなく、スポンサー争奪戦という意味合いもあるらしい。


「……ボクとしては、梢がこっちに来て欲しかった。……だけど、救芽井エレクトロニクスに一煉寺さんがいるって知ってからは、梢の気持ちを大事にしたくなったの」

「久水の――気持ち?」

「……梢は、ボクの力を、人が恐がるボクの力を、ただ素晴らしいって褒めてくれた。本当に嬉しかった……。だから、梢のために、出来ることならなんでもしてあげたい。必要なら、命だって」


 お、おいおい、なんか果てしなく重い話になって来てません? 命懸けちゃうレベルなのか、それ……。


 いや、それより「人が恐がる力」ってどういうことだ? そういえば、初めて彼女らに会った時、恐いお兄さん達を簡単にブチのめしてたみたいだが。


「……だから、決闘が終わった後、一煉寺さんのことを梢から聞いた時……ボクは決めた。梢の想いを、大事にしなくちゃ、って……」

「さっきから言ってるけど、それって何の話?」

「……一煉寺さんはその鈍さで死ねばいいのに……梢がかわいそう」

「な、なんで!?」


 とうとう「死ねばいいのに」とか言い出しやがった!? 俺が一体何をしたとッ……!


 エグイことを言われたショックの余り、恐がる力云々の話題が頭から吹っ飛んでしまう。ま、後でいいかそれは。


「……まぁ、いいよ。元々、一煉寺さんがそれくらい鈍いから、こうしてボクがここに連れて来たんだし。本当、梢がかわいそう……」

「俺が鈍いとは失敬な。これでも持久走はクラスで二十三位なんだぞ!」

「……そんな微妙過ぎる順位なんて知らない……」

 ぐはぁ、俺の自己ベストが「微妙過ぎる」って……。い、いいもん! 俺の本分は持久走じゃないんだもんっ!


 ……それはひとまず置いておくとして、俺が鈍いから連れて来たってのは、どういうわけなんだ? まずはそこから聞かないと――


「……そんなにわからないなら、単刀直入に言っておく。……梢は、一煉寺さんのことをずっと愛してる」


 ――はい?


 ……愛してる? ……愛してる。


 ――「愛してる」!?


「ちょ、ちょちょ、何を言い出すのかと思えぶぁ!?」

「……思いの外、顔真っ赤。本当に気づいてなかったんだ……」


 いやいやいや、待て待て待て!

 なんかいきなりとんでもない話題をブチ込まれた気がする! つーかブチ込まれた!

 久水が、俺のことを……!?


「……梢は昔からずっと、一煉寺さんを愛してた。それこそ、ボクが妬いちゃうくらいに。だから……救芽井エレクトロニクスの方で、一煉寺さんが救芽井さんの婚約者になっていたことで、梢は酷く悲しんで、怒ってた。自分を忘れて、他の女にちやほやされてた一煉寺さんが、許せなかったから……」

「――忘れてたわけじゃないさ。むしろ、突き刺さるってくらい、覚えてる。救芽井の婚約者ってことになってんのは、いろいろと事情ってもんが――」

「……それは聞いてる。救芽井さんが話してくれた。一煉寺さんがどれだけ必死に戦って、あの人を守ろうとしたのか。それをただ、切実に語ってくれた……」

「きゅ、救芽井が?」


 そういや、茂さんが救芽井から俺の事情を聞いた、って言ってたな。久水もそうだったのか……。


「……ボクはその話を聞いて、ちょっとホッとしてる。それくらいしっかりした人なら、梢を幸せにしてくれる、って……」

「そ、そりゃどーも」

「……けど、梢は複雑だったはず。一煉寺さんが昔のままの優しさを持った上で、逞しくなってくれてはいても、それが向けられた先は自分じゃなかったんだから……」

「あ……」

「……一煉寺さんが救芽井さんの『婚約者』になってる以上、無理に梢の隣に行けだなんて、ボクには言えない。だけど、梢は一煉寺さんを愛してる分だけ、苦しんでる。それだけは伝えたくて、ここに来てもらったの……」


 言われた直後には真っ赤になっていたらしい俺の顔が、次第に熱を失っていくのがわかる。

 時間を置いて落ち着いて来た――というわけではなさそうだ。それは、当人である俺だからこそわかること。


 ――青ざめているんだ。俺のことを気にかけていた上、俺のせいで苦しんでいる、という話に。

 どういうことなんだ。俺は、フラれたはずじゃ、なかったのか? あの時泣いたのは、一体……。


 小さい頃、好きだった女の子が、今も自分を想っていた。これほど嬉しい話はないはずなのに、胸中には不安の色しかなかった。

 いっそ、質の悪い冗談だと笑い飛ばせたなら、どれだけ楽になるだろう。だが、それだけはきっと、許されない。

 「これ以上、友を苦しめるのは許さない」と言わんばかりの真剣な眼差しで、俺を見据える四郷の瞳を見てしまったなら。


 だが、俺はどうすればいい? 仮にも、救芽井と「婚約」している俺は。

 常識で考えたら百万歩譲っても有り得ない話だが、久水が本当に俺のことを好きだったのだとしても、立場上、俺にしてやれることなんて何もないはずだ。


「……ボクが話したいことは、これだけ。他に聞きたいことがないなら、早く梢のところに戻ってあげて……」

「――わかったよ」


 ……それでも、逃げ出すことだけはできないらしい。どんな結果になるとしても、向き合うことだけは必至になる。

 そうでなくては、四郷にどんな目に逢わされるかわからないからな。「人が恐がる力」ってヤツで、さ。


 俺はひらひらと手を振りながら、部屋を出ようとドアに向かう。そして扉を開いて、外に出る時。

 ……ふと振り返った俺は、心配そうな顔をしていた四郷に向け、ニッと笑いかけていた。友人を案じる彼女を、不安にさせるのも忍びないんで、ね。


「――わざわざ、ありがとうな。気づかせてくれてよ。お前に会えて、ラッキーだったわ」


 ……何も知らないままだったら、俺は久水を放ったまま、適当な寝床を探していただろう。結果、もっと彼女を苦しめていたかも知れない。四郷の話がホントなら、だけど。


 ――なんにせよ、自分のせいで苦しんでるだなんて言い方されて「知らねーよ」で片付けられるほど、俺は利口じゃないからな。初恋を弄ぶような感じ悪いジョークだったとしても、喜んで騙されてやるさ。


 俺のクソキモい笑顔を見せられた四郷は、見るに堪えなかったのか珍しく目を見開いて、すぐにプイッと顔を逸らしてしまった。チョーシ乗りすぎですか、そうですか。


「……そんな顔でそんなことばっかり言うから、『つみつくり』なのに……」

「うぃ?」

「……何も言ってない。詮索したら殺す……」

「い、イエッサー!」


 どうやらキモい顔を見せられたためか、ご立腹らしい。少々赤い顔で静かに怒りながら、拳をゆっくり振り上げている。

 何をしでかすかわからない以上、逃げるが勝ち。俺は素早く敬礼しつつ、その場を緊急離脱するのだった。


 向かう先は……もちろん、久水の部屋。

 どうなるかはわからないが――今はとにかく、行くしかない。きっと、行かないよりはマシなんだと信じて。

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