第43話 矢村さんがアップを始めました

「龍太ぁあああぁあ〜ッ!」


 地下を飛び抜け、ご近所一帯にご迷惑をお掛けしそうなくらいの声量。矢村の叫び声は、まさにそれくらいのボリュームを生み出していたのだ。


 彼女は階段を踏み砕きそうな程の音を立て、俺目掛けて急接近してくる。そのスピード、実に通常の三倍。

 涙ぐむ美少女が、俺に弾道ミサイル級タックルを敢行しようとしていた。


「むぐあ!」


 そんな弾丸ダッシュを受け止める体力が、寝起きの俺にあるはずもなく、そのまま突き倒されてしまった。

 倒される展開を察し、顎を引いて後頭部を打たないようにしていなければ、即死だった。俺の脳細胞が。


 しかし、当の矢村はそんな俺の都合などガン無視の様子。タックルを受けてもさして痛みがないところを見ると、どうやら脇腹の銃創はメディックシステムで治っているようだけど……。仮にもちょっと前まで怪我人だった俺に、いきなり体当たりをかますなんて、どんな神経してんだよ。


「龍太ぁ……龍太ぁ、うえっ、ふえっ、ひぐっ……!」


 ――まぁ、かわいいから許す。心配かけたみたいだしな。

 彼女は俺を押し倒した格好のまま、俺の胸倉に顔を埋めてむせび泣いている。こういう時って、どうすりゃ泣き止んでくれるんだろうか?


 ……いや、むしろ好きなだけ泣かせてやる方が良かったりするのかな? でも、周りが見てるし……うーん。


 ――もう、いいか。どうせ考えたって、俺のオツムじゃろくな答えは出まい。中途半端なことしたって、余計に気を遣わせるだけかも知れないし。

 俺は敢えて思考を止め、最善の判断を直感に委ねた。


「ふえっ……?」


 そうして取った、俺の行動。

 それは、彼女の小さな身体をギュッと抱きしめ、優しく頭を撫でることだった。掌に、震える肩と艶やかな髪の感触が伝わって来る。

 もちろん、こっぱずかしいことこの上ない。みんなが見てる前で、彼女でもない女の子に抱き着くなんて犯罪過ぎる。

 それでも、俺は彼女を離さなかった。理屈を抜きに、こうしてあげなくちゃいけない、そんな気がしていたから。

 向こうも、そんな気持ちらしい。表情こそ見えないが、俺の胸に当たっている彼女の顔から、熱がヒーターのように広がって来ているのがわかる。この娘も、恥ずかしいんだろうな。


「んっ……」


 だけど、彼女は抵抗しなかった。そればかりか、俺の背中に手を回し、絡み付くように自分から抱き着いて来たのだ。


 ……まぁ、怖かったんだろうな。死人が出そうになるってことが。

 俺だって、死ぬのは怖い。だけど、矢村達をほったらかすのも怖かった。どっちも嫌だったから、俺は戦ったのかもな。


「……ばかぁ」

「うん、そだな。バカだよな、俺」

「……バカでええよ。龍太は、バカのままが一番ええ……」


 顔は合わせず、しかし距離は近く。俺達は何気ない言葉を交わし、互いの無事を、温もりを通じて確かめ合った。


「……すぅ」

「ん? おい、矢村?」


 ふと、彼女の身体が急に重くなったことに驚いた俺は、その小さな肩を押して矢村の顔を確認する。


 ……眠っていた。


 まるで憑き物が取れたかのような、安らぎに満ちた寝顔。見ているだけで癒されるような、そんな幸せな顔をしていた。


「あの日からずっと、あなたを想って眠らなかったそうなの。そっと、しておいてあげて」


 聞き慣れた声に思わず顔を上げると、そこには彼女と同じように涙に濡れた、救芽井の姿。彼女は労るような眼差しを矢村に向け、その小さな身体を優しく抱き寄せる。


「私は体力の消耗が激しかったから、つい数時間前まで眠っていたんだけれど……矢村さんは、ずっとあなたを心配してたのよ。夜が明けても、日が暮れても」

「夜が明けて……? そういえば、あれからどれくらいの時間が経ったんだ?」


 眠りに落ちた矢村を抱き上げる救芽井に、俺は身を起こして問い掛ける。矢村がこんなに疲れるまで起きていたって、どういうことなんだよ?


「今は二十五日の午後九時じゃ。今頃は、クリスマスで町が賑わっておるじゃろう」


 ゴロマルさんが横から出した回答に、俺の思考回路が一瞬だけ停止する。

 え? 二十五日? 午後九時? ――てことは、俺は丸一日メディックシステムのカプセルで寝てたってことなのか!?

 う、嘘だろ……午前中みっちりしごかれて半殺しにされても、五分入ってるだけで全快出来たってのに!


「なんでそんなに寝てたんだ俺!?」

「脇腹を撃たれて重体だったことに加えて、あれだけの激しい戦闘の傷を負ったんじゃ。しかも、真冬の夜にその黒シャツ一枚という格好だったせいで、体力の消耗も一番酷かった。わしとしては、よく一日で回復したものじゃと驚いたくらいじゃよ」


 今の俺の格好を指差して、ゴロマルさんはため息混じりに言う。あれま、よく見れば俺って、未だにこの黒シャツ姿のままだったんだな。

 確かにこの格好でクリスマスイブの夜は死ねる……。ていうか――


「……俺はどうやって助かったんだ?」


 思えば、その辺がまだよく聞けてなかった気がする。ゴロマルさんが助けてくれたんだなーってのは薄々わかるんだけど、具体的にどうなってたのかが気掛かりだ。


「――わしは、この事件が起きた原因に繋がる者として、決着を見届ける必要があるのではと思っての。不躾ではあるが、龍亮君に留守を任せてお前さん達の様子を見に行ったんじゃよ」

「そうそう。寂しかったんだぜー? 行けるもんなら俺も助けに行きたかったよ」

「万が一という場合を考えれば、龍亮君の方が適任ではあったのは確かじゃ。じゃが、あの時の剣一は、龍亮君が『技術の解放を望む者達』を知っているとは思っておらんかったはずなんじゃ。故に、迂闊に悟られて被害対象が広がらぬよう、わしが行く必要があった」


 ……なるほどね。やっぱゴロマルさんも、この件で責任を感じてたってわけか。兄貴を遠ざけるため、年寄りが無理して冬の夜道に出てたってことなんだな。


「甲侍郎が着鎧甲冑を作ろうと言い出したのも、元はといえば、わしの女房が昔の災害で亡くなったからなんじゃ。母を亡くしたこやつの、無念からくる想いの強さが、この事件を呼び起こす結果を招いてしもうたのじゃよ」


 ――マジか!? そんな背景があったとは……あ、なんか甲侍郎さん、そっぽ向いてる。まぁ、自分の話を人前でされちゃあ気まずいとは思うが……案外、照れ屋?


「じゃからこそ、あんな状況で当事者に近しいわしが、手を拱いておるわけにはいかなかったんじゃ。戦力としては何も出来そうになくとも、せめて結末を見届けたかった。君のような無関係な少年まで、巻き込んでおったことじゃしな」

「で、来たときには丁度ケリが付いた時だったと?」

「――驚いたのぉ。あんな状態で、まだ意識が保てておったのか?」


 俺が記憶の糸を辿って出した言葉に、ゴロマルさんが目を丸くする。やっぱり、俺があの時見た人影は、ゴロマルさんだったんだな。


「そう、わしが来た頃には、既に戦いは終わっておったのじゃ。そのあと、状況を読んだわしは剣一から『呪詛の伝導者』の『腕輪型着鎧装置』を奪い、着鎧した」

「えっ!?」

「そして行く途中で拾った剣を使い、樋稟と賀織ちゃんを捕まえていた黒ロープを切断した。あれを切り裂くには、剣と『呪詛の伝導者』のパワーが必要じゃったからのぅ」


 お、驚いた。まさか「ゴロマルさん」が「着鎧」していたとは……! あのミニマムサイズで「呪詛の伝導者」になられても、威圧感なんてカケラもなかっただろうになぁ。

 もし意識が残ってたら、間違いなく噴いてただろう。だって今、ちょっと想像しただけでも腹筋がスパーキングしそうなんだし。


 ……つーか、それだけ敵の情報掴んでるなら全部教えてくれたって良かっただろ! おかげでこっちは死ぬ思いしたんですけど!?

 ――まぁ、そんな時間があったとも思えない、ってのが事実なんですけどね。


「それから、自由になった樋稟はお前さんから『救済の先駆者』の『腕輪型着鎧装置』を取り上げ、強引に着鎧を解いた。そして今度は自分が着鎧し、お前さんの傷を応急処置で塞いだのじゃ」

「『救済の先駆者』のバックルには、人工呼吸用の酸素や小型AED以外にも、ガーゼや包帯があるの。それで一時的にあなたの体力消耗を抑えられたわ」


 応急処置するためだけに、着鎧する意味とかあんの? ――と聞く前に、救芽井が先読みしたかのような速さで、補足を挟んで来る。

 「救済の先駆者」ってそんな機能ばっかなんだよな……。コレがあるべき姿なんだと思うと、「呪詛の伝導者」とのギャップがスゴイ。


「そして、樋稟はお前さんを連れて救芽井家まで向かい、わしは賀織ちゃんと二人掛かりで剣一を運んで、その後を追った――というわけじゃよ」

「そうだったのか……それで、後から甲侍郎さんや華稟さんを助けたってわけなのか?」

「うむ。もちろん、『解放の先導者』を量産しておった『プラント』も完全に破壊した。これで『技術の解放を望む者達』は完全壊滅、ということになるのぅ」


 ――なるほどね。俺がくたばりかけてる間に、いろいろあったんだなぁ……。

 とにかく、無事に事件が片付いて本当に良かった。もう何度コレ言ったのかわかんないけど、何回でも言いたいくらいホッとしてるのは確かだ。


 しかし、一連の事件が解決したとなると、救芽井家がここにいる理由はないはず。近いうちに、アメリカにでも帰っちまうんだろうか?


「さて……ここまで世話になっておいて難だが、私達は早急に研究所まで戻り、開発作業を再開せねばならない。今夜、日付が変わる頃には町を出る予定だ」


 ……はやあぁあーッ!? ちょっと甲侍郎さん、いくらなんでもそれは性急過ぎでは!? そんなに早く帰らんでも、研究所は逃げないでしょーに!


「申し訳ありません。できることなら、もっとゆっくりして行きたいところなのですけれど……。救芽井家全員が研究所を留守にしていては、そこに内包されている技術データが流出しかねないのですわ。第二の『技術の解放を望む者達』を出さないためにも、急いで引き返す必要があるのです。ご理解願えませんこと?」


 明らかに「えー!?」という驚愕の表情になっている俺と兄貴。そんな二人の兄弟に、麗しい聖母は困ったような笑みを返していた。


「ほ、ホントなのか? 救芽井」

「ええ……お父様とお母様の言う通りよ。剣一さんのこともあるし、早くアメリカに戻らなきゃいけないの。明日の朝には――もう、私達一家はここにはいない」


 ……なんてこった。「用が済んだなら、そのうち研究所とやらに帰るんだろうな〜」とは思っちゃいたが……まさか、こんなに早いとは。

 俺のせいで矢村はもう寝ちゃってるし、なんかよく見たら、家族揃って荷物まとめだしてるし……。


 ――だーちくしょー! こんな終わり方っていいの!? 祝勝会くらいしたっていいだろ!?

 なんなの!? 救芽井家の皆さんってなんなの!? 超が付く一子相伝のクソ真面目一族なの!?


「くは〜、やっと平和になったかと思えば、もうお別れかぁ〜。古我知さんのこともあるし、もうちょっとゆっくり話したかったモンだよなぁ、龍太」

「全くだ! ていうかご家族一同の辞書に『疲れ』という文字はないの!?」

「わしらは今夜出発する前提で、しっかり休息を取っておるからのぅ。むしろ、目覚めたばかりのお前さんや、眠らなかった賀織ちゃんの方が辛いじゃろうな」


 俺達兄弟が未練がましく垂れ流すクレームを、ゴロマルさんがアッサリと受け流してしまう。


 ……そういや、矢村は俺のために眠らずにいたんだよな。ふと気になって、救芽井の腕に抱えられて眠っている、彼女の寝顔を観察した。

 見てるこっちが眠気を貰いそうな程、ぐっすりと寝ている――が、よく見れば目元が赤く晴れているのがわかった。どう見ても、さっき泣いてたせいだけじゃない。


「――恋人でもないのに、無茶しやがって。人生、ドブに捨て過ぎなんだよ、お前は」


 俺なんかのために、心配したり傷付いたり。そんなの、この娘には似合わないはずなのに。

 なんだって彼女は、ここまで俺にこだわるんだろう。――まぁ目を覚ましたら、「ありがとう」くらいは言わなきゃな。


「一煉寺君。いいかね」

「は、はい?」

「短い間だが、君には本当に救われたな。改めて礼を言いたい――ところだが、それ以上にやって欲しいことがある」


 不意に甲侍郎さんに声を掛けられ、俺は思わず訝しんでしまう。この期に及んで、俺に何をやれと申される……?

 無意識のうちに身構えていた俺に対し、彼は凄むような口調で――


「樋稟と二人で、町に出掛けたまえ」


 ――妙な指令を下してきたのだった。

 えっと、それって……いわゆるデート?

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