第10話 やっちまったァ!

「どこかにお医者さんとかいないの?」

「巡回の神官は、ちょうどこの間来たばかりだ。しばらく来ない」

「しんかんって。何ができるのよ」

「神に奇跡を願うのだ。怪我を塞いでもらうことならできる」


 しんかんって、つまり、神官。ああもうほんとに、ファンタジーはこれだから!

 わたしの質問の意図がわからなかったらしい弓の人が、こいつは何を言っているんだ、とヒゲジジイに尋ねている。ヒゲジジイは眉根を寄せてから、実は、と続けた。


「あの女は、記憶がないようでな。時折、妙なことを口走る」


 そういうことにしておけ、と目で制された。

 その方が話が早いのは確かだから、とりあえずそれはそれとして、わたしは自分のポケットを漁る。

 ――ポケットティッシュ、ハンカチ、生理用ナプキン――そうか。ハンカチとティッシュは子供の頃の習慣でいつも持たされていたし、ナプキンも急に『なった』ら怖いから、いつもひとつは持っている。

 普通の女はアンサンブルのポケットに物を入れたりしない。正確には、入れるようにできている服がめったにない。だから普段はハンドバッグを手放さないわけだけれど……今日に限って、出掛けにあわてて探したせいでカバンじゃなくポケットに突っ込んでいたみたいだ。

 自分のがさつさに、今は少しだけ感謝する。


「ヒゲジジイ! 水と、出来る限り強めのお酒、ない?」

「ヒゲ……」

「今はどうでもいいでしょそんなこと、名前知らないし!」


 胡乱な顔で、ヒゲジジイがこっちを睨む。

 わたしは内心、『やっちまったァ!』な気分なのを頑張って隠して見返してやった。名前知らないのも、今そんな場合じゃないのも事実だからか、ヒゲジジイもすぐにため息を吐いて諦めたようだった。

 なお、弓の人がものすごく顔を歪めているが、あれは吹き出すのを我慢している顔だ。間違いない。


「それならあっちの――いや、いい、すぐに持ってこよう」


 わたしが真剣に訴えていることはわかってくれたのか、ヒゲジジイが一度部屋を出て、すぐに両手にマグ――何個有るんだろ――を持ってきた。一瞬だけ、これを飲み干したらどういう顔するかなあ、という発想が頭をよぎったが、それをやらかすのはさすがに人間としてどうかと思ったのでやめておく。

 そのかわり、わたしは当初の思いつき通り、ティッシュを水で湿らせた。


「ちょっとごめんね――っと」


 血で汚れた傷の周りを、そっと拭く。何枚か使った時点で、やっと状態がわかるくらいに汚れを落とせた。

 怪我は……正直、見てて気持ちのいいものではないけれど。刃物で切ったものよりも、有刺鉄線で引き裂いたような傷痕に見えた。傷口の中も、水を直にかけたりして、洗う。

 ヒゲジジイたちは寝台が濡れたことに対し不満のありそうな顔をしていたけれど、そこは我慢してほしい。ていうかこれを機会に洗え。シーツとか。

 今度は、酒でティッシュを湿らせる。度数が低いお酒だとダメだと聞いたことが有るけれど、ありがたいことにだいぶきつい臭いがする。多分、いけるだろう。

 いけると、思いたい。わからないけれど……このままってわけには、絶対いかない。


「!」


 目が覚めていないはずのベル君の身体が、わずかに跳ねる。

 そういや子供の頃に、怪我しても消毒液塗るのが嫌いな奴っていたよなあ、なんてことを思った。

 さっき臭いを嗅いだだけでもちょっと目がしぱしぱするような液体、そりゃ染みるわよね。

 縫合手術とか、必要なレベルなのはわかるけど……わたしにその技術はない。いや、技術というよりも、度胸がない。怖い。


「何をしとる?」

『消毒よ』


 あれ。まだ団子の効果が残ってたみたいで、わたしの喉は勝手に返事をした。

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