第8話 扉を開けて


「しかし、異世界……とはの。夢物語であるまいし、思いもよらんかった」

「わたしだってそんなこと考えたくなかったわよ」


 ヒゲジジイがさっき持ってきたポットの中身は、味こそ全く違うけれど風味や作り方は紅茶によく似ていた。多分、異世界といっても葉っぱを煎じたりするようなことは、みんな考えるのだろう。結局人間、食べることが大事だ。


「坊っちゃんがおらん間に、間者の類をけしかけてきたかとも思うたが」

「……夏目漱石?」

『誰じゃそれは』


 まだお団子の効果が抜けていない。

 質問されたことと、強く思ったことをすぐに口に出すという、この薬。

 これを治す方法はないが喉に作用するものだからすぐ元に戻る、とはヒゲジジイの言。

 この人ひょっとして薬師とか、そういうやつなんだろうか。


「だが、いくら何もわからんとはいえ、あの毒も平気で飲もうとする。少しは警戒心を持て」

「知らないんだから仕方ないじゃない。いきなり毒殺されるとも思わないし」


 むっとして言い返したわたしに、ヒゲジジイはやれやれと肩をすくめる。

 その時、扉を乱暴に叩く音があった。

 ぎょっとして振り返ったわたしを横目に、ヒゲジジイが扉に向かう。


「どうした」

「開けてくれ、ベルデネモが怪我をした」


 書き物さんの声だった。

 鼻に皺を寄せたヒゲジジイが扉を開けると、姿が見えるより先に、鼻によくない臭いが漂う。

 二人がかりで肩を担ぐように運ばれてきたベル君には、意識がないように見えた。

 ぼたり、という音がして、彼の足元を見ると、滴る真っ赤な液体が……あれ、血だ!


『怪我ってレベルじゃないでしょ!?』


 団子のせいで思わず出た声に、慌てて口を抑える。

 弓の人が、眉間に皺を寄せてヒゲジジイを見た。


「なんだこいつ?」

『わかさ、だそうだ』

「さわか、だかんね」


 ヒゲジジイが心の底から間違えているらしい名前に、思わずツッコミを入れた。

 弓の人はふぅん、と言ったきり興味をなくしたらしい。そのままヒゲジジイに向かって早口にまくし立てる。


「豚鬼はエクドバが呪文で倒した。詠唱の間ベルデネモが時間を稼いだ。そのせいで怪我が酷い」

「お前とエクドバは」

「怪我はない」


 ヒゲジジイが書き物さん――消去法的に、彼がエクドバなのだろう、多分――に代わってベル君の肩を担ぐ。交代したエクドバ? らしき人はさっきと同じ椅子に座り込んで、ぐったりと机に突っ伏す。ヒゲジジイが、わたしを見た後に奥のドアを顎で示した。


「開けてくれ、鍵はわしの首にかかっとる」


 えええええ。

 いやまあ、手が足りてないのは見ればわかるし、手伝わないというのもどうかと思う状況だから、それぐらい構いやしないんだけれど。

 何本かの鍵が、ヒゲジジイの首から下げられていた。服の中に潜り込んでいるうちから、ヒゲジジイがそれだと言った一本を持って、奥の、さっきヒゲジジイが何度か行き来していたのとは違うドアに駆け寄る。

 鍵は、わたしにもすぐ鍵だとわかるかたちをしていた。それを開けて、中を見て。


「うげ」

『うげ』


 わたしは心の底から呻いた。

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