三 明滅

 料理屋を出て、家へ向かって歩いた。

 部屋の入口に座っていた男たちは、かすかに身構える気配を見せただけで玄馬を通した。脅しのつもりだったのか。

 陽は完全に暮れ、町の灯が寄り添いながらも、あたりは闇に包まれている。わずかに生ぬるく、心地よい夜風が脇を抜けていった。

 玄馬が領主専属の砥師とぎしとなること。田所の求めているのはそれだった。

 看板こそ掲げていないが、玄馬の砥ぎは口伝いに広まり、仕上がりの評判はよかった。一度砥いだら、ほとんど脂が巻かない。斬り口に吸いつくように、刃が入っていく。刀も、庖丁も同様だ。それは、誰にでもできる砥ぎではなかった。

 砥石の選び方にもよる。玄馬は指先だけではなく、刀と語るように、砥石とも言葉をかわすようにしていた。砥石を粗いものから、きめ細かいものへ交換する頃合いなどは、砥石から教えてもらう、という感覚だった。

 玄馬の砥ぎを独占することで、得られる利というものは確かにあるだろう。良質の刀が揃うとなれば、それだけでも領主が抱える兵の質や、格が高まったように印象づけることもできる。しかし、何度も呼び出す理由としては弱い。

 田所の狙いは、それだけではないようだった。玄馬には心当たりがあるが、いまのところ断定はできない。

 不意に、気配が肌を打った。

 斬り合いの気配。人数は少なくない。この先の林の近くに開けた場所がある。おそらくそこだろう。近づき、建物に背をつけて、そろりと覗く。

 衛兵と黒尽くめの集団がやり合っている。立っている衛兵は二人で、数人は地に倒れている。刀を構えているうちの一人は知った顔だ。谷口克也たにぐちかつや、衛兵の副長を勤めている男で、今朝まで玄馬が砥いでいた刀の持ち主である。

 倒れている兵が三人。それはどうにか見て取れたが、黒尽くめのほうは闇に紛れて数がはっきりしない。

 白い光が、踊るように闇を舞う。衛兵がまた一人倒れた。黒い影が六、七、八。身を固くしている谷口に勝ち目はない。

 玄馬は指を咥え、高く長く、笛を吹いた。衛兵の使う指笛の音を真似たのだ。谷口を囲んでいた影が、風に吹かれるように散っていく。

 歩み寄ると、谷口は肩で大きく息をしていた。

「谷口の、無事かね」

 玄馬が声をかけると、谷口が弾かれたように顔をあげた。顔や胸のあたりに血が貼りついているが、谷口のものではないようだ。

「兵藤先生」

 谷口も、穂香と同じように玄馬のことを先生と呼ぶ。玄馬に砥ぎを依頼する者は大抵そう呼ぶのだ。

「何者かね」

「わかりません。みな面体めんていを隠しており、どこの組織か、あるいは使いなのか。女の悲鳴を聞き、駆けつけた者が遭遇しました」

「狙いの見当は?」

「いえ、なにも」

 先ほどの玄馬の指笛を聞いた衛兵が一人、二人と集まってきた。谷口が指示を出している。

 斬られた衛兵の、四人のうち一人は死んでいた。倒れたまま残された黒尽くめの者は、逃げ去る者がとどめを刺しており、一人も息をしていなかった。

「報告によると、約竹殿が手負いのようです。浅傷あさでとのことですが」

「祥太ということは、狙いは薬か」

「しかし、薬店に押し入った形跡はないそうです。茶屋の前の道で、通りがかりに斬られたような恰好ですね」

 谷口が、握りしめたままだった刀を拭い、鞘に収めた。砥ぎに出している間、玄馬が貸し出していたものだ。ものは悪くない。

「取りに来るかね?」

「仕上がりましたか」

「昼過ぎにな。明日、使いをやろうと思っていたところだ。こんなときだ、自分の刀をいていたほうがよかろう」

「助かります。近くですし、ここは任せられそうなので、ご一緒しましょう」

 通りに並ぶかがりの火で眼は利くが、若い衛兵に渡された手灯りを持って歩いた。

 歩きながら、谷口は布を出して汗を拭った。血は先に拭いていたが、汗はまだ出てくるようだ。

 遠くから見ただけで、かすかに肌に粟が生じるような手練れ揃いだった。谷口もかなりの遣い手だが、あの場で死んでいても不思議はなかった。

 家に着き、声をかける。穂香の返答がない。いつもなら、声をかける前に小走りで迎えに出てくる。

 嫌な予感が、全身を走った。

 駆け入り、戸を開け放つ。谷口も、声をあげて穂香を探す。いない。縁に出る戸が、開いたままになっている。庭におりたところに穂香の履物が片方、落ちていた。庭の中央あたりに、点々と黒い染みがある。血痕。命に関わるような量ではない。

 谷口の声。玄馬を呼んでいる。

「先生、これがかまどのところに」

 穂香の、もう片方の履物だった。連れ去られた。あの黒尽くめの一団が関係しているのか。

 谷口が、揺曳ようえいする手灯りでかまどの前の地面を照らす。血痕などは見あたらないようだ。

「あれは?」

 かまどの炭のなかに、なにか光る物が見えた。しゃがみこんでいた谷口が引き出す。

 それは十数本の、刀身が手の小指ほどの、ごく小さな短刀だった。

「谷口殿。砥ぎ終えた刀は返そう」

「先生?」

「今夜は引きあげてもらえんかね」

 説明を求められているのはわかったが、玄馬は谷口のほうを見なかった。怒りだけが、肚の底で冷たく燃えはじめている。

「しかし」

「刀は裏の作業場にある。すまんが、持っていってくれ」

 谷口はまだなにか言いたそうだったが、わかりましたとだけ言い、手灯りを頼りに裏へ出ていった。

 一人、灯りのなくなったかまどの前に立ち尽くす。

 表では秋の虫が鳴く声が、耳鳴りのように響き続けていた。

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