『神戸川物語』

北風 嵐

第1話 生田川

前書き

神戸と言えば六甲山と海に挟まれた細長い街を想像されるでしょう。実際、その通りなのですが、川の数が多いのです。「えー、神戸に行ったけどあんまり記憶にないなぁー」と思われるが、主だったもので東から、高橋川、天井川、住吉川、石屋川、都賀川、生田川、新湊川、妙法寺川、福田川、山田川とあるのです。ただいずれも、川幅狭く、山から海へ、急勾配の斜面を一気に駆けくだる短い川なので目立たない。住吉川などは、川底が地面より高い 「 天井川 」で、JRは川の下を走るため、車中からは見えない川であり、その他暗渠になっている川(宇治川、鯉川)もあるのです。

神戸は六甲山系から流れるこれらの川が作った扇状地の上に出来た街なのです。神戸の川は殆どが天井川で、このため、度々洪水に悩まされ(代表的なのが1932年の神戸大水害)、川を付け替えたり、最初、陸蒸気といった鉄道を通すにも墜道を作ったりと、色々と苦労してきた経過があります。

川にも、神戸の街を作る中でのそれぞれの物語があるのです。


1 生田川


神戸に外から来る人は、新幹線の新神戸駅がトンネルとトンネルの間にあるのに驚かれるでしょう。ホームに降り立った人は南に細長く広がった市街地と海を見ます。北側は切り立った山裾が迫っています。

 この駅の裏道を10分も登れば、布引の滝があります。深山霊谷の雰囲気がこれほど都心に近いところで味わえるところは滅多にないでしょう。たまに鳴る汽笛の音がなかったら、ついそばに市街地があるとは思わないでしょう。


 その新神戸駅から、JR三ノ宮駅、市役所を通り、海側の税関前にかけてメインロード・フラワーロドがあります。居留地が出来るまでは、布引の滝からの『生田川』であったのですが、洪水があってはいけないと、この天井川を付け替えて道を作ったのです。今はカタカナ文字の名前ですが、「滝道」と神戸の人は呼びました。


港までつづいている/このメインストリートは/川である

むかし むかし/ふたりのおとこに求愛された女の/かなしみが流れた/川だったと詩人は歌っています(詩集:神戸市街図 たかはら おさむ 『ある川の歴史』より)


 二人の男に求愛された女の物語とは、平安時代に編纂された『大和物語』のことです。物語の中では二人の男が一人の女をめぐって争い、これに悩んだ女が〈すみわびぬ わが身投げてむ 津の国の 生田の川は 名のみなりけり〉と詠んで生田川に入水自殺するという話です。歌の意味は〈摂津の国の 生田の川は 「生きる」という言葉が名前に入っているのに、名前ばっかりで生きづらいことだなぁ〉です。これはもともと万葉集に登場する菟原処女(うないおとめ)の伝説をモチーフにしたもので、後の能の『求塚』や、森鴎外の戯曲『生田川』に繋がります。


物語をもう少し詳しく書きますと、

 今の芦屋から東灘にかけては、当時湿地帯で、茂る芦を屋根にふいて葦屋(あしのや)と呼ばれていました。葦屋の菟原処女(うないおとめ)という可憐な娘がいて、多くの若者から思いを寄せられていました。中でも同じ里の菟原壮士(うないおとこ)と和泉国から来た茅渟壮士(ちぬおとこ)という二人の立派な益荒男が彼女を深く愛し、妻に迎えたいと競いました。処女(おとめ)が母に語るに「卑しい私のために立派な男たちが争うのを見ると、生きていても結婚などできましょうか…」と嘆き悲しみます。

 悩む娘を救わんと、母親が「この川に浮いております水鳥を射て下さい。それを射当てなさった人に差し上げます」と二人に云います。二人は「本当に願ってもないことです」と言って、(水鳥を)射たところ、一人は頭の方を射ち、もう一人は尾の方を射ます。そのとき、どちらと言うことができず、処女は身を投げてしまうのです。

 この求婚する男二人もすぐに同じ所に身を投げ、後を追います。この処女の墓のそばに墓を作って埋葬するときに、摂津の国の男の親が言うことには、「同じ国の男をこそ、同じ所に埋葬しましょう。他国の人が、どうしてこの国の土を汚してよいでしょうか」と言って妨げるときに、和泉のほうの親は、和泉の国の土を船で運んで、ここに持って来て墓を作ります。処女の墓を中にして、左右に男たちの墓が今もあるということになります。

 東灘区御影塚町には処女塚があり、灘区都通の西求女塚、東灘区住吉宮町の東求女塚は彼らの墓と伝えられています(実際には、この地方の豪族を葬った墓と見られています)。


 また、この川の水源である布引の滝にも悲しい恋物語があります。

滝までの登道は格好の運動道となり、居留地に住む外国人たちが毎日登山に利用しました。途中で一服入れる茶店も出来、店を手伝う三人の美人姉妹がいました。滝より、その姉妹目当ても多かったと云います。長女の方は海軍士官の外人さんが射止めました。真ん中のお福という娘に惚れた外人さんがいました。しかし、お福さんに他に縁談が決まりました。しかし、そのお福さんは1年後に胸の病で亡くなったのです。お福さんに惚れた外人さんというのが、ヴェンセスラウ・デ・モラエス であります。モラエスは神戸の総領事として勤め、日本を外国に紹介した文筆家として、小泉八雲と共に知られています。妻としたおヨネはお福さんに似ていたということです。


 このおヨネを病で若くして亡くします。悲嘆に暮れたモラエスは、おヨネの故郷徳島に隠遁します。そのモラエスの世話をしたのが、おヨネの姪のコハルです。そのコハルも4年後亡くなります。モラエスは自分がこの徳島で朽ち果てることを決意します。仏式の葬儀でおヨネの墓に一緒に葬って貰うことをコハルの縁戚の者に頼むのですが、正式な籍があるわけでもなく、宗教上のこともあり断られたのです。

 おヨネとコハルの墓参りを日課として、西洋乞食と揶揄され、最後は酔って土間に落ちて亡くなります。享年75歳でした。日本人以上に日本を愛し、理解しながら・・日本人になれなかったモラエスの代表作といえば、『おヨネとコハル』です。是非読んで貰いたいと思うのです。

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