大山人情 標高1252m

神山ひろ

第1話

「ちょっと君、暑いから寄って行きな!水飲むでしょ?」


 僕は今、神奈川県の伊勢原駅を出て大山おおやまに来ている。自然を満喫しつつ登山するのが最近のブーム。最近と言っても思い立ったのは、ついこないだ。僕に計画性という文字はきっと似合わないから、こんな真夏に登山をしているのかもしれない。

 きっと僕みたいのが山で事故を起こしてニュースになるんだ。山の中腹まで登って疲れたのか良くない思考に陥っていると威勢の良い女性の声が聞こえた。僕は今一人で気軽に声を掛けてくるような友達はいない筈。他の登山者同士の会話にしても大きすぎるボリュームだ。少し気になり声の発信源に目を見遣ると、声の主であろう女性と目が合ってしまった。何故か「あ、やばい……」と直感的に感じ直ぐに目をそらす。一瞬だけ罪悪感に苛まれたがそれも束の間。50代だと思われる女性は再び大きい声で呼び掛けてきた。

「ほら!水だけでも飲んでいきな!席もあるよ!」


 ここまでしぶといと流石に無視出来ない。踵を返して女性が営む休憩所へと向かい、椅子に座ると直ぐに水が出を出してくれた。丁寧な接客とは言い難かったが慣れた手つきから察するに、これがここのもてなし方なのだろう。どこか温かみがあった。


「いやぁー、暑いねー。お兄さん何処から来たの?ほら、水飲みな!」


「あ、はい。暑いですね。川崎から来ました。どうも、いただきます」


 物凄く水を勧めてくるから味には自信があるのだろう。そう思って渇いた喉へ流し込んだ。水の味についての知識など全くないが普段飲む水と恐らく変わりはない。変わらないのだが、美味しかった。これが俗に言う五臓六腑に染み渡るってやつなのか。

 水を飲み終わったところを見計らったのかコップが空になると女性は話を再開させた。


「川崎かぁ。随分遠い所から来たねー。今日は一段と暑いから気を付けなね。あと何か食べる?」


「えっと、じゃあ豆乳アイス一つ下さい。」


 何か冷たい物が欲しかったので珍しい豆乳アイスを注文した。代金を支払って暫くするとコーンに乗っかったアイスが届く。それを手渡しで受け取ると笑いが込み上げてきてしまった。


「なんだこの変な形は」

 

 これが率直な感想。こんな不恰好なアイスは見たことがない。言っては悪いが僕が作った方がきっと、それらしいアイスを作れる。けれど、そんなのは全く気にならなかった。女性は直ぐに自分の仕事へと戻ってしまい、今は他の登山者と話をしている。細かいことは気にしない。僕ら登山者の健康に気を使う。フレンドリーに誰とでも接する。そんな様子は女性の人情が垣間見れた瞬間に違いなかった。「あんたは母親かよ」ってツッコミたかった人は僕を含めて何人いたのだろうか。

 そんなことを考えながら、そろそろ登山を再開させるべく席を立ち上がり挨拶を交わした。


「ご馳走様です。ありがとうございました。そろそろ行きますね。」


「もう行くの?気を付けなね!そこの杖持っていく?あと、団扇もあるよ?」


「いえいえ、大丈夫です。」


「まぁ、また帰りに寄りなよ。水飲むでしょ?」


「はい、いただきます」



 今日は何だか広大な山よりも、あの女性の方が印象に残った。


 もしかしたら女性の名前は大山さんだったかもしれない。

 山頂でふとそんなことを思い水が口から噴き出そうになった。



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大山人情 標高1252m 神山ひろ @yuzu7660

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