開かずの間

 株式会社センタースペードは、新宿区にある30階建てのビルだ。シンプルなデザインのビルに見とれた大野は、先輩刑事の木原と共に、自動ドアを潜り受付に向かう。

そこで木原は受付嬢に警察手帳を見せる。

「警視庁の木原です。アポなしで申し訳ございませんが、加藤一成さんのことでお話が聞きたいのですが、彼の所属する部署の人間を呼んでいただけませんか?」

 突然刑事が現れ、受付嬢は驚き、目を見開き動揺した。突然刑事が訪ねて来たのだから、それは自然な反応だと木原は思った。

 すると、加藤という名を聞きつけ、長身の男が出社早々、刑事に歩み寄る。

「失礼。加藤がどうしたんだ?」

 その男の顔を2人組の刑事が見る。それから大野は彼に尋ねた。

「あなたは?」

「加藤一成が所属している営業部の専務、稲葉浩二いなばこうじだ」

「警視庁捜査一課の大野です。エントランスでは話しにくいので場所を変えてもらえませんか?」

 警察手帳を見せた大野の話を聞き、稲葉は何となく事情を察した。

「分かった。それなら話は営業部で聞こう。社内で色恋沙汰になっている川上も来ているかもしれないからな」

「色恋沙汰ですか?」

 木原が首を傾げた後で、稲葉は頷く。

「加藤と川上は付き合っているって噂が社内に浸透しているんだ。2人は交際を認めていないようだが、バレバレだよ。加藤の携帯電話の壁紙は川上と一緒に映った写真だからな」

 その時、黒髪を肩まで伸ばした若い低身長の女が出社してくる。その女性社員の姿を見た稲葉は、思わず呟く。

「噂をすれば何とやら。今出社してきた若い女性社員が川上早紀かわかみさきだよ」

「なるほど。彼女が……」

 木原と大野は川上早紀の顔を凝視する。その後で川上は不審に思ったのか、稲葉に近づいてきた。

「稲葉専務。そちらのお二人は誰ですか?」

「警視庁の刑事だよ。それにしても珍しいな。いつもなら出社していてもおかしくない時間なのに、今来るなんて」

「珍しく寝坊をしてしまいました。一応遅刻ではないので、問題ないでしょう?」

「確かにそうだな」

 稲葉は腕時計で時間を確認しながら、首を縦に動かした。

「それで警視庁の刑事さんが何の用ですか?」

 疑問を口にした川上に木原は答えた。

「詳しい話は場所を変えてからお話します」

 そうして4人の男女はエレベーターに乗り込む。長い六時間が始まるとは知らない彼らは、鉄の箱により二十階に運ばれた。

 20階に客を送り届けたエレベーターのドアが開き、稲葉は招き入れた刑事に話す。

「この20階は営業部のフロアになっている。ご存じのように当社は、セキュリティーシステムの開発を専門としていて、営業部では一般の住民を対象に防犯カメラの販売を推進しているんだ」

 稲葉の説明を聞きながら、2人の刑事が降りる。そして、彼の話に興味を示した大野は稲葉に尋ねた。

「因みに加藤一成さんと顧客の間にトラブルはありませんでしたか?」

「トラブルなんてありません。あそこまで顧客のことを考えている営業マンはいませんよ。産業スパイ疑惑を晴らすために、1か月の自宅謹慎中ですけどね」

 刑事からの質問に川上は異論を唱えた。続けて川上は刑事に聞く。

「まるで加藤さんが殺されたような聞き方ですね?」

 刑事は少し黙り込み、木原が重たい口を開いた。

「先程、加藤一成の遺体が発見されました。それで事情を伺いに来たということです」

 衝撃的な事実を聞かされた川上の顔色は、次第に青くなる。それから間もなくして、彼女は大粒の涙を流しながら、その場に崩れ落ちた。

「嘘でしょ」

 川上の悲鳴が響く中で、白髪交じりの小太りの男が刑事達の前に姿を見せる。

「あの加藤がねぇ」

 警備員の制服を着た男は、刑事達の話に聞き耳を立て、稲葉の前に立ち止まった。それから大野は警備員らしき男と顔を合わせる。

「失礼ですが、あなたは?」

辻雅夫つじまさお。この会社設立時から警備員をやっている者だ。そういえば加藤は、産業スパイじゃないかって疑われていただろう? どこかの会社がこの会社と類似した防犯カメラを発売しようとした。それで誰かが防犯カメラの開発状況とかを他社にリークしたって噂だ」

「だから、加藤さんが情報を流すわけがありません。顧客情報を大切に扱うような人ですよ」

 川上は噂を社内に流そうとする辻に猛抗議する。だが彼は聞き入れない。

「どうだかな。不正の証拠はアイツのデスクの中だろう。あの中は加藤のセキュリティーカードと指紋がないと開けることができないからな。つまり加藤の不正は皮肉にもセキュリティーシステムに守られたってことだ。開かずの間と同じように」

「開かずの間?」

 大野が興味を示すと、辻は豪快に笑いながら、堂々と説明を始めた。

「興味があるのか。だったら教えてやろう。社内に伝わる都市伝説のような物で、この会社のどこかに椎名社長だけが開けることが許された聖域があるという噂だ。そもそもここまでのセキュリティーシステム開発に尽力したというのは、社長の隠し財産を守るためっていう噂もある。この会社は椎名社長によって黄金の城に成り上がったんだよ」

 そこまで説明した辻は、不意に腕時計を見て、慌てたように声を出す。

「いけない。交代の時間だ」

 廊下を走る辻の後姿を見つめていた大野は、木原に肩を叩かれる。

「開かずの間なんて事件とは関係ありませんよ。そんなことに興味を示すよりも、聞くことがあるのではありませんか?」

「そうですね」

 なぜ変なことに興味を持ったのかと反省した大野は、稲葉と川上の顔を見る。

 だが、稲葉は辻と入れ替わる形で現れた色黒の肌の坊主頭の男を睨み付ける。その男の隣には、黒いスーツに長髪の若い女性がいた。

あずま。なぜお前がここにいる」

 東と呼ばれた男はクスっと笑い、隣に立つ若い女の手を取った。

「こちらの角さんが招いてくれましたよ。本命は稲葉専務ですがね」

「角。勝手にこんな奴を入れるな」

 角は稲葉に対し頭を下げる。

「ごめんなさい」

 新たに現れた二人のことが気になる木原は川上に耳打ちする。

「こちらの二人は誰ですか?」

「ルポライターの東薫あずまかおるさんと同じ営業部の角歩すみあゆむさん。東さんは何度も稲葉専務に取材に来ていて、角さんは勤続三か月ですが、加藤さんに次いで営業成績がいいんですよ」

 その時、甲高い音がどこかで響き、不気味な声が社内に流れた。

『我が名は沈黙の篭城犯。この会社は我が乗っ取った』

 犯行声明のような文言に、二人の刑事は身を震わせる。しかし稲葉はイタズラだと思っているようだった。

「警備室か。誰かは知らないが、くだらないイタズラをやりやがって」

 怒れる専務は警備室に向かい走り始める。二人の刑事は事件の匂いを感じ取り、稲葉を追いかける。それに続き他に三人も刑事と共に走り始めた。

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