麺人/ラメン
不二本キヨナリ
麺人/ラメン
あるところに、ラーメンを愛する二人の男がいた。人は彼らを恋愛映画『愛人/ラマン』にかけて「
やがて一人――便宜的に、コッテリと呼ぼう――は、朝、昼、晩と三食ラーメンを食べるようになった。しかもただのラーメンではない。激辛ラーメンだ。彼はさまざまなラーメン屋に足を運んだが、食べるのは決まって赤いスープの激辛ラーメンだった。激辛ラーメンがないラーメン屋では、マイ唐辛子――当然一味――をスープが赤くなるほどかけて食べた。
ある時、「何故それほどまでに激辛ラーメンを好むのか?」と聞かれたコッテリは、「美味いからさ」と答えたあと、冗談めかしてこう付け加えた。
「辛いものを食べたあとに飲む水は美味いと思わないか? ラーメンを食べたあとに飲む水も美味いと思わないか? では、辛いラーメンを食べたあとに飲む水は? 二乗の美味さだ――二倍じゃないぜ」
あるいは、
「俺はマゾなのさ――辛さは味覚ではなく、痛覚だというだろう? 辛くて熱いラーメンを食べていると、舌に蝋を垂らされている気分になるんだ」
と。
また、人が健康を案じれば、
「激辛ラーメンのために生き、激辛ラーメンのために死ぬのなら本望だ」
と言ってのけた。
今一人――便宜的に、アッサリと呼ぼう――は、あいかわらずラーメンを愛していたし、コッテリとの友情も変わりはしなかったが、仕事でロンドンに赴任することになってからというもの、ラーメンを食べる機会は減っていった。ロンドンにもラーメン屋はあったが、価格が高かったのだ。愛を妨げるのは、いつの時代も先立つものである。
そして長い年月が経った。
ロンドンのアッサリに急報が入った。コッテリが倒れたというのだ。すぐにでも入院しなければならないほどの容態らしいが、その前に自宅でアッサリに会いたいと言って聞かないらしい。
アッサリはすぐさま帰国し、コッテリの自宅を訪れた。すると、スープで煮詰められた鶏ガラめいて痩せさらばえた体に、中太ちぢれ麺みたいな血管を浮かびあがらせたコッテリが彼を出迎えた。
コッテリはアッサリを書斎へ案内すると、大義そうに椅子に腰かけて言った。
「俺はもうすぐ死ぬ。それはいい。俺は激辛ラーメンのために生き、激辛ラーメンのために死ぬのだから。しかしながら……矛盾するようだが、俺の死後、『激辛ラーメンのせいで死んだ』と嘲笑われるのは耐えられない。俺が激辛ラーメンで死んだことにかこつけて激辛ラーメンに風評被害をもたらす者があっては、死んでも死にきれない。激辛ラーメンに罪はない。食べすぎた俺が悪いのだから」
「なるほど、わかった。それで俺にどうしろというのだ」
アッサリが言うと、コッテリは咳きこみ、ラードめいた痰を吐きだしてから、無言で引き出しを開け、黒光りする物体を取りだした。それはスープの油を纏って輝く黒いレンゲのようだったが、実際のところ、サイレンサー付きの拳銃であった。
「これで俺を撃ち殺してほしい。そうすれば、俺の死因は激辛ラーメンの食べすぎではなくなる。自殺では駄目だ! 俺が激辛ラーメンの食べすぎによる死を
「最期にお前とラーメンを食べたかったな」
それは奥ゆかしい同意であった。コッテリは安堵したように深く長く息をつくと、口を開き、目を閉じて言った。
「金庫に現金がある。パスワードは――」
「
アッサリは銃を手に取り、安全装置を解除しながら言った。コッテリは笑い、続けた。
「俺を殺したらそれを持って、すぐに海外に高飛びするんだ――すまない」
「わかった。安らかに眠れ――RAMEN」
引き金は
アッサリは金庫から現金を回収し、そのまま海外へ高飛び――しなかった。彼は現金の回収すらせずに、最寄りの交番に駆けこんだ。警官たちは戸惑った。アッサリは狂乱のきわみにあって、言うことが支離滅裂だったからだ。警官たちがアッサリの言葉の端々から彼が殺人を犯した可能性に思いあたるには、相応の時間がかかった。
警官の一人は同僚にアッサリの確保を任せて、コッテリの自宅の書斎に踏みこんだ。そして思わず鼻を押さえるとともに、アッサリの言葉の意味を知ったのだった。
「コッテリの血は、血じゃなかった――赤かったが、血じゃなかったんだ。油が浮いていて、嗅ぎなれた匂いさえした……あいつの死体から流れだしたのは、赤いスープだった。激辛ラーメンのスープだったんだ」
麺人/ラメン 不二本キヨナリ @MASTER_KIYON
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