冥帝シュランケン
拾捨 ふぐり金玉太郎
変身酔拳使い の巻
第1話 大五郎
夜の公園。街灯のスポットライト照らすベンチに若い男女が一組。
「ねえアッくん」
「なに、ナナちゃん」
「好き」
「俺も。好き」
女の猫なで声に、男はキスで答える。
夜の帳が降りているとはいえ公共の場に違いはない。そんなことは、好きあう二人には関係がなかった。
口付けに飽き足らぬ男が、両手で彼女の肢体をまさぐりにかかる。
「いいぞいいぞ。焦らさずにガーッとやってくれ」
不意に茂みから声がして、男女は慌てて居住まいを正した。
茂みから出てきたのは、痩身の中年色白男。伸び放題の髪に無精ひげ、作業服のような上下は薄汚れており清潔感は皆無。
「やめなくていいから。俺のことは空気だと思って続けてくれよ」
最近になって開発の進んだこの辺りでは、人の往来と共に道を外れる者も増えた。
彼もそういった者の一人であろう。この公園にも、ダンボールに住まう人びとが出没するようになったのだ。
「なにこの人……アッくん、怖い」
「うぜえオッサンだな!ナナちゃんを見るんじゃねえよ!このモヤシ野郎」
見るからに不健康そうな中年男に対し、恫喝と嘲りの罵声を浴びせる。
彼女の見ている手前、殊更に強気に出る男の性も露わである。
彼の言葉に反応してか、中年男は先ほどまで顔に貼り付けていた薄ら笑いを引っ込め俯いた。
「……生まれつき体が弱かった。だからといって、頭が良くもなかった。家も貧しかった」
「は?何言ってんのアンタ?早く消えろよ!」
苛立った若者が拳を振り上げるのにも構わず、中年男は独白めいた言葉を続ける。
「なんにもないんだ。なんにもなかった。なかったんだ。だからせめて、欲しかった……」
中年男の不潔な頭髪がざわ、と逆立つ。
続けて貧弱な浮浪者の肉体に起きた変化に、健康なる“一般の若者”二人は絶句。
「こんな力が欲しかったんだよなぁァァァァ!!!」
その晩、二人の男女は人とは思えぬ巨大な腕の餌食となった。
*
街の大衆酒場は昼前だというのに賑わっていた。
背広を着た者、着ていない者。いずれも多くはくたびれた風貌の男達。
それでも彼らは楽しそうだ。何故ならここには、酒があるから。酒が呑めるから。
この店の客層からすれば、いま
年の頃は20前半であろうか。角刈り頭で大柄な筋肉質の体躯を、袖のない
男はのれんをくぐるなり、空いたカウンターに腰掛けて。
カウンター向こうの店主と目が合うなり「ワンカップとお新香」とだけ告げる彼に、隣り合った酔客が声をかけた。
「兄ちゃん、若いのにこんなとこ入り浸るなよ」
「うす」
面識のない酔っ払い男に会釈しながら、店主から差し出されたワンカップに口をつける角刈り男。
一口でカップの一割ほどを含み、漬物を一切れ噛んでから今度は二口。常温のワンカップは見る間にかさを減らしていく。
「おお、いけるねえ兄ちゃん」
「朝は大関に限りますね」
「言うねえ!」
酒臭い息を吐いて背中をポンポンと叩いてくる初老の男に、青年は微笑を返す。
「兄ちゃん見慣れない顔だよな。いやさ、ワシゃここの常連やって20年だでな」
「はい。先週こっちの方へ帰ってきたんスよ」
「帰って来たってことは、昔はこっちに住んでたのかい」
「ガキの頃まで。日本は十年振りで。色々変わっててびっくりしますよ」
「へえ、帰国子女!たいしたもんだ。どこの国に居たんだ」
「中国の、ええと……山奥ス。修行、してまして」
酒で滑らかになった舌同士、見知らぬ間柄でも話が弾む。
屈託なく接してくる酒場の常連を名乗る白髪の男の人柄もあろう。
「修行!いったいなんの……いや待てよ兄ちゃん、当ててみるからな……あ、そうだ分かったぞ。拳法の修行だな!?」
「当たりス」
青年の答えを聞き、二周りは歳が違うであろう男が少年のように目を輝かせた。
「ガタイいいもんな、だろうと思った!でもって、若いのにその呑みっぷり……“酔拳”の修行とみた!」
びし、と指差してくる初老の男に、青年はワンカップを一口舐めてから微笑んで答えた。
「――当たり、ス」
*
「なあ、東通りの公園の話聞いたか?」
「アベックが殺されたってやつだろ。この辺も物騒になったよな」
「なんでも、男の方はとんでもない力でバラバラに引き千切られてたって言うじゃねえか。人間業じゃないってよ」
「おい、あんま生々しい話やめろって。今ホルモン食ってるんだよ。想像しちまうだろ」
ふと、後ろのテーブル席の世間話が耳に入る。
酔客同士の与太話と聞き流すほどのものであったが、角刈りの青年は注意深く彼らの話に耳をそばだてた。
「……さ、俺、行きます」
「おいおい、一杯だけで行っちゃうのかい?まだちっとも呑み足りないって顔してるじゃねえの」
「野暮用あるんス」
ポケットから無造作に取り出した硬貨をカウンターに置く青年を、酔っ払い男が残念そうに見上げる。
「また来ますよ」
年上の男が情けない表情をするのを見かねてか、青年は声をかけた。実際、この店では新香しか口にしていないのだ。未練があった。
純粋にこの店が気に入ったということもある。
青年の言葉を聞き、初老の酔客の表情がパァと明るむ。
「なあ兄ちゃん、名前教えてくれよ。何かの縁だろ。今度会った時ゃおごるからさ」
無邪気な白髪混じりの男に、苦笑交じりの微笑みを向け青年は名乗る。
「
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