光を求めて

まさし

光を求めて

僕がラスベガスという街の存在を知ったのはいつのことだったのか、実は覚えていない。ただ漠然と 「きらびやかな所なのだろうな」 と、きっとテレビか何かで観て、高校生の時ぐらいからそんなイメージを持っていた気がする。

 

高校を卒業して就職し、二年が経った二十歳の時、両目ともに、角膜が円錐状に飛び出てしまう病気が見つかった。角膜の中心部が極端に薄くなり、薄い部分からは直接光を取りこんでしまうため、すべての光という光を眩しく感じるようになった。

それは痛みを伴うようになり、日に日にひどくなった。太陽や照明に目を向けることができなくなり、曇りの日でも空を眩しいと思うようになって、常に下を向いていた。職場では、僕の机の脇に立って話しかけてくる同僚の顔を見る時でさえ、蛍光灯の明かりが眩しく、人の目を見て会話することができなくなってしまった。 視力も急激に落ち、本を読むときには目の3センチくらい前まで近付けないと読めない。でも、それもまだマシな方だった。病気と診断された一年後には読書さえ満足にできない状態になった。白い紙を、眩しいと感じるようになったのだ。仕事以外の外出を避けるようになり、家にいる時でも何もやる気が起きず、全ての事柄に対して消極的になった。特注のコンタクトレンズで角膜を押さえていたが、痛みを感じないのは目を閉じて眠っている時だけだった。

 

病院には定期的に通っていたが、先生には

「若くて症状の進行が早いから、いつかは角膜移植が必要になる」と言われた。

「角膜移植」なんて、他に手の施しようがない人に対して行われるイチかバチかの最終手段的なものだと思っていた。驚きよりも、自らの身に起きることだという実感がなかった。しかしひどくなる痛みによって、徐々に認めざるを得ないものとなり、「いつか」が来てしまうことを怯えながらの生活が続いた。

 

そして、その「いつか」が来た。 二十二歳の春だった。


その眼科は非常に評判が良く、遠方からも多くの患者が訪れていた。でも、

「メスを使って人の手で手術するからには、成功率は百パーセントではない」

執刀医からはそう説明され、その旨の同意書にサインをした。

手術や入院など一度も経験したことがなく、

「何をされるのだろう?手術は痛いのだろうか?」という単純な不安。

それ以上に、視力を失ってしまう可能性がゼロではないことの恐怖――。

 

手術日は二カ月後と決まった。

日本で亡くなった方の角膜を順番待ちする場合は緊急手術になるが、アメリカのアイバンクから空輸される角膜を移植するため、手術予定日が決められたのだ。

それからの二カ月間、表向きは今までと変わらず、しかし内心はもやもやした思いでいっぱいだった。

「もし失明してしまったら」

そんなことばかりを考えて過ごしていた。まずは右目の手術だったので、

「もし今回失敗しても、左目だけはまだかすかに見える」

そう思うことが、自分を勇気付ける数少ない手段だった。


そんな時に、ふと思いついた。

「手術の結果がどうなっても、行きたいと思うところには、行けるうちに行っておこう。仕事やお金などは少しぐらい無理をしてでも、絶対行こう」 と考えるようになった。

近所の本屋さんで長時間の立ち読みを経て、生涯初めて旅行ガイドブックを買った。潜在意識の中にあったと思われるその街について、少しでも写真や紹介記事が載っているものは片っ端から揃えた。痛む目を細めながら2センチぐらい前まで近付けて、夢中になって隅々まで熟読した。


当時の僕には全く不向きと思えるその街こそが、アメリカ・ネバダ州、ラスベガスだった。

ネオンが鮮やかな、世界で最も眩しい夜を持つ街。視力が測定不可能になるほど極端に悪くなった僕の目にも、ガイドブックを彩る街並みはとても魅力的に見える。実在のものとは思えない奇抜なデザインをしたホテルの数々。カジノの街として有名だが、僕はなによりその景色に心を奪われた。知れば知るほど強く興味を持ち、

「この街に行くまでは視力を失いたくない」

祈るような気持ちが生まれた。

「僕には明るい未来が待っている!」

そう思うように心掛けながら、手術の日を迎えた。


手術は無事成功した。

安堵の感情と同時に、色々な人への感謝の気持ちがあふれてきた。先生をはじめ病院の方々。家族や職場の仲間。そして、僕に角膜を提供してくれたことになる、たぶんアメリカの、見知らぬ人――。 翌年の春に左目の手術も成功し、視力も順調に回復した。


その秋、僕は輝くネオンの下、しっかりと両目を開けて立っていた。 想像を遥かに超える明るさと華やかさ。巨大ホテルが立ち並ぶスケールに圧倒される。写真では分からなかった奥行きと立体感。それらを自分の目で見られることが、ただただ嬉しい。

メインストリート「ストリップ通り」に架かる歩道橋のちょうど真ん中に立ち、心地よい風を受ける。ネオンの一つ一つからエネルギーをもらえる気がする。僕に角膜をくれた人はこの景色を眺めたことがあっただろうかと、少し思う。ふいになにかが込み上げてきて、もう痛むこともないはずの目が、なぜか霞んでくる。カメラを構えて写真に収めるなんて余裕もない。

目も心も、どんどん潤っていく。

 

ピラミッドや中世のお城、摩天楼の周りを走るジェットコースターに自由の女神、火山に湖に海賊船――。 目の前に広がる個性的で魅力的なそれらは、すべてホテルの一部。美しくライトアップされており、とても楽しげだ。建物の中はどうなっているのだろうと入ってみると、外観から受ける印象そのままに、天井、壁、カーペットやドアノブといったところまで、それぞれテーマに合った内装が細部まで施され、徹底した雰囲気作りがされている。

無料で観ることができるアトラクションやショーも各所で行われており、ホテル巡りをしているだけでひたすら楽しい。何時間歩いても、同じ場所を行ったり来たりするだけでもまったく飽きることがなく、時間の許す限り歩いていたいと思える。

時間帯によって違った表情を見せてくれるのも面白い。朝はさわやかな明るさ、夜は煌びやかな明るさに包まれる。歩道で見かける人は、いつでも笑顔。若いカップル、子連れ家族や老夫婦など、年齢も人種も多種多様。カジュアルな格好の人もドレスアップした人も、みんなとにかく陽気で、楽しさを隠しきれない様子。街全体にウキウキする空気が漂っていて、伝染してくるようだ。


日付が変わる直前は、ここでは夕方と言っても良い時間帯で、たくさんの人や車が行き交って最も賑やかになる。

一際派手なネオンのフラミンゴホテル前、歩道が少し狭くなった部分をふわふわと夢見心地で歩いていると、前から男女6人ほどのグループがやってきた。アメリカの青春ものテレビドラマに出てきそうな若者たち。少しお酒も入っているのだろうか、爽やかにじゃれ合いながら近付いてくる。女性の美しい金髪がネオンに赤く染まっている。なんとなく目が合ってしまい、大きな瞳が微笑んだように見えた。こちらも自然に微笑んでしまう。その女性と話していた男性も笑顔になり、すれ違う瞬間、僕に向かってこう言った。

「エンジョイ!」

立ち止まることなく放たれた一言が、強烈にカッコ良い。

「サンキュー」

そう答えるのが精一杯だったが、たったそれだけのコミュニケーションに、僕の心は躍り出さんばかりになる。

 

ラスベガスから小型飛行機で一時間の「グランドキャニオン」にも行ってみた。やはり壮大で、記憶に残る素晴らしい風景。もちろん「感動」という言葉を使うに相応しい。それでも僕は、自然が長年掛けて作り上げた芸術作品よりも、

「人は、こんなにすごいものを創ることができるんだ」

と実感できる、ラスベガスの方が心に響いた。

 

滞在最終日の夜、高さ三百五十メートル、街を一望できるストラトスフィアタワーに行ってみる。高速エレベーターで一気に展望フロアに着いて、屋外展望台に一歩出てみると、視野いっぱいにネオンが広がっている。

少し強めの風を感じながら眺めていると、光には様々な色、大きさ、形、明るさがあることに気付く。建物を浮かび上がらせるための照明もあれば、人々から発せられているかのような温かくて小さなオレンジ色も無数に散りばめられている。僕がラスベガスに来たいと思ったのは、目の病気になってからずっと避け続けていた、「光」への憧れがあったのかもしれない。

遠くの光を眺めながら、ほとんど無心に近い状態になった時、目の手術直後に生まれた感情がよみがえってきた。光の一つ一つに意味があるように、人との出会い、その一つ一つに意味があるのだと、静かに感謝する。

新しいホテルなどが次々と建てられ、街の規模もどんどん大きくなっているラスベガス。古い建物は解体され新しく生まれ変わるなど、進化を続けているようだ。人の持つ想像力と創造力が結集され、夢と遊び心を織り交ぜながら、人を楽しませることにとことんこだわっている。なにもない砂漠に創られた、あまりに人工的で人間的な街だからこそ、人の素晴らしさを素直に感じられる。

この街に魅了され、世界中から期待や希望を持って訪れる多くの人たち。楽しむことに純粋な人々から無意識に発せられる「さあ、楽しむぞ!」という空気が、実は光の源になっているのかもしれないなと思う。

世界一明るい夜を持つ街は、眼を細めなくてはならないほど眩しかった。でもその眩しさは、なんだかとても、気持ちがいい。

僕もまた、この街の景色の一員になるため、夜のネオンに溶け込んでいく。


ラスベガス・マッカラン国際空港を早朝に発つ飛行機に乗った僕は、一週間分の寝不足が溜まっているはずなのに、窓の外を眺め続けた。朝焼けによって、金色のホテルがストリップ通りを眩しく輝かせている。

 

この光を求めて、僕は絶対、またこの街に来る。

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