三章④ 父の決意
結局、謎のカセットテープの中身を解き明かす為の鍵である再生装置を探すのに結構な時間がかかってしまった。フロストの家も時代の流れに逆らうことなく、家電の大半はそれなりに最近のものに買い替えてきたからだ。
最終的に物置部屋までもをひっくり返すことになってしまったが、やっと目当てのものを見つけ出すことに成功した。
古びたハンディタイプのビデオカメラ。とっくの昔に世代交代し、物置部屋で余生を過ごしていた懐かしの機器は電池を変えてやればちゃんと仕事をしてくれるらしい。
使い方がいまいちわからないままテープをセットして、適当にがちゃがちゃと弄る。すると、小さな画面がぱっと明るくなった。
「おっ、点いた」
ソファの上で胡座をかきながら、フロストはビデオカメラの画面を見つめる。リビングの空気は電気ストーブ――ライアスでは未だに暖炉を使っている家の方が多いのだが、フロストは面倒なのでここ数年使っていない――のおかげで暖かい。
いつもの飴玉も一袋手元に用意した。慣れた甘さにようやく一息ついた気になる。灰色の砂嵐を眺め、映像に切り替わるのを待つ。
しばらくして一度、映像が真っ黒になる。そのまますぐに画面に色がつき、何かの景色を映し出す。
否、違う。これはどこかの部屋だ。少々様子は違うが、ヒョウの部屋に間違いない。それでも、ただのホームビデオというわけではないようだ。
『……しっかし、自分で自分を撮るのも何か照れくせぇなぁ。おしっ! 気合い入れろよ、ヒョウ』
ヒョウ。その名前と、懐かしい声に胸がじんと痛む。フロストと同じ銀の髪に、瑠璃の瞳。
「……親父?」
一瞬、画面に映った人物が誰なのかわからなかった。テープの中に居るヒョウは、フロストの記憶にあるより若い。当然か。シールに記されていた年代は、フロストが生まれた年。記憶にある父親より若くて当たり前なのだ。辛うじて二十代といったところだろうか。
『うーん……えっと、ゴホン。おい、こらヒョウ! テメェ、これを見てるってことは、また人様に迷惑かけるような大ケガしたんだろ』
ぎくりとした。いや、待て。これはフロストに向けられた説教などではなく。
『いっつつ……はあ、今の俺がどんな怪我をしやがったのかわからねえが。俺はこの通り、右脚を二か所骨折しました』
ほれほれ、とヒョウが指で指し示す。本当だ。よく見たら画面の端に松葉杖、右脚は真っ白なギプス包帯で固定されている。他にも前髪で隠れてしまっていたが、額に絆創膏が貼ってある。
『今日、ユドにこっぴどく叱られたよ。そんで、やっと皆が言ってる言葉の意味がわかった。俺が、戦士失格だってこと』
再び、ぎくりとした。まさか、ヒョウも同じことを言われていたなんて、思いもよらなかったのだ。
『今まではわかんねえって、理解することを拒んでた。誰のお陰で平和に暮らせるんだよって。虚無と戦ったことなんかない弱虫達に、俺のことなんかわかんねぇだろって。……まるで、この村では自分が一番偉い、って勘違いしてた』
でも、違うんだよ。ヒョウが続ける。
『俺は、偉くなんかない。むしろ、この世界で一番底辺だと思う、サイテーでサイアクな野郎だとわかった。フロストが教えてくれた』
「え……俺?」
思わず、声を出してしまう。自分は、彼に何を教えたというのか、全く心当たりがない。
『彼女が居なくなって、何もかもが嫌になって自暴自棄になってた。後を追おうかとも思った。でも、村の皆にびーびー泣きじゃくるフロストを押し付けられた時、気が付いたんだ。あのちっちゃい手が、俺の服を掴んでた。こんなサイテーな俺を、それでも父親として縋ってくれた。あの子には俺しか居ないし、俺にもあの子しか居ないんだって』
やっとわかったんだ。何度も何度も繰り返すヒョウの頬を、透明な雫が一つ、つうっと流れる。彼女とは、恐らくフロストの母親のことだろう。名前くらいしか知らないその女性は、フロストを生んだ時に出血が止まらずそのまま亡くなってしまったのだ。
『俺が、この子を育てなくちゃいけないんだって。俺と同じなんだって。だって、フロストは母親に一度も抱かれることは無かったんだ。彼女が残してくれたフロストを、彼女の分まで俺が愛してやらなきゃいけない。その為には、こんな怪我なんかしてる場合じゃないんだって。気が付いたら、フロストと一緒にわんわん泣いてた』
ぐすっとヒョウが鼻を鳴らす。こんな父親は、見たことが無い。
『俺は、フロストの為に生きなきゃならない。戦士を辞めても良いって、言われたけど。それはなんかちょっと違う気がする。だから、俺はもうしばらく戦士を続けることにした。でもそれは怪我をする為ではないし、力を誇示するわけでもない。フロストを愛する為、村を護る為、そして……俺が生きる為に。生活費を稼ぐって意味じゃないぞ、それもあるけどな』
いいか、ヒョウ。父親の言葉を、フロストは黙って待つ。
『俺は、生きなきゃいけない。生きて、フロストや村のみんなを護らなきゃならない。銃は虚無を殺す為の武器じゃない、大切なものを護る為の手段であり、意思だ。ヒョウ、お前は生きなきゃならない。皆を、フロストを護らなきゃいけない。それが、俺の――』
ヒョウの声がぴたりと止まる。あまりにも不自然な彼に、フロストは一瞬ビデオカメラの調子が悪いのかと思った。でも、違った。
よく聞けば、何か聴こえる。これは泣き声、だろうか。フロストが思案していると、ヒョウの表情が一変した。
今まで泣きじゃくっていた筈の顔面が、さあっと青くなる。
『うわあああ!! どうしたフロスト!? ミルクか、それともおむつか! 今行くぞって、いったた……あいたたたたた!!』
そこから先は、一体何が起こったのかわからなかった。ヒョウが慌てて立ち上がるも、骨折をしているらしい脚では姿勢を保つこともままならず。咄嗟に立て掛けてあった杖に手を伸ばすも、無情にも届かず。物凄い量の音に嫌なノイズが混じり、フロストは電源を消してしまう。
まだ何か言いかけていたようだが、もう充分だった。
「何やってんだ……ほんと、どうしようもねえ親父だな」
どうやらこれは、ヒョウが自分自身に向けた戒めのテープだったらしい。実際、彼が何度この映像を見たかはわからない。
でも、これはそのまま父親からの言葉となった。
「そうか。……そういうことか」
ビデオカメラをテーブルに置いて、フロストは口の中にある飴玉を噛み砕く。そうして要らなくなった棒をごみ箱に捨てる。
そして、目を瞑る。思考に犇めいていた霧のようなものが、ぱっと晴れた気がした。意図していなかっただろうが、ヒョウは父親として、フロストの一番欲しかった答えをくれた。
フロストが今、やらなければいけないことを示し、その後押しをしてくれた。
「……やってやろうじゃねえか」
ゆっくりと開かれる目蓋。ヒョウと同じ瑠璃の瞳にあるのは、強い意思の光。そこにはもう、迷いや弱さの色は一片も存在しなかった。
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