三章

三章① 援軍

 三日という時間は意外とあっという間に過ぎてしまうもので。次の日には電気が復旧し、キュリの言った通り虚無の襲撃も今のところは無い。

 あれから出血多量により気を失い、昏睡状態に陥ったフロストは二日間をベッドの上で過ごすこととなった。いつ帰ってきても良いように、ミカの家に居た頃の彼の部屋はいつでも使えるような準備をしてはいたのだが、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。

 アンナもミカの家で看病することになったが、彼女の方はもっと酷い状態だ。右の太腿は骨が露わになる程に抉られ、右肩には銃創と火傷を負った。傷による高熱が続き、ここに担ぎ込まれてから左腕にずっと点滴の管が繋がれている。意識も戻らないままだ。

 ミカはほとんど付きっ切りで彼女を見ていた。とは言っても時折額のタオルを変えてやったり、汗を拭いてやることくらいしか出来なかったが。二人だけでなく、村の怪我人の処置に忙しく走り回っているユドの負担を少しでも減らしたくて、そしてアンナに少しでも恩返しがしたくて寝る間も惜しんだくらいだ。

 あの夜、ミカを庇ってアンナはキュリに撃たれた。肩を深く撃たれ、しかもその弾丸が炎のスピネルによって出来ていたものらしく、傷口が赤々と燃えあがったあの光景は今でも鮮明に思い出される。

 そして、ミカを連れ去った後に残った力を振り絞り自身の車まで這い、スナイパーライフルでキュリを狙撃した。結果はキュリを村から追い払うことで留まったが、彼女の執念は凄まじい。


「すごいなぁ……すごいよ、二人とも」


 フロストもアンナも凄い。そして、戦士というものがどういうものなのかを改めて考えさせる出来事となった。

 一度でも、フロストと共に銃を持つと言ってしまった自分が恥ずかしい。アンナの店で、金色のリヴォルヴァーを見た時の能天気な自分を叱ってやりたい。

 ただフロストと一緒に居たいだけだった。虚無との戦いがどれだけ凄惨なものかをわからなかった。そして、幼なじみの覚悟を知らなかった。

 自分は、あまりにも無知だった。


「……だめだなぁ」


 このままじゃ、駄目だ。自分も何かしなければ、何か出来ることがある筈だ。今はとにかく、アンナが目覚めるまで世話をしなければ。重たくなってきた目蓋を擦り、アンナの額を冷やすタオルに触れる。

 ぬるくなったそれを取り上げ、氷水の入ったタライに放る。しかし、氷は既に溶け、水自体も温まってしまった。変えてこなければ。タライを盆の上に載せ、水を零さないように注意し持ち上げて、ミカは部屋を出た。

 静かにドアを閉め、気怠い疲れを溜め息と共に吐き出す。ふと、視界の端に鮮やかな真紅がちらついた。


「え……フロスト?」


 慌てて彼が降りて行った階段に駆け寄り、下を覗き込む。真っ赤なロングコートに、銀の髪。やっぱりフロストだ。何故、家の中でコートなんか着ているのだろうか。


「どこ……行くんだろ」


 夜明け前に目を覚ましてからユドの診察を受け、再び眠っていた筈の彼。まさか、一人で虚無を倒しに行くのでは。ミカは揺れる水面に気をつけながら、フロストの後を追う。

 頼りなく、ふらふらと歩くフロストは背後から追い掛けるミカに気がついていないよう。まだ寝てなきゃ駄目なのに。呼び止めてしまおうか。そう思った矢先、フロストは意外な方向に身体を向けた。


「あ、あれ?」


 てっきり玄関に向かうと思っていたのに。フロストが向かうのは外では無く、どうやら応接室のようだ。よく大人達が難しい顔で会議をしたり、真っ赤になって飲み会をしていたりといつも賑やかな場所だ。今日はどちらかというと前者の方で、とは言っても皆なんだかんだ忙しく、まだいつものメンバーの三分の一くらいしか集まっていない。

 フロストに気付かれないよう、ミカは足音を忍ばせて後を追う。見慣れた長身が応接室の中に消えると、ミカもそこに入ろうとした。

 いや、待て。今までの経験上このまま自分が入って行ったら、変に突っ掛かってしまうかもしれない。それに、今のフロストは何だか近付き難い雰囲気がある。

 ミカは少し考え、応接室の扉を出来るだけ静かに、ほんの少しだけ開けた。これで中の話が聞ける。

 耳を澄ませて、ちょっと緊張しながら部屋の様子を伺う。


「……で、何だよ。話って」


 これはフロストのものだ。いつもより元気が無い気がする。


「……単刀直入に言おう。フロスト、我々はお前が眠っている間に軍へ応援要請を出した」


 これはサンの声だ。思わず、喉が鳴ってしまう。唾をごくりと飲み込む音が、やけに大きく響いているように感じる。

 軍。つまり、国が所有する中で最大の防衛機関である自衛軍は、虚無掃討の為なら多少の犠牲を厭わないという、なかなか暴力的な集団である。

 こんな田舎村にまでわざわざ来るということは、あのキュリとかいうオバサンはそれ程強力な虚無ということらしい。

 確かに、軍の援助は願ってもないものだ。しかし、ライアスのような田舎村が抱く、軍の評判は決して良いものとは言えない。まず、軍は何事にも高圧的で。ミカに言わせれば、偉そうで上から目線なのだ。

 物資の無償補給は当然。作戦の為なら、村人が精魂込めて作り上げた畑を簡単に焼け野原にしてしまう。家が壊れたって知らんぷりだし、とにかくムカツクやつらなのだ。高い税金を払ってるのはこっちだぞ!

 そして、彼等は横暴だ。ヒョウが居なくなってからアンナが来る前までの数年間、軍に何度も世話になったことがあるらしいのだが、その時も決して穏便に済んだとは言い難い。

 確かに、映画でしか見たことのないような戦車や大砲があれば、もうフロストやアンナが怪我をする必要は無い。でも、キュリを倒しても後には焼けただれた土地しか残らないのだ。

 それに、フロストがヒョウの銃を取り返す機会が、永遠に失われてしまう。


「……そうか」


 フロストの声からは、何の感情も聞き取れなかった。話の内容が理解出来ているのか、それさえも疑ってしまう。


「今日の夜にはこの村に到着するだろう。先方はキュリの脅しなんか気にしなくていいと言っていた。お前にはつらい思いをさせるが、これはお前の為なんだ」

「……そう」

「フロスト、大丈夫か?」


 ライノが不安そうに訊いた。今のフロストはまるで、催眠術にでもかかっているのではないかと思ってしまう程に無感情だった。

 怒って当然なのに。一体彼はどうしてしまったのだろう。


「……皆が決めたことなら、俺はそれに従うよ」

「フロスト……」

「話は、それだけ?」


 大人達が何も言えないでいると、やがて足音が一つ移動した。思わずミカは廊下の曲がり角まで走った。フロストが応接室を出て、今度こそ玄関の方へと向かうのが見えた。

 迷ったが、ミカは床に盆を静かに置いて、フロストの後を追った。


「フロスト!」


 玄関の扉に手をかけたフロストに追いつき、彼を呼ぶ。一瞬、胸に切ない痛みが走った。

 ――フロストが、泣いているように見えたから。


「ミカか。どうした?」

「へ?」


 でも、それは見間違いだった。ぼうっとしたような、眠そうな瑠璃の瞳には涙の気配すらない。……そういえば、この幼馴染が泣いている様子をいつから見なくなったんだろう。

 もしかしたら、一度も見たことがないかもしれない。


「えっと……どこ、行くの?」


 変な勘違いをしてしまい、なんだか気まずい。恐らくミカにしかわからない居心地の悪さを唾と共に飲み込んで、フロストに言った。


「帰るんだよ。いつまでも世話になってらんねぇだろ」


 苛立ちも、焦りもない彼の声はいっそ不気味だ。


「で、でもまだ寝てなきゃ」

「大丈夫だって」

「ねえ……本当に、このままでいいの?」


 訊くつもりは無かった問いが、口から飛び出してしまった。慌てて口を両手で押さえるも、時は既に遅い。


「……軍のことか? まあ、仕方ねぇだろ。俺もこんなだし、アンナもまだ起きないんだろ」

「そうだけど……でも」


 どうしよう。このまま訊いてしまおうか。でも、今の彼に訊いても大丈夫なのだろうか。苛立つ様子もなく、フロストはミカの言葉を待っている。


「……いいの? 軍が来たら、ヒョウさんの銃――」

「跡形もなく消し飛ぶだろうな。……でも、仕方ねぇよな」


 ミカの言葉を遮って、フロストが言った。やはり、彼だってわかっているようだ。しかし、その言葉は憤りでも何でもなく、ただの諦めだった。


「……親父が生きていないことだけでも知ることが出来て、充分だ」

「で、でも。大切なものなんじゃ」

「別に。……使い手の後を追えるんなら、銃だって本望なんじゃねぇの」


 よくわかんねぇけど。力無く笑って、フロストが言った。痛々しい自虐的なそれに、彼は気が付いているのか?


「で、でも……」


 言葉が後に続かない。今のフロストに何て言ってあげればいいのかわからない。今まで知らなさすぎた自分に、彼が求める何かを言ってあげられるのだろうか。

 思えば、自分はフロストの何を知っている? フロストが今まで、どんな思いで引き金を引いてきたのか。ヒョウの帰ってこない家で、彼が何を思ってきたのか。

 何にも知らないじゃないか。


「……ミカ?」

「ご、ご飯食べていきなよ! まだ、食べてないでしょ? うん、そうしなよ。あ、そうだ。昨日ね、お母さんとプリン作ったの。フロストとアンナさんの分もあるから、アンナさんの目が覚めたら――」

「ごめん」


 はっきりとした謝罪。違う、欲しいのは、そんなものじゃないのに。それ以上何も言えなくなってしまったミカに、フロストは続ける。

 言葉や声は柔らかなものなのに、その中に混ざる拒絶は明らかだった。


「悪いけど、しばらく一人になりてぇんだ」

「ふ、フロスト……」

「俺は大丈夫だから。だからもう……もう、放っておいてくれ」


 そう言って、扉を開けてミカの前から消えるフロスト。再び扉が閉まって、彼の気配が完全に無くなっても、ミカはその場に立ち尽くすことしか出来なかった。

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