本山の向こう側

re:structure

本山の向こう側

緩やかな坂道を下っていくと、桜の花びらが舞い散ってきた。

小高い丘から見下ろす街。閑静な住宅街。

本山から、池下まで。

長くも短い一年間。何度も、この街を歩いた。



翌年に受験を控えた2005年。

片田舎に住む自分は、週末だけ予備校に通っていた。

大半の入試が終わって新学期が始まる前の3月中旬、予備校内に生徒の姿はまばらだった。

授業が始まるのはいつも夜。そのため、午前中に予備校に着いてから授業が始まるまでの間、ほとんどの時間を自習室で過ごした。

通い始めたばかりの頃は若干の緊張感もあって、昼休み以外は外を出歩くことはなかった。けれど段々と慣れてきて、いつしか昼ご飯を食べた後、2〜3時間くらい散歩をするのが密かな楽しみになっていた。



その日もまた、予備校を出て少し歩いた。

暖かい、春の風。

最初に着くのは、本山駅近くのILYA本山にあるヴィレッジヴァンガード本山店。

エスカレーターで地下に降りると広がる非日常な世界。

音楽のコーナーで流れるFreeTEMPOのUniverse Songとビル・エヴァンスのWaltz for debby。

本のコーナーで、一冊の本が目についた。

「自分にふさわしい場所」

写真はホンマタカシ。言葉は谷郁雄。

そう、自分はまさに、自分にふさわしい場所を探している最中だった。


店を出て、広小路通りを名古屋方面に歩いていく。

愛知学院大学歯学部附属病院を越えた辺りから、少しずつ坂道になる。

やがて覚王山。フランテの辺りの小高い場所から来た道を見下ろすと、遠くに東山スカイタワーが見えた。

そのまま池下の方に向かって歩くと、見えてくるのはハードオフ覚王山店。

小さな頃に見た憧れのボンダイブルーのiMacが中古で並ぶ。

奥の壁にはフェンダーのストラトキャスター。

他にも、池下周辺にはサンクレア池下にあるブックオフ池下店と三洋堂があった。いつもここで、目当ての本を探した。


この辺りでまた、本山に引き返す。

帰りはなるべく違う道を通る。

広小路通りも、一本外側に外れると細い道がいくつもある。

裏通りには水路があった。

持っていた富士フイルムのFinePixというデジカメで、水路を流れる花びらを撮った。

穏やかな、春の日だった。



いつのまにか季節が過ぎて、梅雨になった。

雨が多い日は散歩が出来ないので、おとなしく自習室で過ごすことが多くなった。



やがて梅雨が明け、快晴の空が広がった。けれど、暑さに負けて遠くまで歩くことはなかった。

夏が終わるころ、ヴィレッジヴァンガードでは土岐麻子がカバーするSeptemberが流れていた。



そして、秋が来た。だいぶ歩きやすい気温になった。

授業が無い日の夕方、紅葉を見ようと、本山方面でなく反対の平和公園の方向へ向かって歩いたことがあった。

秋の夕方の紅葉はきれいで、落ち葉の上を歩くとカサカサと音がした。

そうしているうちに、段々と日が落ちて辺りがかなり暗くなった。

もう帰ろうと引き返したけれど、木ばかりでなかなか住宅の明かりが見えなかった。

暗い闇の中で、本山の街の明かりを想った。



冬になった。

もうすぐ試験本番。

そんな時期になっても、本山のヴィレッジヴァンガードだけは通い続けた。

ある日、本が並ぶ棚に佐内正史が特集のprints 21があった。

表紙の高速道路標識の写真が目について、思わず手に取った。

ページをめくると、工事現場や雨の日のマンション。練馬ナンバーの車。紫色の空と信号機。錆びたフェンス。誰もいない公園。緑色の街路灯が煌めく夜の道。雲、鉄塔、街の明かり。

どこかで見たことがある気がする。けれど、実際には見たことがない都会の景色。

懐かしいような切ないような感情が溢れてくる。なんだろう、この感じ。

自分もいつか都会に住んで、写真を撮ってみたい。

そんなことを思いながら、レジへと向かった。



そんなことをしているうちに、受験と共に冬が終わった。



そしてまた迎えた春。桜の咲く頃。

とある週末の午後、本山から池下に向かって歩いていた。

受験生としてではなく、18歳として。


ヴィレッジヴァンガード本山店と池下のハードオフと三洋堂。

あの日と変わらない景色がそこにはあった。

そして自分は、見慣れた街を後にした。


しばらくして、ヴィレッジヴァンガード本山店は閉店した。池下のブックオフも三洋堂も、いつのまにかみんな姿を消していた。

それに気がついたのは、就職を機に地元に戻ってきてしばらくしてからだった。


振り返ってみると、今の自分を形作った全てが、そこにはあった。

「自分にふさわしい場所」を探したあの日。

その答えになるか分からないけれど、結局の所、自分は地元に戻ってきた。


街の姿は少しずつ変わっていくけど、あの日見た景色は今も記憶の中に残っている。

本山の向こうに見えた、もうひとつの世界として。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

本山の向こう側 re:structure @re_structure

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ