第2話

 ろくに夕飯も食べずに、マリーツィアは不貞腐れたまま毛布にくるまった。いつもなら寄るなと言っても勝手に隣で寝ているくせに、今夜は焚き火を挟んだ向こう側で眠っている。子どもとしか言いようのない行動に苦笑しつつも、わりと効果はあるようだと自分自身に呆れていた。

 パチ、と俺を笑うように火が爆ぜた。

 こんな年下の少女に振り回されている様はさぞ滑稽だろう。だが周囲にどう思われようともう生き方を変えるつもりはなかった。

 行き先を変えるのなら、もう猶予はそれほど残っていない。これ以上進むと引き返すことになって時間の無駄になる。

「……さて、どうするか」

 はぁ、とため息を吐いて夜空を見上げる。街中にいるよりも星はずっとよく見える。月がないせいだろうか、星の輝きは一層増していた。頬を撫でる夜風は冷たい。もう初夏になる頃なんだけどな、と苦笑して立ち上がった。自分の毛布をマリーツィアにかけてやろうとして、寝顔を覗き込む。

 閉じた瞳の端に、小さな雫があった。指先でそっと拭ってやると、くすぐったそうにマリーツィアが身をよじる。

「……レギオンの……ばか」

 風の音にかき消されてしまいそうなか細い声で、そんな不平を呟く。

「馬鹿で悪かったな。この頑固娘が」

 こつん、と額を小突いて毛布を肩までかける。頬にかかる白い髪を払い、よく眠れるよう祈りながら頭を撫でてやった。


 ――実際のところ、答えなんて初めから決まっていた。

 どれだけマリーツィアが間違ったことを言ったとしても、危険な道を歩もうとしても、俺はこの少女を守ると決めたのだから。本当に幸せだと思える場所を見つけるまで。




 夜が明けると、マリーツィアは怒ったらいいのか笑ったらいいのか分からない顔で俺に毛布を返してきた。

「……ありがと」

 素直にお礼を言うことも、まだ屈辱なのだろう。長い躊躇いのあとに小さく告げられた感謝に、俺は内心で笑う。今それを顔に出したらお姫様の機嫌はますます悪くなるだろう。

「そこの川で顔洗ってこい。朝飯食ったら行くぞ」

「……レギオン」

 いつもどおりに振る舞うこちらを無視して、マリーツィアは不満げな声で俺を呼ぶ。どうやら昨日の続きをやりたいらしい。性格が頑固なせいか、随分と引きずるなと苦笑する。

「予定を変えるつもりはない。出来るだけ早く国を出る。……ただ少しルートを変える。その先で村があれば一日くらい休みこともあるかもしれない。……マリーツィア、意味が分かるか?」

 マリーツィアの顔を見ると、きょとんとした瞳がどんどんと輝きを増してくる。まるで宝物を見つけた子どもみたいな顔をして、マリーツィアは勢いよく頷いた。

「うんっ! ありがとうレギオン!」

 その嬉しそうな笑顔が眩しい。こちらのわずかに残っている躊躇いまで暴かれそうで、俺はなんとも言えない顔でマリーツィアの頭を撫でた。

 マリーツィアはぱたぱたと川に寄って顔を洗っている。その間に荷物の中から食料を取り出して、毛布は畳んでしまう。携帯食はお世辞にも美味しいと言えるものではないので、温かい飲み物で飲み込めるようにとお湯を沸かしておく。

「ただいまっ」

 言葉の端に嬉しさを滲ませながらマリーツィアは昨日とは打って変わってにこにこと俺に話しかける。単純なやつ、と小さく呟いた。

「ほら」

 携帯食料を渡して、そのあとにお茶を入れる。マリーツィアは嫌な顔一つせずにもそもそと食べ始めていた。

「……熱いから気をつけろよ」

 カップを渡すと、マリーツィアはこくんと頷く。もそもそもそもそ、と小動物か何かのようにかぶりついている。無表情と言えば無表情だが、食事時のマリーツィアは心なしかいつも楽しそうだ。

「……美味いか? それ」

 旅に慣れ携帯食のなんとも言えない味もどうにか耐えられるようになった俺とは違い、マリーツィアはここ数日初めて口にしたもののはずだ。彼女が不機嫌だった間はそんなことを気にする余裕もこちらにはなかったが。

「美味しいよ。誰かと一緒に食べるとね、どんなものでも美味しく感じるんだよ」

 当たり前のことのようにそう答え、マリーツィアはお茶に息を吹きかけて冷ましながら口をつける。

 思えば彼女が誰かと一緒に食事をしたのは、まだ数えるほどしかないのではないか。王都でも、食の細いマリーツィアにあれこれとラナが食べさせようとすると、困りながらも嬉しそうにしていた。

 食事なんて、ただ空腹を満たすだけのもの。もう長いことそう思っていた気がする。けれど思い出してみれば――ヒルダが頑張って作った料理を、俺は笑って食べていた。失敗作でも、自信作でも、食卓を兄妹の笑顔で彩りながら囲んでいた。

「……まぁ、そうだな」

「そうだよ」

 マリーツィアが頷きながら胸を張る。俺はふ、と笑いながら残っていたお茶を飲みほして立ち上がる。

 空を見上げると雲もなく、風もそう強くない。天気が崩れる可能性を心配しなくて済みそうだ。手早く焚き火の跡を消して、荷物をまとめる。出立の準備を始めた俺を見て、マリーツィアも慌てて残りを口に放り込んでお茶で飲み下した。

「行くの?」

「おまえの準備ができているならな」

 そう答えると、マリーツィアは立ち上がってスカートについた土を払って、小さな鞄を肩から下げる。髪を適当に梳かして、その上から深くフードをかぶった。ざっと自分を見下ろしてから、顔をあげる。

「大丈夫! 行こうレギオン」

 満面の笑みで答えたのが、深く被ったフードの隙間からでも十分に分かった。

 その笑顔を見てまぁ悪くないかもしれない、なんて思ってしまうあたり、俺はもう毒されているのかもしれない。彼女と言う名の毒に。


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