グリンワーズの災厄の乙女

青柳朔

グリンワーズの災厄の乙女

迷いの森編

第1話

 この王国を滅ぼすと恐れられた災厄の乙女は、窓辺に置かれた長椅子ですやすやと眠っていた。

 真っ白な髪は腰ほどまであるだろうか。眠っているから確認は出来ないものの――資料によれば、瞳の色は緑だという。肌は不健康と言いたくなるほど白い。胸に置かれた手は細く、この手が王国を滅ぼすなんて何かの間違いじゃないかと笑いたくなる。



 九年前――大神官による託宣が王国を揺るがした。一年の始まりに、その年のことを占う場での出来事だった。

 厳格な性格の大神官が、狂ったように叫んだ。


 ――災厄の乙女来たり、と。


 白き肌、白き髪にして深緑の瞳をもつ乙女、この国に災厄をもたらすだろう、と。

 その託宣は瞬く間に広がり、王都から遠く離れた地に住んでいた、わずか五歳の幼い少女は村人の密告によって王国へと引き渡された。

 災厄の乙女を殺せば、その身体に秘められたあらゆる災いが王国へと広がるだろう。少女を一目見た大神官は国王へと進言した。

 小さな女の子を殺すのは忍びない、と考える人間も多く、少女は王都の近くにあるグリンワーズの迷いの森の中に閉じ込められた。森の奥深くにそびえる塔から出ることが叶わず、派遣された騎士によって常に監視されている。

 少女は驚くほどに従順で――大人しく暮らしている。少女の監視に割かれる騎士の数が年々減るほどに。

 民はもう、『災厄の乙女』という存在になった一人の少女のことなど、忘れてしまっただろう。




 眠る少女の頬に手を伸ばし、触れるか触れないかしばし悩んだ末に、起こさないようにそっと触れた。

「長かったなぁ、ここに来るまで」

 左目を負傷し、騎士としてこれまでと同じように戦うことが難しいと宣告されて少し。懇意だった騎士団長はこの塔の常駐監視役として推薦してくれた。

 左目は黒い眼帯で隠されている。最初は距離感がつかめなくなったが、今ではもうだいぶ慣れた。まだ幼さの残るこの少女が脱走しないように見張ることくらい、朝飯前だ。

 静かに見下ろしていると、少女が重たそうに瞼を開ける。

「……だれ?」

 まだ半分くらい夢の世界に浸っているような、現実感のないふわふわとした声だった。

 うっすらと開けられた瞳は、深い森と同じ緑色。


「――――あんたを、殺しに来たんだよ」


 自分でも驚くほどに、たった一言で歪んだ感情が溢れた。

 本気を出せば今すぐにでも、細い首をへし折れそうな、華奢な少女に向かって。


 少女はわずかに微笑んで、そして再びまどろみの中へ落ちていく。

 安心しきったような寝顔が、ひどく癇に障った。




「ねぇ、あなた、新顔でしょう?」

 ふわりと柔らかく微笑んだ災厄の乙女は、今までの人生の暗がりを感じさせることなく、明るい声だった。どうやら寝ぼけていて、最初に会った時のことは覚えていないらしい。ほっとしたような、苛立たしいような、そんな複雑な気持ちになる。

「名前は?」

「……レギオン」

 少女は一度確かめるように呟き、曇りのない笑顔を向けた。

「素敵。良い名前ね」

「そりゃどうも、あんたは?」

 問いかけてから後悔した。彼女の名前を知る必要なんてなかったのに。名乗れば、反射的に問うてしまう。

「ごめんなさい。覚えてないの」

 俺の名前を聞いた時と同じように、柔らかな笑顔で少女は答えた。聞いたこちらが思わず硬直してしまうくらいに、自然に。それはまた一つの違和感を芽生えさせる。――なぜ、笑う?

「……呼ばれることがないと、名前って忘れちゃうものなのね」

 来たばかりの頃は覚えていたんだけどね、と少女はまた笑う。

 何がそんなに楽しいんだと問いたくなるほどに、少女は嬉しそうに笑っていた。しかしほんの数日彼女を見ていれば、会話する人間すらいないんだということに、嫌でも気付かされる。彼女を監視する騎士も、世話するための使用人も、まるで彼女が存在しないもののように動いているのだ。

 この塔の警護についている騎士は、災厄の乙女に敬意を払わない。それも当然だ。少女は世に災いをもたらす人間なのだから。

 憐れだとは思えない。

 ――思ってしまえば、八つ当たりにも似たこの憎しみが薄れるだろう。



 白銀の髪に、翡翠色の瞳。

 災厄の乙女の特徴に似ていると言えば、似ていたのだろうか。当時はまだ八歳だった。

 死に様は悲惨なものだった。わずか八歳の少女を、村中の人間が取り囲んで何度も殴り、蹴った。大人の男に暴行された肌は白というよりも紫色になっていて、顔は腫れあがり、誰か分からないような有様だった。もとの可憐な容姿など、欠片も残していなかった。

 ヒルダ。

 災厄の乙女と疑われて、殺された妹。

 鄙びた土地だった。災厄の乙女の噂など断片的にしか入ってこないほどに。特徴と、それが王国を滅ぼすと、それくらいしか。

 災厄の乙女を殺せば災いが溢れ出すだとか、すでに捕まっただとか――。

 それが村人の耳に入っていれば、妹は、ヒルダは殺されずに済んだというのに。




 白い髪に、深い緑色の瞳。

 出会った災厄の乙女は、死んだ妹よりも年下だった。死んだ段階でヒルダの時は止まっているのだから、年下というのも変な話だが。

「レギオン」

 俺が廊下の途中で立ち止まり窓の向こうを見ていると、塔の中を散歩していたのだろう――彼女は無邪気に話しかけてきた。

 無視しようかしないか迷い、結局「なんだ」と答えてしまった。彼女はくす、と笑い、白い髪が揺れた。楽しげに近づいてくる彼女はいつもと同じように微笑んでいる。

「あなただけね、私と話してくれるの。無視できないのは性格?」

「うるせぇ」

 出来る限り短く答える。あまり慣れ合いたくはなかった。

 深緑の瞳はしっかりと自分を捕えていた。その瞳の奥に芯の強さを感じる。柔らかく微笑むのとはまるで正反対の性質が彼女の中にあった。

「ねぇ」

 真っ直ぐに自分を見つめる瞳に少し居心地の悪さを感じて、目をそらした。窓の向こうには深い森が見えるだけだ。塔のすぐ下にはわずかながらに拓けた土地がある。そこにはいくつもの野生の花が咲いていた。

 その花の色に、故郷を思い起こして苦しくなる。


「いつになったら、私を殺してくれるの?」


 名前を聞いた時と同じように明るい声で、柔らかく微笑んだ表情のままで、災厄の乙女は無邪気に問いかけた。

 自分の耳を疑うのと同時に――ああ、あの時彼女は目が覚めていたのだと知る。

「寝ぼけているのか」

 動揺を悟られないように、冷静になれと頭の中では言い聞かせている。しかし声は少し震えてしまった。くそ、と内心で毒づく。

「私がついさっきまで寝ていたように見える?」

 それとも、もう就寝の時間かしら? と皮肉たっぷりに少女は切り返す。わずか十四歳の――自分より十近く下の小娘でも、女は女かと苦笑する。口で女に勝つのは至難の業だ。

「白昼夢だよ」

「ふぅん。白昼堂々殺せないってこと? 夜ならいいの?」

 どうやら彼女は誤魔化すつもりはないらしい。

 ふぅ、と溜まった息を吐き出す。彼女は大きな深緑の瞳でこちらを見上げる。無遠慮な目に、落ち着かない気分にさせられる。この少女はいつも相手を射抜くようにじっと見てくるのだ。

「――殺してほしいのか」

 呆れたように問うと、災厄の乙女はまるで花が今咲いたのかと錯覚するほどに眩しく、微笑んだ。

 まるで飴玉をねだる子供のように、嬉しそうに笑いながら手を伸ばす。小さな手が俺の首筋に触れた。子供の体温だな、と冷静に見下ろす。生温い。

「願ったら、殺してくれる?」

 淡く微笑む少女は、手のひらのぬくもりとは正反対に大人びている。

 その小さな唇から発せられたセリフに、一瞬身の毛が凍りついた。

「同情でも、憐れみでもなく、心の底からの憎悪で」

 首に触れる手のひらに力が込められる様子はない。ただじっとりとその生温い体温を伝えてくるだけだ。俺は真っ直ぐに見つめ返し、低く呟いた。

「今、この瞬間でも、俺はあんたが憎いよ」

 吐き出した悪意を受け止めて、少女は悲しみと喜びが入り交ざった複雑な表情で微笑む。そう、と小さく呟いて。

「なら私も心置きなく死ねるわ。もし本当に私が殺されることで災厄が王国に溢れるのだというのなら――あなたはその中心に立つんだもの」

 するりと首筋から手は離れ、少女はそのまま背を向けて立ち去る。

 何故か呼びとめようと、言葉を探した。そして彼女に呼ぶ名前もないことに気づかされる。声は音にすらならず、そのまま喉の奥へと飲み込まれた。声にならぬ声は喉の奥にひっかかったまま、もやもやとした気分にさせられる。

 死にたいのに、死なない――否、死ねないのか。彼女は。

 彼女が殺されると国に禍が溢れ出す。それが確かな偽りだという証拠もなければ、彼女は自ら死ぬことすらできない。自分を存在しないものとして扱う他人の命を、奪うわけにはいかないと――自分の死という願いを押し付ける相手にすら、やさしさではなく憎しみを求めるほど。

 それほど、彼女はやさしいのか。


 しばし物思いに耽っていると、カツンと足に何か当たった。

「――――?」

 拾い上げてみるとそれは、ネックレスのようだった。鎖が切れてしまっている。鎖の先には長方形型のプレートが揺れていた。表には花の模様が彫られている。ちょうど、塔の外で咲いている小さな白い花と同じだ。

 そういえば、こんな感じのネックレスを生まれた子どもに与える地域もあったな、とプレートをひっくり返す。

『最愛の娘・マリーツィアに、最大の幸福を』

 裏にはそうメッセージが彫られていた。やはり思ったとおりの類のものか、と拾った物をポケットにしまった。使用人の誰かの落し物だろう。

 千切れた鎖が、ポケットの中で小さな音をたてて存在を主張していた。


 まるで誰の目にも触れることなく咲く花のように。


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