非科学研究会の活動日誌

おぼんぼん

11月10日

 この日、僕らは車で山道を走っていた。峠を攻めに来たとか、そういうわけではなく、特に目的地もなく走っていたら、いつの間にか山の中にいただけだ。まだ日が沈む時間ではないのに生い茂る木々のせいで、辺りは月明かりだけを頼りに彷徨う夜道のように暗かった。もう遠の昔に、自分が何番の道を通っているかは分からなくなってしまっている。対向車などは見る影もない。そうして自分の心に芽生えてくる感情、このまま進めば引き返せなくなるかもしれないという不安と新たな世界へ進む事が出来るかもしれないという少年のような探究心が入り混じった、そんな気分に支配されていた。

 隣にはさきと言う名前の女の子が退屈そうに携帯をいじっている。どうやらすでに圏外になっているようで、特に何もすることはなさそうだが、何となく手持ちぶたさなのだろう。車内には僕ら二人を除いて誰もいない。気まずいという思いも遠の昔に薄れてしまい、言い表しようのない澱んだ空気がそこには流れていた。二人は同じ空間にいるのにもかかわらず、別々の目的、別々の存在として配置されたオブジェクトのようにただ座っていた。僕は合いも変わらず運転を続けている。彼女はただただ携帯を眺めている。それ以外はない。

 そもそも、僕らは別に恋人同士というわけでもなければ、恋を始めようと勇み立ち、意識をし合っている間柄でもない。ただの、大学のサークルの先輩と後輩、ただそれだけなのだ。それでは、なぜそんな僕らが一緒の車に乗って、この沈黙を続けているのかと言うと、それは、彼女の方から言いだしてきた事である。このドライブの3日前の出来事だった。


ひかるさんって、車運転できますよね?」

 サークルの終わりに急に声をかけられた。あまり人数も多くないサークルなので、もちろん知らない仲ではなかったが、仲良くしているという認識もなかったので少し驚いた。

「えっと、免許は持ってるけど…」

 面食らってしまった僕はどうも歯切れ悪く答えてしまったが、そんな僕の気持も知らずに咲は平然と、

「あ、よかったです!もしよかったら、今週末の土曜に乗っけてもらえませんか?」

 と、言ってのけた。あまり喋った事がないにしても、彼女はサークルの中ではおとなしい部類の女性だという印象があり、あまり自分から積極的に何かしているところを見た事がなかったので、この発言にはかなり驚いた。女性が男性をドライブに誘うという状況なのだから、多少の恥じらいはあってもよさそうなものだが、彼女の目からは純粋な希望しか見えなかった。僕は彼女が下心を持って誘っているのではないと分かり、ちょっと悲しい気もしたが、実際、その方が僕にも都合が良かった。

「土曜は一日空いてるからいいんだけど、どこか行きたい場所があるの?」

「えーと、詳しい場所はまだ分からないんですけど、お昼過ぎの3時くらいに大学で待ち合わせでいいですか?」

 と、今度はなんとも曖昧な回答だった。しかし、その瞳が一瞬、暗い影をを落としたような気がしたので、あまり深く追求するのはやめておくことにして、

「ああ、いいよ。また目的地の場所が決まったら教えてね」

 と軽く返事をした。つくづく自分は甘いなと思ったが、こればかりは仕方がない。

 そうして迎えた11月10日土曜日の午後三時である。結局彼女からの詳細な知らせは来るはずもなく、僕は早めに自宅から車を出し、大学の教師用の駐車場に止めていた。


 咲は3時ちょうどに現れた。こんな風に二人っきりで会うのは初めてなので、緊張のせいか、体が妙に熱くなってしまった。

「今日はありがとうございます」

 と咲は、デパートの売り場スタッフのような丁寧さでお辞儀をした。

「いいよ、別にする事もなかったし。で、どこに行きたいの?」

 すると、咲は少し申し訳なさそうな顔をして、こう言った

「すいません、目的地の名前は言いづらいんです。施設とかそういうところではないので…、でも、道は調べてきたので、乗りながら指示してもいいですか?」

 今になって思い返せば、この要求はかなり無茶である。行き先も伝える事が出来ない状況で、車だけ出せというのだから。普通の状況なら、僕も何か注意できたかもしれない。しかし、今回ばかりは状況が悪かった。女性と二人で車に乗る、この甘美な誘惑の前に、僕の正常な判断力は力なく崩れ去っていたのだった。この不思議な空間には抗う事が出来ない激しい流れが存在し、僕の意思と関係なく車は走りだしていった。

 確かに、咲は最初の方は道の指示を出していた。あの角を曲がれだとか、ここを右折しろだとか、しかし、それも30分を過ぎて道が細く、山道に差し掛かったところで途絶え、今やもう1時間くらい辺りを彷徨っている事になる。しかし、咲を見ても、何食わぬ顔をしている。どうやら彼女の考えるルートからはそれていないようだが、それでもさすがに不安が募っていく。もう諦めて、機械のようにただ前を向いて運転していると、ついに幅がちょうど車一台分くらいの細い道に差し掛かった。これではもうしばらくはUターンする事すらできない。状況は悪くなる一方だ。周りの色も、青を越え、すでに黒が支配をはじめた。断続的に響くエンジン音を、闇が飲みこみ、吸収していく。神聖なる場所に足を踏み入れてしまった異物を排除しようと、暗闇の中から恐ろしい魔物が襲いかかってくるような、もしくは、もうすでに魔物のはらわたの中に入ってしまったかのような不気味さが僕にまとわりつき始めた。次、開けた場所に出たら、はっきりと咲に行き先、目的を聞こうと、そして、できる事ならもう引き返そう、そう決意して彼女の方を見ると、さっきまで携帯しか見ていなかった彼女は、フロントガラスの先にある何か、暗闇の先をはっきりと見据えていた。僕は妙な違和感を感じた。今まで持っていた知識、認識、常識、記憶、それらへのほんのわずかな綻び、日常の雑音にまみれていたら聞き逃してしまうであろうノイズ、そういったものをこの異常な空間で感じ取った気がした。そして、気が付くと僕らは袋小路の前で止まってしまっていた。もうこの道はここでお終いである。引き返すしかない。少し安堵して隣に座っている彼女に話しかけようとした。しかし、それよりも早く、彼女の方が先に言葉を口にしていた。


 「ここだ…」

 それは僕に言ったのではないのだろう。ほとんど独り言のような呟き、しかし、それが意味するものは僕にとってかなりの衝撃だった。まさにこの行き止まりが目的地だったのだと、今彼女が言った。

「ここに何があるの?」

「ごめんなさい。この場所に名前なんてないし、たどり着く正確な方法もないんです。ただ、いくつかの条件があるだけ。さあ、行きましょう」

 それは、僕の問いかけの答えにはなっていなかったが、彼女の興奮と緊張が伝わったので、これ以上の詮索はできなかった。

 車から降りて、さらに前へ進んだ。完全に行き止まりだと思っていた先には、人ひとり分通れるだけの細い道が続いていた。二人で暗闇の中を突き進む。おそらく10分ほどしか歩いてないのであろうが、随分と時間がたったような感覚に陥った。長い長い道のりを経て、僕らはたどり着いた。何もない空洞の空間。周りを覆っているのは岩なのだろうか、それとも横穴のようなものか、それの班別すらつかない、ただ暗い深い空間。重力だけが僕が地上にいると言う事実を確かなものにしてくれている。

「ここに来る条件は3つ、1つはこのあたりを目的なく彷徨う事、次にその時間がちょうど夕暮れに差し掛かる時間でないといけない。3つ目は、ここにあるものの正体を知らない事。すでに正体を知っていた私はどうしても陽さんに頼らないといけなかったんです。だから今まで黙ってたんです。本当にごめんなさい」

「何を言っているんだ?」

 僕は彼女の言っていることが全く分からなかった。そんなオカルトの幻の大陸、ゲームの中の空中都市のような設定が実際にあるとは思えない。しかし、現在立っているこの場所が、僕にその証明を与えているような気がしてならなかった。

「見てください」

 彼女がそう言って、軽く地面に触れると、その空間の内壁が一斉に光りはじめた。それは蛍光塗料のようなものではなく、もっとまばらで点の光、星空のような輝きが生まれた。それは天井や横だけでなく、自分たちの足元にも広がりを見せ、まるで自分が宇宙の中に立っているような感覚になった。

「これは何?」

 僕の思考は空間に支配され、子供のような単純な好奇心に裏付けられた素直な気持ちを述べることしかできない。

「ここは外側へ通じる扉の一つ。この光は外側からわずかに漏れ出したエネルギーの陰。もちろん鍵がかかっていて、簡単に空けることはできません。ただ、扉越しにも声がわずかに聞こえるように、ここでは外の光を見る事が出来るんです」

「外側?」

「ここではないどこかと言う意味。ここに来てしまったあなたは、今までとは少し違う未来、ほとんどは一緒なんだけれど、あなたのルールだけ少し変わってしまう、そんな世界で生きることになります」

「それはどういう意味?君は一体?」

この言葉を発したか、発しなかったかはもうすでに覚えていない。消えゆく意識の中で、最後の言葉を聞いた。

「困った時は、私を見つけて下さい」


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