第2話、されど、無機質なり

『 川村通商の伊藤です。 またお電話致します 』

『 どうも~、アド・クリエイトの森です。 第1原稿、明日にでも送信しますね~ 』

『 お世話になります、東栄通信の与田です。 納品は、月曜ですね。 宜しくです 』


 スマートフォンにメモリー受信されていた数軒の留守録を聞きながら、美緒はマンションの入り口に立った。

 オートロックの暗証番号を、入り口脇にあるボードに打ち込む。 横開きのガラス扉の方から、カチンと音がし、扉が開錠された。 わずかな電子音と共に、静かに開くガラス扉。 エントランスホールに入ると集合ポストをのぞき、配達されてあった電気料金の通達ハガキなどを取り出す。 郵便物を確認しながらエレベーターに近寄り、階数ボタンを押した。

( 何か、今日は疲れたな・・・ )

 エレベーターに乗り、14階まで行く。

 ・・・3LDKのマンション。

 美緒は3年前、母親と死別してから、ここのマンションで1人暮らしをしている。 父親の顔は知らない。 美緒が2歳くらいの時に、母親は離婚したのである。

 母親の実家があったのは、滋賀県 高桑村だ。 美緒の幼い頃の記憶は、ここから始まっていた。 もっとも、ほとんど忘れてしまってはいるのだが・・・

 小学校の卒業と同時に、母親と共に、東京へと出て来た美緒。 自称、東京育ちを自負していた。


 マンションの玄関を開錠し、室内に入る。

 冷え切った室内の空気が、美緒には、酷く陰気なものに感じられた。 季節は、着実に冬へと移行しているようである。

( そろそろ、エアコンを、予約運転させとかなきゃ )

 玄関を施錠し、室内灯のスイッチを入れる。 キッチンのテーブルの上にあったリモコンを手に取り、エアコンのスイッチをオンにした。

 そのまま、居間へ行く。


 壁側には、大きな観賞用水槽があった。

 小さなライトに照らされた細かい泡がゆらゆらと立ち昇り、青白く光る小さなネオンテトラたちが浮遊している。 海水ではなく、淡水の鑑賞魚だ。 熱帯魚のようなハデさはない。 どちらかと言えば、淡水魚は地味な色をした魚が多いのだが、美緒は、この小さな魚たちが気に入っていた。 水槽に付くコケを食べてくれる、ナマズを小さくしたような体型の魚のコモドラスが2匹いるだけで、あとは何も入れていない。

 傍らには、1人で飲む為の、小さなカウンターテーブル・・・

 その他には、何もこの部屋には置いていない。

 居間と呼ぶには、あまりに殺風景だ。 だが、誰かが頻繁に訪ねて来る訳でもない。 1人で、くつろぐ為の部屋である。 余計な物は、一切を排除したレイアウトだった。

「 キミらは、のんびりしていて、イイなぁ」

 水槽をのぞき込み、小さなヒレを動かしながら泳いでいる魚たちに、美緒は話し掛けた。

 1匹が、水槽の隅に向かって泳いで行く。 やがて、水槽のガラスで行き止まると、つい、と頭を横に振り、水槽の向こう側へと泳いで行く。 そこでも行き止まると、再び、頭をこちらに向け、泳ぎ出した。

 クスッと笑う、美緒。

 室内灯を点けていない分、ヒーター代わりの小さなライトに反射し、水槽内で泳ぐ小さな魚たちの姿は、大変に幻想的でもある。

 ゆるやかに浮遊し、暗い水槽内で、小さな青い光を反射させるネオンテトラ・・・

( 小さい頃、お母さんの田舎で見た、メダカみたい )

 ガラス水槽をのぞき込み、小さく微笑む、美緒。

 水槽の横に置いてあった、エサの入ったビンを手に取り、フタを開ける。 細かい、観賞魚用のエサだ。 少し指先に摘み、水槽の中へ落とす。 魚たちは一斉に水面へ殺到し、エサを突付き始めた。

 そんな様子をしばらく眺めた後、美緒は居間の窓の方へと歩み寄った。


 階下に広がる、ネオンの彩り。

 点々と輝く外灯の間を、ゆっくりと流れる車のヘッドライト・・・

 赤や青、黄色のネオンが瞬き、光のオブジェのような広告看板が、階下のあちこちに華を咲かせている。 賑やかそうではあるのだが、その放たれた光りの踊りの中に、どこか寂しげな風情を感じる美緒。


 いつもそうだ・・・


 華やかなものや、美しいものを見た後、どことなく虚しさを覚えるのだ。 先程の不安感も、この虚しさが強調されたものなのかもしれない。

 なぜ、虚しく感じるのかは分からない。 眼下に広がる景色に対しては、季節的に、晩秋から冬へと変わっていくからであろうか。 いや、そんな抒情的な事では無い。 恋人と別れた、とか言う、俗っぽい話しでも無い。 大体、恋愛に走れるような余裕など、今の美緒には無かった。

( あたしって、根っからの、仕事人間なのかなぁ・・・ )

 ふと、そんな事を思った美緒。

 友人なら、沢山いる。 よく飲みに行くし、旅行だって、たまにではあるが温泉などに出掛ける。 異性の友人も多い方ではあるが、現在のところ、美緒に『 その気 』は無い。 もう、それなりの歳だし、美緒だって彼氏くらい欲しいとは思っているのだが・・・


 ネオンが反射する窓ガラス越しに映った、自分の顔。

 前髪に手を伸ばし、触った。

 前髪から、緩やかにウエーブが掛ったサイドに手櫛を入れる。

 

 ・・髪を染めるのは、あまり好きでは無い。


 だが、全くの黒髪では、業界的にスキル不足を疑われてしまうような気がして、わずかではあるが、茶色に染めている。

 自分的には億劫に感じる事もあり、出来れば、ストレートの髪を後ろで束ね、カラーゴムかシュシュ程度のもので済ませていたいのが本音である。

( これも、ある意味、見栄を張ってるのかな・・ )

 小さくため息をつき、両手で、背中ほどまでに伸びた後髪を左胸の前に持って来ると、手櫛で梳いた。


 目を閉じる。


 ・・・美緒は、現在の状況には満足していた。

 仕事は順調だし、人間関係もしっくりいっている。

 だが、今日見た夕空のように、やはり、どこか寂しい。 いや・・ 何かが足りないのだ。 何かが、抜けているような気がしてならない。 恋人だとか、親友だとか、そんな単純な事ではないような気がしてならないのだ。 しかし、実生活には何の障害も無い。 だから、ふとした時、余計に気になってしまう・・・

 普段は、その事について深く考える事はない。 仕事が忙しく、考える余裕すら無い事が幸いしている、と言った方が良いだろう。 だからこそ、ふとした時に気になるのだ。


 美緒の心の奥底にある何か・・・


 それが、何なのかが分からず、シンドローム的に美緒を悩ませていた。

 忙しくしていれば、感じる事は無い。 仕事をしていれば、考える事もないからだ。 ・・と言う事は、本当は何もないのかもしれない。

「 単なる、あたしの思い過ごしかもね・・・ 」

 いつも、考えつく答え。

 答えなど、出ない。 考えても、どうせ、そう言う結論に達する事も分かっていた。

( もしかして、あたしは・・ 躁鬱なヒロインの心境に浸るのが趣味なのかな? )

 最近は、そんな事すら思うようになっていた。


 胸の辺りに持って来て、何気無くもてあそんでいた後ろ髪を、ついと背中に振る。

 小さなため息をつき、美緒は続きの部屋へ入った。


 8畳ほどの洋間だ。 ラグを敷いた上に、小ぶりのソファーとテーブルがあり、サイドボードには大画面の液晶テレビやDVDデッキなどが置いてある。 壁際には、カウンターテーブルとつながった机があり、仕事の資料などがラックに山積みされていた。 主に、美緒が仕事部屋として使っている部屋である。


 明かりを点けていない、いつもの仕事部屋・・・


 今日の美緒の目には、妙に、殺風景に映った。

 階下のネオンが、天井に反射し、薄明るく点滅している。

 隣の、居間の明かりも点けていない為であろうか、 暗闇に、ひっそりと佇むように見えるPCやプリンター、コードレスフォン、オイルヒーターたち・・・

 生活感はあるのだが、それら小物からは、人間味が削除されている。

 元々、無機質な機器たちである。 人情など、あろうはずなど無い。 だが、今日の美緒には、それら機器類が、何かを訴え掛けてくれるような気がした。 そう、何かが足りないと感じる自分に対しての『 アドバイス 』を・・・


「 ・・・・・ 」


 虚像が発する虚空の意志を打ち消す為、明かりを点けようとした美緒。 手を伸ばし、室内灯のスイッチがある辺りを探る。 スイッチは指先に触れ、その位置を確認したものの、何となく、押し難く感じる美緒。

 もう少し待ったら、それら静物たちは、美緒に何かを語り掛けてくれるかもしれない・・・ 再び、そんな気がしたのだ。

( 有り得ないわよね、そんなコト・・ あたし、バカみたい )

 だが、美緒は、仕事場の明かりを点けるのをやめた。 実際、今晩は、何もする気が起きない。 しなくてはならない仕事や、資料の整理はいくらでもあるのだが、どうも気乗りがしないのだ。

 入り口側のラック上に、昨夜、飲んだウイスキーの水割り缶があった。

 おもむろに手に取り、少し振る。 意外と中身が残っていたようだ。 手には重みが感じられた。 残っている酒が奏でる、小さな水音・・・

「 ・・・・・ 」

 美緒は、それを口に流し込んだ。


 ・・軽い苦さと、モルトの香り。

 一息つくと、再び缶に口を付け、残りの酒を煽る。

 不安にも似た瞑想を、洗い流すかのように、酒が喉元を過ぎていく・・・


 飲み干した後、ふうっと、ため息をつき、美緒は、空になった空き缶に目をやった。 心の目は空き缶を通り抜け、美緒にも分からない境地を彷徨っている。


( やっぱ・・・ 寂しいのかな、あたし )


 1人暮らしには、慣れていたはずだった。

 幼い時から、母親と2人暮らし。 家庭と言うには、あまりに寂しい状況ではあったが、実際、寂しいと思った事は無かった。 これが普通であり、美緒には当たり前の現状だったのだ。 さすがに、母親と死別した時は少々、落ち込んだが・・・


 別段、今以上の親友・知人は要らない。 彼氏も・・ 巡り会う機会が無ければ、それでも良い。 全ては、縁であるし・・・

( あたしには、仕事がある )

 美緒は、飲み干した空缶を、コン、とラック上に置いた。 じっと、その空き缶を見つめる。

『 やあ、どうしたんだい? 美緒さん。 元気、出そうよ 』

 勝手に、空き缶が喋るセリフを想像する美緒。

 PCが言った。

『 さあ、美緒さん。 オレの電源、入れてくれ。 昨日のレイアウト、やり直しするんだろ? 』

 シュレッダーが言う。

『 美緒さ~ん、チップが詰まっちゃってさぁ~、取ってよ~ 』

 静かな、物音ひとつしない部屋・・・

 隣の居間の、水槽のヒーターが、静かに唸っている。 ぼんやりと点滅し続ける、天井のネオン光・・・

「 ・・・・・ 」

 突然、美緒は、空き缶を右手で払い除けた。


『 カラン、カランッ! カラカラ、カラ・・・ 』


 部屋の隅の、小さな闇の中へ、慌しい音を立てながら転がって行った空き缶。

 美緒は、呟くように言った。

「 あなたが、悪い訳じゃないのよ・・・? 」

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