空になれない、青
夏川 俊
第1話、蒼然の二意
『 中点同盟 参画作品 』
「 中々、良いプレゼンだったじゃないか。 企画部長の趣味に合わせた所が、ポイントだったな 」
車の運転席に乗り込んだ杉村は、開口一番、美緒に言った。
セカンドシートに乗り込み、デザインバッグを後部座席に置きながら、美緒は答える。
「 野田部長、ご趣味は作陶とお聞きしていますが、絵画もお好きですからね。 最近、ビュッフェを買われたそうですよ? 」
杉村が、シートベルトを付けながら言った。
「 2300万ってヤツだろ? オレも聞かされたよ 」
キーを回して、エンジンを掛ける。
杉村は、美緒が座っているセカンドシートの右肩に左手を掛け、後方に身を捩りながら、バックで車を来客用駐車場から出した。
美緒も、シートベルトを付ける。
車を正門の方へ廻すと、初老のガードマンが、守衛室の窓越しから会釈をした。
杉村は片手を上げて軽く答え、美緒もまた、笑顔を作ってお辞儀をする。
「 絵画に、2300万ですか・・・ 価値観は、人それぞれですケド、私だったら買いませんね 」
美緒が言うと、杉村は、無言で苦笑いを返した。
大通りの方へと車を進め、一時停止線で一端停車。 右方向の安全を確かめながら、杉村が言った。
「 年収1000万を越えてるらしいからな・・・ 豪勢なこった 」
美緒は幾分、冷ややかとも思える微笑を作りつつ、言った。
「 その分、デザインテーマは、コツが掴み易くて良いですよ 」
「 ふ・・ そうかもしれんな 」
左ウインカーを出し、車を発進させる。
杉村は、上着の内ポケットからタバコを出すと、火を付けた。 窓を少し開け、煙を吹かしながら美緒に尋ねる。
「 次のプレゼンは来週だが、コピーライターの方は大丈夫か? 野田さん、結構、期待しているようだぞ? コピー 」
「 私的には、以前、三紅商事の時に使ったライターに出してみようかと思っているんですが・・ 」
ドリンクホルダーにあった紅茶のペットボトルに手を伸ばしながら、美緒は答えた。
杉村は、過去の記憶を検索しているようである。
「 三紅、三紅・・ ああ、あの哲学的なコピーか。 東大の法学部出身とか言う、インテリ・ライターだろ? ロースクールも修了してるのに、司法試験を受けないで、広告業界に入って来たとか言う 」
「 ええ、そうです 」
「 法科大学院で、司法ではなく、違うモンを学んで来たか・・ う~ん・・ そうだな。 今回にはピッタリかもな。 オレ的には、難解だが 」
冷めた紅茶を一口飲み、少し笑いながら、美緒は言った。
「 叙情的に書いても、野田部長には、軟派としか受け止められないかもしれませんよ? 意外とシュールのような気がします 」
右手の指に挟んでいたタバコを口にくわえ直し、ハンドルを切りながら、杉村は苦笑いと共に言った。
「 かもな。 ブルジョアの思考は、オレには理解出来んよ、まったく・・・ 」
初冬の鈍い陽の光が、杉村の左手首にはめられたデイトナに反射する。
( 杉村課長だって、これ見よがしにロレックスじゃん。 どうせなら、エキゾチックメーターにすれば良かったのに )
美緒は、残っていた紅茶を飲み干し、ペットボトルをドリンクホルダーに戻した。 着ていた薄いベージュのパンツスーツの上着のポケットからスマートフォンを出し、来週のスケジュールを確認する。
「 来週は、本社で支社会議がありますね・・・ 杉村課長、行かれますか? 」
くわえていたタバコを右手に持ち直すと、杉村は、ふうっと煙を出しながら面倒臭そうに答えた。
「 飯沼室長は、篠木カントリーだからな。 オレが、行かなきゃならんだろうなぁ・・・ 」
「 新興物産との接待ゴルフ、ですよね? 」
「 ああ 」
小さくため息をつき、アプリを閉じると、美緒は言った。
「 何も、ウイークデーに行かなくても・・ 翌日が、プレゼンですよ? 私、誰の最終OKをもらえば良いのですか? 」
「 仕方無いだろう? ゴルフ好きの飯沼室長が、キャンセルしてまで会議に行くと思うかい? しかも、名門コースの篠木だぜ? 」
「 あり得ませんよね 」
「 絶対、無い。 腰の調子が悪くても行くな。 間違い無い 」
うんざりした口調の、杉村。
美緒は、窓の外に流れる街の風景を眺めながら、独り言のように言った。
「 実質、制作時間は5日、か・・・ 」
タバコの煙を吹かしながら、杉村は言った。
「 よく分かってるな。 会議の代理主席は2人って、決まってるからな。 制作のチーフ・ディレクターである日高君を、業務から引き抜いて行くのは申し訳無いが、オレとしては心強い。 どうもオレは、何でも引き受けてしまうタチだからイカンな。 会議は苦手だ 」
美緒の方を、チラリと見る杉村。
流し目がちの目で、美緒は言った。
「 昼食は、赤坂で頂きますからね? 」
「 心得た 」
目抜き通りの交差点角に立つ、15階建ての白いビル。 1階には、小さな喫茶店と、お好み焼き屋がテナントとして入っている。 10階と11階が、美緒が勤務する総合広告代理店だ。
本社は、上野。 関東圏を中心に、神奈川・東海・近畿・広島・北九州と、各拠点をメインに15の支店があり、業務は一般広告から、街路広告・CMメディア・イベント企画などと幅広く、某求人誌の代理店でもある。
美緒は、この新宿支店に勤務し、一般広告の制作を行っている制作第1課に所属していた。 主に、企業をクライアントとして持ち、製品や商品などのパンフレット・リーフレット、会社案内や入社案内の企画を担当している。 直接の担当上司は、今、横で社用車を運転している杉村。 部内の統括責任者は、ゴルフ好きの制作室長、飯沼である。
ビジネスビル特有の、少し照明を落とした静かなエレベーターホール。
大きなガラス製の自動扉を入ると、鞄を小脇に抱え、外へ出掛けようとしていた若い男性が美緒に声を掛けた。
「 あ、日高チーフ。 お帰りなさい。 どうでした? 」
美緒の部下である橋口だ。 入社2年目。 担当の得意先も増え、最近は忙しい。 主にイベント企画を業務としており、確か来月、24歳の誕生日を迎える。
「 あら、橋口君、ただいま。 予想通りの、概ねOKよ。 コピーと、若干のレイアウトが直しね。 ・・オリエント企画、行くの? 」
「 ええ。 週末のNTV放送のイベント、やっぱり警備員が足りないんです。 新しい所を開拓して、何とか集めましたので、配置の打ち合わせに行くんです 」
「 そう。 ご苦労様。 じゃ、帰りは直帰ね? 」
「 ・・え? いいんですか? 」
「 今日、彼女とデートでしょ? 昨日、そんなコト言ってたじゃない 」
橋口は頭をかきながら、照れた笑顔で答えた。
「 有難うございます・・! 日高チーフは、話しが分かるなぁ~ 」
エレベーターのボタンを押しながら、美緒は言った。
「 あたしに、聞こえるように言ってたクセに 」
「 バレてました? 」
「 見え見えよ 」
車を駐車場に回していた杉村が、入り口から入って来た。
「 お? 橋口、出掛けるのか? 頑張って来いよ 」
「 はい! 行って来ま~す! 」
橋口は、元気そうに答えると、小走りにホールを出て行った。
石張りのエントランスに、杉村の乾いた靴音が響く。
美緒の横に並び、エレベーターの階表示ランプを見上げる杉村。
ため息をつくと、言った。
「 ・・多分、今度の会議で人事異動が発表される。 池袋の支社で、営業部長の空席有りだ・・ オレが行く事になったよ 」
「 豊島区・・ ですか。 部長だなんて、昇進栄転じゃないですか! おめでとうございます 」
ポーンと、エレベーターの到着音が鳴る。
杉村は、ランプを見つめたまま、呟くように言った。
「 業績不調で、前任者は外されたらしいな・・・ 気が重いよ 」
静かなホールに、杉村の声が重々しく響く。
豊島区・荒川区から台東区にかけ、各支社が最近、業績不振なのは美緒も聞いていた。 社内報でもグラフ表示され、通達されていた記憶がある。 前任の営業部長は、売上トップの千代田区の支社から抜擢されて来た『 やり手部長 』との話しを聞いていたが、どうもうまくいかなかったらしい。
開いたエレベーターに乗り込みながら、美緒は言った。
「 頑張って下さい、としか言えませんね・・・ 杉村課長なりのやり方で、最善を尽くすしかないと思います 」
杉村も乗り込み、エレベーターの扉が閉まる。
静かな、バロック音楽が流れるエレベーター内・・・
操作ボタン上部にある階数表示の、赤いデジタル数字が変わっていく様を見つめながら、杉村は呟くように言った。
「 ・・オレの後釜は、日高君がやる事になるだろう。 制作1課の事は任せたよ。 しっかりな 、日高課長 」
「 ・・・え? 」
美緒は、驚いた表情で杉村を見た。
視線を感じた杉村が、美緒の方を見る。 少し笑いながら、杉村は言った。
「 飯沼室長も、その辺を見越して、篠木へ行くんじゃないのか? あの人・・ 結構そういうトコ、あるからね。 本社の連中に、日高君の顔を覚えてもらう為にも、会議出席は丁度良い。 ついでに挨拶して来い、って事かもしれん。 二度手間が省けるからな 」
・・まさに、寝耳に水だ。 美緒が、制作第1課の課長に抜擢昇進されるらしいのだ。 杉村の口調からは、既に、あらかた決定されているような雰囲気が感じられる。
「 わ、私・・ 急に言われても・・! 自信がありません・・・! 」
杉村は、笑いながら答えた。
「 何も、気負う事はないさ。 今まで通り、業務をこなしていればいい。 ま、管理業務が少し増えるがな。 この事は、まだオフレコだ 」
右の人差し指を口先に当て、美緒にウインクして見せる杉村。
ポーンという音がし、エレベーターの扉が開いた。
すぐ前に、受け付けカウンターがある。 受付嬢の女性が、書き物をしていた顔を上げ、言った。
「 あ、チーフ。 お帰りなさい。 杉村課長も、お疲れ様でした 」
「 ただいま。 何か、連絡はあったかい? 」
杉村が、受け付けカウンターをのぞき込み、卓上のメモを見ながら尋ねる。 女性は、連絡メモを確認すると、言った。
「 特には・・・ あ、朝日商事の寺元さんから、お電話がありました。 明日、また掛け直すそうです。 それと、上の経理から明細の催促が・・ 」
天井を指差しながら言う彼女に、杉村は苦笑しつつ、答えた。
「 11階の連中か・・ まだ集計日まで、3日もあるじゃないか。 ほんと、せっかちだな。 ・・日高君、上の連中とも仲良くな? 」
美緒の方を振り返り、そう言った杉村に、美緒は冷ややかに答えた。
「 先月の伝票を、溜めるからですよ 」
木製のドアに付けられた金色のノブを回し、部屋に入る。
沢山の事務机が並べられた制作ルームとは別に、チーフディレクターである美緒は、来客と込み入った打ち合わせも出来るよう、個室が与えられていた。
同じように、課長である杉村にも個室がある。 美緒の部屋の、すぐ隣だ。 だが、杉村の部屋には窓は無く、反対に美緒の個室には、南側に窓があった。
( コッチの部屋のままの方がいいな。 プレートを入れ替えるだけにしよう )
先程、杉村から聞かされた課長昇進の話し・・・
制作1課の課長 杉村は、美緒が入社して来た6年前以前から、この課にいる。
1課の人員は、室長の飯沼、課長の杉村以下、美緒も含めて12人。 ほとんどが、現在、28歳の美緒より年下だ。 営業を担当している男性数人に、30代がいる程度である。 しかも、中途採用が多い為、新卒入社で6年目の美緒は、飯沼・杉村に次ぎ、課内3番目に古株だ。
( 平均年齢が若い事が、幸いしてるかな・・・ あたしがリーダーになっても、みんな納得してくれるわよね )
窓から、暮れ始めた外の景色を眺めつつ、そう思った美緒。
点灯したネオンの彩りが、窓ガラスに反射している・・・
薄暗くなって来た室内ではあるが、明かりを点けず、美緒は、しばらく外の街並みを眺めていた。
彼方のビルが、金色に輝く空に影絵の如く美しく、その縁取りを描いている。
天空に寄れば寄るほど、空の薄明るいブルーは、より一層に紺を増し、群青の深みと共に濃紺へと、その色彩を推移している。
雲ひとつ無い、美しい初冬の夕焼けだ。 こうして見ると、都会の夕空も悪くない。 やや南西に、一際美しく、金星が輝きを放っていた。
( 1番星・・か・・・ )
ふと見上げる夕空に、美緒は幼い頃から、何度もその星を見出していた経緯がある。
夕空に輝く、1番星・・・
それは、たいていが金星であるという事は、かなり以前に、誰かから聞いた。
( 誰から聞いたんだっけ・・・? )
思い出す事は、出来ない。 それほど昔の、遥か幼い頃の記憶だ。
スマートフォンを出し、着信履歴を確認する美緒。 数人の着信記録がある。 しかし、美緒は小さなため息をつくとアプリを閉じ、暮れなずむ初冬の空に視線を移した。
琥珀色に輝く、西の空・・・
冷たい晩秋の風が吹いてはいるのだろうが、空調の効いたオフィス内では、その寒さを感じる事はない。
鮮やかな色彩のみが、美緒の心に染み入る。
( こんな空を眺めていると、心が和らぐわ・・・ )
心情的には穏やかなのだが、静かに、その心情を探ってみるに、何故か美緒の心の中には、一点の不安感があった。 ・・それが、何に対しての不安なのかは分からない。 先程、杉村から聞かされた話の影響なのだろうか。 ・・いや、違う。 この、心のざわめきにも似た、不安な心境感の存在に気付いたのは、随分と前からの事だ。
( 別に、仕事は順調だし、悩みというほどのものはないし・・・ でも、何なんだろう、この気持ち・・・ 気になるな )
再び、小さなため息をついた美緒。 窓ガラスに手を寄せ、輝く夕空の琥珀色を、ガラス越しに指先でなぞった。
濃紺の色合いが濃くなり、空に、一層の輝きを放ち始める、1番星・・・
美緒は、いつまでも、その輝きを眺めていた。
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